義城組:学園転生AU 汗がぼたりぼたりと落ちて、ズボンに染みを作るのを、俺はじっと眺めていた。
朝勤のバイト先のクーラーで、体が冷え切っていたから油断してしまったけど、外は四十度超えの猛暑で、気が付いたらだらだらと汗が止まらず、めまいと吐き気がするようになっていたのだ。
なんとか日陰を見つけて、自販機の横に座り込んでみたものの、頭がぐらぐらと煮えるようで、もう立ち上がれそうにない。
(これ、ホントにヤバい…………。コンビニに寄って休むか、せめてスポドリでも買うべきだったな)
ヤバいという焦燥感と、何かを考えた端から思考が白く塗りつぶされていく感覚に支配されて、俺はどうしても、その場から動くことができなくなってしまった。
「大丈夫ですか?」
頭上から降ってきたその声は、ひんやりとしたミントみたいに、ぼんやりとした思考にスッと入ってきた。
顔は上げられなかったけど、俺の前に誰か――――声からして、男が立っているみたいだった。
「あ……の、たぶ……ねっちゅーしょーで…………」
口の中が乾いているせいで、うまいこと言葉が出てこなかったけど、なんとかそれだけを伝える。
「ああ、なるほど」
落ち着いた声のそいつが、隣の自販機で飲み物を買う気配を感じる。
(あー、自販機の隣だっていうのに、水分補給もしないでへたり込んでるなんて、マヌケにもほどがある。普段なら、絶対にこんなヘマはしないのにな)
「ごめんね、スポーツドリンクが売り切れていたから、麦茶にしたよ。ゆっくり飲んで」
差し出された麦茶を受け取って、俺はなんとか顔を上げてペットボトルに口をつける。キャップはすでに外されている親切設計だ。
(うま……めちゃくちゃ染みる……!)
最初はちびちび舐めるように、それから口の中が潤ってくると、つい止められなくなって、ごくごくと勢いよく飲んだら、すぐにペットボトルが半分以上空になってしまった。
「あっ、ありがとう」
ここにきて、ようやく俺は親切な男の姿をちゃんと見上げた。
膝に手をついてかがみこんで俺をのぞき込んでいるから、はっきりした身長はわからないが、脚がすらっと伸びて、すごく背が高そうだ。こざっぱりした清潔感のある服装で好感が持てる。それでもって、肝心の顔は――――――――。
(あれ? 誰だ、こいつ…………)
その男の白皙の美貌を見た瞬間、何かを思い出しそうで、ふいに鼻の奥がつんとするような感じがして、それから、息が止まった。
(知らない男だ。知らない男のはずなのに、なんでこんな)
静かに凪いだ、夜の湖に星を散りばめたような美しい黒い瞳に、俺の姿が映っている。
頭がぐちゃぐちゃになって、口を中途半端に開いたまま何もしゃべれなくなってしまった俺を、その男はただただ、心配そうに見ていた。
「まだ無理はしないで。ああ、そうだ。いいものを持っていたんだった」
そう言うと、ごそごそとカバンを漁って、何かを取り出し、その小さな包み紙を破った。
中から出てきたのは、コロンとした白い飴玉だ。
「塩飴だよ。どうぞ」
ほっそりとした白い指先でつまんだ飴玉を、俺の顔の前まで持ってくる。
誘われるままに、俺はその飴玉に食いついた。一瞬だけ、指先に唇が触れてしまって、脳に電流が走る。
口に含んだ飴玉は、しょっぱくて、そしてとてもあまかった。
「は……」
――――そうだ。この人は、毎日ひっそりと、飴玉を俺の枕元に置いてくれたんだった。
あの、穏やかだった日々。この人の瞳に、俺の姿が映ることは決してないということが哀しくて、そしてほっとした。
そうだ、この人は。
「どうちょ…………っ」
呼びかけて、俺は慌てて口を閉じた。
けれど、気持ちが溢れるのが止まらなくて、涙がぼろぼろと流れるのはどうしようもなかった。
「ねえ、大丈夫?」
急に泣き出した俺に対してどうしたらよいかわからず、彼はおろおろとしている。
「だい、大丈夫だから! その、ありがとうございました!」
もうこれ以上は限界だ。
急激に脳内に色々な情報が流れ込んで、焼き切れそうになっている。
何より、目の前のこの人に対して昏い狂気で襲いかかりそうな予感があって、それだけはどうしても避けないといけなかった。
「この恩は、忘れません! サヨーナラ!」
「あ、ちょっと! 君!」
俺は、勢い良く立ち上がって、めまいを押さえつけると、彼が呼び止めるのを振り切ってその場を後にした。
俺は、かつて薛洋と呼ばれていた。
そして、あの人は暁星塵と、呼ばれた男だった。