バレンタインのオスアキ*
年末から年始にかけてのホリデーシーズンが過ぎてしまうと街は案外落ち着きを取り戻す。みんなクリスマスとニューイヤーで体力を使い果たしてしまうのだ。だからどちらかといえば、今年の二月の第三月曜日は何日だ、プレシデンツデーさえ来ればまたホリデーが待っているぞ、というような囁きの方が耳にする機会が多い。しかしそれも消防だの警察だの、ましてやヒーローともなると祝祭日なんて有って無いようなものだから、余計に忘れてしまうのだ。
現にアキラは今日まで忘れていた、セントバレンタインデーなんてそんなものは。
そもそもバレンタインデーに思い入れも思い出もない。遊ぶ事に夢中な人間だけでつるんでいると恋人がどうのこうの、という話に発展しない。もしかしたら馴染みの連中の中にはバレンタインデーを一大イベントと捉えている者もいたのかもしれないが、そんな素振りをしていた奴は記憶の何処にもいない。たまたまかもしれないし、当人が気を遣って話題にしないようにしていたのかもしれない。
そりゃそうだ、だって好きな人の話なんて、本気であればあるほどプライベートな事だもんな、今なら分かるぞ俺にだって。自分の考えに頷く代わりに瞬きした。そして瞼を開いて手元を見た。
……それでなんで俺はバレンタインカードなんて買っちまったんだ?
*
今日はたまたま、炭酸とかの甘い飲み物が飲みたいと思って、昼休憩の時に買おうと心に決めていた。
食料品の売っている雑貨店がある通りに向かって歩いたら、その目的の店の軒先に回転ラックが置かれていた。観光客向けのポストカードかと思って横目で見たら、バレンタインカードも陳列されていた。もうそんな時期か、なんてうっかり足を止めて見てしまったのが悪かった。
その中にハリネズミのデザインのものがある事に気付いた。赤いハートを抱えて大人しく座っているイラストで、名刺かそれくらいの手に収まるサイズなのに封筒まで付いている。カードそのものは別に季節感はないのに、そのチョコレートみたいな茶色と赤の斜めボーダーの、いかにもバレンタインらしい色合いの封筒が付いてるだけでバレンタインカードらしくなっている。
それにしても俺の知ってるハリネズミはこんな大人しいポーズはしないな、なんてつい手に取ってしまった。更に連想して思い出してしまった、ハリネズミの飼い主の事を。
……でもだからってなんで買っちまったんだ? どうするつもりだったんだ? なんで買った後の事を考えなかったんだ、馬鹿か俺は!
「あああ〜……もう!」
どう考えても全部自分へ返ってくる虚しい怒りと共に倒れ込んだ先のベッドが軋む。
実のところ、昼食とまとめて購入した後にカードを制服の胸ポケットに入れて、そのまますっかり忘れていたのだ。
パトロールを終えて、器具を使ってトレーニングをしていたら後からオスカーがトレーニングルームに来て、じゃあ一通り終わったらスパーリングをしようって事になって、ストレッチして、入浴も済ませて、汗をかいたからジャック達に洗濯を頼もうと服を確認していたらカードが出てきたのだ。
さっきまでは寝る前の時間はどうしようか、ゲームでもやろうか、なんて考えていたのに。全部台無しだ。枕への頭突きが三回目になったところではたと思い出した。
そういえばバースデーにオスカーに個別に贈り物などをしていないままだった。
誕生日の正確な日付を把握した時には既にその日が差し迫った状況であったし、ささやかながらサウスセクター内でパーティーを催すなど準備をしていた事もあって個人的な準備に時間を取れなかったというのもある。
でもそれが、バレンタインデーに向けての今なら時間はある。掌に収まる大きさのカードの文面を考えるくらい天才には造作もない。そしてとっとと書いて封をして、書いた内容など忘れてしまえば恥ずかしさも何もない。そうだとっとと終わらせてしまえ。
……そういえばペンって普段何処にしまってたっけ、と収納場所を思い出す為に部屋中をひっくり返しているうちにその日はタイムアップとなった。
*
「やる」
「何故」
「いいから」
「だから何故だ」
「いいからっつってんだろ」
「わかった。わかったから」
言動があまりにもガラが悪い。オスカーは溜息を一つ吐いてから突き付けられた四角い紙片を受け取った。
顔面に押し付けるかの如く差し出された平たい四方形の角は皮膚に刺さればおそらく痛覚を刺激する。内容も分からないものを受け取っていいものかと思案するこちらの気を知ってか知らずか、しかし受け取ったのを確認したら、それでいいんだよ、等と頷いてアキラはあっさりと走り去った。まるで意図が掴めない。
茶色と赤のボーダーの封筒は手紙にしてはあまりに小さい。封筒には宛名もない。そもそも電子メールやソーシャルネットワーキングサービスによるやり取りが一般的な今日この頃であるのにアナログな手法を伝達手段として選ぶあたり、何か事情があるのかもしれない。
封を切ろうとして、封筒は単に折口を折り曲げただけの簡単な封のされ方をしている事に気付いた。もしかしたら中に宛名や差出人が書いてあるのかもしれない。
いや、この元気さが伝わるような独特の形の字、は。
瞬きをしてよく観察する。口元が緩む。
なるほど、贈り主が機械の操作が苦手だからわざわざアナログな伝達手段を選んだのだろう。ハリネズミの抱えた赤いハートは特殊な印刷なのか、傾けると光を反射していて指先でなぞるとツヤツヤとしていた。
先を越されて遅れを取った側としては、どうやってその差を埋めようかと考えながら、オスカーは制服の胸ポケットの上から、目視でポケットの中にまだ渡せていない四角い紙片がある事を確認した。
――そのカードに『U R MY VALENTINE, TOO.』と書き足されたものがどのようにアキラの手に渡ったのかは、また別のお話し。
〈了〉