ハッピーハロウィンその日のレッドガン宿舎内の空気は何となく浮ついたものだった。カレンダーの日付は10/31、所謂ハロウィンである。娯楽の限られるルビコンという土地において数少ないイベントの一つになる。
本来なら子供が大人にお菓子を貰いにいくものだが、この基地内は最年少構成員でも成人済み。なので親しい仲の者たちが各々持ち寄ったお菓子ないし嗜好品の交換会というものになっている。もちろんレッドガンのナンバー持ち達も変わらない。
「やぁやぁイグアス、息災ですか〜?トリックオアトリート、お菓子くれなきゃ今月の残業代給料からさっ引くぞ♡」
悪戯の内容が具体的かつ全くもって可愛くない五花海の台詞に和気藹々と昼食をとっていた後輩達は口に含んでいた物を吹き出した。
「うっわ、そんなに驚かないで下さいよ」
「お前ェのせいで厄日になったわ!!そもそも下っ端にたかりにくんじゃねぇ!!」
「言ったもん勝ちですので。ほらほら何でもいいからお出しなさい」
次は私より先に言えるといいですね、と五花海は差し出した手をひらひらと振ってプレゼントを催促する。イグアスは舌打ちしつつも律儀にズボンのポケットに忍ばせていた少し折れ曲がった紙タバコを一本だけ差し出す。
「ほらよ、持ち合わせないから文句言うなよ」
「毎度あり」
「つーか何で俺だけ指名なんだよ!ヴォルタもレッドもいるじゃねぇか!」
「えっと、それは...」
「ははは...」
席には3人もいたのに自分だけ巻き上げられた件が気に食わないイグアスが噛み付くも、2人は気まずそうに言葉を濁している。なかなか言い出さない彼らに代わり五花海は口を開く。
「2人は私より先に『悪戯』したんですよ〜」
「ハァ〜!?」
ヴォルタとレッドはちゃっかり五花海相手に先手を取っていた。ヴォルタは入手が難しい嗜好品の値の張るアルコールを、レッドは故郷のきょうだいに贈れる分もある日持ちする個包装のお菓子を受け取っているとはイグアスは夢にも思っていなかった。一応ナンバー持ちでは年長者側の人間なのだから、イグアスにその気があれば受け取る側になっていた。
「イグアスはもう少し俗世に興味を持っておきなさいな。今日のように損をしますよ」
「ぐぅ...」
それでは、と用件が済んだ五花海はさっさと立ち去ってしまう。後にはむすっとした表情を浮かべた納得できないイグアスと、あとでやり返せばいいだろと宥めすかすヴォルタとレッドが残された。
まんまとイグアスに悪戯を仕掛け終わった五花海は自室へと引っ込んだ。実のところ今日は非番でありわざわざリスクを冒して外に出るつもりは毛頭ない。はっきり言えばイグアス同様あまり乗り気ではなく、その理由は貰うより渡す額の方がほんのちょっと上回るからだ。人付き合いがマメであることは周知のこと、基地内にいるだけで格好の的になる。毎年わざわざ出張や長期の任務を被せて基地を空けるように調整していたのだが本年は当日非番しか勝ち取れなかった。
後輩達と非番を交代してもらったオオサワ、不本意ではあるが上長2人分、そして今から見えるであろう来客分のみ品物を用意していた。
今朝方、621から五花海の個人端末宛に基地に立ち寄ると連絡があった。621も世俗に疎いがイグアスと違い知れば興味を持って催事に参加する子である。この日のためにハロウィンとはどのような行事か、参加に当たって仮装もあり、具体的なお化けに悪魔の例も挙げた。サキュバスやキョンシー、マーメイド等何故だか露出の多いものの知識に偏っているが五花海に他意はない。
昼過ぎには来るとメールには書いていたのでそろそろか、と身構えていると部屋の扉をノックする音した。
さて、どんな仮装をしているのかと心躍らせて入口を解放した先には予想通り621がいた。
黄色のメット、というか仮面のようなものを頭に被り、両手には恐らくチェーンソーと火炎放射器の様な武装をしている。ぱっと見の印象はどこかの惑星で人気のあったホラー映画の怪物だった。13日の金曜日に現れるという怪物の物語は世代を超えて根強いファンも多くシリーズ毎に怪物の特徴も異なる作品、と記憶している。流石の五花海でも全シリーズを把握している訳ではないので概要程度の知識しかない。そういえばレイヴンは大豊製AC・天槍の足を可愛いと宣うAC狂いだったとはたと思い出す。彼女の中では可愛いおめかしの部類なのだろう。
「なんといいますか...個性的な衣装ですね、とても目を惹きます」
1日限りの仮装にしては細部にまで拘りの感じられる作りであるのは一目見て分かる。チェーンソーの刃一つずつに丁寧な錆表現を施し所々歯を欠かさせることで使用感を出し、火炎放射器はタンクからのオイル漏れ、砲身の高熱による変色などの描き込みによりディテールアップが図られて相当な熱意が感じ取れる。621ほどACや機械に対する審美眼はないため何とかひり出した言葉であったが彼女は満足気に胸を張った。
「ふふ、そうでしょう」
「差し支えなければ後学のために何の仮装か教えていただいても?」
「ミルクトゥース、グリッド012に棲まう怪異だよ」
「そうですかぁ...」
話を膨らませねば、と会話を続行したが621の返答に五花海は考えるのを放棄した。乳歯がチェーンソーと火炎放射器を背負って襲ってくるってどんな状況だろうか。ルビコンの怪異には疎いし上、直感が『関わってはいけない』と囁いている。そんな彼の様子にお構いなく621は詳細を語ってくれた。
「初対面なのに『ご友人』呼ばわりしてきてダンスするのを強要するんだ。近づくと焼かれるんだよ」
