ケンカのち仲直りモユ「下手くそ」
思わずその言葉が口から出た瞬間、千の上にいる百の動きが止まった。それまで荒い息遣いと湿った音だけが響いていた空間の温度も、少し下がったような気がした。
断じて本気でそう思った訳じゃない。
回数を重ねるうちに千のイイところを覚えた百に指や舌で触れられると、変な声が出そうになるし、実際少しだけ声が漏れてしまっていた気がする。最初の頃は全然感じなかった部位も、最近では軽くなぞられるだけでぞわぞわしてしまったりする。
そんな風に千を開発しておきながら、百の方はというとまるで感じている素振りを見せない。欲望に駆られてというより、まるで壊れ物を扱っているかのように丁寧に千に触れるのだ。
スタミナに差があるのは分かりきっているから、百が本気を出したとしたらきっと千はへばってしまうだろう。だが神妙な顔で探るように触れられると、まるで義務でやっているかのように感じられて面白くない。
自分に欲情しているところを見せない百の態度と、自分だけが一方的に感じさせられているという苛立ちから、つい言ってはいけない一言が口をついて出てしまったのだ。
しまったと思った時には、もう遅かった。あからさまに身体を強張らせた彼の顔に浮かんでいるのは、紛れもない絶望の表情だ。
「……ごめん」
いや、それこっちのセリフだろう。何にも悪くないのに、なんでお前が謝るんだ。
次々と浮かんで来る言葉を音にして届ける前に、百は立ち上がりさっさと服を身に着けてしまっていた。
「モモ」
「オレごときが百戦錬磨のユキ相手に気持ち良くなってもらおうとか、ちょっと思い上がってたみたい」
「ちがっ」
「今ちょっと冷静に話ができる気分じゃないから、今日は帰るね」
「待てって! モモっ」
すぐに立ち上がって後を追おうとしたが、瞬発力の点でも千は百に遠く及ばない。ベッドから起き上がった時点で、既に視界から相方の姿は消えていた。バタンと乱暴にドアが閉まる音を、千は未だ全裸のまま茫然と聞くしかなかった。
「下手くそって言われたことある?」
「はあ? 何だよ、いきなり」
百に思ってもいない言葉を投げつけてしまってから、早三日が経過していた。
もちろんあの後すぐに(ちゃんと服は着てから)電話したが、出てもらえなかった。ラビチャで謝罪の言葉を送り続けていたら、30分後に『ごめん。運転中で気づかなかった』と返信が来た。その後『別にいいから気にしないで』と送信されて来たが、絶対根に持っていると思う。
顔を合わせる機会があれば直接謝ることもできるのに、しばらくは一緒の収録がない。今日もピンの仕事で一人楽屋で悶々としているところに、ちょうど後輩ユニットと一緒に昔馴染みが挨拶に来たのだ。出番が迫っているため環と壮五は挨拶もそこそこに立ち去ったが、二人について出て行こうとした彼らのマネージャーを掴まえ、質問してみたという訳だ。
万理には案の定嫌な顔をされたが、こういう時他に相談できる相手もいない。
「もし付き合ってる子から、下手くそって言われたらバンはどうする?」
「いや、そんなデリカシーない事いうような子とは、そもそも付き合わないし」
「思ってなくたって、ぽろっと言うこともあるかもしれないだろ」
「いや、言わないだろ普通」
「でも、もし言われたらどうする?」
しつこく聞き続けると、うんざりした表情を浮かべた万理がハッと何かに気づいたかのように目を見開く。
「まさか、お前言ったのか?」
「別に本気でそう思った訳じゃなかったよ」
「でも言ったんだな、モモくんに」
「うん、まあ」
改めてそう言われるとさすがにバツが悪くなり、千は視線を彷徨わせる。万理の唇から大袈裟な溜息が漏れた。
「ちゃんと謝ったのか?」
「謝ったよ。けど電話には出てもらえないし、ラビチャには既読が付かなくてさ」
もう一度大きく嘆息すると、万理は心底呆れ果てたといった様子で頭を抱えた。
「とにかく、直に顔を合わせて謝れよ」
「でも……」
「いいから誠心誠意謝れ。じゃなきゃ拗れまくるぞ」
いつも明るく面倒見が良くて、大抵の人間には笑顔で接するコミュ力お化けの百だが、実はかなり面倒くさい性格であることを万理も知っている。ことユキのことに関しては特にだ。
「……何て言えばいいと思う?」
「ああ、もう! 本気じゃなかったってちゃんと言ってやれよ」
「うん、分かった」
さすがに反省しているらしい千の様子に「仲直りできるといいな」と一言掛けて、万理は楽屋を出て行ったのだった。