好意を持たれている。
そう気づいてしまった時に、浮かぶのはいつも申し訳なさだった。
偽りなのだ。
違うのだ。
本当は、残忍な罪人なのだ。
守り手なのに。
己が怒りに身を任せて力を振るうなど、あってはならないのに。
そのせいで、なによりも大事なひとの命を奪ってしまったのに。
法には裁いてもらえなかった。
じゃあ自らの命で悔いようにも、それも許されない。
ただ、死なないために生きていた。
食うために働いていた。
どんな仕事でもやった。誰もやりたがらないなら、じゃあと手を挙げた。
罪を償いたいからじゃない。そんなものじゃまったく釣り合いはとれていない。
別にどうでもよかったからだ。
自分以上に目をそむけたくなる醜いものなどいないから、なんだって大丈夫だっただけだ。
だけど、夢だけは辛かった。
毎夜毎夜、主の絶命の瞬間が繰り返される。
つるぎが主の身体を刺し貫く感触。
ちがう。刃は放ったのだから、そんなものあるはずがないのに。
なのに、この身体は知っている。
肉を絶つ感触も。滴る血の噎せ返るような臭いも。断末魔の悲鳴も。
仕事を選り好みしなかったのが良くなかった。誓って非道をなすようなことはしていないけれど、人々が生活をしていくにあたって、影はどこにでもあるものなのだ。
特殊清掃。食肉の解体作業。なんだってよかった。だけど、この身体が知ってしまった。
誰も罰さないなら、自分で罰するしかない。この頭はそう考えたのだろう。
さすがにキツかった。何より、睡眠時間が足りないと仕事に支障が出る。
生きるためにしている仕事だけれど、自分の怠慢で誰かの手を煩わせるのは申し訳ない。
見かねて酒を勧められた。仕事を選ばない人間にはそれなりに理由があって、次の日は休みだろうと飲んで飲んで、浴びるほど飲んで、吐いて、それでも飲んで、最後に意識を飛ばした後、目が覚めたら強烈な頭の痛みと共に真っ白な朝が広がっていて、それはもう驚いたものだった。
夢を見ない眠りというのは、随分と久々のものだったから。
すぐに溺れてしまった。本当はギリギリだったのだろう。自分を罰し続けるというのは、思ったよりキツイものだった。
酒を飲んで、死んだように眠る。
軽口を叩いて、その場限りの会話に酔う。
そうして一時の夢に溺れて、その後その時間を凝縮したような罪悪感に打ちのめされる。
いつか美しい名をした背のしゃんと伸びた女性が言ってくれたようには、ちっとも生きられなかった。そんなことを考えると、泥のような眠りの中から彼女の真っ直ぐな瞳が見つめている気がして飛び起きた。
そんな毎日が続いて、気づけば年月だけが過ぎていた。
大人になると悪知恵がつくものだ。身軽さを活かして小さな村で消防士のまねごとのようなことをしていた時に、燃え盛る家に取り残された少女をなんとか仲間に渡して、瞬間天井が崩れて逃げられなくなって。
熱い。もしも他に逃げ遅れた人間がいたら、立ち止まりはしなかっただろう。
だけど、そうでないと知っていたから。足が止まった。
だって、仕方がない。四方は炎に囲まれている。
あの女の子がせめて、助かってよかった。最後の最後に、守り手めいたことができた。
目を閉じる。熱い。耳に愛しい声がこだまする。
――守り手として生き、守り手として死ぬ。
ああ、そうか。
燃え盛る炎の中で、それはまるで天啓のように聞こえたのだ。
……まあ、崩れてぽっかり空いた天井から、身軽な同僚が屋根伝いに迎えに来てくれて、その場は生き延びてしまったのだけれど。
『それ』は、死んだような人生の中の、唯一の光だった。
その癖、それに正面から向き合うのも避けていた。
だって、言及したら、そのくせ毎度生き延びている矛盾にも気付かないといけないからだ。
――あなた、本当はとっくに覚悟を決めていたんですよ。
