【ヴェラン】キミの機嫌はボク次第「機嫌を損ねる」という言葉では済まないほど、ヴェインを怒らせてしまった。
ヴェインは素直で、感情が分かり易く顔にでるけれど、いつも明るくて前向きだから、あまり不機嫌にはならないのに。
俺が揶揄って拗ねたことはあるかもしれない。
子供の頃から「ランちゃん、ランちゃん!」と俺を慕ってくれていたヴェイン。
その想いがいつしか恋に変わっていて、俺にも伝染した。
今では幼馴染みで、相棒で、親友で、恋人で、人生のパートナーでもある俺たちは、長い付き合いで一度も喧嘩をしたことがない。それほど仲がいい。
それはヴェインの優しさの賜物だと思う。本当に負の感情を持たないヴェインとは、喧嘩にならないんだ。
ヴェインが、あからさまに負の感情を他人へ向けたのは、俺の友人であるパーシヴァルに対してだろう。
パーシヴァルは俺の同期で、友人かつ、好敵手だけれど、ヴェインとはあまり関わりがなかった。そんなパーシヴァルが、俺に向けて厳しい発言をした時、ヴェインは俺を想うあまり喧嘩をふっかけた。
ヴェインが人に対して声を荒らげるなんて――しかも、痛いところを付く言葉を選んでいて、とても驚いたものだけれど。
今日の俺は、その時よりも激しくヴェインを怒らせたと思う。
知らなかったな。怒りが頂点に達すると、無言になるタイプだったなんて。言葉に出来ないくらい怒らせたのだろう。
「てっきり『もう、怒ったからなー!』とか言うかと……」
俺に甘いヴェインだから、可愛くむくれるとか……いや、俺が取り返しのつかないくらい、可愛くない内容を言葉にしてしまったんだ。
――ことの起こりは、白竜騎士団の飲み会の席。
「それではグラスを持って~! みんな、いつも真摯に任務へあたってくれてありがとうな! 我らが白竜騎士団の栄光の為~! 乾杯っ!」
「かんぱーい!」
行きつけの店は、天井が高く、淡い灯りが店内を照らしていた。各テーブルの間には鉢植えが置かれ、個室のように視線が遮られている。その店内の一番奥で俺とヴェイン、歩兵隊第四班と第七班の面々はテーブルを囲んだ。
ヴェインの音頭でグラスの音が響くと、次々に追加のグラスや食べ物が運ばれてくる。
団の飲み会は、交流の場と情報共有の場として、不定期に開催していた。当然、勤務中の者は参加出来ないので、仕事上がりの少人数だ。
毎回、同じメンバーにならないよう、ヴェインが差配してくれている。団が円滑に回るように考えられた人選で、人をよく見ているなと感心してしまう。
「皆の士気を上げる為にはウマい飯だ!」と食事の美味しい店を選んでくれたのもヴェインだ。
ウマい飯というなら、ヴェインの作る料理を上回る食事なんてないけどなあ。
「酒も飯もウマくて、その上ランちゃんも来てくれたら、みんな喜ぶぜ!」
大きな口を開けて笑っていたヴェインだが、何軒も下見してくれたのを俺は知っている。
俺がいたら喜ぶと言ってくれるが、そう思ってもらえる団長で在れているか。飲みの席に上官がいて窮屈じゃないだろうか――そんな風に思う時もあるけれど、ヴェインが助けてくれていた。
ヴェインは場を明るくしてくれるし、聞き上手でもあるから、本当に助かるよ。
今回は、二十代前半の団員が集まった。俺たちの大分後輩だ。
最初は仕事の話もしていたけれど、次第に別の話も増えていく。若者が多い時の話題は、決まって恋愛話が多い。
年齢が上がると、殆どの者が所帯を持っており、子供の話題や、健康の話が増えるんだけどな。
「そういえば、お前。彼女とは、その後どうなった? 進展したのかよ?」
若い騎士のひとりが、酒の入った赤い顔で、隣の騎士の肩を組んで耳元へ話し掛けている。本人は小声のつもりかもしれないが、俺の耳にもはっきり聞こえていた。
