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    明言しない関係性でいるのが好きなのでいろいろぼかしてますし直接的な描写はほぼありませんが、品のないまじちさです。

    微かな息苦しさで目を覚ました直後、もぞもぞと胸元で蠢く緑色が千束の視界いっぱいに広がった。
    「うひ、ぁ」
    叫んだはずがちっとも迫力のない掠れた悲鳴しか出てこず、飛び起きようとして中途半端に動きを止めるのと同時に、「やっとお目覚めかよ」と千束を窘めるような声音で胸へ無遠慮に頭を乗せているものの正体に思い至る。緊張感が走ったのは一瞬で、千束は脱力して再びベッドへ身体を沈み込ませる。
    「……なにしてんの?」
    「心音の確認」
    誤魔化すでもなく、悪びれるでもなく、真島は堂々と言い放った。
    「確かめるまでもないでしょ、アンタなら」
    「いいんだよ。分かってて、好きでやってんだ」
    千束が着ているオーバーサイズのシャツの上から胸に耳を当てていた真島が、感慨に耽るような声で呟く。なんだよそれ、と悪態をつきながら、千束は言いくるめられたような気がしてどこか面白くなかった。
    いつまでも聞こえてこない音を探し続ける真島とは逆で、千束にはどくどくと規則的な鼓動が伝わっている。千束が平静を装ったまま無言で脳天を小突けば、それが合図のように真島はのそりと身体を起こす。
    真島と夜を過ごしても朝はたいてい千束が先に起きてベッドから抜け出していたからか、今のようなシチュエーションに陥ることはこれまでになかった。単純に、真島は寝起きがいいタイプではなく、千束はリコリコの開店準備に間に合うように身支度を始めるからだ。今朝はと言えば、真島の予想外の行動にもしばらく気づかず爆睡していたのかと思うとなんたる不覚か。殺し合って心中しかけた相手なのに、なんて理性を奮い立たせようにも依然としてベッドに縫い止められているような心地が抜けず、起き上がるタイミングをすっかり見失っていた。してやられた、と枕に顔を埋める。
    「寝込みを襲うな変態」
    「おかげで目ェ覚めただろ。寝坊しなくて済んだんだからいいじゃねえか」
    千束はサイドチェストに置いてあった腕時計を掴み、「寝坊じゃないし」と文字盤を流し見して唇を尖らせた。
    「今日はオフなの! アンタに邪魔されなきゃもっとゆっくり寝てられたのにさぁ」
    「オフ?」
    真島は千束の発言を繰り返してから、ふうんと鼻をならした。ベッドから腰を浮かせ、大きな欠伸を漏らしながら気だるそうにキッチンへと向かうのを千束は目線だけで追いかける。その背中に、掻きむしったような赤い線がいくつも残っていた。「痛そう」とぼんやり他人事のように口に出してから、遅れて我に返る。
    再び枕を抱えて丸くなった千束に、怪訝そうな声が降ってくる。
    「どうした?」
    「なんでもない」
    「拗ねんなよ。悪かったって」
    ほれ、と軽い調子で手渡されたのは冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターだった。
    勘違いから素直に謝る真島に決まりが悪くなり、千束はやっと身体を起こす。ペットボトルのキャップをひねり、程よく冷えた水で千束がごくりと喉をならすのを横目に、「なあ」と隣に座った真島が口火を切った。
    「リコリスって房中術とか教わらねえの?」
    渇いた喉へ勢いよく流し込んだ液体を吹き出さなかっただけ褒めてほしいくらいだ。
    ぐ、と声を詰まらせて返答のテンポが遅れた千束は、涙目で真島を睨み付ける。
    「ハニートラップって言った方が分かりやすいか?」
    「……ッ、けほ、い、言い直さなくたって理解してるっつうの!」
    けほけほと咳き込む千束の薄い背中を真島は容赦なく叩いた。いや、撫でたつもりなのかもしれない。意趣返しかもしれない。何であれ、完全にからかわれている。
    「なに、そのわりにヘタクソだって文句つけたいワケ」
    「初々しくて可愛いって思ってんよ」
    「このやろ心にもないことを!」
    千束は抱えていた枕を渾身の力で振り回し真島の顔面に命中させるものの、微塵も意に介さず口先で反撃してくる。
    「お前はガキん頃しかDAにいなかったんだっけ? そういうの覚えるお年頃にゃ早すぎるか」
    もとよりDAは敵性を認めた対象に対し直接攻撃を仕掛ける戦闘員を育成することを主な目的とした組織だ。リコリスにとっては必要なのは最低限の知識と対応策程度──真島の察する通り、実際千束がターゲットを仕留める技を射撃や体術の実技訓練以外で習得したことはないのだが──それ以上のことは、ファースト・リコリスの千束であっても全容を把握しているわけではないが、DA以外の専門部隊が請け負うはずだ。
    などと、現在もDAから絶賛指名手配中の真島に懇切丁寧に説明してやるのも言い訳がましい、もとい、おかしな話だ。一歩間違えば情報漏洩で処罰対象にもなりうる。
