パラソルの裏の秘密 海水浴場での任務が終わったのは、まだ昼にもなっていない頃のことだった。
今回俺たちに与えられたのは、夏場によくある人々を海に引っ張り込む呪霊の討伐で、場所に力を左右されるそれは結構すぐに倒すことが出来た。何せ砂浜まで引っ張っていってしまえばそれは水をなくした魚のようになり、かつての鯨のようには生きていけなかったからだ。
仕事が終わってからは、俺たちは海水浴客に混じってパラソルを立て、そこで各自持ってきた水着を着て横になった。硝子は肌を焼きたくないのか日焼け止めを塗っていたけれど、俺は面倒で何もしなかった。傑はそんな俺を心配していたみたいだったが(俺は肌が白かったので)、女じゃないんだからそんなに皮膚も弱くないと俺は一蹴した。まぁ、これが後で風呂に入る時に後悔することになるんだけれども。
「あー、煙草吸いたい」
硝子が気だるげに言う。しかしこの砂浜は禁煙だ。さっき彼女の欲望を体現した中年の男は、保安員に連れられて罰金を取られていた。
「分かってる、海の家に行ってくるから。何か買って来て欲しいものはある?」
グレープジュースを飲みながら、肩からビニールバッグを下げた硝子は言った。俺はそんな彼女にかき氷を頼んで、傑は黒ビールを頼んだ。果たして硝子にアルコールが買えるかは謎だったが、煙草を吸っているのだし、大人っぽいから大丈夫だろう。俺はそんなふうに一人納得してさっき買ったいちごオレを飲み、傑は紙に包まれたメンチカツを大きな口でかじった。
今日はなんとなくだるい一日だった。仕事をしたのだから当たり前だけれども、それでも海に入るとそれがルーティンみたいに疲れてしまうのだ。水泳の授業の次の時間が眠いような、そんな感覚。
「ねぇ、お兄さんたち、二人? うちらと遊ばない?」
そんなことを考えていると、甘ったるい女の声が聞こえた。見れば長い髪をお団子にしたビキニ姿の女と、パレオを腰に巻いた、ショートカットの女が二人いた。また面倒なのに絡まれてしまったなと思ったけれど、断るくらい簡単だ。でも、傷つけてしまったら、喧嘩になったら厄介なことになってしまう。あぁ、どうしようか。
「彼女いる? 私たちはフリー。今大学の休みでここに来てるの」
硝子がいなくなってすぐにやって来た彼女らは、生来の、生粋のハンターに見えた。やっぱり女ってすごい、俺はそう思った。そして積極的な彼女らをどう断ろうかなぁ、といちごオレを飲む。あんまり傷つけちゃ悪いし。いや、今会ったばかりの女に、そんなことを考えるなんてちょっと優しすぎるか。
けれどそんな時、傑がメンチカツを包む紙をビニールシートの上に置いて、次のように言った。
「私たちは高専生。友だちと来てるんだ」
おいおいおいおい話に乗るのかよ。俺はそう思ったが、傑はそれでも話すのをやめようとはしなかった。
「じゃあ年下? めっちゃ大人っぽいね。一緒に海行こうよ、ね?」
ぐいぐい来るなあ、と俺は思う。やっぱりハンターとはこれくらい積極的でなければならないのか。でも俺たちは硝子を待っているのだし、ここからいなくなるのはまずい。かき氷も溶けてしまうだろう、ビールも泡が抜けてしまうだろう。それから俺は一応傑と付き合っているのだし、知らない女と遊びたくもなかった。だが傑はそうではないのだろうか? それはそれでちょっとムカつくなと思ったが、傑はその誘いに少し待ったをかけた。
「いや、私は付き合ってる子がいるから。やめておくよ」
「嘘ー! さっきのきれいな子? じゃあそっちのサングラスの子一緒に遊ぼ? お姉さんが色々教えてあげる!」
女たちが俺に群がる。なんだか蝶々になって蟻に食べられそうになっている気分だった。いや、そんなにきれいなもんでもないか。俺はさて、どう断るかなって頭を悩ませて、いちごオレを飲んだ。
「いや、付き合ってるのはこっちの男。ボーイフレンドなんだ。大切なね」
「うぇ、げほっ、うっ、えっ?」
俺はいちごオレを吹き出しそうになる。しかしどうにかそれをこらえて、俺は傑の顔を見て、彼が冷静な表情をしているのを知って、この男はどうにかなってしまったのかと思った。
「えぇ、冗談でしょ? さっきの女の子でしょ? うちらからかわないでよー」
女たちはへらへらと笑う。俺は脂汗をにじませる。いや、付き合っていることを隠したいわけじゃない。けれど何も知らないすぐ会ったばかりの相手に、そこまで自分の情報を開示するのが嫌だっただけだ。でも、傑は違ったみたいだ。唇が近づいていくる。濡れた髪から海風の匂いがする。尖った鼻が頬を擦る。耳たぶをつままれる。頬をなぞられる。そうしていつの間にか、俺たちはギャラリー(といっても二人だけだが)の前で結構熱烈なキスをしていた。唇が、メンチカツの油で汚れる。でもそれでも俺は、突然のそれに興奮していた。傑は、いちごオレの味を感じているんだろうか?
女たちが悲鳴をあげる。楽しそうに、嬉しそうに。そしてキャアキャア言って去ってゆく。ホモって初めて見た。イケメン同士まじやばいよ! ここはありがとうって言ったほうがいいのか?
「あんたら、楽しそうだね」
足音もなくやって来て、しばらく口を合わせていた俺たちにそう言ったのは、レインボー模様のかき氷とビールを持った硝子だった。煙草の匂いがするから、彼女の願いは叶えられたのだろう。
「私って、お邪魔虫じゃなくて虫除けだったわけだ」
俺はそう言う硝子からかき氷を受け取って、何も言えずにかき込む。頭がキーンとする。傑は黒ビールをうまそうに飲んでいる。
「別にいいけどね。でも、一応任務の後の遊びなんだから目立たないようにしろよ」
硝子が言う。俺はそうですね、と言い、痛む頭をさすりながら、俺と傑の間に座る硝子の背中の後ろで傑と手を組んだ。それはビーチパラソルが隠してくれた。傑は硝子に後で煙草を奢るからさ、と笑っている。俺たちが手を繋いでいることは誰も知らない。さっきのキスは強烈だったけれど、それでも砂浜の上で、誰かから隠れて手を繋ぐのはとても胸が苦しくなった。嬉しくて、恥ずかしくて、それからやっぱり嬉しくて。
傑と繋いだ手は熱かった。けれどメンチカツの油の味がかき氷に消えてゆくのが寂しかったりもして、俺は色とりどりのかき氷にさされたストローで、溶けた氷をすすったのだった。