『エマージェンシー、エマージェンシー。イーストエリア南端の広場にて、サブスタンス反応確認。推定レベルは3。すでに軽微な被害が出ており、市民への被害も懸念されます。付近のヒーローは至急現場に急行してください』
けたたましいエマージェンシーコールに乗せて、ジャック02のアナウンスが響く。速やかに封鎖されたエリアは、避難誘導の指示とざわつく市民たちの不安そうな声に満たされ、緊迫した空気が流れていた。
イーストエリアのヒーローたちが現場に急行する中、その場に真っ先に降り立ったのは、深い色のロングコートを纏った人物。
「オスカー・ベイル、現着しました。指示をお願いします」
インカムに向かって話す凛とした声と、特徴的な出立ちに周囲の人々はヒーローの到着を知る。ワアと上がる歓声に答える間も無く、走り出したオスカーに司令部からの情報が齎される。
確認されたサブスタンスは局所的に風を操る力があるらしく、吹き荒れた風の影響で周囲の看板やゴミ箱などに転倒の被害が出ているらしい。幸い広場の中に出現したことで今のところ人的被害は出ていないが、このまま移動されると被害が出るのも時間の問題だと、インカム越しにもわかる苦々しそうな声が状況を知らせれてくれる。
『君が来てくれて助かったよ、オスカー。君のソニックキラーなら迅速に捕獲できるだろう?』
「はい、任せてください」
オペレーターの声は緊張の中にも安堵がにじんでおり、そこに感じる信頼に答えるべくオスカーは表情を引き締めた。たどり着いた広場は報告の通り、看板やゴミ箱が倒れ物々しい様相を呈していた。サブスタンスを中心とした周囲10mほどに暴風圏ができており、それ以外は穏やかな広場そのものだ。
広々とした芝生を照らす日差しはうららかで、今は無惨に薙ぎ倒されたベンチや木々に、普段は市民の憩いの場として賑やかな光景が広がっていたことを思わずにいられない。
同時に頭をよぎったのは、避難誘導の列にあった不安そうにしている子どもの顔。こんな事態にならなければ、きっと今も笑顔で楽しんでいただろうことを思い、オスカーはゆらゆらと浮かびながら風を唸らせている存在を見据えた。
「サブスタンス確認、このまま捕獲します」
『了解。どうぞお気をつけて!』
短い報告に返事とともに走り出す。芝生を駆け抜け暴風域に突入した途端、踏み出した足が風圧で押し戻されそうになる。煽られたコートが浮き上がり最早質量すら感じる空気の動きの中、押されないよう踏ん張ると侵入者に気づいたサブスタンスが逃げるように移動し始めたのを捉えた。
「逃がすか!」
そう吠えたオスカーの体が淡く光りを放つ。発動したソニックキラーはその身を音速の世界へと導き、すべての物事がスローモーションのように緩やかに流れていく。舞い上がった葉も巻き込まれた案内板も、今のオスカーには止まっているも同然で、野生的な五感と反射神経によって嗅ぎ分けた風の弱い場所を辿って中心へと駆け抜ける。
ほんの数秒の後、肉薄したサブスタンスは相変わらず見た目だけは美しい鉱石のようだ。近づいたことで感じる眩さと、市民の平穏を脅かす凶悪さに目を細めると、思い切り飛び上がると空中で振り上げた踵を思い切り叩きつけた。
「ハァッ!」
気合の一喝とともに振り下ろされた装甲ブーツが結晶体を捉えると、容赦なく地上へと引きずりおろす。
ゴッ、と重い衝撃音が響いた次の瞬間、そこには地面にめり込んだサブスタンスがあった。音速で放たれたかかと落としの威力は絶大で、深く抉れた土に塗れたそれは最後のうめきのように二、三度瞬く。着地したオスカーが追撃とばかりに踏みつけると、今度こそ輝きを消して沈黙した。
