蝉の鳴き声が鬱陶しく聞こえるなか、あさとは俺を追いかけていた。昨日は俺が追いかける方だったが立場が逆になっている。祖父が出掛けている間、畳の上で裸足でバタバタと音が聞こえるくらい走り回った。俺を捕まえると二人で畳の上で勢いよく倒れ込み、そして笑い合った。
「アッハハッ!」
「フフフッ!」
こんなに楽しいのは初めてだった。今まで夏は一人で祖父と過ごしていたので寂しい思いをしていたのだが、今はその寂しさがどこかへ消えて無くなっている。まるで新しい家族が増えたような気分だ。
「たのしい?」
「うん!すっごく!!」
「そうか、よかった」
それから俺は祖父が帰ってくるまではずっと彼と遊んだり話をしたりして過ごした。その度に俺はまた嬉しくなった。この時間が永遠に続けばいいのにと何度も思った。でも終わりは必ず来るもので、あっというまに夕方になった。そろそろ祖父が帰ってくる頃だろう。すると硝子戸を叩く音が聞こえてきた。戸には影が映っている。
「ごめんください」
女性の声が聞こえてくる。俺は出ようとするがあさとが腕を掴んで首を横に振る。
「どうした?」
「・・・」
あさとは何も言わず首を横に振るだけだ。
「ごめんください」
また女性の声が聞こえて戸を叩く音が聞こえる。あさとは怯えた様子で俺の肩を掴んで後ろに隠れる。掴む力が強く、指が食い込む程だ。
「ごめんください」
女性の声が聞こえ、戸を叩く音が強くなる。
「開けてください」
女性は声を大きくする。あさとの様子がおかしい。さっきから震えている。一体何なんだ?
「開けてください」
女性の懇願するような声を聞いていると胸騒ぎがしてくる。このままではいけない気がするが、ここから動くことができない。何か嫌な予感がしてならないのだ。
「開けて、開けて」
ガシャガシャと戸を揺すりながら女性が言う。いや、女性ではない。人の形をした何かだ。
「開けて、開けて、開けて、開けて、あけて、アケテ、あけて、あケて」
壊れた機械のように同じ言葉を繰り返す。怖い、怖くて堪らない。だが動けない。血のついた両手で戸を押して開けようとする。
「あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけて、あけ」
「かえって!!」
突然あさとが後ろから叫ぶと声はパタリと消えた。影は無いが、血の手形がそのまま残っている。
「なんだよ、あれ・・・」
唖然とした状態で尻餅をつくと、あさとを無意識に抱き締めていた。あさとはポロポロと涙を流していた。するとガラリと音を立てて戸が開かれた。そこには祖父がいた。
「どうした?何があったんだ?」
祖父は俺達を見て驚いた表情をする。俺は慌てて立ち上がるとあさとも立ち上がって祖父のところまで駆け寄った。そして二人で泣いてしまった。
「大丈夫だから」
優しく背中をさすってくれたおかげで落ち着くことができた。俺はことの顛末を祖父に話した。
「そうか・・・」
あさとはというと、しばらくはギャン泣きしていたのだが、泣き疲れて横になっていた。お互いに泣いたせいで目の周りは赤く腫れ上がっている。
「俺、怖かった。本当に怖かったよ」
「・・・でももう終わったことだから安心するんだ」
「うん・・・」
俺はあさとに視線を向ける。寝息を立てている姿を見ているとホッとした気持ちになる。
「しばらくしたら飯にするぞ」
「うん」
俺は眠っているあさとの手に自分の手を重ねると、一瞬口元が緩んだような気がした。