診断メーカーのやつ(了遊)※了遊(付き合ってない)
※ほのぼのというかほんのり
※いつもの本編後
※また出られてない
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了見は、藤木遊作と見知らぬ部屋に閉じ込められていた。
そこは20畳ほどの長方形の部屋だ。
きれいな白木の壁に磨き上げられた濃い色の組み木のフローリング。部屋の中央にアイランド型のキッチンカウンターが誂えてあり、壁の一面に大きな業務用冷蔵庫と、オーブンや電子レンジなど調理家電の置かれた棚、そして食器棚がはりついている。
反対の壁には白く塗られた木製のドア。明かり採りなのか顔の高さくらいにすりガラスがはめ込まれているが、外の様子は明るさくらいしか窺えない。
そしてそのすりガラスのすぐ下に金属のフックがかけられており、ノートを広げたほどの大きさの札が下がっている。
『ホットケーキを20枚焼いてホットケーキタワーを作らないと出られない部屋』
窓はないため出入り口はここだけだ。
(ふざけた部屋だ)
少しも動かない忌々しいドアノブから手を離し、了見は札を睨んで小さく鼻を鳴らした。
二人とも気が付くとこの場所にいたが現状に至るまでの記憶が全くなかった。そもそも了見は今デンシティより数千キロ離れた港町に滞在しており藤木遊作と顔を合わせる訳がない。明らかに異常な状況な上、通信手段も持ち物も何もない。二人で手分けして一通り探索したもののドア以外に外へつながっていそうな場所はない。
前もこんなことがあったような気がするがうまく思い出せない。気のせいかもしれない。
ともあれ了見はひとまずここが何なのかについて今は考えないことにした。思考放棄は忌むべきところだが無駄な思考も同じことだ。現状目に見える範囲以上の情報は得られそうになく状況が変わる様子もないならば、状況を変える行動をするしかない。
ドアから離れてカウンター前に戻ると、遊作の方はキッチンや戸棚の中身を物色していた。指示の通りにホットケーキを作る気らしい。
状況だけ述べれば拉致監禁された状態なわけだが妙に落ち着き払って見える。元より藤木遊作は非常時に取り乱すような性質ではないとはいえ、だ。
「必要そうなものは揃えてあるみたいだな」
言いながら遊作は、コンロと流しの間の調理台部分に見つけたものを並べていく。卵に牛乳、バターにサラダ油、シロップのボトルといくつかのジャムの瓶。
「こんなものか」
言いながら最後にホットケーキミックス粉の箱を置いて了見をみる。
「ミックスで良いだろう?」
訊ねてから、あ、と小さく呟く。
「了見、そもそもおまえは甘いものは平気か?」
「……普通だ」
「なら良かった」
遊作は口の端に笑みを刷いて、今度はボウルやレードルを探し出す。
了見は全く知らなかったが、意外なことに──本当に意外なことに、藤木遊作はホットケーキを作り慣れているようだった。
ミックス粉のパッケージに書かれたレシピにある通りの手順を踏んでいるのだが、まったく確認していない。加えて、混ぜるだけとはいえ生地を作り始めた時に牛乳の量を目分量で調整していた。卵と牛乳を混ぜた時にしげしげと泡立て器を眺めて「便利だな」と呟いていたので普段の調理道具が気になるところだが、そんな感想が出る程度の回数は確実に作っているわけだ。
とはいえ、一体どこの誰が想像するだろう。必要最低限の物しか持たず、おおよそ余暇の過ごし方を想像させないこの少年が──ホットドックを焼くのにも小難しい顔をしていた藤木遊作が菓子を作るなど。
(……いや、私がお前を知らないだけか)
少し考えれば分かることだ。一緒に暮らす彼の賑やかな同居人が知らないはずがないし、あるいは彼と日常的に交流のある人間なら雑談ついでに話題になることもあるだろう。隠すような趣味ではない。
小さく息を吐いて了見は、無意識のうちに眉間にしわを寄せた。
遊作が火にかけたフライパンへ生地を落としたところで声をかける。
「焼きはそのまま任せていいのか」
