ドレスアップにょスカーちゃんと食事するブラッドさまの話『今日の夜、久しぶりに食事に行こう』
休憩時間に震えたスマホに届いたのは、敬愛する主から届いたメッセージ。綴られていたのは恐れ多くも食事の誘いで、認識と同時に最速で了承の返事を送ると、同じように即座に返信が送られてきて少し驚いた。
指定されたのはブルーノースシティにあるカジュアルなレストランで、最近オープンしたばかりで気になっていたのだとブラッドさまの言葉が添えられていた。調べてみるとブルーノースらしい洗練された雰囲気は主の好みそうなもので、ご一緒できる光栄さに浮かれる心を抑えながら任務をこなした。
退勤し、いそいそと部屋に戻るとクローゼットから取り出したのは着なれた黒い膝丈のドレス。シンプルなデザインのそれは「社会に出るなら、これから必要になる場面もあるでしょう」と、エリオスに入社する際に奥様、つまりブラッドさまのお母様に選んでいただいたものだ。
上質な生地で誂えられたドレスは、俺の体に合わせて仕立てられただけありしっくりと体に馴染む……と言いたいところだが、筋肉がついたために、少し窮屈に感じるところも出てきた。それでもまだ見苦しくならない程度のフィット感なので、誤魔化しながら着ているのが正直なところだ。
それに、せっかく奥様に贈っていただいたドレスなのだ。なるべく大切に、長く着ていたかった。
ドレスを着たら、あとは髪はまとめて、簡単にメイクを直して支度は完了。
これまたドレスに合わせて買っていただいたパンプスを出すと、久しぶりの着用感を慣らすように数歩歩いて感覚を取り戻す。
そこまでしてもまだ待ち合わせまで時間はあり、せっかくだから途中まで街の様子を見ながら歩いて向かうかとクローゼットを閉じた。
「は? お前、その格好正気か?」
突然投げつけられた不躾な言葉。ムッとして振り向くと、入り口に立っていたのは同期で同室のヒーロー、アッシュ・オルブライト。彼女はいつもの不機嫌そうな顔でジロジロと俺を見つめると、キュッと眉を跳ね上げて見せた。
「そうだが、何か問題があるか?」
悪意を感じる視線に、思わず返す言葉に険が混じってしまう。アッシュはヒールを鳴らして近寄ると、またじぃっと俺の格好を上から下まで無遠慮な視線でなぞった。
品定めされる不快感に顔を顰めると、次の瞬間、相手は口端を偽悪的に歪めこちらを睨め上げて言った。
「ダッセェ。何でもかんでもリトルブラックドレスなら対応できますってか? お前、今日はブラッドとノースの新しくオープンした店で食事だとか言ってただろ?」
「アッシュ……ドレスコードは間違っていないだろう。それに、この服は奥様が選んでくださったものだ。その言い方は許さない」
明らかにこちらを嘲る物言いならまだいい。だが、ドレスを扱き下ろされては我慢ができなかった。
ジロリと、ヒールを履いてもなお俺より目線が下の相手を睨みつけると、相手も負けじと瞳を眇めて睨んでくる。ギラギラと光るアンバーは大型のネコ科のような攻撃性を孕んでいるが、意外なことにそこにある感情はけして不快なものだけではなかった。
だが、それが何なのか理解しようと思うほどの余裕はなく、睨み合うこと数秒。
最初の発言と同じく、また突然にハッと鼻を鳴らして笑った相手は「それじゃあ」と艶やかなルージュで弧を描いてみせる。
「なんでその服を選んだ、オスカー? お前、前も同じのだったよな」
「それは、ドレスはこれしか持ってないからだ」
正直に告げると、だろうな、と返した相手は今度は視線を動かすと目線よりもやや上……髪の辺りで止めた。
「その髪型は? ダッセェがちがちのアップスタイルに、勤務の時と同じメイク……オフだし、夜ならもっと遊びを入れろよ」
「遊び……」
指摘されたことの意味がわからず瞬きすれば、相手は俺の戸惑いに気づいたのだろう。眉間の皺が深くなったかと思えば、チッと舌打ちして身を離すと、なぜか待ち合わせの時間を聞かれた。
