本日のごちそう①〜初めてのたまご焼き編〜「弁当、作った」
新しい一週間の始まり、月曜の朝。
朝食の準備から片付けまでを引き受けてくれていた満が、ぶっきらぼうにそう言った。
長広は身なりを完璧にビジネスモードに整え終えて、出勤前のティータイム中であった。
土日休みの長広に合わせて、満は金曜の退勤後にこのマンションにやって来る。そのまま泊まり、職場を往復。月曜の夕食後に自宅へと帰って行く(満の職場は月曜定休だ)。
いつもは月曜朝のティータイムに付き合ってくれる満だが、今日はキッチンからこちらへ来てくれないなあと、長広は寂しく思っていた。
そこに先の、弁当発言である。
通例よりもキッチン滞在時間が長かったのはそういうわけか、と差し出された弁当箱を見て長広は納得する。
長広自身が購入した、シンプルな弁当箱。
満は長広宅に泊まっている間に、そのままもしくは温めれば食べられる状態の作り置きおかずを数品用意してくれるので、それらを詰めれば、ランチにも満の手料理が味わえるのではと考えた末の買い物だったのだが、実践されないまま、それは棚に仕舞われていた。
三日坊主の一日目すら迎えていない弁当箱を発見されたのが、とてつもなく恥ずかしい。
言葉に詰まっていると、先ほどのぶっきらぼうな様子とは打って変わって、満はしゅんと肩を落とした。
「……昼の予定、もう決まってた?」
クライアントと昼食会と称した打ち合わせをすることはあるが、今日はそんな予定は入っていない。ぶんぶんと首を振り、全力で否定を示して立ち上がる。
ぱたぱたとスリッパを鳴らして駆け寄り、差し出された弁当箱をしっかりと受け取った。
「ありがとうございます! 今からお昼が楽しみです!!」
とびきりの笑顔で謝意を伝えると、満は安心したように頬を緩めた。
「声がでけぇ」
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──食べる前に弁当をレンジで温める時は、必ずプチトマトを抜くこと。
そうしないと爆発するぞ、と満に怖い顔で(長広にとっては特段怖い顔ではなかったが、おそらく満自身は怖い顔をしたつもりだと思う)脅されていたので、美しい彩りの中から、そおっとプチトマトを蓋の方へ移した。
レンジが満の手料理を美味しく温め終えるのを待つ間に、プチトマトをひょいと持ち上げ眺める。赤く熟したまんまるのプチトマトは、満が長広宅のベランダで育て、収穫したものだ。
長広が初めて満をマンションに招いた際のこと。
広いベランダを端から端までぶらぶらと歩きながら、「家庭菜園が出来そうだな」と満が独り言つので、「やってみたらいかがです? 場所をお貸ししますよ」と気軽に答えたところ(冗談だと思ったので、こちらも冗談のつもりだった)、すぐに必要なものを揃えてきた満によって、あっという間にベランダに家庭菜園スペースが出来上がってしまった。
あれは高校を卒業し、大学の入学準備をしていた頃の話だから、満の管理する我が家の家庭菜園との付き合いもだいぶ長い。満が長く不在だった期間には、寂しさを紛らわすために長広が世話をしていたため愛着もある。
ぱく、とミニトマトを噛むと、少しの抵抗の後に皮が破れ、中から口いっぱいに甘さが広がった。水やりの量を少なめにすると実が甘くなるんだ──と、満が言っていた通りである。
ミニトマトを食べ終え、満が弁当と一緒に持たせてくれた水筒からお茶を注いだタイミングで、レンジが仕事を終えたぞと主張する音を鳴らした。
改めて対面した弁当の中身は、ほぐした鮭とゴマを和えたごはん、たまご焼き、ひじきの煮物、つくねの照り焼き、ほうれん草とちくわの炒め物だった(それから、もうお腹に収まってしまったプチトマトも)。
おかずが混ざらないようにする仕切りなんて我が家にあっただろうか、と長広は首をひねったが、よくよく見ればクッキングシートをカップの形に折って代用している。
そういえば、サンドイッチやおにぎりなどを弁当として作ってもらったことはあるが、弁当箱に詰めて、というのは初めてかもしれない。