「そう...」
グリッド012と言えばドーザーの住処である。おおよそコーラル酔いしたドーザーの妄言に尾ひれがつきルビコン内で流行った都市伝説の類なのかもしれない。
ある意味悪戯は終わっているが本題はここから。ふとお菓子を受け取っていないことに気がついた621は決め台詞を口にする。
「トリックオアトリート。お菓子くれなきゃ悪戯するぞ」
その言葉にフリーズしていた五花海は再起動した。奇天烈な言動に惑わされていたが本来はお菓子を渡すために連絡を取り合っていたのだ。
「えぇ〜?どうしましょうかぁ。どんな悪戯してくれるんです?」
だがほんの少し揶揄ってやろうと五花海は素直にお菓子を渡さなかった。621がどんな悪戯をしてくれるか楽しみだったからだ。『621が出来る事は大した事がないだろう』という慢心もあった。
「五花海がナイルに内緒にしてること、告発してくるね」
五花海と621の間に沈黙が走る。心当たりが多い。621はぼんやりしているようで鼻が効く、それもピンポイントで正解に辿り着く。ブラフの可能性もあるがどの道問いたださなければならない。
背中に冷たい汗が流れ始めた五花海に対し悪魔のような微笑みを見せた621は方向転換するとナイルの執務室に繋がる廊下を猛スピードで駆け出していった。
「待って!!!待って下さい!!!!お菓子っ!お菓子あります!!!!!!レイヴン!!!!!」
ぎょっとして621を呼び止めようと声を張り上げる。普段の五花海からは想像出来ない気合いの入った腹からの発声だった。驚いたレッドガン隊員が振り返るほどの。しかし621が戻ってくる気配はない。お菓子を片手に慌ててその後を追い始めた。
621は瞬発力はあるが持久力はない、逆に五花海は瞬発力はないが持久力はある。ハロウィンの真昼間から白熱の鬼ごっこに興じる羽目になり五花海は数秒前の自分を死ぬほど呪った。
621は小柄な体格もあり人の間を縫うように突き進んでいく。後ろを追う五花海も人の間をするりと器用に抜けて距離を離されないように努めた。
大昔にやんちゃしていた頃にスラム街の細く散らかった路地を走り回っていた経験がこんなくだらない事で活かされてなんとも言えない気分になった。
宿舎と事務所を繋ぐ渡り廊下を駆け抜ける間、まだ2人の距離は縮まっていなかった。
事務所側の建物に侵入してから五花海は賭けに出る。ベイラムの事務所はやたら広く廊下が入り組んでいてナイルの執務室に辿り着くルートは複数あった。621がいつも使うルートは外部の人間でも覚えやすいが一部遠回りをする。今から走り抜けるルートは部外者が立ち入る事ができない資料室や物置部屋を通る。関係者しか足を踏み入れる事がないため廊下に荷物が置きっぱなしになっていたりするが執務室に最短距離で到達する。途中乱雑に置かれた書類束の入ったダンボールを足に引っ掛けて中身を廊下にぶち撒けたが瑣末なもの。内容によるがナイルに告げ口されたリスクの方が格段に大きい。
合流地点が見え始めたあたりで向こうから誰かが走る足跡を聞く。初めに比べ速度が落ちている。ただでさえ持久力がない621が今日は仮装という重りを身につけているのが大きい。五花海がラストスパートをかける。
通路を塞ぐように置かれた清掃カートを飛び越えると同時に走ってきた621を捉える。真横から飛び出てきた五花海に驚いた621は逃げきれずに腕の中に収まった。
「はぁ、はぁ...!!捕まえましたよ...!レイヴン...!!」
「そんなにこの悪戯嫌だったの?」
「嫌ですけど!!??」
悪戯が失敗してご不満な621と対照的に五花海は安堵していた。これで無事にハロウィンが終わると思われたその時。
「...五花海、ついでにレイヴン。複数の隊員から俺に連絡があったぞ...何の騒ぎか説明してもらおうか」
振り返るとそこには既に怒りの形相のナイルが立っていた。この後に降りかかる現実を想像して両名は縮み上がった。
夕方 レッドガン宿舎 食堂前
ナイルにこってり1時間以上説教を喰らい、罰として隊員達にお菓子を配る係になった。首から下げられた札には「私達はハロウィンに浮かれて規律を乱しました」と書かれている。食事のために食堂に足を運んできた隊員達に冷やかされ散々悪戯されていた。そこへにやにやと笑いながらイグアスがやってきた。
「よぉ野良犬と五先生、ごきげんよう。ハロウィン楽しんでるか?」
昼間の意趣返しと言わんばかりだった。
「トリックオアトリート!昼間の分もオマケつけてくれよな」
「ひぇ〜これでご勘弁を〜」
急かすイグアスにお菓子とそれに隠すように小箱を手渡す五花海。なんだこれ、と小箱の蓋を開けるてみると中身は葉巻だった。目を丸くして受け取った物を眺めている横顔は子供のよう。
「興味あったんでしょう?いつもまじまじと見てましたもんね〜」
「は、はぁ?」
「あぁ、でも私葉巻は吸いませんので使い方は総長にでも聞いて下さいな」
「なんでクソ親父となんか」
「実は私、総長達にもたかられまして...バーの予約取ってるんですよ」
「...」
「今なら飲み代もう1人分出しますケド」
「...ふーん、別に俺は親父達と一緒行きたいわけじゃねぇけど。行ってやらんでもない」
「すなおじゃないね」
「今いい雰囲気だから静かにしましょうね、レイヴン」
「丸聞こえだよ」
いつものように強く言ってこないイグアスの顔は緩みそうになるのを必死に抑えているようだった。そして改まって例の台詞を口にする。
「ハッピーハロウィン」