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    Xoxo after の一部だったがもうこれブとネでもなんでもねえなとなって萎えた

    クイーン・ビーの肖像(未完)「シティポリス・アシストロイド初号機のネロさんですよね」
     多分それちょっと不躾だぞ、と感じたが、指摘してやるほど俺も真っ当な教育を受けた訳ではないから、そうだけど、と答えてやる。
    「マシューといいます。はじめまして。僕、貴方の存在を知った時、絶対にお会いしたかったんです」
    「奇遇だな。俺もあんたのことは気になってた。……ハイクラス出身だって?」
     目の前の青年というには若くて、少年というには年を重ねすぎている彼に投げかけたら目をしばたたかせて呆気に取られた後、困ったように笑う。
    「まいったなあ。皆に言われるんです、それ」
    「そりゃあ気になるさ。わざわざワーキングクラスくんだりまで降りてきて——シティポリスだって? ここはフォルモーントシティ随一のレイシストたちが蔓延ってて、今だに差別語が飛び交うような場所なのに」
    「もういくつか洗礼を受けてますよ、ほら」
     彼は自身のスラックスのポケットから、支給品の端末を取り出した。なんだ? と目を凝らせば、面積も僅かなそこに『ハイクラスの期待の星!』とわざわざ印字されている。支給品だから新しい物に交換する事も可能だろうが、まあ大騒ぎする程の悪戯でもない。だから余計に質が悪いんだろうけど。
    「ハイクラスなら一発で罰金ものです」
    「いや、ここだって訴えればそうさ。そこまでする人間が少ないだけで」
    「手間と尊厳を秤にかけて、軽い方がそちらだなんて僕には信じられませんけどね」
     けろっとそう貶してみせるマシューに、今度は俺が目をしばたたかせる番だった。結構肝が据わっているらしい。これなら案外長続きするかもな、と思った。
     マシュー・グレイ。
     イエロー・カラーのサングラスがトレードマークの彼は、この春に新しくフォルモーント・シティポリスへと配属された専属のメカニックだ。
    「相棒に挨拶しても?」
    「もちろん。ヒール、シャイロック」
     マシューのコマンドに、後ろで静かに控えていたイタリアン・グレイハウンド・モデルの犬型バイオロイドが一歩前に出てきて、またおりこうにちょこんと彼の足元に座る。くりっとした瞳のカラーは、ブラックコーヒーにミルクを垂らした後の、混ざりきる前の様相に似ている。そのように絶妙なレイヤー構造のため、光が当たる度にブラックとブラウンの間を何度も行き来していた。そんな瞳で見上げながら、くい、と首を横に傾げる様が何とも愛おしい。
     そう、彼はシティポリスをサポートしている、ペットロイド型シティポリスを管理するメカニックのひとりだった。そのような人材は、通称としてブリーダーと呼ばれている。
     屈み込んで、シャイロックと名付けられた小型犬サイズのバイオロイドと視線を合わす。くりくりとした瞳は涙で潤んでいるように見えるが、それはマシューたちブリーダーのたちの技術がなすものなのだ。
     身体に触れてみると、グレイハウンド系特有の、フロッキー加工を思わせる短いグレーの毛が植えられている。撫でてみても、生きている犬となんら遜色なく感じられた。プログラムに則ってうっとり目を細めて見せるところなんかも、よくできている。
    「かわいい」
    「それに優秀ですよ」
    「この前、ディッシャーをひとり、検挙したってな」
    「ええ。シャイロックは僕の最高傑作です」
     ディッシャーというのは、アイス——所謂ドラッグを捌く密売人を指す隠語だ。