初めて繋がりで言えば、満の作ったたまご焼きを見るのは初めてだった(めだま焼きやスクランブルエッグなどのたまご料理は、割と頻繁に食卓に並ぶ)。箸で半分に割ってから、口に運ぶ。しっかりと火が通っているにも関わらずふわふわの食感を保っていることにも驚いたが、長広が一番驚いたのは、その味付けについてだった。
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「お、弁当箱洗っといてくれたんだな。助かる」
長広が帰宅後の手洗いうがいをしている隙に弁当箱を回収した満は、機嫌の良さそうな声をあげた。
続いて、プチトマト爆発させなかったか? とからかってくるので、するりと髪を解きながら「もちろん」と長広は得意げに答えた──が、
「まあ、もしレンチンしても爆発しないように、爪楊枝で穴あけといたんだけどな」
と満がぼそりとつぶやいたので、スンと真顔になる。
信用されていない。そんなドジっ子キャラだと思われるような振る舞いはしていないはずなのに……何故なんだと眉根を寄せる。
「なに難しい顔してんだよ」
楽しそうな声音で、満が長広の眉間を指でツンツンとつついた。
思いがけず近づいた満の顔にどきりとして、どうして難しい顔をしていたのか忘れてしまった。
単純である。
「どうだった? 弁当」
美味かっただろう、と自信に満ちた表情で感想を求めてくる満は、なんだか褒めてほしくて仕方がない子どものようで可愛らしい。
「とても美味しかったです! ……でも」
「でも?」
満は訝しげな表情で、長広の言葉を繰り返した。
「たまご焼きがしょっぱくて、驚きました」
「えっ、味濃かったか? 悪い、味見したんだけど」
「あ、いいえ。塩味が強いという意味ではなくて……その、私、甘いたまご焼きしか食べたことがなかったので」
甘いものだと思って口に入れたので驚いたが、だしのきいた上品な味付けは、繊細な調味を得意とする満らしいと思った。
「まじか。逆に俺、甘いの食ったことねえわそういえば。……初めて作ったのがしょっぱいのだったから、たまご焼きはしょっぱいってイメージがついてんのかも」
小学校低学年の頃、運動会を数日後に控えたある日。弁当のおかずに何を入れてもらうかという話題で同級生たちが盛り上がっていた。通常、両親に弁当の中身についてリクエストするものなのか──と、運動会の弁当にたまご焼きを入れて欲しいと頼んだところ、〝そんなに食べたいのなら自分で作りなさい〟と返ってきた。思えば、それが料理に興味を持つきっかけだったような気がする。味付けのことはすっかり忘れていて、出来上がってから、めだま焼きを思い浮かべながら醤油をかけたんだ。初めてのたまご焼きはもちろん上手く巻けなくて、スクランブルエッグを固めたようだったし、手際が悪いせいで焦げてしまっていて、お世辞にも美味しそうとは言えない出来栄えだった。それでも、なんだか楽しい、と感じたことはよく覚えている。
「今じゃ綺麗に巻けるし、ちょうどいい焼き色を付けるのもお手のものだぜ。得意料理のひとつかもな」
そう言っていつもの調子で笑う満を見て、長広はぎゅっと握りしめていた拳から、ふっと力を抜いた。
稀に過去を語る満は憂いを帯びていて、どこか危うげな印象があった。けれど先ほどの満には、そんな様子はなかった。
それが、嬉しい。
「……また、お弁当作ってくれますか?」
「もちろん、いいぜ」
「次も、入れてください。たまご焼き」
「甘いの?」
「しょっぱいの、を」
満が親しんできたものをもっと味わいたくてそうねだると、満は優しく目を細めた。
すっかりふたりの馴染みのおかずとなったたまご焼き。
チーズ入りやシラス入りなど、様々なバリエーションを披露してくれる満だが、先日、初めて甘いたまご焼きが入っていた。
長広の親しんできた甘い味付けと、満が親しんできたしょっぱい味付け。お互いが出会って、定番の味が、ひとつからふたつへと増えた。
こうした日々を、この先もずっと。
満と積み重ねていけたら、と、長広は思うのだった。