何でもない日だった。
「今日は麻人の欲しいもの買ってあげるからね~」
「ん・・・」
親子三人で出かけて、暁人が麻人の手を繋ぎながら欲しいものを聞く。
「・・・ない」
「え?何もないの?」
「・・・うん」
「えー・・・もっとなんか欲しいもの言ってよ。お人形さんとか、お菓子とか~」
麻人の解答に暁人は困った顔をする。すっかり母親の顔になった暁人。麻人をベタベタと甘やかすが、麻人は感情一つ出さずに暁人に手を引かれる。
「すっかり親バカだな」
「だってお腹を痛めて産んだ子だよ!」
あの日の夜、暁人の腹を内側から麻人が引き裂いて出てきたのだ。腹を痛めたのはあながち間違いじゃないが。
「KKだったら麻人に何を買ってあげる?」
「俺は・・・」
返答に困る質問を投げられた。前に家族がいた時は息子にスーパーカーのおもちゃを与えたが、月日が経つと興味を失くしてしまった。
「麻人は、何か欲しいものはないのか?」
「ない」
麻人に助けを求めるが、きっぱりと言われる。暁人が苦笑しながら助け船を出す。
「まぁ、高いものは買ってあげられないけど・・・何か欲しいもの言ってよ~」
麻人の手を引いて歩こうとした途端、空を切った。
「おい麻人は?」
「麻人なら手を繋い・・・で」
****
俺はスマホで警察上部に連絡していた。部署は陸の孤島だが、代わりに警視総監や長官の直通で繋がれる。
「誘拐!?」
「確証は無いけどな」
凛子が驚いた様子で口を開く。緊急を要する事態なので、皆も呼んでいた。
「迷子かと思って探したが全然見つからねえから警察側に協力を仰ぐことにした」
「それって職権乱用じゃ」
「ただの迷子だったら霊視を使えばすぐに見つかるが、どこを探しても駄目だった」
「だから誘拐とは大袈裟な」
「お前は暁人の恐ろしさを知っているはずだ」
あいつの言葉に俺は少し圧を掛ける。
「暁人にかかれば赤子の手をひねるようなもの・・・いや、それ以上だ」
「それはどういう・・・」
「暁人は単独で国家転覆が可能なくらいの『力』がある。もし考えてみろ感情のままに暁人が暴れ尽くしたら、俺たちで止められるのか」
「それは・・・」
暁人の恐ろしさは凛子も知っていた。しかし、これ以上の言及は凛子にもできなかった。
「あの、お兄ちゃんは?」
ずっと黙っていた麻里が口を開く。
「ここにいないので」
「暁人は・・・」
暁人はショックの余り部屋に引き込もってしまい、今は誰とも話をしていない。
「部屋にいるが会いに行かない方がいいぞ」
「そう、ですよね」
麻里がそう答える。もし、俺が暁人の立場なら同じ気持ちになっていただろう。
「そうだKK、GPSで麻人の現在地を探してもらえれば」
「そんな機械的な方法で見つけれるわけねえだろ、そもそも付けてないぞ」
凛子の無茶ぶりに俺は呆れながら答えた。
「なっ!!」
「KK!」
いきなり足を掴まれ、そのまま引っ張られる感覚に襲われる。身体を引きずられリビングから無理やり廊下に出された。抵抗するも、強い力に引っ張られる。まるで、大きなお荷物を運んでいるようだった。そしてそのまま廊下の奥に連れていかれると、暁人の部屋のドアが開き吸い込まれるように中に連れていかれる。
「っ!?」
そして、そのままベッドに投げられた。
「いてぇな・・・おい!」
起き上がろうとすると、暁人が馬乗りで俺を抑えつける。いくら力を入れても全く動かなかった。
「ねえ、見つかった?」
「へ?」
「見つかったって聞いてるの!!」
「だから何がだよ」
「麻人よ!どこに行ったのよ!?」
暁人が怒鳴り声を上げる。それは、あいつとは思えないほど豹変していた。今の暁人の姿が右半身は普段の暁人だが、左半身は黒く染まり目が赤く輝いている。声も暁人の声と女性の声が混じった感じだ。