「まだ時間あるな……しょうがねぇ、俺が直々に直してやるよ」
「……意味がわからない」
罵倒された相手からの、親切にあたるであろう提案に心の底から疑問を呟けば、途端先程よりさらに顔を不機嫌なものに変えたアッシュが何やら喚き出した。
曰く、同期の俺がダサいと自分まで同類に思われる。それは彼女のプライドが許さない……と言うようなことを、もう少し乱暴な物言いで一方的に言い聞かせられた。
「あのレストランはもっとカジュアルな方が浮かねぇだろ。お前のせいで、連れに恥をかかせんじゃねぇよ」
その言葉にハッとしてアッシュを見れば、相手はムスッとした表情のまま腕を組んで俺を見ていた。確かに、俺がダサいと思われるのはどうでもいいが、それで一緒にいるブラッドさまにまで恥をかかせるなどあってはならないことだった。
「それはいけない! アッシュ、どう直したらいいんだ?」
「チッ、あいつが出たら即決かよ。まあいい、こっち来て座れ!」
オタオタと慌てる俺を見て、一瞬驚いた顔を見せたアッシュはまた舌打ちをしつつ低い声で呟くと、彼女の部屋のドレッサーを示した。
デスクの上についでに化粧品類を置いている俺とは違い、狭い狭いと部屋に文句を言いつつもアッシュが絶対に手放さなかった洒落たドレッサー。そこには数えきれないほどの色とりどりの化粧品が入っていることは知っていて、恐る恐る椅子に腰を下ろせば、彼女の白い指は躊躇いなく動いてみせた。
「時間がねえから一から塗り直しはできないな。最低限、アイラインとハイライトとシェーディングは入れるとして……あとは、ラメで華やかさを出すか」
「あ、ああ、頼んだ」
何を言われているのかわからないまま、ただ真剣な顔を見て悪いようにはならないだろうと頷いてみせる。それからはアッシュの指示に従い上を向き、横を向き、塗ったり、掃いたり、ぼかしたりと顔中に何かを塗られていった。
かつてないほどの工程に目を白黒させながら相手を窺えば、そこにあったのは心なしか楽しそうな顔。初めてみるその姿に、思わず呆気に取られて見つめると、これまた珍しいことに微笑まれてしまった。
「お人形遊びってのは、いくになっても楽しいもんだろ?」
「そういうものなのか?」
「ああ、そうだ」
よくわからないと言うニュアンスを乗せて返した言葉にも、皮肉げではあるが機嫌が良さそうな相槌が返ってきていよいよ言葉に詰まる。黙った俺を気にすることなくアッシュによるメイクは続き、どうだ、と促されて見た鏡には、見慣れた顔の見慣れない女が映っていた。
「す、ごいな。これが俺か?」
いつもより長くぱっちりとしたまつ毛に囲われた目に、キラキラと光を弾く目元。潤いを帯びた唇はふっくらと柔らかで、血色を帯びた頬は瑞々しい艶を放っている。物珍しさに色々な角度から確かめていると、ククッと背後から愉快そうな笑い声がした。
「色はあんまり足せねぇから、陰影を付けて、ラメでニュアンスを変えた。お前、マジでお堅いオフィスメイク以外できねぇんだな」
「む、必要ないと思っていたんだ」
揶揄う言葉にそう言い返すも、出来ないことは事実なので自然と言葉尻が窄んでいく。そんな俺を嘲るでもなく、ついでだ、と伸びた指はセットした髪に触れた。
「こんなオールドスタイルな夜会巻き、どんな晩餐会に行くんだって話だ。……しかし、お前の髪、マジで素直なストレートだな」
「そうだろうか?」
ピンを取ると途端に落ちる髪は、勤務時と違い、ホールド力は必要ないとあまりワックスを使っていない。結ったために多少癖はついたが、サラサラとこぼれるそれを梳かしながらアッシュは徐にワックスを手に取った。
くしゃくしゃと髪に揉み込んだかと思うと、次には左右対称に編み込みを作り、器用に後頭部でまとめると残りはコテで巻いて見事な巻き髪を作り上げる。手慣れた様子に驚きながら出来上がっていく髪を見ていると、ものの数分で見事なパーティースタイルが出来上がっていた。