「うーん……、上手くはやってると思うけど、ガードが堅くてさあ……」
「えっ、まだヤレてないの?」
仕事の話、恋愛話、家族や人生について――飲みの席では、年代ごとに色々な話題が出るけれど、どの年代でも、多少の猥談はあった。
騎士道に悖らなければ、俺も聞き流しているし、会話に交ざることもあるが今回は前者だ。
「……ってことは、お前、まさかまだ童貞?」
「仕方ねーだろ!」
揶揄いと同情の混ざった口調で言われ、若い騎士はグラスの中身を一気に飲み干した。
これを切っ掛けに、今夜も話題はもれなく下ネタへ発展していった。やれ、女性の肌がどうの、自身の初体験はどうだっただの。女性経験があるというのは、一種のステータスらしい。
聞くに堪えなくなったら止めるかと、ビールに口をつけてみるが、不味かった。俺が眉を顰めたのを見逃さず、ヴェインがさり気なくレモンスカッシュに変えてくれる。
爽やかなレモンの風味と、強い炭酸がウマい。何より、色合いがヴェインの髪色に似ていて、気分が上がる。
まあ、俺が眉を顰めたのは、ビールの不味さの所為だけじゃないけどな。この話の流れは、大抵こっちにとばっちりが来るからだ。
「いやいや、お前も早く経験出来るといいなー! 滅茶苦茶イイぞ! ねっ! そうですよね、ヴェイン副団長もそう思いますよね!」
ほらな。
赤い顔に優越感を滲ませた騎士は、ヴェインに絡み始めた。
こいつ、ヴェインを童貞だと思っているんだろう。言っておくけど、ヴェインはモテるぞ。
本人がよく「俺は全然モテねえからなー!」と吹聴しているから、皆、勘違いをするんだ。
ヴェインは嘘を言っているつもりはなく、自身ではモテないと本気で思っているんだけど。
でも気付いていないだけで、城の侍女にも、城下町の女子たちにもモテている。
俺がヴェインの隣にいるのも、誤解を招く要因らしい。周囲は、「ランスロット団長は、女性の視線を釘付けにして、独り占め」と思い込んでいる。
誰もヴェインに目を向けていないと。
大いなる誤解だ。女性たちの視線を集めている自覚はあるが、それは俺が騎士団長という立場にいるからで、偶像に憧れる眼差しを向けられているだけだ。
実際、女性たちが男として見ているのは、ヴェインだと思う。
結婚したい騎士コンテストがあれば、絶対に一位はヴェインだ。俺もヴェインに投票する。
俺はヴェインをよく見ているから、ヴェインに向けられる視線にも敏感なんだよ。
まだ若い騎士には分からないかもしれないが。
「ヴェイン副団長も教えてやって下さいよお~。体験談とか聞きたいです~」
俺はまだヴェインに絡んでいる騎士を一瞥する。口を開きかけると、ヴェインに視線で止められた。
ヴェインは大皿に盛られた熱々のフラムクーヘンを切り分けながら、「まあまあ、焦って捨てるもんでもないだろー、童貞なんてさ」と鷹揚に言い、ベーコンが多く載った部分をこちらへ寄こす。
俺に気を遣った発言だな。
「お前も食えよ」
「食ってる、食ってる」
先程から皆の皿へ食べ物を取り分けてばかりだけどな。気の付く団員が、慌ててヴェインの手からピザカッターを奪うと、切り分ける作業を引き継いだ。お礼を伝えたヴェインは、皿を手に俺の隣へ腰掛ける。漸く、隣に来たな。
ヴェインが隣にいると落ち着く。
「なあ、ヴェイン……」
「ん?」
「えー、もしかして、ヴェイン副団長も童貞なんですかあ? オンナを知らない?」
俺がヴェインに話し掛けた瞬間、大声に遮られてしまった。
なんだ、コイツは。
今、鼻で笑っていただろう。酔うにも程がある。
周囲の騎士たちが、慌てて赤ら顔の騎士の口を塞いでいた。文字通り口の中へフラムクーヘンを突っ込み、手のひらで口を塞いでいる。