途端周囲の風は凪ぎ、バタバタとはためいていたコートもフードも落ち着きを取り戻す。しばし警戒を解かずに観察し、完全に沈静化したことを確認すると地面から汚れた結晶体を取り上げた。
「こちらオスカー。サブスタンス、捕獲完了しました」
『Good! 迅速な解決、お疲れ様!』
任務完了の報告に、軽やかなオペレーターの労いが返ってくる。それに密かに笑みを浮かべると同じように「そちらもお疲れ様です」と返せば、声は今にも鼻歌を歌い出しそうな機嫌の良さで続けた。
『そこの広場は子どもたちに人気でね。早く復旧して、思い切り遊ばせてやらなきゃな』
「そうですね、俺もそう思います」
回収用のケースに収めたサブスタンスを手に笑う。早く子どもたちの笑い声が響く場所に戻ることを願いながら、深く被っていたフードを取る。
パサリと広がる白銀の髪。昼の日差しにきらめくそれは艶やかで、軽く頭を振るとサラサラと流れるように広がった。
そうして、ふ、と吐き出した息の後、あらわになったのは健康的な褐色の肌に垂れ目がちの青い瞳。ヒーロースーツから制服へと着替えれば、その見事なまでのボディラインは艶かしい曲線を描いていた。
オスカー・ベイル。エリオス所属の彼女はニューミリオン市で活躍する、数少ない女性ヒーローの一人だ。
肉体労働主体で戦闘もあるヒーローは、人気ではあるがどうしても体力面で劣る女性では難関とされる職業の一つだった。それを近年塗り替えたのが、リリー・マックイーンの活躍だった。
シューティングクイーンと名高い彼女は、他を寄せ付けぬ圧巻の強さと、歯に絹着せぬ物言いで誰とでも対等に渡り合う姿で女性ヒーローのイメージを変えてみせた。
おかげでトライアウトを受ける女性志願者の数が飛躍的に増え、男女比率に頭を悩ませていたエリオス社もその風潮を歓迎した。
ただどうしても試験を突破できるだけの能力を持つ者は限られ、未だに女性ヒーローの数はそれほど多くない。そして現場に出れば男女という区別はあってないようなもので、オスカーも例に漏れず入所して以来日夜忙しく駆け回っている。
今もまた、一番近くにいたという理由で配属されたサウスセクターから越境して応援に駆けつけたのだ。
回収したサブスタンスを手に、安全確認を行いながら頭に過るのはこの後に待つ事後処理と報告書のこと。所属するサウスと現場となったイースト、司令系統は一つと言え、地区が跨ると提出書類も変わる。
淡々と進めばいいが、中には他セクターからの干渉を嫌う者もおり、そうすると説明という名のネチネチとした尋問が待っているのだ。口下手の自覚があるオスカーにとってはそれがどうにも煩わしく、同時にうまく立ち回れない己が不甲斐なくてしょうがなかった。
この後を思いため息をこぼしたところで、背後から派手なエンジン音が聞こえた。
振り返ると、砂煙を立てて広場に入ってくる黒いバイクの姿をとらえる。光を弾く滑らかな車体は速度を保ったまま園内を駆けると、芝生の手前で華麗なドリフトを決めて急停止した。
ドッドッドッと響く重低音のアイドリング音。体を起こした運転手がフルフェイスのヘルメットを取ると、流れるようにこぼれ落ちたのはシルバーアッシュのロングヘア。ふ、と息を吐くその女性は一度頭を振って空気を払うとオスカーに敵意に満ちた瞳を向けた。
「テメェ、オスカー!」
「む。どうしたアッシュ」
開口一番、辺りに響き渡る怒声は運転手から発されたもので、それはあまりにも刺々しいものであった。しかしそれを向けられたオスカーは特段驚いた様子もなく相手に近づいていく。