「まだ見つかってない」
俺はどうにか状況を変えようと試みるが、火に油を注いでしまい、暁人がさらに姿を変える。顔の右半分以外全て黒く染まり、三対の腕が生える。床や壁に穢れが広がり、そこから血が滲み出る。
「KKお願い!!僕の最愛の麻人を見つけて!!僕の大切な子供だから!!見つけてくれないとみんな殺すから!!」
「落ち着けって・・・な?」
俺は何とか宥めようとするが、逆効果だった。暁人が泣き喚きながら、さらに姿を変える。とうとう全身にまで変化が及んだ。
「もうヤダ・・・!麻人を返して!!返してよぉっ!!僕の大好きな麻人を!!返して!!」
「だから落ち着けって!!暁人っ!!」
完全に化け物の姿になった暁人が、俺を見下しながら泣き叫ぶ。俺も何とか抜け出そうとするが、ビクともしない。むしろ身動きすればするほど力が強まっていた。
「暁人!!麻人が心配なのは分かるが、少しは冷静になってくれ!!」
「何で?どうして!?どうして僕がこんなに苦しくならなきゃいけないの!?」
泣き叫びながら叫び続ける暁人。俺の話など全く聞こえていないようだった。
「ねえ、KKは僕の苦しみを分かろうともしないの!?」
手が目や口を覆い始める。おそらく、今の暁人に理性はほとんど残っていないだろう。
「ねえ!聞いてるの!?」
ついに両手が顔を覆うと、暁人の姿が消える。いや、正確には俺を押し潰す勢いで迫ってきたのだ。
「ぐえっ」
身体が締め付けられる感覚がする。力を入れて抜け出そうとするもビクともしなかった。
「暁人!!今の姿じゃ何もできないぞ!本当に麻人を助けたいなら元の身体に戻れ!!」
「うがぁあああ!!」
獣のような雄叫びを上げながら、ますます締め付ける力を強めていく。その力に全身からミシミシと軋む音がしていた。これはまずい。俺は右腕を何とか伸ばし、暁人の顔に近づける。
「っ!!」
そして、思い切り平手打ちをした。
「馬鹿野郎!少しは落ち着け!麻人を誘拐した犯人は俺が絶対に捕まえてやるから、だから元に戻ってくれ!! 」
「・・・KK」
さっきまでの化け物の姿から徐々に元の暁人の姿に戻っていった。広がっていた穢れも消えていく。暁人は顔を抑えて呻いている。そして、俺の顔を涙目で見つめた後、俺に覆い被さるように倒れた。
「ごめん、KK」
「はぁ・・・ようやく元に戻ったか」
「でも、でも、麻人が」
「今は落ち着け」
暁人の背中をポンポンと優しく叩く。すると、そのまま眠ってしまった。
「はぁ・・・」
****
「起きろ」
「・・・K、K?」
「起きたか寝坊助」
KKの声で目が覚める。そうだ、僕は麻人を誘拐されたんだ。両手を見ると僕の姿は、ちゃんと普段の肉体に戻っていた。KKを押し倒したような姿勢で寝てしまった。
「KK、ありがとう」
「なんだ突然」
「僕を止めてくれて、本当にありがとう」
「・・・ああ」
KKに抱きつく。KKは嫌がる素振りを見せなかった。あの日の夜、僕は麻人を産んでしまった。正確に言えばこの世に産まれてしまった。産まれてしまったからには僕が責任を持って育てなければならない。僕がこの子の母親として生きていかなければならない。そう誓った。三人でで幸せに暮らしていこうと思っていたけど、もし僕が側にいなかったら?もし麻人が僕のせいで死んでしまったら?
「考えたくもないよ・・・」
「暁人」
KKが僕の頭を撫でる。すると、僕は今まで抑えてきた感情が爆発してしまった。涙が溢れ出し、子供のように泣きじゃくった。そんな僕をKKは何も言わず優しく頭を撫で続けていた。