そんなことを叩きつけるために、身体を張ってくれる人はその時にはいなかったので。
ただ、逃れるために酒を飲んだ。
ただ、忘れるために声を掛けた。
そんな心中を見越されて、手酷くふられるのはちょうどいい自傷だった。
それなのに、時たま、こんな男を好きになってくれる子がいた。
崩れるビルから助けた女の子だった。
身体を売って心までぼろぼろになった女の子だった。
家族とうまくいっていない、愛に飢えた女の子だった。
優しい、と、口をそろえて彼女たちは言った。
あなたの傷を癒したい、と、柔らかな手が身体に伸びた。
ちがう。
ちがう、ちがう、ちがう。
そうじゃない。
おれは優しくなんかない。優しいなら、じゃああいつに向けた殺意はなんだった。
この身に受けた傷なんて、あのかたの痛みに比べたらなんてこともない。
そもそもこの口が言う言葉なんて、なんにも真実じゃないのに。自分すらも騙している、逃げてばかりの狡い男なのに。
そんな資格なんかない。きみの傷に包帯を巻いてあげたいとは思うけれど。
おれはきみの救いにはなれない。
おれに救われる価値なんかない。
あたたかな身体に包まれるたびに、言葉はどんどん重みを喪っていった。心は空虚に穴が開いていった。ついには仕事すら、なにもかも、まともに向き合えなくなっていた。
罰されたかった。断罪されたかった。
だからおまえはちょうどよかった。
だけど二十年の間に煮凝った泥は、ようやく穿り返してもらったのに、もう直視できないほどの醜さになっていた。
なぜだ。もう、いいだろう。一思いに殺してくれよ。
おれが下衆だなんて、おれが一番知っている。
ひとを殺したことだけじゃない。
殺意を持ったことだけじゃない。
その上でおめおめと生き残り、罪から逃れようと目を逸らし、一人で朽ちればいいものを、結局それじゃいられなくて、利用した上で傷つけた。
とんでもない罪人なのだ。しかもそれを自白もできない。ずるくて汚い、下衆のいきもの。
だけどおまえは殺さない。じわじわと抉るばかり、どんな傷よりも、穴の開いた肩よりも、痛くて痛くて、我慢できずに死神の誘いに乗った。
もう終わらせたかった。せめて、あいつの本音だけ知って、もしも更生していないなら、刺し違えて。それくらいしか、もうやる気力はなかった。ごめんな、ルーク、アーロン。本当はおまえたちの闘いを最後まで見届けたかったんだけど。ごめんね、ナデシコちゃん。だけど未来ある若者たちが代わりに夢を果たしてくれるよ。チェズレイ、きっと怒るだろうなあ、けど、もう、疲れちゃったんだ。
でも。
果たしておまえはやってきた。
毛を逆立てて、全身を怒りの炎で燃やしながら。
思い出の三日月を焼き落とし、里に火を放ち、
タンバ様のかたちを取って、究極の選択を迫り。
もう、ギリギリだった。疲れ切っていた。二十年引きずられた心の袋はとっくに穴だらけだった。
だからもう、考えている余裕もなかった。見栄とか言い訳とか嘘とか、もうそんなものはすっかり取り落としていて、
守らせろと、そう、叫んだおれに、
チェズレイは肩から血をこぼしながら、くるしげに眉をひそめて、地面に金の髪を星くずのように広げて、
まったく翳らないうつくしさのまま、優しい優しい声をして、俺をついに下衆だと断じたうえで、
……おれを赦してくれたのだった。
おれが守り手であると、贖罪の死より、逃避の終わりよりも、その使命のために生きようとしているのだと、
実際のところはどうなのかなんてわからない、だけど。
有無を言わさぬ状況をその身を使って造り上げながら、
おれに新しい生き方を、まるでおれがとっくに見つけていたかのように、
汚い泥のなかからたったひとつの宝石を掴みとって、
きれいに磨いておれの前に置いてくれたのだ。