当たり前を噛み締めていつもは顔を見た途端に対戦を申し込んでくる南沢が、樫尾と目が合っても何も言わずに去ってしまったのが引っかかった。
別に寂しかったわけではなく、らしくないと思ったから樫尾から声をかけたのだが、南沢は「あー、ごめんなー、今日はそんな気分じゃないんだわ」と断ってきたのだ。
違和感を覚えたのは樫尾だけではなく、徐々に周りから「今日の南沢、元気なくない?」と言う声が聞こえてきて、樫尾はようやく心配になる。
樫尾はもう一度南沢に声をかけてみた。
「あの……体調悪いんじゃないんですか?」
「え? いや、元気だよ? あ、オレが対戦したい気分じゃないって言ったから、気にしてくれたんだ。でも、だいじょーぶだから!」
大丈夫、という南沢は明らかに空元気だった。
引っかかりはするが、本人がそう言うのだから……と樫尾はそれ以上追求しなかった。
だが南沢のことだから明日にはまた元気になっているだろうと思っていたのだが、南沢は依然元気がないままだ。
樫尾は再び南沢へと「元気がないようですが、何が悩みごとがあるんじゃないですか?」と話しかけた。
だが南沢は「え、そう? 眠たいだけだよ、気のせいだって!」と誤魔化そうとする。
元来嘘の吐けない性質なのか、樫尾にはそれが嘘だとすぐにわかった。
しかし学校も違う、学年も違う南沢に自分が関わる範囲など知れていて、「そうですか……何かあったら相談してくださいね」と言うのが精一杯だった。
南沢は「ありがと!」と屈託ない笑顔で樫尾を見送る。
樫尾は考えた末、王子に相談してみた。
察しのいい王子は「カイくんのことなら生駒隊に聞いた方が早いね。聞いてみようか?」とすぐ部屋を出て近くにいた水上を捕まえていた。
「カイ? ああ、そういや元気ないな。いや、俺らもわからん。元気ないんはわかっとるんやけどあいつ珍しく聞いてもなんも言わんのよな」
水上の答えを受けて王子は「じゃあ、言いたくない悩みなんだね。同級生には話してるってこと、ない?」と尋ねる。
水上は「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。本人がそっとして欲しいって思ってんやったらそっとしとくんが一番や」と答える。
「わかった、ありがとう」と王子は水上から離れる。
始終その様子を見ていた樫尾は期待しないまでも一応「わかりましたか?」と尋ねた。
「生駒隊が何もしていないなら、そこまで問題は感じないんだけど。みずかみんぐが嘘を吐いているようには感じないしね。誰もが通る、思春期の悩みかもしれないし」
「例えば?」
「そうだねぇ……友達と喧嘩したとか、恋愛の悩みとか?」
「ま、まさか……!」
「そうだね。わからないよね。ま、やっぱり本人に聞くのが1番てっとり早いんじゃないかな? カシオは、カイくんに遠慮してるんだろ? カイくんはカシオに遠慮なんかしてないんだから、偶には遠慮せずに土足でカイくんのデリケートな部分に上がり込んだらどうだい?」
「土足で、ですか?」
樫尾は王子の言葉に思わず苦笑してしまった。
王子のおかげで決心がついた樫尾は、南沢のもとへ行く。
「南沢先輩、やっぱり何が悩みごとがあるんじゃないですか? おれが聞いてあげますよ」
深刻な様子は見せずむしろにこにことして堂々と南沢にそう言ったら彼は少し驚いていたが、「あ、いや、もう終わったことだから……」と言いつつ、樫尾を見て「……ま、オレもモヤモヤしてたところはあったからさ、聞いて貰った方が楽かなー」とようやく彼らしく笑った。
宜しければどうぞ、と樫尾が差し出したペットボトルのサイダーの片方を南沢は「サンキュ」と受け取り、プシュッと蓋を開けて少し口をつける。
だがすぐに蓋をして、樫尾の方を見つめた。
