ご機嫌取りとプレゼント 喧嘩をした時や、言葉を選び間違えて気まずくなった時、狡噛は食べ物で俺の機嫌を取ろうとすることがある。たとえば出島で評判のレモンが入ったバターサンドだとか、最近の季節にぴったりの桃のシャーベットやゼリーだとか、さくさくでシナモンが効いたアップルパイだとか。彼はそんなものを携えて自然と口をきかなくなった俺の元にやって来て、無言でぐいと差し出すのだ。喧嘩や気まずさに疲れた俺はそれを受け取って、ひとまず休戦とするのだけれど、最近はそれが自然と増えて来ていた。つまり、気まずさを感じる日が増えて来ているのだった。
とはいえ、別に狡噛との生活が嫌になったわけじゃない。俺は彼を愛しているし、あの男以上の誰かとこの先出会う気はしない。だが、日本を出て海外を放浪しているうちに彼は変わってしまって——もちろん変わらないところもある、俺に全てを任せて、自分の好まない状況から逃げるところとだとか——俺はそれが時折怖くなるのだった。彼はまたいなくならないだろうかだなんて、そんなふうに思ってしまうのだった。微妙な感情のズレ、そんなものを恐れて、俺は狡噛への言葉を間違えてしまう。彼はきっと傷ついていると思う。晴れやかな顔をした狡噛なんて、俺は久しく見ていない。あんなに美しい笑顔を持った男だったのに。
元々、彼は太陽の下が似合う男だった。雨でなく、晴れが似合う男だった。それが佐々山が殺されて以降変わってしまった。最近になってようやく笑うようになったけれど、俺が初めて恋をした頃の彼には二度とは戻らないのだろう。そう思うと、俺は少しさびしくなる。今の恋人を誰よりも愛しているというのに、彼のためならなんだって出来るというのに、俺はまぶしかった頃の彼をどうしても求めてしまうのだった。
今日の狡噛の機嫌取りは、保冷剤に包まれたぶどうのジェラートだった。俺たちはちょうど仕事で出島のマーケットに来ていて、仕事中だというのに(俺たちは課長命令で聞き込みをしていた)、狡噛はたっぷりとフルーツを使ったそれを俺に差し出したのだった。俺はそういえば昨日のセックスの後思い出話をしたことを頭に浮かべて、それが自分の父のことで気まずくなってしまったことを彼に対して今さら申し訳なく思った。別にあれは狡噛が悪かったわけじゃない。全てのタイミングが悪く、そして何よりも俺が悪かったのだ。俺が失敗した。誰よりも尊敬し敬愛した人を亡くしたのは、俺の判断ミスでしかなかった。
「仕事中に休憩か?」
「熱中症になったら困るだろう」
俺はジェラートが入った可愛らしい花柄のカップを受け取って、プラスチックのスプーンでそれをひとさじ掬う。甘いジェラートを口の中に招き入れると、ひんやりとして気持ち良かった。そういえば今日はとても暑い日なのだった。父を失った日とは違う——あの日は寒かった。そんな中俺は父の遺体を担いで今日みたいに汗だくになったのだった——そんなありふれた日だった。
「確かに今日は暑いな。スーツにシミが出来そうだよ」
俺は狡噛の詫びの品を食べながら言う。ちゃんと喋れているだろうかと俺は思う。水分を取っているのに喉がからからなのは、彼に対して申し訳なさを感じているからなのかもしれない。
今日の仕事は単純な聞き込みだった。不法移民の間で広がっているドラッグを、違法なメンタルケア剤の末端の売人に尋ねて回るのだ。もちろん医局を通さないメンタルケア剤の素人売買は違法だ。だが混ざり物の多いそれでは人は死なないし、貧しい移民たちには欠かせない、色相をクリアに保つ生活用品でもあった。けれど最近広がっているドラッグは百年前と同じく摂取すれば死が待ち受けているものかもしれなくて、移民の健康を守るという名目で、公安局からの協力要請がやって来たのだった。
「昨日疲れたから余計注意しなきゃな」
もう俺の機嫌が直ったのか、いや、気分が治ったのかと思ったのか、狡噛はそんなふうに軽口を叩いた。俺は思わず彼を小突く。すると大きな手がジェラートを取り落としそうになって、店屋の若い女店主に笑われてしまった。
「お兄さんたち、それが最後の品なんだから大切に食べてよね。今日は暑いからもうすっからかん。嬉しいけどね」
確かに色とりどりのジェラートを入れた保冷容器は、ほとんど空になっていた。狡噛は店主にすまないな、と言って、花柄のカップにスプーンを突き刺した。そしてジェラート屋の女店主と彼は話し始める。天気のことから、最近出島で流行っている気に入りの歌についてや、彼女のこの先の未来の展望についてだとか。そんな世間話をしているうちにみるみるうちにジェラートはなくなり、俺も急いで口に含んだ。
店主と話している時、彼は珍しく笑顔でもって対応していた。情報が欲しいのだから当たり前だが、俺はそれを見て、なぜ自分には笑いかけてくれないのだろうと思った。いや、さっきの冗談を言った時は彼は笑っていた。憂いもなかった。昔と似たような顔をしていた。けれど肝心な時に彼は笑わない。彼も俺と同じで、あの人を亡くしたことについて思うところがあるのかもしれない。話したことはないが、それほど外れているとは思えなかった。
「ありがとう、美味かったよ」
「はいよ、また来てね、お兄さんたち」
俺たちは空になった容器を、店に備え付けのゴミ箱に捨てて店を離れる。暑い中テントに囲まれた道を歩く。俺たちは今仕事をしているから、特に話はしない。けれど確かな信頼感はあった。関係が変化してしまっても、彼がむやみやたらに笑わなくなっても、こんなふうに機嫌を取ってくれるのだから、俺は愛されているのだろう。ただ、愛し方が少し変わってしまっただけで。俺が父を亡くした時に変わったように、狡噛も海外で何かを見て変わってしまったのだろう。
でも、それでもいいではないかと思う。彼は帰って来たじゃないか、そう思うのだ。
俺は足を速める。昼過ぎの暑い中、人ごみをかき分けて歩く。口の中はまだ涼しい。ここが熱くなるのは今日官舎に戻ってからだろうと、俺はさっきの狡噛の軽口を思い出して考えるのだった。