「公子殿はなんでも食べるな。」
そうにこやかに話すのは鍾離。円卓に並ぶ様々な料理を食しながらの談笑。
「しかし箸の使い方がなっていないな。練習が必要なようだ」
「…そうなんだよね。これでも結構やってるつもりなんだけどなぁ」
タルタリヤは無邪気に促してくる鍾離をいなすようにいつもの笑顔で対応する。
手には黒塗りで光沢のある、端から見ても高級そうな箸。
「なにかやる気のでる漆器でも贈ろうか?」
「いやいいよ。…それより先生も好き嫌いしないで食べなよね」
ぷるぷると震える箸先で豆を摘まむことに集中しながらも先程から箸の進んでいない皿があることはお見通しだった。
「何を言う。俺は好き嫌いなんてないぞ」
「その皿イカ入ってるでしょ?相変わらずだなぁ先生は」
「…?これは嫌いなのではない。苦手なのだ。言ってあったか?」
テーブルの下に豆が落ちる。一瞬手が止まる。
「いや、そんな気がしただけだよ」
その豆には気もとられずに笑顔でそう返した。
◆
それは少し前、
璃月の雑踏の中、彼はいた。とても、とても綺麗だった。
つい、駆け寄ったところでタルタリヤは話しかけられた。
「この国の者ではないな?迷っているのか?俺が案内してもよいか」
そう、爽やかに挨拶をする。
タルタリヤは笑顔で
「…よろしく。タルタリヤだ。皆からは公子って呼ばれるよ。…あんた、は?」
そう問いかけた。
「鍾離という。よろしくな」
無垢なその笑顔に、何かが少し痛んだ。
それから何度会っただろう。鍾離は色々な話をタルタリヤに聞かせた。
…自分が元神であることさえ。そして何故今は凡人として生きているのかも。
疑問に思ったタルタリヤはいたずらな笑顔で聞いた。
「ねぇ、何でそんなこと教えてくれるのさ。…オレが悪いやつだったらどうするの?」
すると鍾離は少し考えて答えた。
「考えたこともなかった。お前は信頼に値すると思った。…それだけでは駄目だろうか?」
初めて見せる眉を下げた表情に、心がきゅうと締め付けられる音がした。
「…ううん、嬉しいよ。ありがとう」
何かが、汲み上げる。しかしそれは、吐き捨てなければ行けないと、笑顔のタルタリヤは知っている。
◆
「ん、」
「どうしたの?」
二人並んで歩いていると、鍾離が急に立ち止まり衣服を触り始める。
「いや…また忘れてしまったと思ってな」
「あぁ、財布?いいよいつものことでしょ?」
当たり前のようにそうタルタリヤが返すと、鍾離はむくれる
「最近は持ち歩いていたろう」
「んー…いいよ、らしくない」
そう言いながら足を止めずに歩くタルタリヤに対し、今度は疑問符を浮かべる
「しかし…流石に申し訳…」
「いいんだよ!!…それくらいしか、出来ないんだから」
駆け寄る鍾離に対し急に立ち止まり、振り返り、睨み付けるように放った言葉。
表情は変わらなかったが、驚いていることは手に取るようにわかった。それ故、罰が悪くなり背を向けて小声で「ごめん」と伝える。
「…ん、いや、すまない」
謝られる筋合いなどなく。それでも鍾離は謝罪の言葉を述べていた。
鍾離は、この間の自分の変化に戸惑っていた。とても、安心している。
今までで初めての類の人物。コロコロと変わる表情。それでも何かを含む表情。自分の事を理解してくれていると思える。己を見せても離れていかないと感じられる。ふと感じるこの空気に、何故か懐かしさを感じるような。昔そんな人がいたなと。
…徐々に、何か物足りなく感じるようになり、ふとした時に触れたくなる。
しかし、それを感じる頃にはタルタリヤは何故か腕を組んで歩くようになりそれは叶わない。心の隅で、焦りが生じる。大丈夫だと思っていたことが、違ったら?
この奇妙な気持ちが、相手に漏れ出ていて知られ避けられているとしたら?
そろそろ潮時なのかと、この自分らしからぬ気持ちに踏ん切りをつける時なのかと考えるようになっていた。
◆
「…先生?」
それは講談。足を止める。
色も交えながら昔の自分の起こしたことを武勇伝のように語られるそれ。他人事に聞くそれが鍾離は
「ほんとに好きだよね。」
心臓を捕まれた気がした。
その言葉を、笑顔で放った直後には青ざめ、視線をそらす
「悪い…初めてだったよな」
「…何が、だ」
初めて、タルタリヤとこれを聞いたのが。
「…あー、何でもない、ほんと。気にしないで」
深く深呼吸をして、目を強く瞑り、俯いて。口許には笑みを作り無かったことにしようとする。その行動に、今度は心臓が抉られる。
気付けば鍾離はその場から足早に去ろうとするタルタリヤの腕を掴んでいた。
「話が、ある」
「…わかった」
その言葉を出した時点でお互いに、覚悟は決まっていた。
◆
タルタリヤはもう隠さない。
手慣れた様子で、茶を入れる。
それを訝しげに眺める鍾離。
ここは鍾離の自室。初めて招き入れた。
かちゃりと、卓に置くが、お互いに座る気にはなれなかった。
タルタリヤは、震えていた。その震える声で、絞り出すように。
「ご、ごめん、先生…抱き締めても、いいかな…」
「ん、あぁ…構わないが…」
唐突な願いに、心と裏腹に軽く返事が出る。
泣くな、泣くなと言い聞かせる。
好きだと伝えたい。ずっとずっと前から。やっと会えた時から。
でも、そんなことをして困らせるのはわかりきっていて、どうしようもないことなのも、わかりきっていて。
それでも、この腕の中にある温もりに、また触れてしまった。
嗚咽を漏らさないよう、圧し殺して、零れないよう瞑る。
「…懐かしいな」
ポツリと鍾離の口から出た言葉に飛び退けるように反応すると、本人も困惑したような鍾離の顔。
「いや…変だな。しかし、前もこうやって過ごしたことがあるようだ。貴殿と…」
両肩をタルタリヤに掴まれ、逃げ場はない。自分が口にする言葉は、傷付けてしまうかもしれない。それでも、我が儘を通したい。
「…好いている。公子殿。隣にいて欲しいと思うのだが…それは我が儘だろうか」
揺れる瞳はタルタリヤの見開かれる瞳を見つめる。
知ってる先生
それ、二回目なんだよ
一言一句、同じこと言うんだね
同じだもんね
同じ…
「せ、んせ…オレも…すき…」
溢れ出る。塞き止められない。
「すき、だから…先生がどうなっても…オレのこと、忘れても…オレは…っずっと…!!」
鍾離の手を両手で包み、その場に膝から崩れ落ちる。
止まらない涙を見られないように俯いて。嗚咽は我慢できなくて。
「…俺、は…すまない。何か、大切なことを…」
「そんなの!!先生が…好きって言ってくれるだけでオレ…幸せだよ…」
鍾離はそんなタルタリヤを見れずに、その後ろの茶器を見つめていた。
思い出せない。思い出せない。
それでも俺は、好きだった。お前が入れる茶が。お前が。
それは、
磨耗により、己の恋人への記憶が欠落していることにすら気付かなくなってしまった鍾離と、
タルタリヤのそれでもいいと、忘れられる絶望と戦いながらも、また同じ人に恋をする物語。