     ペットロイド型シティポリスの性能は、小型ゆえの機動性を活かして逃走犯を生け捕りにするような、かつての警察犬の働きのみに限らなくなっていた。愛玩動物の見た目ゆえの警戒されにくさから犯人に接近して、油断した相手を捕らえるような動きも出来る。これはまだ新しく取り入れられたばかりの捜査法で、まだ住民からの認知は薄い。そのため、近頃の彼らはめざましい成果をあげていた。俺も同じシティポリス・アシストロイドの立場として、うかうかしてはいられないのだ。
    「シャイロックって、あんた、ありきたりじゃないか?」
    「シャイロックシリーズ、良いじゃないですか。僕、大好きなんですよ」
     マシューは色付きサングラスの向こうにある眦をきゅっ、と細めて、子供みたいに笑った。
    映画『シャイロック』シリーズの展開は目まぐるしい。一作目はハードボイルド調の探偵ものだったにも関わらず、最新作では社会を裏から牛耳る巨悪を倒す、いわゆる勧善懲悪ものに変わり果てていた。俺にはもうついていけない。
    「案外、ガキっぽいんだな」
    「あなたに比べれば、人間など皆、子供でしょう?」
     マシューの切り返しは鋭い。結構デリケートなところ踏み込むじゃん。そう答えてやろうかな、とか考えていたら、目の前のシャイロックがぺろり、と俺の頬を舐めた。バイオロイドに唾液の概念はないので(俺もそう)、水気はなく、滑らかなゴムみたいな触感を覚える。
    「うわあ。なんだお前、可愛いことして」
    「対象を二十秒ほどカメラで捉えた時に確率で起こる行動です」
     マシューはあっけらかんと言い放つので、味気のないやつ、と思った。シャイロックはバイオロイドだとわかっているが、こんなにも可愛らしい仕草を見せてくれたのだから、水を差さないでほしい、だなんて、口にはしないけれど。
    「ブリーダーってのはすごいな」
    「というと?」
    「……本当に生きてるみたいだ」
     意趣返しとはいえ、ちょっとやりすぎたかもしれないと思ったから、マシューの顔を見上げることが出来なかった。どこか間を繋ぐように、シャイロックの首の辺りを撫で擦る。シャイロックはまた、うっとりと目を細めた。その様子は、まるで互いにコミュニケーションという事象が発生しているかのように錯覚させる。ただ、与えられた刺激に対して、シャイロックは反応を返しているだけだというのに。この一方的なコンタクトには覚えがあった。そう感じてしまえば、頼んでもいないのに、CPUがフラッシュバックを真似て、かつてのメモリをいくつか引き摺り出す。ヘスペリデスと呼ばれたひとつの坩堝、傀儡でしかないセクサロイド、ナイト・シフト……。
     ぐっ、と喉から胸にかけて、何かが詰まったような感触を覚える。不快度指数のバロメータが上昇するが、システム系統は至ってオールグリーン。この反応も、バイオロイドに本来必要ない、人間の感情から生まれる錯覚、生理的な衝動を真似たものの一つにしかすぎない。などと、理知的に分析できたところで、現在の問題を解決できるわけもなかった。カルディア・システムという心と同義なるものを仕込まれた身体である以上。
    心理的嫌悪感によって何かを口にすることもできず、場には嫌な沈黙がはしる。だがそれは、意外にもマシューによって打ち破られた。
    「あなたは確かに生きていると定義できるでしょう——ネロ・ターナー」
     頭上から落とされるマシューの声は、『シャイロック』シリーズではしゃいでいた時のものとは全く異なっている。冷たくて、どこか硬い。昔ながらの機械の案内音声を思わせるほどだ。
    「でも、シャイロックは違います。生きてはいません。道徳的観点、社会倫理等々はさておき、製造者の僕としては、そう考えています」
    「……あんたの中では、俺とシャイロックに明確な違いがあるってことだ」
     マシューを見上げてみる。すると、一緒になってシャイロックも上を向いた。
     奴からは、俺とシャイロック、ふたつの個体が捉えられるだろう。大きな括りでは、そのふたつの個体は同一である。鋼の身体と人為的に作られたプログラムで構成されている。そのはずなのに、マシューはきっぱりと真ん中に線を設けた。設けることができた。一体なぜだろう?
