揺らぐ心 藍曦臣が弟からの知らせを受けて宿に辿り着いた時、藍忘機と莫玄羽はまだ宿に着いていなかった。今ここにいるのは知らせにあった義城で遭遇したという各家の子弟達だろう。若者達は徐々に宿の門の前に集合しつつあった。
「沢蕪君!」
藍曦臣に気付いた藍氏の子弟達が近付いてくる。揃って礼をした彼らを見回して、皆無事そうなことに胸を撫で下ろした。
「忘機はどこに?」
藍曦臣が問うと、手前に居た藍思追と藍景儀がそれぞれに口を開く。
「含光君と莫先輩は街を見てくると言っていました」
「集合の時間を過ぎたのに、まだ戻ってないんですよ」
景儀が少々不満そうなので、どうやら二人は随分とゆっくり街を見ているらしい。仲良くしているのなら良いことだ。弟がそんなに仲良く連れ立って歩きたいと思う相手などいるのか……と、そこまで考えて頭を振る。これはあくまで仮定の話でしかないし、確証はない。
「そうか。それなら彼らが到着したら先に中にいると伝えてくれ」
「分かりました」
藍曦臣も子弟達と一緒に待っていても良かったのだろうが、ここへ呼び出された理由を思うと冷静でいられる自信が無い。
義城での薛洋との邂逅、そして見つかった首無しの骸。詳しくは会った時に説明するとはあったが何もかもが藍曦臣の心を乱していて、今は一人でいたかった。
あの時から覚悟はしていたのだ。いや、覚悟をしたのはそれよりも随分と昔のことだ。だから、そう動揺してはいけないと思っているのに心は凪いだままではいてくれない。
「大哥……」
刀霊により気が暴走してどこかに行ってしまった彼を、地の果てまで追いかけて探そうとすることは藍曦臣にはできなかった。もちろん手は尽くしたけれど、忘機のように探し続けようとはしなかった。
確認しなければどこかで生きてくれるのかもしれないなどと、そんな甘いことを考えていた訳では無い。出来る限りのことはしたけれど、何の手がかりも得られないというところで立ち止まってしまった。
探し続けることを止めてしまったのはどこかで認めたくないと思っていた部分も確かにあったのだ。だから、ずっと先延ばしになってしまっていたことが、今日になったというだけのことだ。それも、酷く非道な形で。
首が無いなどという恐ろしい事態になっていることを、もっと怒ったり嘆いたりするべきなのかもしれない。けれど今は冷静でいなければという気持ちで抑えているせいなのか、どんな感情もただ揺らめくだけだ。
そんなことを考えている間に、二人の足音が聞こえてきた。
「……兄上」
宿に藍忘機と莫玄羽が並んでやってくるのを見て、藍曦臣は落ち着かないながら微笑ましい気持ちになった。こんな風に忘機が誰かと一緒にいるのを見るのは随分と久しぶりだ。藍曦臣が共に歩むことを決めた二人は、今は二人とも共にいることができない。
刀霊が良く見覚えのある刀であることを確認し、藍忘機と莫玄羽改め魏無羨から一通りの話を聞いても、まだ藍曦臣の中には何も確信はなかった。
聶明玦がいなくなってからも、藍曦臣には阿瑶――金光瑶が居た。義兄を失った悲しみを癒すことは出来ずとも、側に寄り添ってくれる人が居たからこれまでやってこれた。そう、思っている。だから、阿瑶を疑うなど考えたことは無いし、これからも疑いたくなどない。疑ってしまったら、これまで通りの自分でいられるかも分からない。
もし誤った道へ行ってしまったのなら正しい道へと正せば良いだけのこと。そう思えども、冷静な判断を自分がすることができるだろうか。阿瑶が本当に関わっているのか、関わっているとしてもどのように関わっているのか。どんな形であっても、毅然とした態度で臨むと決意だけはしておかなければと、思わず拳を握りしめる。
来月の清談会には弟達二人にも参加してもらおう。今の揺らいだ心にはまだそこまでしか決められない。この十数年の時を思い大きく溜息を吐いてから、藍曦臣も弟達の後を追ったのだった。