あいつとの出会いは突然だった。
「おい、大丈夫か?」
「はい?」
ふらふらとした足取りで靴も履かずに身体に付箋を貼っつけて歩いていた女性に声をかけたのがきっかけだ。
「おま・・・え?なにやってんだこんなところで」
「誰?」
その女性いや青年は俺の顔を見るなりそう言った。髪は一応纏められているがボサボサでとかしてないように思えるし、不健康そうな印象を受ける。服装もシャツサスペンダー付きのズボンというラフすぎる格好である。
「何してんだよ」
「出かけたくなって出かけたけど、靴履くの忘れた」
「阿呆か!?」
「だって家にいたって何も始まんないし」
「そういう問題じゃねえよ!」
俺は思わず突っ込みを入れてしまった。この男どうにも頭が弱いようだ。しかし、なんだろうか。こいつはどこか放って置けないような感じがする。そんな雰囲気を持った奴だった。
「で、ここどこですか?」
「東京都渋谷区のって住所分かるか?」
身体に付いている付箋を剥がして俺に見せてきた。
「住所は分かるけど場所忘れた」
「本末転倒じゃねーか!!」
またもや突っ込んでしまった。駄目だこいつと話しているとツッコミしか出てこない気がしてきた。
「いいからお前の家に案内しろ、地図とか使って」
「スマホも忘れた」
「ダメだこりゃ」
俺はガックシと肩を落とした。しかし、このままここにいても仕方がないと思い、とりあえずこいつの家に連れて行くことにした。そして、こいつが住んでいるマンションへと辿り着いたのだが・・・
「お兄ちゃん!出掛けるときはどこへ行くかメモを書いて自分の家の場所を最低限覚えてスマホを持ったのを確認してから行くようにってあれほど言ってるよね!!」
いきなり玄関を開けた瞬間にこれである。こいつに妹がいるなんて聞いてないぞ。
「あ、ごめんなさい」
「もう・・・あとメモのために付箋使うのはいいけど身体に貼るのはやめてよ!変な人みたいに見えるじゃん!」
「でも、こうすればどこにいるのかわかるじゃないか」
「だからってさぁ・・・もうちょっとマシなこと考えようよ」
なんか言い合いが始まってしまった。これは止めないとまずいパターンだろう。
「あの・・・」
「何!」
「いや、あんまり大声出すと近所迷惑になるんじゃ」
「あっ・・・すみません」
「こちらこそうちの兄が申し訳ありません」
お互い頭を下げて謝罪をする。しかし、まだ妹の方は何か言いたいことがあるようで口を開いた。
「ところであなたは?」
「俺はただの警察官だ。お兄さんが一人で出歩いているところを見かけたので保護しようと思いまして」
「警察の方でしたか。お勤めご苦労様です」
再び彼女は頭を下げる。それに合わせて俺もも頭を下げる。
「少し気になることがあるのだが・・・」
妹の方に兄のことを詳しく聞いた。
「記憶喪失?スクランブル交差点の事故の?」
「はい。バイクに乗っていたときに車と衝突して、一応意識はあったんですが・・・」
「自分に関わる記憶がないということか」
話を聞く限りだとこの男は相当抜けているようだ。しかし、何故だろう。俺はこいつのことが嫌いになれなかった。ふわふわしていて夢をを見ているような感じで何かを探して彷徨っているようなそんな感覚を覚えるのだ。
なあ、一つだけ聞きたいんだけどいいか?」
「はい?」
「お前にとって一番大事なものはなんだ?」
「僕にとっての一番大事なもの・・・それはわかりません」
「わからない?」
「はい。だけどこれだけは」
彼の手元には家族写真があった。
「父と母は既に亡くなっていて、僕にはその記憶がありません」
「そうか」
両親が既に亡くなっており、その上自分の記憶が無いという状態で生きていくというのは相当な覚悟が必要だ。
「なあ、また来てもいいか?」
「えっ?」
「いや、これも何かの縁だ」
「縁?」
「じゃ、また来るから」
「あの、名前」
「・・・KKだ」
「ありがとうございます、また来てください」
「ああ」
これが俺とあいつとの出会いだった。
****
KKが言った通りだった。
「道に迷いまして」
ボサボサの髪の毛にシャツとサスペンダー付きのズボン。足元はミュールを履いているが、一番気になるのは。両腕にびっしりとマジックで書かれたメモ書きだ。出かける前、アジトでKKが話していたことだった。
「記憶喪失?」
「ああ、交通事故に遭って意識を取り戻したら自分がどういう人間かを忘れていた。あの時は出かけたくなったから出かけたって言ってたが靴も履かずに身体に付箋貼っつけて出歩いていたところを俺が見つけた」
「えぇ・・・何それ怖い」
「忘れないようにメモ書きしていたが、住所は覚えていても場所を忘れて帰れなくなっていたから家に送ってやったんだ。で、あいつは妹にこっぴどく怒られてた」
「御愁傷様」
先日のことだったから特に気にしてはいなかったけどまさか自分が遭遇するとは思わなかった。
「家でる前にちゃんと、どこ行くかメモを残して家の場所覚えたはずなのに、帰れなくなって」