    「シャイロックには、思考の連続性はほとんど許可していません」
     マシューが俺に向かって手を差し伸べてくる。迷わずそれを取れば、ぐい、と引っ張り上げられた。そして、俺は真正面にマシューの顔を捉える。イエロー・サングラスの向こうの瞳の色は、伺えない。
    「今、ネロさんは手を差し伸べられて、どう思いました?」
    「どうって、そりゃ……」
    「ああ。答えていただかなくて、大丈夫。何かを思ったという事実が大事なんです」
     ——不可解だとか、あるいは、不愉快だとか、僕が起こしたアクションに対して、イエスとかノー以上の返答がありましたか。その返答に紐づけて、その他の思考を展開しましたか。
     マシューはほとんど捲し立てるように続けた。俺はその間も、その後にマシューが一息ついても、何も答えなかった。答えなくても、マシューはきっと俺以上に俺のことに詳しいだろうとわかっていたからだ。なぜならば、マシューの言う思考の連続性、それを可能としているプログラムこそがカルディア・システムであり、システムエンジニアとして働く彼が知らないはずもない。
    「思考の連続性というのは、考察であり、果ては、妄想のようなものでもあります。事象に対して、何を結びつけるかは、その人ひとの個性といった側面が強く反映されますよね。個性というのは、人格と呼べるものに内包されていると僕は考えています。個々体としての意識があり、かつ、人格が確立されている。自分だけの独自の思考回路を持ち、自己決定権がある……それは確かに生きている、と言えるのではないでしょうか」
     そこでマシューは伏目がちになる。視線の先には、彼が作り上げた優秀な犬型バイオロイドがいる。眼とカメラがかち合えば、シャイロックは小首を傾げた。そこでようやく気付く。カメラが対象を認識したときに確率で起こる行動――可愛らしい仕草だけど、これもただのプログラムに則った本質的には意味のない動きでしかないことに。では、なぜそうさせているかといえば、よりリアルに感じられるからだ。観測する側の人間にとって……。
    「だから、シャイロックは生きてはいません」
    マシューはもう一度、強く言い放った。その言葉の鋭利さはどこか薄情じみているのに、シャイロックに向ける視線はどこまでも優しくて、慈しみがこもっているのがありありとわかる。そんな二律背反な彼の様子に、今度は俺が首を傾げたくなった。
    「……すみません」
    「なんで謝るんだよ」
    「デリカシーに欠けていたのは、わかっているんです。冷静さを失っていることも」
     彼の視線が再び俺に注がれる。そこに含まれる意味の全てを理解することは、とてもじゃないができない。なんて考えた時に、これが連続性か、とふと思う。
     俺が優秀なセクサロイドでしかなかった時は、起こった事象だけが重要で、なぜそれが発生したのかなど、考察したことはなかった。考えても意味のないことだからだ。心ないアシストロイドに必要だったのは、人間のホスピタリティ向上のために、事実に対してどう対処すべきかを演算する能力のみ。そうだ、俺はその性質を良く知っている。
    「冷静じゃないのか?」
    「ええ、そうですね。やはり、とても冷静では、いられなくて……」
    「どうした。大丈夫かよ?」
     だけど俺はもう、かつてのようなセクサロイドのネリーじゃない。同僚のパニックを解決してやる必要性はないし、むしろ出来たばかりのアシストロイド人権保護法を盾に、モラル違反だとマシューを顧問弁護士に突き出すこともできる。手間と尊厳を秤にかけることが許されている。
     だが、『ネロ』というプログラムは、『ネロ』という個体の性格は、案外、面倒見が良い。そもそも怒っちゃいないし、彼が初対面の俺にここまで感情をあらわにした事には何か意味があるはずだ、という結論まで、いつのまにやら俺は思考を連続させているのだった。
     肩に触れようと伸ばした手に、マシューは僅かに怯えた。すっ、とほんの少しだけ引かれた身体は、拒絶の意を示している。その様子に、カルディア・システムがなにがしかの感情の解を導く前に、マシューの顔がさあっ、と青くなった。それは、見ているこちらがむしろ申し訳なるくらいに、気の毒に思えた。