「ああ。おまえは皿とフォークでも用意して、その辺で座って待っていてくれ」
「……」
少しばかり疑問が沸いたが、ひとまず了見はホットケーキ作成を遊作に任せてキッチンスペース内を探った。
ざっと見ただけだがやはり脱出に使えそうな道具や連絡できそうな機器類は何一つない。代わりにホットケーキに合いそうな食材や飲料、必要そうな調理道具ばかりが戸棚に並び、冷蔵庫に詰め込まれている。了見は色々諦めてひとまず紅茶を淹れることにした。
その間にも遊作は一枚目を焼き上げて真っ白な皿にのせる。
「上手いものだな」
素直に感心を口にすれば、遊作はやや照れた様子で手元のフライパンへ目線を落とした。濡れ布巾で冷ましてから、二枚目の生地をその中央に落とす。
「なあ了見。俺がホットケーキを作れるというのはそんなに驚くことか?」
「何だ急に」
「だっておまえ、ずっと面白い顔をしてる」
「……」
「そんな顔も、するんだな」
楽しげな遊作と対照的に了見は小さく唸った。どんな顔だ。
とはいえ驚いたのは事実だ。遊作からしてみれば失礼な話かもしれないが。
「──率直に、意外に思っている。料理はともかく菓子を作るとは知らなかった」
「わざわざ話すことじゃないからな。みんな知らない」
了見は目を瞬く。
「誰も?」
問い返せば小さく首を傾げて、さすがにAiは知っている、と付け加える。それはまあ一緒に暮らしていれば当たり前だろう。
「ホットケーキが好きなのか」
「好きというか、副産物という方が近いな」
「というと」
「こういうのは眠れない夜の暇つぶしに丁度いい」
遊作はじっとフライパンの上の生地を見ている。
きれいに丸く広がった生地に、小さくふつふつ穴が開き始めている。比例して、ホットケーキ特有の甘い匂いがじわりと強くなる。手元を見つめる横顔はひどく機嫌が良さそうに見えた。
「うるさくなくて、集中できて、時間が潰せて結果がプラスになる作業──おまえにもそういうものの一つや二つ、あるんじゃないか?」
「……確かにな」
安全な部屋で暖かいベッドに潜ろうとも、過去からの呼び声に追い付かれる夜はある。戦いに決着がつこうと、今がどれほど平穏であろうと関係ない。
そうして眠りを諦める夜は頻度の差こそあれそう簡単になくなるまい。
「あとは単純に真夜中にこういうものを作って食べるのは少し楽しい」
「それもまあ、分からないでもない」
「だろう?」
言いながらホットケーキを返す。フライパンの上で、薄い生地がひらりときれいにひっくり返った。あれが裏面を焼く間にしっかりふくらむのだから上手いものだ。
了見が二人分の紅茶を用意し終えたところで遊作はカウンターテーブルのイスに了見を座らせると、出来上がったばかりのホットケーキをその前に置いた。
絵に描いたようなきれいな焼き色の、万人が名前を聞いてまず思い浮かべるシンプルかつ王道の二段重ねのホットケーキだ。
「お前の分は」
「次を焼く。冷めないうちに食べてくれ」
遊作は上段に大きめのバターを落とす。金色の塊がゆっくり溶けていく、そこへ遊作は続けてはちみつをホットケーキへたっぷりかけた。バターの金にはちみつの黄金がまじり、ホットケーキの上面から端を伝い白い皿へ落ちる。室内はバターの芳ばしい香りとはちみつの甘い香りに満ちていく。
促されて口にしたホットケーキは温かくふかふかで、素朴な味のホットケーキにたっぷりしみたバターの塩味とはちみつの甘さが相まってとてもおいしい。
「なかなかの出来だろう」
珍しくどこか得意げな様子で言う遊作は、おいしいと素直に伝えると照れたようにはにかんだ。そんな顔はいつもよりどこか幼くて、かわいらしくも感じる。
(それにしても……これは完全に忘れているな)
部屋から脱出するつもりならホットケーキを食べてしまってはまずいのだが──指摘は食べ終わってからでもいいだろう。もともと全部遊作にやらせるつもりではなかったし、食べた分を自分が焼けば同じことだ。
三枚目に取り掛かる遊作を眺めながら了見は、次の一切れを口にした。