まあ、副団長に失礼があっては、酔いが覚めた後、蒼褪める羽目になるだろうからな。止めてやるのは親切だ。仲間思いの騎士たちに囲まれていて良かったな。
とは言え、酔っているからといって、ヴェインを馬鹿にされるのは面白くないんだよ。
「んー、まあ、知らねえかなあ。俺の童貞はずっげえ大切な人に捧げたいって、昔から思ってたんだぜ~。お、ウマいな、このフラムクーヘン!」
酔った騎士の言い様を気にした風もなく、薄焼きピザを頬張ったヴェインは、口元を綻ばせ幸せそうに笑っていた。
この顔は、今度味付けを真似して俺に食わせようと思っている顔だ。
「お前なあ……」
「ほらほら、ランちゃんも食って~」
俺の口にはヴェインがフラムクーヘンを突っ込んだ。俺が気分を害しているのを察知して、この場の空気を凍らせない行動に出たのだろう。
口いっぱいにチーズとベーコンの味が広がる。
ヴェインに免じて、この場は黙っていようと思ったけれど、赤ら顔の騎士は、その後もヴェインに絡み続け、終いには仲間に店外へ連れ出されていた。
「お前はどうして何も言い返さないんだ!」
飲み会を終え、帰宅した俺は、憤慨したままヴェインへ向かって叫んでいた。ヴェインに当たっても仕方がないけど。
ヴェインが鼻で笑われることはなかったはずだ。あの場で騎士に言ってやれなかった鬱屈が溜まっていた。
「ええー、別に言い返すようなことあったかあ?」
ヴェインときたら、俺が馬鹿にされれば怒るくせに、自分に関しては無頓着だ。そんなだから、昔から損な役回りをさせられる。
そこがヴェインの良さのひとつではあるけど、なんだか今夜は腹の虫が治まらない。
――だって、ヴェインが童貞じゃないのを、誰よりも知っているのは俺だ。
そして、ヴェインに女性経験がないことも。
ヴェインは、ずっと昔から俺を好きでいてくれて、俺以外を好きになったことがないから。
『俺の童貞はずっげえ大切な人に捧げたいって、昔から思ってたんだぜ~』
そうはっきりと告げていたヴェイン。
即ち、それは俺のことだが。
ヴェインが『女性経験がない』と馬鹿にされるのは、俺の所為なんだ。
俺を好きになっていなければ、ヴェインは普通に、とっくに経験していた筈だ。ヴェインはモテるんだからな!
その事実にも、ヴェインの良さにも気付いていない男に馬鹿にされ、その上、「ヴェインは童貞じゃないぞ」って言ってやれなかった不甲斐なさもあって、冷静さを欠いてしまう。
なんだか悔しくて、悔しさのあまり、欠片も思っていないことを口にしてしまった。
「どうして昔、先輩から誘われた時に、娼館へ行かなかったんだ!」
――と。
「本気で言ってるのか?」
今まで聞いたことのない、地を這うような低音がリビングに響いた気がした。もちろん、それは俺の気のせいで、ヴェインの声は怒りを抑えたものだったから響くわけがない。俺の脳内でリフレインされているだけだ。
ヴェインのそんな声を聞き、驚いてしまって動けなくなった。当然、謝罪の言葉も出てこない。
ヴェインのことだから、可愛くむくれるんじゃないかって、そんな甘い考えがあった。
何も返事が出来ないでいるうちに、ヴェインはひと言も言葉を発せず、リビングを出て行った。
「ヴェ……」
扉が静かに閉まって、広いリビングにひとり取り残されてしまう。足が床と同化したように、俺は一歩も動けなかった。
知らなかったんだ。ヴェインが怒ると無言になるタイプだったなんて。今まで喧嘩なんてしたことがないから。
息を顰めて、ヴェインの動向に神経を集中させる。
ヴェインが、家を出て行ったらどうすればいい。――いや、それは絶対に止めるけど。
神経を研ぎ澄ませていると、慣れ親しんだ気配は二階へ向かった。よかった。
