【ヴェラン】「満ちる夜」「ランスロットが楽しいこと」とは何だろうか。
ヴェインは聞こえてくる潮騒に耳を傾け、隣のベッドで眠っているランスロットの横顔を見つめた。
宿の窓から射し込む柔らかい月光が、ランスロットの美しい輪郭をぼんやりと縁どっている。
「ランちゃんの楽しいことかあ……」
今日はアウギュステでの休暇を思う存分楽しんだ。殆どの時間を笑顔で過ごしていたランスロットは、間違いなく楽しい一日を過ごせたはずだ。
海で泳ぎ、バーベキューをして、蟹退治は数が多く、少し大変ではあったけれど、アウギュステの安全が守られたなら、苦労でもなんでもない。
夜の浜辺でも、ランスロットは穏やかで満たされた微笑みを浮かべていた。
祖国にいる時は、ふたりきりでゆっくり語る時間も中々とれないが、今夜は波の音を聞きながら、色々と本音を聞くことが出来た。久し振りにのんびり話せて、思いを吐き出して、ランスロットもリラックスしていたようだ。
その時に伝えたのだ。
『ランちゃんが楽しいなら、俺も付き合うし』
――と。
聞きなれない潮騒の音で目覚めたヴェインは、薄闇の中、改めて伝えた言葉を振り返っていた。
ベッドの上で胡坐をかき、腕を組んで唸る。
『こうやって、たまには鎧を脱いで息抜きもしようぜ』
そう伝えた。
騎士団長の責務を全うする為、根を詰めすぎるランスロットを息抜きさせるのは、自分の役目だと自負している。自分は、ランスロットにとって気を許せる数少ない友達だから。
お茶菓子とお茶を持って、毎日休憩に誘うのも、ランスロットを息抜きさせる為。
だが、息抜きと「楽しいこと」は違う。
考えてみると、ランスロットの思う「楽しいこと」を自分は分かっていないのではないか。
「うーん……」
幼馴染みのふたりは、子供の頃からの長い付き合いだ。ランスロットに至っては、ヴェインが生まれた日のことも知っている。
それなのに「ランスロットの楽しいこと」が即座に思い浮かばなかった。
「ランちゃん……、いたずらは、すげー楽しそうだよなあ」
ヴェインの物心がついた頃から、ランスロットはヤンチャで、普段からよく悪戯をしては母親に叱られていた。叱られても、すぐにケロリとして次の悪戯を考え、にこにことしていた。
ハロウィンになるとそれはもう瞳を輝かせ、全力で本領を発揮していたのだ。――悪戯のターゲットは主にヴェインだったけれど。
「まあ、ランちゃんだから許すけどお~」
カボチャのオバケに泣かされたって、「驚いたか?」と笑顔を見せるランスロットを、許せてしまった。
(それに、その後、慌てて俺の涙を拭うランちゃんは可愛かったし……)
動揺するランスロットというのは、滅多に見られない。
「ごめん、ごめん、ヴェイン」と眉毛を下げ、オロオロしながら、「お菓子をやるから」とキャンディやチョコレートを山ほどくれた。
(今と全然変わってないなー?)
