うちに帰ると猫が床に落ちてます(タイトル)燦々と降り注ぐ日差しが肌を差す季節が到来し、冷房がフル稼動する日々がやってきた。
三毛縞斑は単独での仕事を終えると星奏館には帰らず、都内某所に所有しているマンションに足を向けた。
ESアイドルが居住する寮、星奏館は諸々の設備投資がしっかり成された快適な空間ではあるが、斑の割り振られた部屋は四人部屋で夏場は人口密度故か体感温度がぐっと上がる。
それでも同室に劇団員とアイドルを兼任する『fine』の道化師日々樹渉やスタプロの風雲児『Trick star』のセンター明星スバルなど、超多忙な面子が揃っているため、部屋に全員が揃うことは滅多にない。
だが、そろそろ時期的に学生は夏休みに突入する。そうなれば現役高校生のスバルや同室最年少である『Switch』の春川宙などは、泊まりがけの仕事でも入らなければ夜は確実に常時在室になるはずだ。
であるならば図体のでかい自分はなるべく寮には帰らないほうがいいだろう。
そのほうが風通しも少しは良くなるし──なによりお互いのプライバシーが適度に保てる。
正直なところ、斑にとって寮の生活は若干窮屈であった。
同室のメンバーに特に不平不満があるわけではない。
むしろ稀に揃うとゲームやら何かしらで遊んだり、お喋りに花が咲いたりと仲はすこぶる良好である。
しかしあまりにもパーソナルスペースが近すぎて落ち着かないこともまた事実だった。
親しき仲にも礼儀あり。生活していく上で誰しも秘しておきたいことはある。──斑のようにアイドルとはまた別の顔を持っているのなら尚のこと。
というわけで、斑は今日も暑さと密集を避けるため、隠れ家であるマンションのほうに帰ってきた。
エントランスを潜り、エレベーターに乗って最上階の角部屋の前に来ると、鍵を開ける前に念のためドアノブを引いた。
──と、ガチャリ、音を立ててドアが開く。
またか、と斑は内心で苦い顔をした。
この部屋の鍵を持っているのは自分以外にはもう一人しかいない。
なるべく音を立てないように玄関で靴を脱ぎ揃え、廊下を忍び足で歩いてリビングの扉をそっと開ける。
恐る恐る中を伺うが、パッと見先客の姿は見当たらなかった。冷房は付いているし、寝室のほうにいるのだろうか? と首を傾げたそのとき──
「……お帰り~、斑はん……」
ソファの陰から間延びした声が聞こえてきて、思わずぎょっとしてしまう。
リビングに足を踏み入れ、ソファの正面に回り込めば、ソファ下の床に見慣れた桜色の髪が散らばっている。
「こはくさん……君はまた、なんてとこに寝転がって……」
四つ年下のユニットメンバー桜河こはくは斑と同じく星奏館住まいだが、たまにこの部屋にふらっと遊びに来る。
それはまあ別にいいのだが、最近のこはくは訪れるたびこうしてどこかしらの床に伸びていることが多い。
眠いならちゃんとベッドに行くか、最悪ソファで寝なさい! と何度注意をしても、せやけど床のが涼しいんやもん……と言って聞かないし、直す素振りも見せないのだ。
困ったなあ、と眉を下げながらも、涼を求めて床に伸びる姿は気儘な猫のようで愛らしくも微笑ましくて斑はあまり強く言えなかった。
「いつまでもそないなとこに突っ立っとらんと座ったら?」
廊下に続く扉を早く閉めろ、暑い、と暗に言われていると察し、ひとまず扉を閉めてリビングに滑り込む。
けれども、さすがにこはくが足元に寝そべっているソファに座る気にはなれなかった。うっかり踏んづけてしまいそうだ。
とりあえず荷物をソファの上に置き、キッチンでお茶でも入れようか。
そう決めて、一旦ソファの傍から離れようとした瞬間、ズボンの裾をがっちり掴まれ思わぬ足止めに合う。
「……こはくさん?」
離してくれないか、と暗に訴えるが、何が気に食わないのか掴んでくる力は強まるばかり。無理矢理振り払うわけにもいかず、結局根負けした斑はこはくの手が引く力に任せてずるずるとその場に座り込んだ。
「何がしたいんだ、君は……」
斑がすぐ隣に座り込み呆れた眼差しを向けるのを見てこはくは満足気に笑むと、
「ええから黙って座っとき」
短くぴしゃりと返され、仕方なくソファの足元部分に背を預ける。
と、ひんやりとした空気が前方から吹き抜けていき、外気で火照った頬を優しく撫でた。冷えたフローリングの感触と共に熱せられていた体が徐々に常温へと戻っていく。
「あぁ、涼しいなあ……」
思わず心のままに言葉を洩らすと、
「せやろ? ここが一等涼しいんや」
隣に寝転んでいたこはくが会心の笑みを浮かべて斑を見た。
そのまま涼しさを堪能するかのように目を閉じたこはくは、やがてすやすやと無防備な寝息を立て始める。
「やっぱり猫みたいだなあ……」
苦笑しつつもその柔らかな桜の髪に惹かれ、起こさないよう細心の注意を払い優しく丸い頭を撫でた。
『──サクラくんですか? そうっすねえ、いつもお行儀良くてちゃんとしたお家で育った子って感じですねぇ』
自分の部屋なんだから、もうちょいリラックスしてくれてもいいんじゃないかって思いますよ。
こはくの頭を撫でながら、斑はこないだたまたま星奏館の廊下でばったり会ったこはくと同室の漣ジュンとした会話を思い出す。
てっきり寮の部屋でも床に転がって同室者を困らせているのでは、と懸念し、ジュンに話を聞いたところ寮ではそのような素振りは一切していないという。
むしろ部屋では常にお行儀良く過ごしていると聞いて、斑は些か拍子抜けしてしまった。
つまるところそれは──ここでならば存分に気を抜いた姿を晒してもいい、とこはくが考えている、ということではないだろうか。
無意識なのかはたまた意識的かは当人のみぞ知るだが、こはくがこうして無防備な一面を見せるたび密かな優越感で満たされるのを最近の斑はさすがに自覚していた。
──もうしばらくして目覚めないようなら、寝室に運ばなければ。
あどけない寝顔を堪能しつつこの後の段取りをするあたり、相当重症である。
そんな自身に呆れながらも、傍らで寝息を立てる相方の存在に緩む口元を抑えられないのだった。