だが、足取りが重い。怒りで乱暴になったりしていない。
そうさせたのは俺だ。傷ついているんだ。
扉の閉まる音が微かに聞こえた。
ヴェインは自室へ篭もったのだろうか。それとも、眠る為に寝室へ行ったのか。
寝室は、俺たちの共有スペースだ。この家に一部屋しかない。
共有スペースというか、ベッドもひとつしかなく、毎晩同じベッドで寝ているんだけど……。
一緒に暮らし始める時に、ふたりで相談して決めた。シフト制で勤務時間が違うことも多いから、部屋は一緒でもベッドは別がいいんじゃないかとヴェインに提案されたが、却下したのは俺だ。
ひとつがよかった。
ヴェインの隣で眠るのは、俺が一番安らげる時間だったんだ。
今夜は隣で眠れないかもしれない。
けれど、すぐにヴェインを追いかけ、傍へ行く勇気が出なかった。
許してもらえないかもしれない――そんな発言をした自覚がある。
「馬鹿か、俺は。なんであんな言葉……」
後悔しても、一度口にした言葉は取り消せない。俺は言ってはいけないことを口にした。
傷つけてしまった。
「ヴェイン……」
ヴェインが娼館へ行かなかったのだって、俺の所為だっていうのに。
「最低だ……」
唇を噛んで扉を見つめるしか出来なかった。
まだ黒い鎧に身を包んでいだ若かりし頃。
ある日、「助けて、ランちゃん! 先輩が娼館に連れて行こうとする!」と、ヴェインが寄宿舎の二階にある俺の部屋へ飛び込んできたことがあった。
ヴェインが正騎士になり、俺が隊長を任されるようになった頃だ。
その日休日だった俺は、自主鍛練を終えた後、夕暮れまでベッドに転がって本を読んでいたが、勢いよく飛び起きた。
「なんだって」
枕元に積んでいた本が雪崩を起こしたけれど、構っていられなかった。
男だらけの騎士団で「娼館通い」は、よくあること。悶々とするあまり、不埒な行いに走らないよう、適宜性的欲求を満たしに行く。黒竜騎士団以前から連綿と受け継がれているらしい。
ヴェインだって、健全な男子だったから、誘いの声が掛かってもおかしくない年齢だった。
でも当時の俺は、まだヴェインを子供だと思っていて、弟みたいなヴェインをそんな淫らな場所へ行かせるわけにいかないと、部屋に匿ったんだ。本人に興味がないのなら、無理に行くものでもないだろう。
だって、ヴェインは天使みたいでさ。
純粋で、無垢で、可愛くて。
「これからも、無理に連れていかれそうになったら、逃げて来いよ」なんて言って。
どんなことからも守りたいって思っていた。
俺にとって、ヴェインは庇護の対象で、なによりも、誰よりも守りたい存在だったから。
ヴェインが助けを求めるなら、絶対に手を取る。
その後、ヴェインは数回逃げて来た。
身体つきが立派になって、一見、俺より大人に見えるようになっても。可愛いヴェインが逃げてくるたびに、俺はしっかり匿っていた。
逃げるヴェインを揶揄って楽しんでいる輩がいるようだ。
当時の騎士団は貴族出身の者が多く、彼らは少年時代に手解きを受けていると聞くから、経験のないヴェインを揶揄って優位に立った気持ちでいたのだろう。
「しかし、ヴェイン。お前は経験したいと思わないのか?」
他の仲間が嬉し気に娼館へ行くのに、全く興味が湧かないものだろうか。性に対して興味津々の年頃だろう。
不思議に思って、ある日聞いてみたら、言ったんだ。
「俺、初めては、絶対、絶対! 好きな人がいい!」
顔を赤くして、拳を握り締めて。若葉色の強い眼差しで、真っ直ぐに俺を見つめて。
眼差しに込められた想いに気付いたのは、その時だった。
初めて、ヴェインが俺に向ける想いに気付いた。ヴェインが俺に向けていた親しみの気持ちは、知らない間に違うものへと変わっていた。
ヴェインが、まさか俺を?