大人になった今だって、ハロウィンにはソワソワしているランスロットだ。ヴェインのことも悪戯で泣かせている。
ランスロットが楽しいというのなら、今年のハロウィンも悪戯のターゲットを喜んで引き受けよう。……また泣いてしまうだろうが。
「あとは鍛練とか?」
鍛練は彼の好きなもののひとつだ。休日も朝から自宅の庭で活き活きと短剣を振るっている。
身体を動かすこと自体が好きなのだろう。
「子供の頃も朝から走り回ったもんな~」
ふたりで色々な遊びをした。川や湖でも沢山泳いだし、木登りも崖登りも、大人が聞いたら「危ない」と叱るだろう遊びもしていた。
ランスロットの行けるところには、自分も行ける。そう思っていた幼い自分が、初めて彼との差を意識したのは、岩場から転げ落ち、怪我をした時だ。
ランスロットが飛び移った岩場に、ヴェインは届かなかった。
「ごめん、ヴェイン」と、傷口を止血して、涙を滲ませていたランスロット。
ヴェインは自分の怪我の痛みよりも、ランスロットと同じ場所に立てなかったことが悲しくて、大泣きをした。
怪我が治り、共に遊びに出掛けると、ランスロットはこれまでのような無茶をしなくなっていた。それが悲しくて、また泣いた。
ランスロットと同じ場所に行きたい。
彼が隣の岩場へ飛び移るのなら、自分も飛び移りたい。自分の所為で、ランスロットが飛び移るのを諦めてしまうのは、いやだ。
いつだって、ランスロットには全力を出して欲しい。そして全力の彼に置いていかれたくない。
追いつきたい。隣に並んで、一緒に連れて行って欲しい。
そう思いながら、今になる。
大人になり、子供の頃の体格差で、当時は同じことが出来なくて当たり前だと分かるけれど。
「ランちゃんの『楽しいこと』に付き合えなくて、悔しくて悲しかったよなあ……」
その経験が忘れられず、がむしゃらに鍛えた結果、筋力が付き、脚力も付き、今なら同じ岩場へ軽く飛び移れるだろう。
けれど、同じ方法ではなくても、違う方法で同じ場所へ行く手段だってあるのを、今のヴェインは知っている。
「そうそう、ランちゃんの鍛練にも、最初は付き合えなかったし……」
ランスロットを追って騎士団へ入団したけれど、彼が大好きな鍛練に付き合うには、彼以上に自分を鍛えないとついて行けなかったのだ。
自分の不甲斐なさが悔しくて泣いていても、ランスロットの隣に並べないのを知っているヴェインは、誰より鍛練を積んだ。
ランスロットに少しでも近づく為なら、辛いとは思わなかった。
騎士団の鍛練では足りず、自主練を積んでもランスロットが得意な短剣では、勝負にならない。だから、違う武器を自分の身体の一部のように扱えるまで、また鍛練を積んで。
「うん、今なら少しは相手になるよな~」
ランスロットの手合わせの相手として、少しは役立てるようになっただろう。
ランスロットが双剣、ヴェインは斧槍と武器は違うけれど、手合わせをしている時、ランスロットの瞳は輝き、手加減なしだから。
ランスロットが手加減をせず、楽しめるまで待たせてしまった。
今、彼の相手が務まる自分が少し誇らしい。
「うーん、あとランちゃんの楽しいことは……海!」
今回のアウギュステでの休暇も、ランスロットは水着になった瞬間からはしゃいでいた。
子供の頃、憧れた海は、何度来ても心が踊る。
遠く祖国を離れた場所では、騎士団長の職務から解放され、自分の立場や人目を気にせず素の自分でいられるのだから、はしゃぐ気持ちはよく分かる。
浜辺で海水を掛け合い、抱き上げて海へ放り込んで。ランスロットの笑い声が、アウギュステの空に吸い込まれた。
大きく口を開けたランスロットの笑顔が、海面と同じ――それ以上にキラキラしていた。
(眩しかったなあ……)
遠泳も競泳も、ビーチバレーも、砂に潜る蟹取りも、かき氷の早食い競争も、ランスロットは全力で楽しんでいた。
「俺も楽しかった~」
祖国では出来ないアウギュステでの楽しみ方が、調べればまだあるだろう。
「そういえば、前にオイゲンさんから聞いた遊びが楽しそうだったな」
サーフボードを使う「波乗り」というもの。板の上に乗り、波の上を走る遊びらしい。
(めちゃくちゃ楽しそう!)
話を聞いた時、ランスロットも好きそうだと思った。きっと楽しんでくれる。
けれど、本当にそうだろうか。
ヴェインとランスロットの感じ方は違うから、さして興味も持たないかもしれない。
ヴェインはランスロットと一緒にいれば、何でも楽しくなってしまうのだが。
(でも、海の遊びだぜ?)