    「知らんし」
    千束が適当に答えても、真島はただ肩を揺らして笑っているだけだった。相応に顔を赤らめた千束の反応に満足し、ペットボトルを傾けている。
    具体的に何かを聞き出そうという意図なんてない、今の自分たちの間でそんな腹の探り合いは野暮だ。千束がそう思うことを、真島は平和ボケだと咎めるだろうか。
    「何か食うもんも冷蔵庫にあったか?」
    基本的に何日分も食材を買い溜めたり作り置きをしておくような生活をしていない千束が首を横に振ろうとしたところで、スマホが着信音を響かせる。通知にある未読のショートメッセージをタップし、千束は目を見開いた。
    弾かれたようにベッドから立ち上がり、ファースト・リコリスの証である赤い制服に手を伸ばしたところで、真島に呼び掛けられる。
    「急にどうした?」
    「……今日、ただのオフじゃなかった」
    「は?」
    「DAの定期健診行ってこいって、おまけで休みにしてもらっただけなの~……!」
    メッセージの送り主はたきな。『おはようございます。忘れずに定期健診を受けてくること』。真島との一悶着で覚醒していなければいずれにしろ寝過ごしたであろう千束のことを予見していたかのような相棒からのリマインダー。人工心臓のメンテナンスも兼ねているとはいえ、注射嫌いの千束にとっては毎度気が重い。あれやこれやと理由をつけて期日を先延ばしにしていたところ、とうとうたきな経由でDAが連絡を寄越してきて、本日の予定を組まれてたのが一週間前のことだったか。すっかり頭の隅に追いやってしまっていた。
    シャツを脱いで、少し悩んで洗濯かごに放り込む。クロゼットから取り出した下着に手をかけようとしたところで真島に阻まれた。具体的には目標物を取り上げられた。
    「待て。行くな」
    「はあっ!? いやなにしてんの、返せ!」
    「今日はやめとけ」
    「なんでよ、もう出ないと間に合わないんだけど!」
    眠たげな目をしているわりに、妙に真剣な眼差しがむず痒い。両手で掴みかかろうとしてすんでのところで思いとどまり、脱いだばかりのシャツを引っぱり戻す。
    「お前のために言ってんだよ。夜更かしはするもんじゃなかったな」
    昨日の夜は、このセーフハウスにて──DAから追われる身である男がたびたび自由に出入りしている部屋をそう呼んでいいのかはともかく──ふたり、お決まりのような流れで映画を観た。真島の言う「夜更かし」は、それからのことを指している。
    この、サイズも合わない着心地も良いとは言い難いシャツをわざわざ寝間着代わりにした覚えなんてないし、そもそも派手な柄で千束の趣味でもない。でも、これが何よりの答えだ。
    「…………ダメなの?」
    「駄目だろ」
    真島は千束の手の中からひょいとシャツを取り上げ、そのまま肩へ羽織らせる。
    「……あのさー……痕、つけた?」
    「つけてねえ。……制服着ても見えるようなところには。他は保証しねえ」
    「お、おまえなぁあ……!」
    「つうか痕がどうこうレベルの話じゃねえよ。心臓の稼働に異常はねえしメンテなんて今日明日じゃなくたって平気だ。どうしてもってんならもう止めねえけど、さっさとキャンセルか延期にでもしたら」
    そもそも、俺が手を出す前に思い出さなかったお前が悪い。
    極めつけの一言に、千束はぐうの音も出ない。こればかりは反論の余地なく、真島の言い分が最もだ。人工心臓に関しても、もはや一端の専門家のような口ぶりである。
    「DAの方はまあ、またかって呆れられるだけだけど。たきなにめっちゃ叱られる……」
    「道すがらでテロリストに遭遇して始末つけてたとでも適当言っときゃあいいだろ」
    「適当っつうかほぼ真実じゃん。火に油注ぐわ」
    痺れを切らしたDAからリコリコやたきなへ連絡が行って、緊急事態だと誤解されても困る。千束はDA本部の番号をコールして、きっと自分を待ち構えているであろう山岸を呼び出した。電話口で盛大に溜息をつかれたが、急な仕事と伝えれば事情は殊更追及されない。常套手段でつつがなく通話を終えて、ひとまず胸を撫で下ろす。
    「今度こそ、今日は一日オフってことだな」
    「……そーね」
    「じゃ、飯でも食いに行くか」
    制服はやめておめかししろよ、などとのたまう真島の横っ腹にパンチを食らわせる。枕と違いまともに急所を狙われた真島がぐえ、と奇声を上げてベッドに倒れこみ、千束が覆い被さる。真島がほんのわずかに目を細め、息をのむのを見下ろした。
    「……明日もナシだぜ」
    「うっさい」
    真島の思いどおりにばかり事が運ぶのも、バランスが悪い。それだけのこと。
    「お前の日常に俺が溶け込んでるのはよく分かったよ」
    茶化すような真島の言葉に蓋をするように、千束はその唇を塞いだ。
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