    「僕は……」
     俺の思考など知る良しもないマシューの唇が震えて、言葉が転がり落ちてくる。震えていて、荒い息まじりのそれには、俺からは計り知れないほどの感情が滲んでいることだけが、わかった。
     マシューの瞳はぶるぶると揺れていたけど、俺の瞳を真っ直ぐに、本当に真っ直ぐに、見つめている。恐怖と、それに立ち向かう実直さが入り混じる、複雑な視線だった。
    「僕は、アシストロイド依存症患者です」
     アシストロイド依存症。
     フォルモーント・シティで最も懸念されている現代病。
     ユートピア化が進み、コミュニケーションにおけるストレスをすらも消し去ろうとして生まれた、市民のためのバイオロイド。それがアシストロイドだ。確かに、人の幸福を願って生まれた種族だったのだ。それなのに、今や、アシストロイドの存在は人を病的にさせ、正常さを失わせる。今日びハイクラスの四割がアシストロイド依存層の気があるという。そして、そこの生まれのマシューも違わず罹患していたということらしい。
     マシューの瞳はまだ強い眼差しを向けている。俺がアシストロイドだから、向けることができているのだ。人間であれば、向き合うこともできずに、感情の全てが抑圧されてしまって、こうはいかないのだろう。そうだ。彼はなにかを発露しようとしている。
    「……僕が依存していたアシストロイドは、あなたと同じ型番、NZR‐AB‐ZNGV‐十三のG型モデル、シリアルナンバー五十二番……」
     振り絞って無理やりこぼしたようなマシューの言葉に、俺すらもはっと息を呑んだ。いくらか解消されたはずの、胸が詰まったような不快感が再びせり上がってくる。だって、そのシリアルナンバーには覚えがあった。連動するように、またずるりと音を立てるみたいにして、CPUの底から這い上がってくるメモリがある……。
     うねる金の髪。純白のドレス。蜂蜜を連想させる、どろりとした甘い声。天使と熱狂のふたつの意味を合わせ持つその名は——。
    「セラフィナと命名された、女性型アシストロイドです」







     午後のカフェテリアにはほとんど人がいない。
     夜勤明けの俺みたいなのや、息抜きに研究室から這い出てきたエンジニアたちがちらほら見受けられるだけだった。
     カウンターで、バリスタのアランにカフェオレをひとつだけお願いする。少し甘めにしてやってくれ、と頼めば、浮気か? と軽口を叩かれた。
    「甘めなんてボスの趣味じゃない」
    「うるせえな。今日は新米とミーティングなんだよ」
    「ハイクラスの新星だろ? 流石ネロ。手が早いな」
    「ここはワーキング・ボトムか?」
     カフェテリアの窓際の席に腰掛けてぼうっ、とガラスの向こうの中庭を見つめているマシューの姿を、俺の肩越しに見ながらアランが言う。こんな会話はハイクラスでは考えられない下世話さだろう。まさにワーキング・ボトムを思わせる——ハイクラスの高尚な倫理観についていけない市民階級の底——で交わされるようなやりとりだった。
     アランが淹れた安っぽいカフェオレを手に、マシューの元へ戻る。だが、近寄ってもマシューはまだぼうっとしていた。手だけは膝に乗せたシャイロックを柔らかく撫ぜている。
    「ほらよ」
    「あ……ありがとうございます」
    「俺に気にせず飲みな」
    「すみません……」
     アシストロイド・オーエンの大脱走から、署内で俺の正体を知らないやつはいない。だけど、同僚なんかとまとまっている時に、カフェでひとりだけ飲み物を口にしなかったりすると、妙な空気が流れることがある。そうしたシュチュエーションなんかは気を利かせてやるのだが、アシストロイド依存症であるマシューの前では、人間じみた真似をする方がかえって良くないかと思った。その気配りが正しかったのかどうかはわからない。マシューは無表情のままにカフェオレをひとくち飲むもんだから、答え合わせもなにもなかった。
    「午後の勤務は良いのか?」