その手際の良さに呆気に取られていると、なんだよ、とアッシュが瞳を眇めて俺を見た。
「いや、あまりにも手際がよくて、正直驚いた。てっきり、アッシュはこういうのはサロンでしかしないものかと」
「ハッ、当たり前だな。自分にするなら、お前たちが想像もできないような最高のサロンでセットさせる。でも、たかが人形遊びでそこまでする訳ないだろ?」
「人形遊び……」
鸚鵡返しにした言葉に相手は気分よさそうに唇を釣り上げ、終わりだと言わんばかりに背を叩かれる。
追い立てられるようにして立ち上がると、周りを一周しながらチェックしていたアッシュが、何かに気づいたようにおいと声を掛けてきた。
「この服、オフショルダーにできんのか?」
「ああ、そういえば」
問われて思い出すのは連れられて行ったテーラーでのこと。店員とあれこれと相談していた時に「ちょっと遊んだデザインもいいんじゃないかしら」と奥様に言われるまま選んだのだが、肩を出すと寒いことに気づいて以来、すっかり忘れてしまっていた。
デコルテから繋がる袖を二の腕へと下ろすと、一気に肩が涼しくなる。思わず首を竦めてしまうが、アッシュは何やら頷くとこれで行けと指示を出してきた。
「いや、その、俺には少し寒くて……」
「は? んなもん気合いでなんとかしろ」
思わず掌で二の腕を摩ると、相手はバッサリと俺の訴えを却下した。あまりにも鮮やかなシャットアウトに唖然としていると「ドレスアップすんなら、我慢してでも美しさを優先させるもんだろ」と当然とばかりに告げられた。
本人のパーティー好きは有名だが、家の関係で華やかな場に列席することも多かったのだろう。もしかしたら、ブラッドさまよりも場数は多いかもしれない、そんなアッシュの発言は説得力があり、気づけば首を縦に振っていた。
「まあ、そんな姿してりゃ、あのブラッドだって……」
ぼそりと呟いた相手の発言に首を傾げるも、聞き返す前に相手は、今度はジュエリーボックスを取り出してきた。あれでもない、これでもないとアクセサリーを選び出すアッシュが手にしたものはどれも高価なもののはずで、なくすのが怖いと辞退しようとしたが、また買えばいいと押し切られる。
そうして、もう一度姿見の前に立ったときにはいつもの俺とは思えない、随分粧し込んだ女性が映っていた。
「まあ、こんなもんだろ」
「す、すごいな……これが俺なのか」
見慣れない姿にペタペタとあちこち触れようとすると「崩れるから止めろ!」と慌てた様子で手を掴まれ止められる。……子どもではないのだから、言葉で制止されればさすがに止めるのだが。
「ありがとう、アッシュ。これなら、ブラッドさまに恥はかかせないだろうか」
照れ臭さと不安に振り返って問えば、相手は半眼になってムスリと顔を顰めた。
「俺が直々に整えてやったのに、んなこと気にすんのかよ。お前はせいぜいお上品にしてりゃいいんだよ」
「む、すまない。そうだな、慣れているお前がしてくれたんだ、あとは俺の努力だけだな」
確かに相手を疑うような聞き方だったと反省して頷けば、なぜかアッシュは沈黙してしまう。また言葉を間違ったのかと焦ると、置きっぱなしにしていたバッグを投げつけられ、ぐいぐいと出口へと押しやられた。
「どうした! やはり、俺は失礼なことを言ったか?」
「うるっせぇ! さっさと行けよ、遅れんだろ!」
気を悪くさせただろうかと振り返るも、相手は俯いてしまいそのせいで表情は伺えない。染まった耳殻に焦るも、力ずくで追い出された上に施錠までされてしまい途方に暮れる。
同室なので解錠はできるのだが、約束の時間が迫っていることは確かで、後ろ髪を引かれつつも出かけようとして思い出す。
「ああ、言いそびれていたな。ありがとう、アッシュ」
扉越しで届くかはわからないながらそう告げれば、間髪入れずバン! と扉を叩く音がしたので、恐らく聞こえてはいたのだろう。