青年はぽつぽつと話していた。腕を見ると自宅のものと思われる住所がマジックで書いてあった。
「あなた、KKに会ったよね?」
「KK・・・あ~、あの時の刑事さんの知り合い?」
「知り合いというか仕事仲間みたいな」
「なるほど」
とりあえず彼を住所のところまで連れていくことにした。が
「お兄ちゃん!」
玄関先で待っていたのか、絵梨佳と同じくらいの少女が駆け寄ってきた。
「メモを残したのはいいよ!ちゃんとサンダル履いているのもいいよ!けどスマホを忘れるのだけはダメだよ!!」
「ごめんなさい・・・」
「しかもその腕のは何?付箋身体に張り付けてないだけましだけども、てかこれ油性じゃん!落とすの大変だよ!?」
少女は青年の頭をぺちっと叩くと私達に向き直った。
「兄の妹の麻里です。兄がご迷惑をお掛けして」
「いいえ、そんなことはないわ。それよりもKKがあなた達の所に来たのは本当みたいね」
「KK・・・あの時の刑事さんの?」
「俺のことがなんだ?」
「KK」
「いや、お前らが帰ってくるのが遅いからどこにいるかと思ったら」
「いつぶり?」
「3日」
「また迷子になったのか?」
「いきはよいよいかえりはまいご」
「行けたのに帰れなくなったのか」
「うん」
「腕の何だ?」
「住所」
「個人情報駄々漏れじゃねぇか」
「これならいいと思ったけど麻里に怒られた」
「油性?」
「忘れないと思って」
「ダメだこりゃ」
こっちをそっちのけで青年はKKと話して盛り上がっていた。そしてそれを見て申し訳なさそうにしている妹。
「ところで、名前は?」
「・・・伊月暁人、年齢は22歳、大学四年生、身長は───」
黙々と自分の情報を話していく青年。
「今知っているのはこのくらい、本当の記憶を思い出したいのが今の願いかな」
彼はそう言って笑っていた。
「本当に何も思い出せないんですか?」
絵梨佳が尋ねると
「全く」
と青年は答えた。
「名前は所持品で分かっただけだし、家族の顔も覚えていない。自分がどういう人間かも分からない。この世界のこともほとんど知らない」
「そうなんだ・・・」
「だからさっきみたいに人に道を訪ねて歩いているんだよな」
「なるほど」
「今日はちゃんと家の場所を覚えたはずなのに周辺の建物忘れて帰れなくなって」
「それはもう迷子と言わないか?」
「うん」
青年は恥ずかしげもなく言った。
「まだ名前聞いてなかった」
「私は凛子。こっちは絵梨佳。よろしくね」
「よろしく」
こうして不思議な彼との邂逅は終わった。
****
「お兄ちゃん何塩出してるの!」
「塩?・・・ほんとだ」
兄がコーヒーを飲もうとして砂糖の瓶を取ったつもりが蓋に塩と書かれてある方を開けていた。
「何やってるのよ」
「いや、間違えちゃって」
「ちゃんと蓋見てよね」
「はい」
兄はマグカップに入れたコーヒーの中に砂糖を入れた。スプーンに山盛りにしてそれを混ぜる。
「なんでわざわざそんなことするの?」
「別に苦いのが嫌いな訳じゃないけど、疲れている時とか甘い方がほっとするじゃん」
「まぁ、分からなくもないけど」
「それに、こういうの好きそうだなって思って」
「誰のこと?」
「記憶失くす前の僕」
「お兄ちゃんはカッコつけてブラック飲んでむせてたのは記憶に残ってる」
「そんなことしてたぁ?」
「お兄ちゃんたまにイントネーションおかしくなるよね」
「記憶と一緒に喋り方まで飛んだのかな?」
「そういうもん?」
「分かんない」
「・・・」
「・・・」
「お兄ちゃん、なんかふわふわしてない?」
「ちょっと眠いかも」
「早く寝たら?」
「でも明日は休みだし」
「いいから、ほら、歯磨いて、お風呂入って、布団に入って」
「うぃ~」
「返事が緩い」
「はーい」
「伸ばすな!」
「その前にまだ昼だよ」
「そうだった」
「でも昼寝には良いかもね、一緒に寝る?」
「子供扱いしないで」
「だって妹じゃん」
「お兄ちゃんは記憶無いけど」
「それでも兄妹じゃん」
「そりゃそうだけど」
「・・・」
「どうしたの?」
「・・・別に」
兄は小指で頭を掻きながら私を見ていた。すると私の眉間にシワが寄っていることに気づき、人差し指でぐりぐりしながら伸ばしていた。
「ちょっと何すんの!?」
「シワ寄ってたから」
「だからっていきなりやらないで」
「ごめんごめん」
「・・・」
「ねぇ、やっぱり変だよ。何かあった?」
「・・・」
「黙っていても分からないんだけど」
「・・・」
「もしかしてさ・・・何か隠してる?」
ビクッとさせた。図星かもしれない。
「何を隠しているの?」
「それは言えない」
「どうして?」
「それも言えない」
「そうか、じゃあいいや」
「えっ?」
「麻里が言いたくないならそれでいいや」
「怒らないの?」
「怒るようなことでもあるの?」
「えっと、まぁ」
「麻里が何を言おうと怒ることなんてないよ。それとも僕のことを怒らせてしまうような悪い事でもあるの?」
「・・・」
私は何も言わず黙ったままだった。