    「さっき有給の申請をしました。承認も降りたので、平気です」
     マシューはへらっとした、軽い笑みを作る。それがむしろ痛々しくみえる。本人も自覚しているのか、すぐに表情が強張っていくのだった。テーブルに隠れて手元は伺えないが、どうかしたのかと見上げるようなアクションを起こしたシャイロックを見ると、撫でるのすらやめてしまったんだろうな、と思った。
    「退勤後に本当に、すみません」
    「いいって。気にすんなよ。どうせ、連れを待たなきゃいけなかったんだ」
     その言葉を受けて、多少は罪悪感が薄まったのか、マシューはようやく落ち着いてきた。そして、カフェオレをちびちび口に含みながら、また話し出す。
    「ここに勤めるのだと決まってから、何度もあなたとコンタクトを取ろうと思ったのだけれど、なかなか、うまくいかなくて。だけど妙なタイミングで、覚悟が決まることってありますよね」
    「ああ。なんとなくわかるよ。本当に不意に来るんだよな、そういうのは」
     なんてことはない。マシューにとって、運命の日が今日だった。たったそれだけの話だった。そして、俺にとっても。
     セラフィナ。
     その名を忘れることはない。
     かつて、共にセクサロイドとして活動させられていた自分の同型モデル。そして、狂った老人の思想を反映させられていた。その願いのとおりに、自死を選択し、実行した個体。そして彼女は文字通り、死に絶えた。『セラフィナ』として活動していた頃のメモリは、彼女自身の手で完全に破壊され、たとえボディを似せてもう一度造られたとも、もう『セラフィナ』が蘇ることはない。当然の摂理だ。
    「パーフェクト・アシストロイドのオーエン。彼が脱走したことで、フォルモーント・ラボラトリーのやっていたことが詳らかになりましたよね。そして、彼らは謝罪とともにかつて秘匿していたデータをいくつも公表しました。あなたも、ご存知の通り」
    「……『ヘスペリデス事件』の伏せられていた詳細も、そこで全部、報道されたんだったな」
     『ヘスペリデス事件』は、アシストロイド犯罪がどれだけ頻発しようとも市民に報道されなかった中で、唯一、報道された大規模犯罪だった。だが、ニュースキャスターが口ずさんだのはほんの上澄みのみで、詳しい内容が世間に出回ることはなかったのだった。
    「ええ。損害リストの中に、彼女の名を見るとは、まさか思ってもみなかった」
    「……」
     マシューの声が、ぶるり、震えている。
     どこか引き攣れていて、少しでも気を抜けば、言葉を紡ぐことが出来なくなるだろう。それは本人が一番わかっていることで、息を少しずつ唇の端から漏らしながら、どうにかこうにか音を乗せて、話し続ける。
    「そこで、あなたの名前を初めて見た。唯一のサバイバー、ネロ・ターナー」
     マシューが伏せがちだった頭を上げ、俺の顔を真正面に見てくる。視線がじりっ、となんらかの熱を持ち、俺を灼くようだっだ。持て余してる怒りとか、困惑とか、悲しみとか、たぶん、そういうところだろう。
    「僕はどうしたって、あなたから彼女の話を聞きたい」
     たとえこの先何があろうとも、俺は『ヘスペリデス』に在籍したアシストロイドたちに関するメモリを消去することはないだろう。それがかつて『ネリー』だった個体にとって、そして、『ネロ』という存在にとっての使命だと信じている。
     だから、マシューにセラフィナ——そして『サラ』の全てを語るのは、あまりにもたやすいことだった。劣化することのないメモリーに記録されたなにもかもを詳らかに読み上げれば、それで事は済むのだから。
    「……その前に、お前の話を聞かせろよ」
    「え……?」
    「セラフィナは、俺と性質が近しい性格付けをされていた。同僚で、いちばんの親友って設定だった。もちろん、バイオロイドよろしく、あんたの命令に従って、ぜんぶ話してやるのは簡単さ。だけど、『ネロ』はそれをしたくない。そう結論付けた。ここまで言えば、わかるか?」
     マシューははっ、とした様子を見せる。