今はそっとしておくことが最善だろうと、行ってくると告げて目的地を目指して、地上行きのエレベーターに飛び乗った。
面倒な会議を終えて外へ出て来れば、ノースの街は夕焼け色に染まっていた。
街のイベントに参加してほしいと、広報部を通して通達された仕事の打ち合わせが予定より長引いたことに気づいて、思わずため息が漏れた。
ヒーローという職業は、サブスタンス対応に特化し、市民を守ることが第一の役割だ。だが、その活躍によってエリア発展にも寄与する関係から、市民との交流も職業の一環とされこうして広報的な依頼が舞い込むことが多々あった。
が、最近はその仕事の使命をされる比率が、どうにも偏っていることが気になっていた。
「いやあ、やはりこういった華やかな場にはブラッドくんがピッタリだと思ってね!」
担当者の悪意のない言葉を思い出し、思わず眉間に皺が寄る。己の容姿がそれなりに価値があることは、短い人生の中でも理解していた。
時にそれを活用することも覚えたが、ヒーローとしての本来の職務以外のところで評価されているようで、面白くないと思う気持ちが顔を出してしまう。
そこまで考えて、ふと目の前に視線を遣ると眉間に深く皺を寄せた男が映っていた。茜色に染まるガラスに映る己の顔に、つい仕事のことを考えてしまっていることに気づいて口元を覆う。
ここのところ、広報仕事に忙殺されていたことで思考の切り替えがうまくできていなかった。その自覚があっただけに、こうしてようやく取れた完全なプライベートな時間にまで持ち込んでしまったことを反省する。
これから会うのは、己が見つけ出し、右腕として側に置くことを決めた少女。いや、もう少女というには随分成長した、一人の女性。
掃き溜めに鶴という日本の諺があるが、まさにオスカーは俺が見つけた美しい鶴だ。その優れた身体能力もさることながら、ストリートチルドレンとして一生を終えるにはあまりにも惜しい善性を持った少女の存在に、俺は一瞬にして惹かれた。
社会の日陰者である彼女が、日向で笑う姿が見たいと、らしくもなく感情的になったことを昨日のように思い出す。
そしてオスカーは俺の願った通り、いや、それ以上に素晴らしい成長を遂げてヒーローとしてこの街を守る存在になった。
問題は、些か俺への敬愛が過ぎることだろうか。もっと視野を広く持ち、そして、感情に豊かになってほしいと思ってしまうのは、さすがにわがまますぎるだろうか。何しろ、それを望むのは、俺の個人的な期待が多分に含まれるからで。
思考に溺れながら慣れた街を進むうちに、気づけば待ち合わせの広場近くまで来ていた。商業エリアの入り口に位置するその広場は、目印となるモニュメントもあることから待ち合わせとしてもよく使われる場所だ。
俺と同じく、仕事帰りに待ち合わせをする人々で賑わう広場に入ろうとしたところで、何やら興奮した様子の市民とすれ違った。
「あれ、絶対ヒーローのオスカーだったって!」
「ね! いつもと雰囲気が違って驚いちゃった!」
聞くつもりはなかったのだが、自然と耳に入るのは聞き慣れた名前が入っていたからか。怪訝に思って振り返るも、すれ違った二人組の背はすでに遠く立ち止まるのも邪魔かと思い無理やり足を動かす。
確かにオスカーとはここで待ち合わせをしており、行き先はレストランだと事前に告げているためそれなりの装いはしていることだろう。だが、ドレスアップしたとしてもオスカーは勤務時とそれほど変化していないはずだ。少なくとも、今日のように興奮した市民とすれ違うことはなかった。
不思議に思いつつ、市民からの視線に応えながら歩みを進めれば、その疑問は簡単に解けた。
噴水前のモニュメントに佇む一人の女性。周囲から頭一つ抜けた高身長に、メリハリのついたボディラインを品よく包むタイトラインのドレス。緩やかに巻かれた髪が洗練された上品さを生み出し、褐色の健康的な肌を彩るシルバーのアクセサリーが夕日を受けてきらめく様は彼女の身の内から生まれる輝きを表しているようだった。