「オレさぁ、仲良かった女子に告白されたんだよね。オレは友達として好きだったから、振ったんだけどまた友達として一緒にいてよって言ったら“あんたバカじゃないの? そういう思わせぶりなこと言うのやめてよ”って言われてさぁ……」
南沢は珍しく、きゅ、と眉間に皺を寄せてそこで黙ってしまった。
「……オレさ、今さらだけど自分勝手で、自分が楽しくなることばっか考えてて、彼女がオレのこと好きだってことに気づけなかった。そんな気持ちなんかなくっても、また元に戻れるだろうって勝手に、自分が都合いいように思ってた。多分、めちゃくちゃ悩んでたんだろうな、めちゃくちゃ傷ついたんだろうなって、後から思って……もうやっちゃったことは仕方ないけどさ、でも……でも、今、めちゃくちゃ落ち込んで、立ち直れねーんだよ。オレが傷ついたわけでもないのにね」
南沢は真っ直ぐ、樫尾を見る。
「……カシオ」
「……なんですか?」
「人を好きになるってさ、ハッピーな気分になるだけじゃなく……すっげー痛いんだな、心が。オレ、知らなかったよ」
「……そうですか」
樫尾はなんの慰めの言葉も出なかった。
南沢はふっと笑い、「なんだよ、慰めねーのかよ」とぱしっと叩いて冗談っぽく振る舞った。
樫尾はなぜか、心が締め付けられるように苦しくなった。
慰めの言葉も、同情する心も、何も湧いてこない。
ただ気落ちするかのような衝撃がいつまでも胸に居座っている。
南沢と別れて、樫尾は南沢のことはもう、心配していなかった。
自分でも、どうして、と思う。
どうして、自分勝手な思いが生まれてくるのか。
落ち込んだ南沢を思い返し、樫尾は、「今も南沢先輩の頭の中を、彼女が占めているのだろうか」と考えていた。
樫尾を見ると何が嬉しいのかわからないが、すぐに駆けつけてきて「ランク戦しようぜ!」と絶対声をかけてくる南沢。
だが南沢の頭の中に「彼女」が現れてから、樫尾が誘っても、南沢はちっとも嬉しそうじゃなくなった。
早く、元気になって欲しい。
心から願うが、それは南沢のために思っているわけではない。
自分が不快だからだ。
ひとりのためだけに悩む南沢を見たくない。
モヤモヤする。
他の誰かが、南沢の心を占めていることが面白くない。
そこまで考えて、樫尾ははっとした。
自分は嫉妬しているのか?
わからない。
わからないけれどやっぱり面白くないし不快だ。
気がつけば別の日に南沢を見かけて、その腕を引き止めるように思い切り掴んでしまっていた。
「うおっ?! なんだ?! って、カシオか〜! なんだよ??」
南沢はびっくりした様子でこちらを見ており、樫尾自身も考えなしの行動に自分で驚いていた。
「……いや、あの……おれと、ランク戦しませんか?」
「あ〜……まだ、そんな気分になれないんだよ……ごめんな……」
「その気持ち、おれとランク戦したら、忘れますか?」
樫尾の言葉に南沢は目を見開いていたが、すぐに戸惑ったように頭を掻いた。
「……気持ちは嬉しいけどさ……」
「1秒でも早く、忘れてください」
「え?」
「彼女のこと、頭の中から消してください。南沢先輩のは頭の中、おれとのランク戦のことでいっぱいにしてください」
いつになく真剣な表情で、気圧されるように言われて、南沢は「う、うん……」と思わず頷いてしまった。
「じゃ、とっとと始めましょう」
とひとりさっさとブースに入っていく樫尾の後ろ姿を唖然と眺め、なんだ……今の……って考えながらも、南沢は珍しく頭を抱えた。
人を好きになるって……どうっしようもないな、と。
傷つけた人間のことを想い反省するのがせめてもの償いなのに、好きな人の珍しい態度と言葉を聞けただけで心が舞い上ってしまう。
「わかった、カシオ! 後悔すんなよ!」
それから南沢はうきうきした気持ちで、ブースの中へと入っていった。