     俺はセラフィナとのメモリーを、思い出と形容したい。二人だけの秘密にしたい事もあれば、語りながらにかつての時間を反芻して浸りたい気持ちもある。もう失われてしまったからこそ、すべて大切だった。
     俺はまだ、セラフィナとマシューの関係のことを何も知らない。なればこそ、『ネロ』が大切にしたい思い出を話してやるべきか否か、判断することはできなかった。
     するとたちまち、頭の片隅で、セラフィナの「ネロのそんな義理堅いところが好きよ」という声が甦る——幻聴、或いは、願望。俺はこの選択を、セラフィナに肯定されたかった。
    「……あなたは怒るかも」
    「それは、聞かなきゃわからない」
    「そうですよね……そうなんです。言わなくちゃわからないし、聞かなくちゃわからない。でも僕は、それが嫌だった。言わなくても全部、わかって欲しかった。僕が言葉にすらできなかったわずらわしさも、全部わかってほしかった……」
     ——セラフィナは、父が僕に与えた乳母でした。
     マシューはそう切り出して、たどたどしく繋げた。
     ハイクラスで生まれたマシューには、物心ついた時から実母は存在せず、研究者の父は多忙だった。しかしながら父は、マシューと適切なコミュニケーションはおろか、新しい母を何人も連れてきたという。だが、父は女に母を求めず、また、女たちも父を資産家の男として見ていた。取り残されたマシューは誰からも見向きもされなかった。
     そのようにして幼少期を過ごしたマシューは、その後、ジュニアスクールへ通うことになった。だが、コミュニケーション不足が原因となって、社会性が碌に身に付かなかったためにスクールに馴染めず、そのうち部屋に引きこもりがちになった。
    「そこで体裁と、なんらかの義務感から、父はシッター代わりに僕にアシストロイドを与えました。それが、セラフィナです」
     俺は驚きで目を見張った。
     『ヘスペリデス』のアシストロイドたちのほとんどは、支配人であったダイナーが闇ルートで仕入れたもの、もしくは、『ヘスペリデス』の客たちから寄贈されたものだ。アシストロイドに偏執的だったダイナーはどんなアシストロイドも受け入れたので、違法アシストロイドの処分に困った者たちがこぞって持ち寄っていたのを覚えている。
     とはいえ、シッターとは。
     俺が知っているセラフィナはダウナー傾向で、すべてにおいて気怠そうな女だったので、シッターなどという姿とは程遠い位置にあった。
    「セラフィナは父が造ったアシストロイドでした」
    「造ったって、もしかして」
    「ええ、父はエンジニアです。かつて多くのアシストロイドを製作していましたよ」
    「かつてっていうと……」
    「セラフィナは『ヘスペリデス』に寄贈されたんです……わかるでしょう? 父はあそこの顧客だったんですよ。今は違法取引の疑い有りで、勾留中の身です」
     マシューは忌々しそうに顔を歪めながら、どうにか笑みを浮かべている。その相反する表情には、肉親に対する、複雑に混線したマシューの感情がありありと浮かんでいるように思えた。
    「セラフィナは、優秀でした」
    「ふうん」
     嫌な言い回しだ、と感じたが、マシューは未だに苦々しい顔つきをやめないので、これは自戒なのだ、と思った。彼女は機械だった、自分は人間だった。その線引きをはっきりとつけることで、なんらかのけじめを自分に強いているのだと思った。
    「僕は、あのゆるいウェーブを描く金髪を梳いてやるのが好きでした。部屋から一歩も出ることのできない僕に与えられた、唯一の仕事だったといっても過言ではありません。その程度のことにも、セラフィナはいつもありがとう、と言ってくれました。そうすることで、怠惰な自分を恥じいる僕の心を、少しでも癒やそうと考えていたのだと思います」
     俺も、セラフィナのゆるやかにうねった金の髪を想起する。そういえば、『ヘスペリデス』でセラフィナが髪に櫛を通しているところを見たことがない。興味半分で何故だ? と問うたことがある。そうだ、そんな事が確かにあった。