「そ、そうか……。じゃあ、大事にしろよ……」
幼馴染みの気持ちに気付いても、応えられるわけもなく、そう返すしかなかった俺に、ヴェインはおずおずと口を開いた。
「……ランちゃんは、先輩に連れられて……、その、行ったの?」
「行ってないよ」
それは本当だった。
俺だって、初めて経験をするなら、相手は好きな人がいいに決まっている。そもそもあまり興味もなかったけれど。
「そっかあ……」
ほっと安堵の表情を浮かべて笑ったヴェイン。
もしかして、ずっとそれを聞きたかったのかと思った。
初めて先輩に娼館へ誘われた時、ヴェインはまず「もしかして、ランちゃんも?」と気にしたのではないか? 心が乱されたんじゃないか? 苦しく思ったかもしれない。
思い悩んでいたことから解放された、そんな嬉しさを滲ませた表情で笑っていた。
それ以来、幼馴染みを可愛く思う分量が少しずつ増えて、ヴェインを見る時間が増えた。
それと同時に、ヴェインが俺に向けている想いもより一層強く感じて、彼の想いの深さも知っていった。
どうしてこんなに一途でいられるんだろう。
真っ直ぐに向けられる眼差しも、この世の幸せを集めたような笑顔も、全部俺に向けられる。
「ランちゃん!」と呼ぶ声に恥ずかしいほど愛が滲んでいて、「ランちゃんって呼ぶな!」と思わず言ってしまった。
でも、それら全部が可愛いと思った。
「ああ……、そうか。俺のことを好きなヴェインが可愛いのか」
そう気付いた時、心に芽生えた恋心を自覚した。とっくに俺だってヴェインを好きだった。
可愛くて、愛しくて。
自覚した時には、もう「俺以外に目を向けろ」とは言えなくなっていて。
本当は、俺に恋をさせてはいけなかった。
きちんと女性と恋をして、家庭を築けと言わなければいけなかったのに。
俺は言えなかった。
だから、ヴェインを生涯幸せにすると誓っていたのに、あらぬ言葉で傷つけた。
『俺、初めては、絶対、絶対! 好きな人がいい!』
そう俺への想いを溢れさせていたヴェインを知っていたのに。娼館へ誘う先輩から逃げていたのを知っていて、匿ってさえいたのに。
『どうして昔、先輩から誘われた時に、娼館へ行かなかったんだ!』
なんて暴言だ。ヴェインは、裏切られた気持ちになっただろう。
「だって、浮気してこいって……」
言ったようなものだ。
ヴェインが浮気をしたって、俺は平気なんだと宣言したも同じじゃないか。
平気なわけがない。
悔しさで頭に血が上っていたからといって、口にしていい言葉じゃない。
こんなことなら、飲み会の席で『ヴェインの相手は俺だ』と言っておけばよかった。
「ああ、くそっ」
自分の愚かさに悪態を吐いて、ソファーへ崩れ落ちた。いつもヴェインが座っている場所。クッションへ顔を埋めて、呻いてしまう。
「なんで、いないんだ……」
ここにヴェインが座っているはずだった。ヴェインは飲み会の後は必ず、蜂蜜ドリンクを作ってくれて、一緒に飲むんだ。
「二日酔い予防だぜ」と言って。
甘い味は、ヴェインの優しさを感じられて好きだ。色合いも好きな色だった。
今夜、蜂蜜ドリンクが飲めないのは、自業自得だ。
ヴェインが俺に触れるように、優しい手つきで女性へ触れるなんて、考えるのも脳が拒否をするのに、よくもあんな言葉を口に出来たな、俺。
反対に誰かがヴェインに触れるのも――想像すると吐き気がしてくる。
ヴェインが触れるのは、ヴェインに触れるのは、俺だけがいい。
子供の頃から、俺が独占してきたんだ。
もう誰にも譲れないのに。
「うー……」
今夜は自分の愚かさが不甲斐なく、ヴェインの傍へ行けそうもない。戻せるなら、少し前の時間へ戻りたい。
未だかつて、ヴェインをこんなに怒らせたことがない。喧嘩に慣れていないんだ。どうすればいいんだ。
どうもこうも謝罪すべきだと思う。けれど、ヴェインが許す気持ちにならなかったら?
今夜どころか、このまま許してくれなかったら、ずっと彼の傍に行けない。
それは困る。ヴェインに見捨てられたら、俺は俺として立っていられないだろう。
とにかく、許してもらえるまで謝ろう。許してもらえなかったら、泣いて縋るか。
大丈夫だ。ヴェインは優しいし、俺を好きだから、ヴェインだって俺と離れたくないはずだ!
