ベランダベランダ2
金と時間と余裕さえあれば、ワンオペ育児は楽勝だと思っていたが、絶対に一人ではどうにも行かない時は来る。
そのため、大親友の一人に助っ人を頼んだ。
プロのベビーシッターを頼めば良いだろうが、これからも親友に頼むかもしれない。なので慣れてもらうために呼んだ。
インターホンが鳴り、潔高はパッと顔を上げた。
「あ…!」と指を玄関へ向けて、五条を見ている。誰かが来る事なんて、あまり無いし、宅配便かウーバーイーツくらいだ。
「潔高、玄関を開けに行こう」
トトトと廊下を進み、潔高はピンポーンが鳴るとワクワクして玄関を覗きに行く。
まだ鍵を開ける事は出来ないから、一人で出られない。
「さぁ、誰が来たか、覗いてごらん?」
抱き上げて覗き穴に近づけると、小さなレンズの向こうに張り付く。
きっと大親友がいるだろう。多分、子供が僕よりも好きな人間だから、気合いが入っているはずだ。
僕だけと一緒にいる時間が多すぎて、潔高に良くない気もして来た。
本当は可愛いから、旅にも外にも出したくなんてない。
「あ…っ!」
興奮したのか、僕に振り返ると黒い瞳をコロコロと輝かせる。一度抱き直すと顔を同じ高さにして、目を合わせた。
子供は鏡のようだと思う、僕の顔が真面目になったら、潔高も同じ顔をする。
きっと笑ったら、潔高も笑うんだ。
「潔高、今日は僕、お仕事でどーしてもお出かけするんだ。潔高はお留守番だよ」
「なに?…おる…す?」
「お家で待ってる事だよ。僕の代わりに、お兄さんが来たから、遊んでてね?」
「…うんっ」
「良い子だなぁ…お土産何がいいかな?なんでも買ってあげるよ」
「…?」
「欲しいものない?おもちゃ?お菓子?なんでもいいよ」
「…おもちゃある、おかしある」
家にはおもちゃもお菓子もあるって言いたいらしい。潔高は真面目な顔でそう答えた。
潔高は普段から何かが欲しいとか言わない。
お買い物に行っても、物に興味を示す時もあるが、手に取って見て、戻すを繰り返してる。
僕がガキの頃なんて、欲しいおもちゃがあったら、床とお友達かってくらいに頻繁にゴネたのに。
これが欲しいの?と聞いても、見た後は何にも反応しない。
だから欲しい訳じゃないんだろう…ただ、興味があるだけなんだ。
潔高が欲しい物が未だに分からない。
七海からもらったテディベアは大切にしてるが、選んだ訳じゃない。
「潔高…潔高が欲しい物は無いの?」
このままじゃ、いつか来るお誕生日に間に合わないかもしれない。
「なぁ、潔高〜、金ならあるんだよ〜」
「カネ…?」
「おっと、なんでもないよ…ごめん。なんか美味しいケーキ買ってくるね…」
多分、ケーキなら食べてくれるかな…。
ギュ〜っと抱きしめて、潔高の頭を撫でると肩に頭を乗せてくる。
前はこんな風に体を預けてくれる事はなかったのに、嬉しくて愛しい。
マジ?今から僕、仕事なの?ヤダ!
ライトグレーのスーツを着たまま、抱きしめていたら、さすがに遅いのかもう一度インターホンが鳴った。
「あ!」
潔高が声を上げて、ドアに振り返る。
深いため息を吐いて鍵を開けた。
「あーハイハイ、開けますって」
向こうからドアノブを引っ張ったのか、ぐぃんっと勢いよく開いた。
「きよたかく〜ん!こんにちは〜!!すぐるお兄さんだよ〜!」
どデカくてガタイの良い男がキ◯ララのエプロンを着けて、両腕を広げて待っていた。
潔高はポカンとして、まぶたをパチパチとさせる。
「お前、声デケェし驚いてんだろ…怖がらせるなよ。ハァ…今からでもベビーシッターかショーコを呼ぶぞ?」
「ベビーシッターなら分かるけれど、ヤニカスの硝子に子守りが務まるかい?すぐるお兄さんの方が良くない?いきなりクビかな?」
「つか、キ◯ララってキャラじゃねーだろ。サン◯オを着ていい見た目じゃないの分かってる?」
「可愛いと思ったんだけど…だって、幼稚園の先生ってみんな着てるし…せっかくビ◯ティッ◯スで選んだのに…」
真面目な男だから、ファンシーショップでちゃんと悩みながらキャラクターエプロンを選んだ所が頭に浮かぶ。
あまりにも似合わなくて笑えた。
「お前、形から入るんだな…」
「ふふふ、どうだい?ゆめかわいいだろ?」
「いや、ク◯ミちゃんのが似合うだろ」
「あー、実はマ◯メロと悩んだよ。可愛いだろ?」
片目をつむり、人差し指をこめかみに当てながら悩んだと言う。
「そこはどーでもいいよ。はい、僕のお友達のすぐるくんで〜す」
潔高に傑を紹介すると、ペコリとお辞儀をする。
こんにちはが出てこないのも、あまり人に会わないからだ。
「こんにちはっ、きよたかくん」
「こ、こんにちは…いらっしゃませ」
「いらっしゃませ…って可愛い〜!えらいね〜そんな事言えるのか〜」
潔高は恥ずかしくなったのか、顔を反らしてしまった。
