ひと齧り、召し上がれ ゆったりとソファに腰かけながら、美味しい紅茶を飲み、美味しい茶菓子を食べる。今日はふわふわのスフレケーキだった。生クリームとブルーベリージャムが添えられている。
フォークが空気を切るように入っていく。少し大きめの一口分を乗せて頬張ると、口の中で溶けてしまう。
あれ、これは空気? 空気を食べてる? でもすごい美味しい。こんな空気なら一生食べていたい。地球上の酸素、全部これに変わらないかな。
もう一口食べたところで、誰かに見られていることに気が付いた。
誰か、なんて回りくどい言い方をしなくても、今この美術室にいるのはわたしと、このスフレケーキを作った不良くんだけだ。
「ちょっと不良くん、食事中の人をじろじろ見るのはマナー違反だって知らないの?」
「俺の作ったもんを食ってるやつは、俺に文句を言う権利なんてねーよ」
とんだ法律ができあがっていた。しかし、この体は不良くんの料理によってできていると言っても過言ではないし、逆らえないわたしであった。
く、悔しい。でも美味しい!
「あ、わかった。もしかしてお腹空いたの? わたしの分はあげないけれど、でも他のメンバーの分なら食べてもいいんじゃないかな? 先輩くんの分は生足くんが食べたことにして……」
「仲間割れを起こさせようとしてんじゃねーよ。それに味見分と合わせて2ピースは食ってる」
初耳だ。不良くんが二人分食べてるって事じゃないか。え、でも七等分っておかしくない?
「リーダーの分大きめに切ってるに決まってんだろ」
「どんな無法地帯のルールよ!」
不良くんがリーダーを丸々太らせようとしている。リーダーファーストなルールを作ろうとしている。いや、リーダーファーストなのはこの美少年探偵団における、絶対的ルールで、別に不良くんが作ったわけじゃないが。
「ちょっと、その味見役、今度からわたしにさせてよ」
「眉美の味覚じゃあ、ろくな味見にならねーよ」
「っていうか、不良くんは味見味見っていうけど、ホールケーキなんかは焼きあがった後に味見しても無意味じゃない?」
「まあありえねーけど、万が一味見して最悪な出来だったら、その場合はもう1ホール作る」
「食へのこだわりが強すぎる」
さすが、美食のミチルだ。不良くんの言う最悪な出来は、多分一般人から見れば普通のケーキだし、わたしの様な味覚の持ち主からすれば天上の物だろう。
「で、結局なんで見てたのよ」
訊ねながら、スフレケーキの三口目を食べる。
「いや、まあ何となくだよ」
「何となく? そんなんでわたしの事を、穴が開くほど見つめていたんだっていうの? もしかしてわたしの事が好きなの?」
「調子に乗んじゃねーよ。……別に、ただ普通に俺の作ったもん食って、俺の淹れた紅茶を飲むようになったな、って」
「まさかのお母さん目線」
瞳島眉美は俺が育てた、みたいな感じなんだろうか。
確かに、不良くんが作るもの全てを吐き出していた頃もあるけれど。まあ、吐くと言っても舌先に乗った瞬間美味しすぎてぽろっと溢しちゃう感じだったし、紅茶に至ってはコントの様に噴き出す感じだったし、育児みたいなもんか。
実の母親に世話を焼かれた記憶が薄いからか、不良くんの方がお母さんみたいに思えてきた。
「気持ちわりぃこと考えてんじゃねーよ」
一蹴された。子を谷から突き落とす、ライオンの育児方針らしい。
「そんなにわたしの吐瀉物を拭き取るのが好きだったの……?」
「だからなんでそうなるんだよ。お前は、仕事にしてることは全部好きだからやってるんでしょって勘違いしてる様なやつかよ。仕方なく拭いてるだけだっつーの」
仕方なくでも拭いてくれてるっていうことか。わたしだったら、雑巾をわたして自分で拭けって言うけど。
「そりゃあ、こうして毎日毎日飲んだり食べたりしてるわけだし。慣れもするわよ」
それでも、不良くんが腕によりをかけて作った料理なんかは、涙を流しながら何とか飲み込んでいる感じだけど。
「もしかして、寂しかったりする?」
「んなわけねーだろ」
そっけない態度の不良くんだけど、これは図星なのでは。
もう、仕方ないなあ……。
さすがにわざと吐き出す、なんてことはしたくないし、不良くんにお世話をさせてあげるためのきっかけを作ってあげればいいってことでしょ。
わたしはお皿の上からクリームを指ですくい、自分の鼻につけた。
「ほら不良くん、クリームが付いちゃった」
「自分でつけたんだろうが。お前、俺のことナメすぎだろ」
「そんな、指輪学園の番長に対して恐れ多い」
「棒読みじゃねーか」
そう言いながらも不良くんはハンカチを手に取る。わたしは、てっきりいつかの様にそのハンカチを貸してくれるんだと思っていたが、ずんずん近付いてきた不良くんはハンカチを差し出したりしない。
おやおや、もしかしてこれ本気で怒らせちゃいました?
流石に身の危険を感じて、不良くんの顔を見つめる。ソファに座るわたしの目の前に立ち塞がった不良くんは、鼻で笑った。
「間抜け面してんじゃねーよ」
確かに鼻先にクリームをつけてる中学生なんて、相当面白いかもしれないが、失礼じゃないか。
反論しようとした瞬間、不良くんの顔が近づいてくる。わたしの嫌いで嫌いで仕方ない、綺麗なお顔が近づいてくる。やっば、至近距離でドスの効いた声で脅される?
お皿を持ったまま硬直していると、鼻先に生暖かいものが触れる。そしてちょっとだけ痛みも。
「いっ、た」
対して痛くもないけれど、反射的に目を瞑り、声を出してしまった。
と、瞼の向こう側が明るくなったので、恐る恐る目を開ける。今のなんだったの?
「あんまり舐めたこと言ってると、もっと痛い目みるからな」
「……え?」
その時のわたしは、確かに言い訳できないぐらい間抜け面だったと思う。不良くんはまたもわたしを嗤うと、キッチンの方へ向かっていってしまった。
一人美術室に取り残されたわたしは、呆然と残ったスフレケーキを食べることしかできなかった。悔しいことに、こんな時でも不良くんのケーキは世界一美味しかった。