自分を奮い立たせるも、それさえ凌駕する逆鱗だったかもしれないと竦んでしまう。そうだ。許せるなら、ヴェインは最初から怒ったりしないだろ。
百年の恋も冷めるという言葉もあるくらいだし、ヴェインを幻滅させたかも。
どうしてもヴェインが馬鹿にされるのが許せなくて、馬鹿にされる原因が無くなればいいなんて――ああ、俺は昔から、ことヴェインに関しては気が短いんだ。
そもそも俺が女だったら、ヴェインも女性経験がないなんて馬鹿にされずに済んだのだろう。
「だが、どうやっても性別は変えられないから……」
いや、手段はあるか?
カリオストロ殿に頼めばいいんじゃないか? 世話になっている騎空団の一員である錬金術師を思い浮かべた。全空一の最強錬金術師だ。錬金術の開祖。なんせ自身が性別を変えた身体を作っている。
一時的に性別を変える術とか……そんな都合のいい術などあるわけないか。やはり俺が性転換をするしかない。
今、グランサイファーは何処にいるだろうと考え、思考を止めた。
駄目だ。ヴェインを怒らせて、冷静さを欠いている。今すぐ謝りに行かないと、どんどん思考が沼るぞ。
動かずじっとしていて、機があるものか。
謝ろう。
やっと決心をして立ち上がったのと、リビングの扉が開いたのが同時だった。
そこにヴェインが立っている。
俺の好きな男が。
「ヴェイン……」
「そろそろランちゃんの思考回路がおかしくなってると思って――反省した?」
「すまない、ヴェイン……っ」
扉の前で両手を広げ待っているヴェインの胸の中に飛び込んだ。
まさか、ヴェインから戻ってきてくれるなんて!
ヴェインが俺の身体に腕を回し、抱き上げる。
「も~! ランちゃん、全然俺を追いかけてこねえし!」
「ごめん、追えなかった」
「ご機嫌、取りに来てー」
抱き上げた身体を抱え、ヴェインはくるくる回りながら、ソファーへ倒れ込む。ふたりの身体が重なって、ドスンと重い音がした。勢いよく押し倒しても、優しく頭を包んでくれるヴェインの手のひらが、俺への愛だと感じるんだ。
ヴェインは、もう怒っていないのか?
許してくれるのだろうか。
目の前にヴェインの若葉色の瞳がある。影になって、少し濃い色だ。見慣れた色。
「ヴェイン、ごめん。俺が悪かった」
じっと見つめて言葉にすると、ふと表情が和らいで、眉が下がる。
「も~、ランちゃんだから許すけどお~!」
いつも通りのヴェインの声が、俺を心底安心させた。
「ヴェイン」
「あれ、甘えっこ?」
首に腕を回して、肩口に額を擦りつけてしまった。ヴェインが「ごめん、ごめん」と囁き声を出し、俺の髪を撫でてくれる。
最低な言葉でヴェインを怒らせて、もう傍にいられないかもしれないと思ったのに、こんな簡単に許されてしまうのか。
ヴェインが、俺に甘すぎる。
しっかり「もうあんな言葉は口にしないでくれよな!」と釘を刺されたけれど。当然、絶対に口にしない。
失わなくて良かった。
「そもそも、ランちゃんがプリプリすることじゃなえのにさ~」
ヴェインは俺の髪に指を忍ばせ、額に音を立てながらキスをしてくる。なんだか、俺が謝られているみたいだ。機嫌を取られているみたいじゃないか?
それは、俺がやることだろ。
「だって、お前は童貞じゃないのに、馬鹿にされるし、俺が男だから、女性経験がないって言われても言い返せないだろ」
俺もヴェインのおでこにキスをしたかったけれど、ヴェインの身体が重くて、体勢を変えられない。仕方がないから、襟元を開いて鎖骨にキスを落とす。
「そんなの全然気にならないね。俺はランちゃんと経験があるし! それは俺だけだしさ」
「当たり前だろ」
「うん。好き、ランちゃん」
「俺も好きだよ。――俺も、お前の機嫌を取っても?」
強く吸って、鎖骨に痕を残すと、ヴェインは頬を染めて、褒めるように俺の髪を撫でた。「機嫌、取ってくれるの?」
そう耳元で囁きながら。