その姿は市民の目をも引くようで、ちらちらと向けられる視線に戸惑い、恥じるように佇む姿に、俺も一瞬息を呑む。
わずかに遅くなる歩みは予想外のことに驚いたからで、しかし平静を装う時間は満足に与えられなかった。
「……ッ、ブラッドさま!」
こちらに気づいたオスカーが嬉しそうに微笑む。海原を思わせる澄んだブルーアイがこちらを射抜き、頬を薔薇色に染めて笑う様はなんと可憐なことか。下品にならない程度に足早にこちらへやって来る相手を迎えるように、なんとか微笑みを浮かべると周囲がわずかにざわめいた。
「すまない、少し遅れたか?」
「いいえ! ブラッドさまは時間丁度です。むしろ、俺が早く来すぎました」
そのざわめきをあえて無視してオスカーに話しかければ、相手は恐縮したように肩を縮こまらせる。しかしその仕草によって強調されたのは、オフショルダーから覗く肩の丸みや、いつもより広い襟ぐりで強調された豊かな胸元。
正直目の遣り場に困ってしまうのだが、そんな葛藤など噯にも出さず、隣に並ぶと市民の好奇に満ちた視線にオスカーが萎縮する前にと、さり気なくエスコートしながら歩き出す。
背中に刺さる視線から庇うように、人混みと逆側へオスカーをつかせながら、道すがら近況報告を兼ねた会話を交わす。
彼女が現在所属するイーストセクターは、多様な文化とスポーツなどのアクティビティに富んだエリアだ。エリアランキングも中間で安定しており、どこかのんびりした空気の流れる街はオスカーの情緒を緩やかに育ててくれている。
日本文化に興味のある俺としても、リトルトーキョーに行くという名目でオスカーに会いに行けることは余計な勘ぐりをされず効率的で気に入っている点ではある。
口下手ながら、会えなかった間の報告をするオスカーはリラックスした様子で話しており、仕事がうまく行っている様子に安堵した。入所当初は慣れないことや度重なるメンターの変更で大分参っている様子だったが、ディノの指導を経て方向性が定まったことで安定したようだ。
以来地道な努力を重ね着実に成長し、来年はいよいよ昇格試験の受験資格を得る。生真面目なオスカーであれば問題ないだろうが、頼られることを嬉しく思わないかと言えば嘘になるだろう。
尽きない話を交わしながらマジックアワーで一層美しく彩られた街を歩けば、二人に気づいた市民が、あるいは気づいていない市民も、思わずと言ったように視線を向ける。それは馴染みある感覚であったが、珍しい装いのオスカーを連れていることが多分に影響をしていることは明白だ。
並の男性よりも尚高い身長に、ストイックに鍛え上げられた筋肉質な体を持つ女性ヒーローは、常に厳しい表情を浮かべて市中を見回っている。それが柔らかな曲線で構成されたドレススタイルで、はにかむように笑っているなど思わず目が入ってしまうのは仕方ないことだろう。
そして、そんなオスカーの美しさに気付き驚く顔をする相手を見るのは、非常に胸の空く思いだった。
「ああ、ここだ」
目的の店に辿り着くと、俺たちに気づいたドアマンがにこやかな笑みと共にサッと扉を引いてくれる。比較的カジュアルな店と聞いていたが、さすがノースシティと言ったところか。
目線で礼を告げ、先に通したオスカーを伴い受付を済ませると、予約していた席へ通される。窓際……というのは流石にやり過ぎかと思い、あえてホール内の席を取ったが、間隔が広いため窮屈な感じはしない。ウェイターに引かれた椅子に掛けるオスカーはすっかり上流階級のマナーが板についており、使用人時代に母に鍛えられたことを思い出しクスリと笑みが浮かぶ。
「ブラッドさま?」
「いや、すっかり一人前のレディになったのだなと思ったら、ついな」