子供の頃にふたりで憧れた海の遊びなら、絶対に夢中になると思う。
「ランスロットだって楽しいって……!」
「ん……、なにが、たのしいって……?」
ヴェインが握りこぶしを作った時、目の前で眠っていたランスロットが身じろぎをし、体勢を変えた。
「は……っ! ごめん、うるさかったな!」
考えがつい口から出ていたらしい。それも今はかなり音量も大きかった。
こちらへ身体を向けたランスロットが、シーツへ肘をついてゆっくりと身体を起こす。まだ緩慢な動きだけれど、完全に起こしてしまった。
「いや……、うるさくないよ。波の音と、お前の声が心地よかった……」
ザザン、とひと際大きく波の音が響いた。絶え間なく波の押し寄せる音が聞こえる。
「潮が満ちる時間なんだって」
「ああ……。……ふふっ、子供の頃、海に満ち引きがあるなんて、信じられなかったよな」
ふたりが泳いでいた湖は、時間帯で水の量が変化したりしなかった。
「そうそう! ランちゃんが『でっかい魔物が海水を飲み込んだり、吐き出したりしてるんだな! ヴェインも飲み込まれるかも』って、俺を怖がらせた!」
「そうだったか?」
「そうだぜ~」
ベッドを下り窓辺に行くと、ランスロットも軽やかにベッドから下りて、隣に並ぶ。
騒めく海の波音を、暫くふたりで聞いていた。
窓の外は黒い海面が広がり、月明かりに照らされて、一筋の月の道が出来ている。
(ランちゃんに向かって、まっすぐ伸びてる光みたいだ)
キラキラと輝く海面が美しい。
(……もしくは、俺を導いてくれる光)
ヴェインを導く光は、間違いなくランスロットだ。
その月の道を見ながら聞く波音は、昼間聞くのとは、違って聞こえる。
潮が満ちる時間なのだから当然だが、次から次へと押し寄せる波は、自分がランスロットへ寄せる想いのようだと思った。
絶えることはない。
何度も押し寄せ、満たし、想いに溺れそうだ。
(まあ、俺の想いは引いたりしないけどな!)
「……ランちゃん」
「んー?」
「喉、乾いてない? 何か淹れようか」
「いいのか? 夏の夜は脱水にも気を付けないとな」
ヴェインへ視線を向けたランスロットの瞳が、期待に輝いている。
「まっかせなさい!」
胸を叩いて簡易キッチンへ向かった。
(俺の淹れるお茶もランちゃんの楽しみではあるんだよな~)
流石に今夜は熱いお茶を用意するつもりはないが、準備していたものはある。
「何を淹れてくれるのかなあ~」と謳うような声がして、部屋の洋燈が灯された。
月明かりの薄闇に慣れた目には少し眩しいけれど、飲み物の準備をするには有り難い。
保冷庫から冷やしておいたサングリアを取り出す。勿論ランスロット向けのノンアルコールだ。炭酸水にフルーツをふんだんに入れ、甘さもランスロット好みに作ってある。
「なんだ、ウマそうだな!」
準備する様子を覗きに来たランスロットが瞳を輝かせた。
「アウギュステのフルーツてんこ盛りサングリアだぜ~!」
「いつの間に準備していたんだ。ヴェインは天才だな!」
「わははは、喜んでもらえて嬉しいぜ!」
グラスをふたつ用意して、フルーツがバランスよく入るように苦心しながら注ぐ。
再び窓辺に戻り、傍のカウチに並んで腰掛けると、ランスロットはグラスを掲げ、「アウギュステの真夜中にカンパーイ!」と歓声を上げた。
「カンパーイ! って、ホント起こしてゴメンな~」
「ウマい……! こんなウマいものが飲めるなら、起きて良かったよ」
機嫌よく、一気に半分を飲み干してくれて、ヴェインの口角が上がってしまった。
ランスロットは昔からヴェインを褒めるのが上手い。
窓の外へ視線を向け、波音を聞きながら、アウギュステのフルーツを味わう。フルーツの甘味の溶けた炭酸が、喉を爽快に潤した。
「ランちゃん、もう寝癖が付いてる」
海よりも、ついランスロットへ視線を向けてしまい、目が合ったのでそう口にした。片手で無造作に髪を撫でたランスロットは、飲み終えたグラスをテーブルへ置くと、改まった口調で質問を向けてくる。
「それでお前は、さっきから何を考えていたんだ?」
「うえ……っ?」
先程から、『ランスロットが好きだな』としか考えていなかったので、変な声を出してしまったが、直ぐに思い直す。
(ランちゃんが寝てた時の、独り言の話か……!)
