夏祭り「まったく……マスターは色気より食い気ですねぇ」
道満はふぅ、とため息をついた。
視線の先、雑踏から少し離れた木陰で、立香は幸せそうにたこ焼きを頬張っている。彼女の浴衣姿は最初こそ年相応に色香が出てきたと思えたものの、口を開けばやれリンゴ飴だ、わたあめだ、と食べ物のことばかり。ちょこまか動き回っては屋台の位置を把握して、ふたつ買ってこちらにも寄越したり、ひとつを分けあったり忙しない。道満は勧められるままに食べていたが、ふと『今日は食べてばかりだ』と気づいた時、急にざらついた気分になった。
「ん? ふぁひはひった!?」
「飲み込んでから話せと申しました」
相変わらずはふはふとたこ焼きを食べている立香に腹立たしくなって、つんとそっぽを向く。
立香はしばらく黙ってむぐむぐと咀嚼していたが、やがてごくんと飲み込んだ。道満の顔を除きこみ、心配そうに問いかける。
「……やっぱり、たこ焼き食べたかった?」
「そうではありませぬ!」
彼女はたこ焼きも勧めてくれたのが、その時にはへそを曲げていた道満は「拙僧はもう結構。マスターがひとりで平らげればよろしい」とたこ焼きを拒否した。先ほどの道満のため息は、立香が最後の一個を食べたところで放たれたのだった。
(人の気も知らずに、この女は……!)
シミュレーション上とはいえ、ふたりきりの夏祭り。何かというと「マシュも呼ぼう」「みんなで行ったほうが楽しいよ」と笑う立香をどうにか口説き落として取りつけた機会だというのに、食べてばかりでは話をする暇もない。苛立ちを抑えることができず、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
「じゃあ、どうして機嫌が悪くなっちゃったの。せっかくの夏祭りなんだから、道満にも楽しんでほしい」
「ご自身の胸に手を当てて、よく考えてみるのですな」
道満の言葉を受けて、立香は自分の胸元を見下ろした。すると彼女の胸元は少しはだけているではないか。慌ててぐいぐいと浴衣を引っ張る彼女に呆れて、「……そういう意味ではない」と呟いた。
「着付けはご自分で?」
見かねて浴衣を整えてやりながら問えば、立香は頬を赤らめて頷いた。
「だって……みんな忙しいし、わざわざお願いしにいくとデートがバレちゃうから」
「なっ……」
道満は思わず固まった。
今この女は逢い引きと言ったか?
道満もその認識であったし、立香もそう思ってくれたのならば喜ぶべきなのだろうが、しかしその割には食べてばかりだったではないか。そう反論しようとして言葉を探したが、結局何も出てこなかった。代わりに口から出てきたのは、どうしようもなく捻くれ曲がった問い掛けである。
「……儂以外ともこのようなことをしておるのか」
これをデートというのなら、道満の考える逢い引きとは定義が違うのかもしれない。もしくは彼女の貞操観念が思ったより緩く、今までも隠れて男とふたりきりになったことが幾度となくあるのかもしれない。それはつまり今回の祭りも、道満が特別対応というわけではないということだ。もしかしたら、こうやって着物の乱れを整えることだって――
「え? ……ああ、こういうことは初めてだよ。こんな風に、男の人とお祭りに行くなんてことなかったから。だから道満と一緒に来られて嬉しいんだ」
しかし立香からの答えはあっけらかんとしたものだった。そこには一切の後ろめたさや不審はない。
「……左様ですか。それは重畳」
道満はふっと表情を緩め、額に手を当てて笑った。美味しいものを共に食べるのが幸せだと、それがデートになると疑っていない立香の無邪気さがようやく腑に落ちて、先ほどの己の悋気がおかしくなってきたのである。
「何がおかしいの?」
不思議そうに首を傾げる立香に、道満は目に見えて上機嫌になって笑った。
「あぁ、マスター。口元にソースがついておりますぞ」
「え? 嘘――」
指摘され、口元を拭おうとした立香の手首を掴んで引き寄せる。驚きに見開かれた琥珀にぐんと近づいて、その吐息を奪うように口づけた。
「ん、んぅ……!」
困惑に開いた口の中へ易々と侵入を果たし、僅かに残ったソースの味をぬるぬると舐め取る。立香は最初こそ少し暴れたが、しつこく弄ぶように舐めまわせば観念したように体の力を抜いて、やがて自分から道満の舌へ己の舌を絡ませた。
「……ンンンンン! 甘露、甘露!」
たっぷりと口を吸って道満が叫ぶ。
立香はまともに目を合わせられず、照れ隠しに口を拭った。
「ファーストキスだったのに……いきなり舌入れる? シミュレーターの中とはいえ、近くに人もいるし、誰かに見られたら……」
ぶつぶつと文句を言えば、
「でも、嫌ではなかったでしょう?」
ぺろりと唇を舐めて道満が笑う。その舌の動きに先ほどの行為が思い出されて、立香は顔を赤くした。
「……もう! 次は射的、道満の奢りだからね!」
「承知!」
道満は機嫌良く笑い、立香の手を取って歩き出した。