何しろ彼女、アッシュ・オルブライトはオスカーと同期どころか、同じ研修チームで3年間寝食を共にした旧知の人物。故に突然の怒声も聞き慣れたものだと平然としているオスカーに、アンバーの瞳は苛立ちの色を濃くしてすがめられた。
エンジンを切ったバイクから降りたアッシュは目の前に来たオスカーを睨め付けると、制服の襟元を容赦なく掴んだ。
「ここはイーストだ。他セクターのお前がしゃしゃり出てくんじゃねえよ」
「だが、現場の一番近くにいたのは俺だ。市民への被害が出る前に防ぐには、これが最善だと判断した」
威嚇と怒りをたっぷりと込めた言葉に臆することなく答える。反論は火に油を注ぐことは分かりきってはいたが、オスカーにも譲れないものはある。
エマージェンシーコールはオープン回線で『至急』と告げていた。つまり、どこのセクターと割り振られた任務ではなく、優先されたのは解決速度だったことになる。
アッシュもわかっているだろうと見つめると、10cm以上の身長差も臆せず睨んでいた相手はさらにその瞳を凶悪な色に変えた。
「んなことわかってんだよ! 俺が言いてぇのは、その態度がムカつくってことだ」
「……意味がわからない」
「我が物顔で他のセクターに首突っ込みやがって。少しはしおらしい態度くらいしやがれってんだ!」
予期せぬ発言に言葉に詰まれば、盛大な舌打ちの後ドン、と胸を突き飛ばされる。咄嗟のことについ腹筋に力を入れてその場に踏み止まると、面白くなさそうに再び睨むアッシュだったが、それ以上は何も言わず広場の周囲で様子を窺っている市民へと向き直った。
「おい、見せもんじゃねえぞ! まだここには入れねぇんだから、大人しくしていやがれ!」
市民に対してあまりにも粗暴な物言いに、思わず咎めようと手を伸ばすとバシッと振り解かれる。
「事実だ。ったく、サッサと終わらせるぞ」
「……言われなくとも」
イラつくぜ、と文句を吐きながらも、なんだかんだ真面目なヒーローは己のバイクを端に移動させると本部と連絡を取りつつ辺りの惨状の報告に入る。
オスカーもまたオペレーターに連絡を入れ、サブスタンスの受け入れ作業を指示した。だがそれはアッシュと揉めている間に済んでいたらしく、まもなく回収班が到着するだろうと告げられる。
『まったく、君らの仲の良さにはヒヤヒヤさせられるよ』
「いや、あれはアッシュが一方的に……」
「おい! 俺に文句でもあんのかよ!」
インカム越しの会話は当たり前だがアッシュにわかるはずもなく、陰口かと怒鳴りつけられる。それもまた理不尽ではあったが、今は何を言っても無駄だろうと言葉少なに「誤解だ」とだけ伝えて、到着した回収班の車に合図を送る。
入り口で停車したワゴンから技術部員たちが出てきて、頑丈な移送用ケースを運び出してくる。今は活動停止したとは言え、さすがレベル3のサブスタンス。いつも扱っている回収用ケースとは比べ物にならない厳重さに、内心ヒヤリとしたものがよぎる。
にわかに慌ただしくなる中、ワゴンの影から見慣れた人影が現れる。
その人物が誰かを認識した途端、オスカーはパッと喜色を浮かべた。
「ブラッドさま!」
呼んだ名に周囲から黄色い歓声が上がる。涼やかな風貌の男はオスカーが敬愛するブラッド・ビームスその人だった。
乱れ一つない制服姿の男は市民を安心させるように微笑みを向けて手を振り、再び向き直った時には顔を引き締めて口を開く。
「オスカー、アッシュ、状況は」
「はい! 現在は……」
「遅ぇ。もうサブスタンスはオスカーが回収し終えたぞ」
嬉々として答えようとしたオスカーに被さったのは、不機嫌そうに声を低くしたアッシュの声。遮られたこともだが、先輩ヒーローであるブラッドに対しての態度に眉間に皺を寄せると、それを制するようにグローブに包まれた手がかざされた。
