京園⑰*
思い当たるところはいくらでもあった。
元気で明るくて表情豊か。という、いつかの簡潔な第一印象を踏まえて、再会した時の彼女の立ち居振る舞いを見て気付いたのはまた別の印象だった。旅館の仲居達と交わしていた挨拶や立ち話の姿からして、慣れている、という雰囲気があった。給仕を受ける事に対して必要以上の緊張がない。此方の仕事を理解して弁えた態度で饗しを受ける、一人の客として振る舞う様子。行儀よくしようとしている風でも、慣れない旅先の土地で気を遣って張り詰めている風でもない。旅慣れているのかとも考えたが、最大の根拠になったのは、食堂で海鮮料理を食べた彼女の食後の後始末だった。
子供を含めた四人の席、否や食堂全体で見ても、彼女の使った皿は一目で分かるほど他のどれとも違っていた。大抵の場合、そのままになっているか避けられている事が多いかいしきの笹の葉で、魚の頭や鰭や骨を被ってあった。綺麗に食べ終わった状態にしてはあまりに整いすぎている。此処に座っていた彼女達が東京から泊まりに来た高校生の予約客だと分かった上で、長く仲居として勤めている年輩の女性が『今時の若い子なのに珍しいわね』と、下膳を手伝ってくれた際に呟いていたのを聞き逃す事は勿論出来なかった。
魚の食べ方にそんな細かい作法がある事など知らなかった。曲がりなりにも海に近い町で旅館業を営む両親の元に生まれておきながら、今まで気に留めた事さえ、なかった。
茶髪のあの子はマナーや躾をしっかり学べるような家の子なのだなと、一瞬でもその外見や服装で判断しそうになった自分を恥じた。
今思えばその瞬間には察していたような気もする。彼女はおそらく一般的なそれよりは厳格で裕福で、しかし自由な行動や意思は尊重されているような、理解のある家庭の人間であると。
「驚かないのね」
薄着のままで坂道を下る車から脱出し、雑木林を走って、抑えつけてくる男の手に抵抗した彼女の体は擦り傷が幾つも出来てしまっていて痛々しい。
東京から迎えが来るからそれまで、と二人で話をしていて、その迎えというのが彼女の実家である鈴木財閥の者だと明かされても、あまり重要な情報だとは感じ取れなかった。数日の間に蓄積された彼女の印象とそれを元にした己の推測が、おおよそ見当外れでもなかったのだと判明したからであるし、ただただ彼女に怪我を負わせ怖ろしい目に遭わせてしまった事への不甲斐なさと遣り場のない口惜しさで他のすべてが些事に思えてならなかったからでもある。
けれども、もし事件がなかったとしてもきっと自分は分かったのではないかと思う。
ずっと見ていたのだから、その仕草と所作と言動と、すべて目に焼き付けようと必死になっていたのだから。
あの日から、ひと時でさえ忘れる事のなかった、せめてもう一度ひと目見たいと、名前だけでも知れたならと、愚かしくも願った。彼女こそがその人なのだから。
彼女に己を認識されて記憶された今、何かを明かされて知らされたところで、たかがそれしきで何が変わるというのか。
「私の家の事を知っても驚かない人ってそんなにいないわよ。もしかして、思ってたより貴方って面白い人ね」
知りたい事が増えていく。それは誉め言葉として受け取っていいのだろうかという戸惑いと、好奇心と探究心。彼女を知りたい。自分の事も知ってほしい。これから彼女にとっての自分がどんな存在になるのか、なれるのか。未来の事がこんなにも気掛かりで仕方ないのは初めての事だった。
〈了〉
貴女が貴女であること/2023/08/25