あえて軽い口調で告げれば「からかわないでください」と恥ずかそうに縮こまられる。それがまた幼く思え、浮かぶ笑みをメニュー表で隠しつつ、控えていたウェイターにオーダーを告げる。ここは魚料理をメインとしており、オスカーの好きなロブスターも扱っていると聞いている。残念ながらコース料理にはないとのことで、今回はアラカルトで注文することに決める。
そうして料理に合わせた白ワインが届いた頃、そう言えば、と気になっていたことを切り出した。
「今日は随分雰囲気が違うな」
普段アップスタイルやポニーテールにしていることの多い髪を下ろした姿は珍しく、メイクもこれまでよりずっと華やかだ。何か心境の変化でもあったのだろうかと、探りを入れつつ見つめると赤らんだ頬が見えた。
「あ、の、これは……」
「うん?」
もごもごと口籠るオスカーの顔は恥じらいに色づき、随分と……そう、愛らしい様子になっていた。思いがけない反応にわずかに目を開きつつ、続きを待てば、オスカーは蚊の鳴くような声で囁いた。
「ブラッドさまに、相応しい人間になりたいと……」
「何?」
驚いて漏らした声にオスカーはさらに顔を赤らめる。もう褐色の肌でも誤魔化すことができないほどわかりやすく色づいた顔は、どこか甘い色を纏い、垂れ目がちの瞳はうっすらと濡れて揺れていた。
それでもオスカーなりに一生懸命に言葉にしようとしていることに気付き、焦ったい思いを抱えつつも黙って耳を傾けた。
「その、俺は、ご存知の通り学もありませんし、教養も満足に知りません。ですが、ブラッドさまの隣に立つからには、そんなことを言い訳になどできません。
出掛けにアッシュに、連れに恥をかかせるなと言われ、俺のせいでブラッドさまが恥をかかせることなどあってはならないと、それで、少し手直しをしてもらい……」
「少し……」
「あっ、いえ、ドレスの袖を直してもらって、あとは髪とメイクとアクセサリーだけで……いえ、これは大分、ですね」
鸚鵡返しに呟けば、慌てて言い添えた言葉は次第に尻すぼみになり、恥ずかしいとばかりに俯く。膝の上で手を重ねているせいで寄せられた谷間はいつもより深く、自然と視界に入るそれは少しばかり刺激が強い。
さり気なく視線を逸らしつつ、ふとその剥き出しの肩が寒そうに竦められたことに気付いた。
「オスカー、お前寒くはないのか?」
大胆なドレスに気を取られていたが、本来オスカーは大の寒がりだ。その寒がりようはエリオス内でも知れ渡っており、寒さを感じるようになるとオスカーを連想する者もいるほどである。
それがいくら過ごしやすい季節とは言え、露出過多にも思える服装をしていれば自然と気になってしまう。
案の定「……少しだけ」と返る声は罰が悪そうで、おそらくはアッシュに押し負けた結果なのだろうことはすぐに察しがついた。大方、おしゃれは我慢とでも言われたのだろう。
アカデミー時代に付き合っていた女性が言っていた言葉を思い出し、あの時はそういうものなのかと非効率的な考えに賛同しかねたが、今は異なる思いで相手を見つめた。
「オスカー、あまり無理をするな」
「はい、申し訳ございません」
俺の言葉でしゅん、と萎れたオスカーが可哀想だと思いながらも微笑ましく、そっと席を立った。そしてジャケットを脱ぐと、未だ縮こまる肩にふわりと掛け、まるく見開かれた瞳を覗き込む。
「ブ、ブラッドさま!」
「着ていろ。俺はこのくらいで丁度いいからな」
慌てて返そうとする相手の手を上から押さえ、念押しするように笑い掛ければ、相手の勢いは削がれ「はい」と囁くような返事で精一杯となる。
席に戻る頃には前菜が運ばれて来て、なし崩しに食事へ移った。オスカーはしきりにジャケットを気にしていたが、正直普段見慣れないほど美しく粧し込んだ相手を前に、冷静でいられない程度には俺だって若い。
料理は前評判通りの美味さで、そこにアルコールが入れば次第に空気も解けていくもの。杯を重ねていくうちに、最初の強張りはすっかりなくなったオスカーはいつも通りの様子に戻っていた。