    「後で知った事ですが、父は幼少期、僕の部屋に取り付けてあったベビー・モニターから性格を分析して、セラフィナを造ったらしいです。肉親としてではなくて、研究者の眼を通すことで僕を完全に理解するなんて、皮肉ですね」
    「……セラフィナとは、どれくらい一緒に?」
    「十二年です。六つの時にセラフィナと出会い、僕はその間、自室から出たことはありません」
     俺はくらくらした。
     アシストロイド依存症患者の問題は、本当に根深い。かつては引きこもりになると、社会から断絶され、おおよそ、彼らを扶養する肉親のみが繋がりとなっていたが、アシストロイドはコミュニケーションのみならず、メディカルチェックなども備わっている。ニュース、音楽、読書に教育……そのようなコンテンツも、アプリケーションとしてネットワークから落としてくる事も容易い。
     アシストロイドが一体あれば、マシューのように、父親がほとんどネグレクトを行ったとて、死にもしなければ、精神病にも罹らない。機械と自分のみで世界を完結させ、生存することが可能だった。人間にとって、サポートに特化したアシストロイドの存在は、あまりにも完璧だった。
     そんなアシストロイドの、唯一の弊害が。
    「やがて僕は十八になり、成人となりました。流石に、父もそこが一つの区切りと考えたのでしょう。ロックもせずに自室に踏み込んできました」
    「……まさか」
    「ええ。僕は知らぬうちに、すっかりアシストロイド依存症に罹患していて、父を拒絶しました——精神的にも、肉体的にも」
     マシューはもう、顔面蒼白といった具合だった。それでもなんとか言葉を紡ごうとして、震える唇から無理やりに単語を落とし続ける。
     自分の叫び声、飛び散る血と歯、じんじん痺れる拳、人の肌のぬるさ、喉の奥から迫り上がってくる酸っぱいもの……——。
    「もういい!」
     思わず、声を張り上げた。マシューの肩がびくっ、と大きく震え、身体が強張る。落ち着いて、と今度は努めて優しく呼び掛ければ、まるで石膏像のようになっていた身体から力が抜けていった。
    「ぼ、ぼくは、本当に幸せだったんです。十二年間、本当に幸せだった。セラフィナも、そう感じていると信じてやまなかった……だから、だから……」
    「いいんだ、いいんだって。もう充分だ」
    「いいえ。いいえ、ネロ・ターナー。聞いてください、あなたに聞いて欲しい。お願いします……」


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    Replies from the creator

    Runagr

    PROGRESS0919に出す予定(だった)ブラネロ本の進捗で……
    ・オリキャラ、約束の独自解釈
    ・全部終わった後という捏造
    ・なんかもう付き合ってるっぽい
    みたいなところにご注意ください
    マーベリックの恋人たち(仮)「これはネロに」
     賢者さんがこちらの世界に持ち込めたものは少ない。
     帰路に着いていたところを急に連れてこられたというのだから、仕方のないことではあったが。
    「確か、知人の結婚式の時に使ったんですよ……あ、ちゃんと洗いましたから」
    「……まだ何も言ってないよ」
    「口下手なネロの代わりに」
     賢者さんが唯一この世界に持ってこられたのは手にしていた鞄一つだけだった。その底に眠っていたのだという割には皴一つない、きれいに四隅がぴったりと折りたたまれた白のハンカチーフを急に俺へと差し出したのだった。窓の外の昼下がりの柔らかい光をつやりと反射する生地は、おそらく絹で織られているんだろう。
     俺の性分を良く知るだろう賢者さんが突然そんなものを渡してきたことに、当然、困惑してしまった。そのまま受け取ってしまうのも、やんわりと断ることも、どちらも正解ではないような気がした。俺はただ、現実逃避のように、不躾にもそのハンカチーフの価値を見定めることに躍起になってしまう――。
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