「それは司令部からの報告で知っている。俺が聞きたいのは、現況の把握となすべきことの確認だ」
冷静な声は一切の感情の揺らぎもなく、淡々と情報を求める。それがまたアッシュには面白くなく、舌打ち一つの後にオスカーに向けたものと同じ視線を投げつける。
「なら最初からそう聞きゃいいだろ。そもそも、なんでノースのお坊ちゃんがこんなところにいるんだよ」
「アッシュ!」
「控えろ、オスカー」
相手を嘲る態度に堪らず口を挟めば、今度は明確に言葉で牽制される。なぜ止めるのかと視線を向けたオスカーを視線一つで黙らせると、ブラッドのマゼンダは色を濃くしてアッシュを見据えた。
「会議終わりの移動中で近くにいたから来た。それだけだ。で、そろそろ状況を把握したいんだが?」
無駄話をはお終いだと言わんばかりの態度は一触即発の空気を作り出す。だが、周囲の惨状と駆けつけた他のヒーローたちの存在が、本来の使命へと意識を切り替えた。
「警察と消防には連絡済み。復旧に向いてる能力の奴も間もなく着く。俺たちは後片付けだ」
「そうか。なら、俺にも手伝えることはあるな」
事務的な伝達事項となればもう慣れたもの。目の前で進むやり取りにオスカーはそっと豊かな胸を撫で下ろし、もう自分がいる理由はないだろうと判断をくだす。
重力を操るアッシュと、磁力を操るブラッドの能力は、様々なものが薙ぎ倒されたこの場において有用だろう。それに比べて音速で動けるという能力は出番がない。
もちろん単純な人手としてやるべきことはあるが、
今優先すべきは手にしたサブスタンスの回収だ。そう結論づけ、オスカーは二人に一声掛けるとこちらの様子を窺っている技術部員の元へ向かった。
「すみません、遅くなりました。回収お願いします」
「確認します」
容器を渡すと慎重に中を検める技術者たち。その目は緊張を孕みながらも、どこか無邪気な……例えるなら、小さな子どもがはしゃぐ時のざわめきを湛えて結晶体を覗き込む。
「ああ、これはなかなか!」
「局所的な強風を起こすとは、どういう原理なんだろうな」
音量はわずかだが、確かにわいわいと賑やかな議論が始まる。最初はまだオスカーにも理解できたが、専門的な用語やら聞いたこともない単語が飛び出すようになるまでさして掛からなかった。
「あの、俺はこれで……」
「ん? ああ、すみませんね。回収お疲れ様でした!」
段々速度を増していく会話に、置いてけぼりきになる前にと声を掛ける。振り向いた彼らの瞳は今や爛々と輝き、勢いに気圧されながらもその場を離れる。
少しノヴァ博士に似ていたな。そう思うオスカーの脳裏に過るのは、彼ら技術部を統括するいつもヨレヨレとした白衣の男。サブスタンス研究の第一人者の息子であり、自身も機械工学の申し子として、研究に勤しむ男は、ヒーローたちにとって馴染みの存在だ。朗らかで大抵のことを笑って流す、どこか憎めない研究者にはオスカーも随分世話になっている。
そういえば、スーツが合わなくなって来たので調整をお願いしたかったことを思い出す。この任務が終わったら、相談しに行ってみようか。
そこまで考えたところで、アッシュの怒声が辺りに響く。オスカーがその常人より優れた視力で声の方を見ると、広場の奥で警戒線を超えてスマホを構えている市民が見えた。どうやら、彼女はその軽率な行動を咎めたらしいが、距離を置いても聞こえてくる言葉には手荒すぎる文言が混ざり始めていた。
見れば離れた場で作業をしているブラッドも秀麗な眉を顰めているのが見え、まずはあの我の強すぎる同期を抑えてからだと復旧作業に加わった。
******
ディナーデートまでがんばります。