盛り付けにまで気を配られた繊細な料理を堪能し、メインの大ぶりなロブスターのソテーには瞳を輝かせる。歳で言えば四つしか変わらないというのに、好物を目にした時の様子はフェイスと変わらない素直さだ。
正しい所作で好物を口にするオスカーを眺めていると、自然と瞳を細めてしまう。うちに来たばかりの頃は、フォークの掴み方すら知らなかった少女の成長を見て、一種の感動すら覚えていると、ことりと首を傾げて伺ってくる。
それも、口に物があるからの仕草であり、言葉を使わずコミュニケーションを取ってくる相手に、静かに微笑むことで返答する。途端、驚いたように跳ねた指先が微かに陶器を鳴らしてしまい、慌てて申し訳なさそうに見てくるオスカーに堪らず笑みがこぼれてしまう。
「ふ、気にするな。今のは俺が悪かったな」
「んぐっ、いいえ! ブラッドさまは悪くありません」
「いや、俺が不注意だった。ほら、冷める前に食べた方がいい。ここの料理は、どれも美味いな」
慌てて飲み込み、フォローをしてくるオスカーを宥め、そう言って意識を料理に向けさせれば、素直な相手はそうですね、と再び食事へ戻る。
そうしてデザートまでしっかり味わって店を出る頃には、辺りはすっかり暗くなり星が瞬いていた。
まだ夜はこれからだが、いかんせん明日も通常通り仕事が入っている。食事中に聞いた話では、オスカーは朝一番のシフトでパトロールが入っているらしく、あまり遅くまで連れ歩くのも任務に支障が出ると判断した。
それに、アルコールも入って一層魅力的になったオスカーを、人目のあるところで連れ回したくないと思う程度には今日の彼女は美しかった。
「少し早いが、タワーに戻ろう」
そう告げてタクシーを停めようとしたところで、ふと違和感に気づいて振り返る。見ると店の入り口の階段前に佇むオスカーは、どこか寂しそうな表情を浮かべており、おまけに羽織らせたままのジャケットを心許なさそうに握る仕草は、俺の中にある庇護欲をくすぐる儚さがあった。
どうした、と優しく掛けた声に持ち上がる睫毛。メイクの効果か、いつも以上に長く見えるそれを見つめていれば、街灯にきらめく青い瞳が縋るように俺を見た。
「なんでもない」と、そう告げる言葉とは裏腹な瞳に仕草。また俺を優先して、我慢してしまおうとする相手の悪癖を見逃すことなどできず、もう一度「どうした」と尋ねる。
しばしの沈黙は、俺への遠慮と己の欲の間で迷っているのだろう。まだ、俺からの許し、あと一押しが必要なのだと判断し、そっと手を取ると名前を呼ぶ。
「オスカー」
「あ、ブラッドさま……」
迷う瞳を絡めるとるように視線を合わせ、一つ頷き言葉を促す。それにハッと息を呑んだ相手は、一瞬躊躇うように瞳を揺らがせたが意を決して唇を開いた。
「お許しいただけるなら、少しだけ歩きませんか。その、今日は夜風が気持ちいいですし、食後の腹ごなしにもなります、し……」
「そうだな、確かに今日は会議が多かったから、いい運動になる」
言い繕うオスカーの尻すぼみの言葉を捕まえ、肯定の言葉を紡げば、わかりやすく明るくなる顔。
二十歳を超えた女性がするには幼くも思える反応が、どうにも愛おしくて堪らなかった。
そうして、夜のノースシティの街を二人並んでゆったりと歩く。周囲の似たような人々とは異なり、手を繋ぐことも、甘やかな睦言を囁くこともないが、満たされる思いは変わらなかった。
それでもいつかは、と隣を見れば、俺の隣に立ちたいからと着飾ってくれた、愛おしい右腕がいる。今はまだ彼女の指を彩るものはないものの、然るべき時には必ず永遠を誓う証を輝かせたいと心に決める。
「ブラッドさま、月がきれいですね」
「……ああ、そうだな」
何気ないオスカーの言葉に、無駄に蓄えた知識が邪な色を宿して浮かび上がる。日本の偉大な作家の残した言葉を舌の上で弄びつつ、なんてことないように微笑んでみせた。
見上げた空はオスカーの言葉の通り、美しい満月が輝いている。二人で見上げながら歩く道は、月明かりに照らされいつもより鮮やか見えた。