「じゃあ、よろしくな。傑」
潔高を降ろして玄関を出ると、傑が入れ替わりに入った。
「はい、いってらっしゃい〜」
「バイバイ…」
「きよたかぁ〜…バイバイやだよ〜」
悟はしゃがむと抱きしめて「チューして!いってらっしゃいのチュー!」とせがむ。
「おいコラ、早く行きな」
傑がゴミ見るような目で見下ろしてくるけど気にしない。
潔高は悟の顔をペタペタと触ると、ほっぺに唇を添えてくれた。
触れるだけのキスだが、悟のやる気に着火するには充分だった。
「…キヨたん…僕、頑張るね」
「バイバイ、バイバイ」
そう言って小さい手をヒラヒラさせてくれる。めちゃ、可愛い。離れるの寂しいけど、いってらっしゃいしてくれるのは可愛い。
そうして会議に向かった。
潔高にチューをしてもらった、今日の僕は無敵だ。
「最強の悟くんご帰宅だぞ〜!?ただいま〜!」
無事に家に戻ると、お出迎えが傑しか来なかった。
「ハ?おい、キヨたんを出せや」
「悟…おかえり。潔高くんは今なんか元気なくて…」
「ハァ!?熱!?怪我か!?大丈夫なのかよ!」
「大丈夫だよ、ただ、その…公園行ったんだけど…」
思わず胸ぐら掴んで悟は凄んだ。
「こ、公園デビューしたのか!?僕以外のヤツと!?僕だってまだなのに!傑の馬鹿!」
「まだ公園行ってなかったのかい?いや、遊ぶならお外が良いかなって思ったんだよ。でも…あまり遊ばなかったよ」
傑から離れると、エプロンを直して部屋に戻った。
リビングの床の上に座って、潔高はテディベアを握っていた。
見るからに背中を丸め、肩は落ち、俯いている。
「…え、何?めちゃくちゃ落ち込んでるじゃん…」
買って来たお土産のケーキをテーブルに置いた。
新しいおもちゃも買って来たから、それで機嫌直してくれるといいけど…。
「潔高く〜ん…ただいま〜」
背中に声をかけるけど、無視された。
あー、ダメだ。もう聞こえませんって感じだ。
「まぁ…その、とりあえずケーキ食べようぜ?な?」
傑が準備する間、哀愁漂う背中を見つめた。
ゆでたまごの殻も剥けなかった悟が、子育てをし始めたと聞き、不安になったのは私だけじゃなかったはずだ。
頭も良いし、仕事も出来るが、イコール家事も育児も出来るとは限らない。
なんでも出来る人だと周りから思われているが、悟のゆでたまごを剥いて来たのは、悟の乳母だ。
ついでに私はぶどうの皮を剥いた事がある。情けない作業だ。
そんな悟が子供を引き取ると言い出して、不安になった。冗談だと思っていたが、3ヶ月後に聞いたら本当だった。
確かめに来たら、案外普通に暮らしている。
部屋はこまめに掃除しているし、子供が触らないように物が落ちてない。
冷蔵庫を開ければ、作り置きのおかずがタッパーに入っていた。にんじんのグラッセは小さく切ってあった。
ゆでたまごもタレに漬けてあった。
白身がボロボロになって欠けているけれど、美味しそうだった。
なんだが笑えてきた。あぁ、硝子に教えたい。
悟がゆでたまごを作れるようになったって。
キッチンのカウンターには子供用におやつもカゴも乗っていた。
中にはたまごボーロやア◯パンマ◯グミもチラッと見えた。
人って変わるんだなぁ…。
「なぁ、悟」
「ん?何?」
お茶を入れて、テーブルに持って行くとケーキを皿に乗せて、悟が潔高に振り向いた。
「なぁ、公園でケンカでもしたの?」
傑は首を振って、話し出した。
公園に行く時は楽しそうに歩いていたが、着いたら驚いていた。
『潔高くん、何から遊ぼうか』
『……』
ママー!と言う声が聞こえた。
一緒に公園の中を歩いて、子供連れのお母さん達に挨拶した。
『こんにちは』
黒髪長髪イケメンが現れて、お母さん達は華やいだ。
愛想良く笑って仲間にいれてもらったのだけど、潔高くんはお母さん達を見上げてばかりだった。
人見知りしたのか、喋らなくなって、子供達の仲には入っていけなかった。
何もせずに帰って来たけど、なんだか落ち込んでしまった。
「ハ?遊ばなかったの?」
「んー、ブランコしようって誘っても、無だったよ。家に居た時は私にも話をしてくれたのに、外に出たら、無反応でね。人見知りしたのかな」
「……ケーキ食ったら、もう一度、公園行ってみるかな」
潔高を呼んでもやっぱり無反応で、抱っこして膝に座らせ、ケーキを口元に持っていく。
「ほら、美味いよ。食べないのか?」
「………」
「悟くんが食べちゃうぞ〜」
パクリと食べて見せるも、潔高はボーっとしていた。
「悟、潔高くんの分ちゃんと残しておきなよ」
「分かってるよ。どうしたのかな…」
「ごめん、私が何かしてしまったのかもしれない。機嫌、直してくれるといいけど…」
「あー、大丈夫だろ。傑のせいじゃないよ。ちょっと難しい子なの。な?潔高」
潔高は黙って冷たいお茶を飲んでいた。
しゅんっとして、目を閉じた。