想いを追及されているのかと、心臓が跳ねてしまった。落ち着こうとグラスの中身を飲み干して、テーブルの上にグラスを置く。
息を大きく吸い込んでから、「あ~、いやあさ? ランちゃんが楽しいことって何かなあって」と言葉にした。
ランスロットは一瞬、きょとんとした後にゆっくり首を傾げて微笑んだ。彼の動きに合わせ、ふわりと揺れる髪を見つめてしまう。
間近で見るランスロットの微笑みは、ヴェインの心臓を波のようにさざめかせるので、直視出来ない。
「ああ……、ヴェインは俺が楽しいと思うことに付き合ってくれるんだもんな?」
「勿論!」
「俺が楽しくないことには、付き合ってくれないのか?」
悪戯を思いついた顔で言われ、「そんなわけないだろー! ランスロットの全部に付き合うぜ!」と力一杯宣言した。
子供の頃は、ただ大好きなランスロットの傍にいたかった。一緒に遊んで欲しかった。置いていかれたくないという思いで、いっぱいだった。自分の気持ちだけで。
けれど、今は違う。
ランスロットが辛い時も、悲しい時も、傍にいたい。どんな時も支えられるようにと、思い続けている。
「っていうより、俺はランちゃんが全部を楽しめる世界にしたいぜ?」
それは簡単には出来ない。分かっている。
祖国を平和に導く道のりが、どれだけ大変か。楽しいことなど殆どないだろう。
それでも、傍で彼の笑顔が増えるよう、協力したいのだ。
その為に自分は、ランスロットの傍にいる。
「ああ、それなら簡単だぞ?」
「――へ?」
「うりゃっ!」
掛け声と共に、ランスロットがヴェインの胸の中へ飛び込んできた。体温の低い肌が触れる。
ふたりの体重を支えたカウチが悲鳴を上げ、揺れていた。
ランスロットはヴェインに飛びつくと、肩に手を置き、瞳を覗き込んだ。
なんの遠慮もなく、ヴェインの身体へ体重を預け、間近で見つめてくる表情が楽しそうだ。
ヴェインを驚かせたと、満足しているのだろうか。
触れている肌が、直ぐに熱を持ってきた。
「ラ、ランちゃん」
「お前は、分かっていないんだな」
「え? なにを?」
やはり自分は、ランスロットを理解出来ていなかっただろうか。
彼の楽しいと思うことを。
「ヴェイン」
「ランちゃん……」
碧い瞳がヴェインをじっと見つめ、目尻が緩んでいく。ランスロットを理解してない自分を許す、そんな優しさを湛えた瞳。
碧い海を映したような瞳に吸い込まれそうだ。
そう思ったのは、ランスロットがより近づいて来たからだと気付いた。
近づいて、ぼやけて見えなくなる。
唇に触れる柔らかな熱と、ちゅっと可愛らしく響いた音。
それから。
「俺は、お前が傍にいてくれれば、いつでも楽しいぞ?」
そう囁いた優しい声が耳元で響く。
もう波の音は聞こえていなかった。