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    ナンナル

    @nannru122

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    ナンナル

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    お弁当屋のバイトの子は、俳優さんと握手する。

    この先も書こうと思ったけど、2000字とかで収まる気しないので、分けます。
    全然☆くんが卒業してくれなくて、この話終わらない( 'ㅅ')

    ※この話は完全全年齢向けにするって決めてるので、基本的に本文内で大人な展開は一切何も起こりません。(後日談は分からない)

    メインディッシュは俳優さん以外テイクアウト不可能です!× 20(司side)

    どうやらオレは、人気俳優神代類の、“友人”に昇格したらしい。

    「今日もあいつ来れないから」
    「…は、はい……。これ、どうぞ」
    「ありがとう。ちゃんと類に渡しておくから」
    「よろしくお願いいたします」

    いつも通りの寧々さんがお弁当を受け取ってくれる。
    神代さんとは、あの番組が報道されてから一度も会っていない。どうやら、マスコミの人達が神代さんの周りに増えたとの事だ。なので、神代さんのマネージャーである寧々さんが月曜日の朝に取りに来てくれている。水曜日も最近は寧々さんが来ていた。

    (正直、神代さんと顔を合わせなくてすむから、気持ちを落ち着ける時間が出来て有難いがな…)

    ホ、と小さく息を吐くと、寧々さんが首を傾げた。それに慌てて愛想笑いを浮かべる。神代さんとはそれなりに面識があるが、オレはまだ寧々さんとはそこまで交流がない。なので、これはこれで緊張もしてしまう。
    と、そこでもう一つ渡すものがあるのを思い出した。

    「あの、こっちは、寧々さんに」
    「ありがとう」
    「土曜日に会えるのを楽しみにしてるそうですよ」
    「……………あっそ…」

    小さな紙袋を手渡すと、寧々さんの表情が柔らかくなった。こっちはえむから寧々さん宛てだ。中身はお菓子だった気がする。寧々さんのこの様子だと、悪いものでは無いのだろう。
    神代さんに毎週お弁当を作るって話をえむにしたら、えむも寧々さんにお手紙を書く! と意気込んでいた。翌週、えむの手紙を渡したのだが、水曜日に来た寧々さんに変な顔をされてしまったのを覚えている。

    ―――

    『なにあれ』

    第一声がそれだった。
    たまたまえむは習い事で不在だったので話を聞くと、手紙には『お姉さん元気ですか?あたしは元気です!』と癖のある字で書いてあったそうだ。大小混ざった文字は少し読みづらく、内容も返事の仕方が無い。目の前で眉間に皺を寄せて頭を悩ませる寧々さんに、オレは代わりに謝った。

    『元気ですって言えばいいの?手紙なんだから、もっと書けばいいじゃない』
    『……そうですね、すみません』
    『というか、なんで手紙なの?普通連絡先を聞いたりするんじゃないの?バカなの?』
    『…多分、寧々さんに手紙を渡せるのが嬉しかったんだと思いますよ』
    『……………………………あっそ…』

    話を聞くと、寧々さんとえむはまだ連絡先を交換してないらしい。えむは、土曜日の特別のお客さんの話をよくしてくれるからな。きっと、寧々さんに手紙を渡せると聞いて嬉しかったのだと思う。見せてもらった手紙の文字からも、珍しく緊張しているのが伝わってくるしな。

    『えむには、オレから伝えましょうか?』
    『……いい。土曜日に来るから』
    『そうしてもらえると、えむが喜びます』
    『とりあえず、類がお弁当を楽しみにしてるから、適当に入れてくれる?』
    『畏まりました』

    神代さんが好きそうなおかずをパックに詰めて、カウンターに置いていく。お握りはいつもの鮭のお握りだ。それから、お味噌汁は久しぶりのあおさの味噌汁なのでそれも。ガサガサと袋に入れて、いつもと同じ料金を寧々さんに伝える。ビニール袋を手渡すと、寧々さんがふわりと笑った。

    『類、月曜日のお弁当を楽しみにしてるから、またよろしくね』
    『はいっ!』

    ―――

    「それじゃ、そろそろ行かないとあいつが拗ねるから」
    「態々ありがとうございました」
    「それはこっちの台詞。あいつの我儘に付き合ってくれてありがとう」
    「…オレは、やりたくてやってるので……」

    なんだか少し気恥ずかしくて、視線が泳いでしまう。くす、と笑った寧々さんは、受け取った手提げを助手席の方へ置いてから車に乗り込んだ。パタン、と車のドアが閉まって、ゆっくりと発進する。遠のいて行く車体を見送ってから、オレも学校へ向かった。

    (次に神代さんに会うのは、いつだろうか…)

    あの番組が報道されてからそれなりに経ったが、まだ暫くは会えないようだ。お弁当の感想とか些細な近況報告は、神代さんからメッセージアプリで届く。たまに、『会いたい』とメッセージが来ることもある。これが、神代さんにとっての友人の距離感だろうか。些か近い気もするのだが…。

    (……だが、嬉しいと思ってしまうから、オレもオレなのだろうな…)

    熱くなった顔をパタパタと手で扇いで、息をひとつ吐く。恋とはなんとも厄介だ。叶うわけが無いのに、少しづつでも近付けてしまえば諦められなくなってしまう。本当なら、連絡も取るべきでは無いんだ。神代さんの隣にいたいと、邪な気持ちを持ってしまっているオレが、いていいはずがない。神代さんには、婚約者がいるのだから。
    脳裏に浮かぶ神代さんの笑顔に、胸の奥がきゅぅ、と音を鳴らす。それと同時に、つきつきとした痛みも感じる。

    「おはよー!司くーんっ!」
    「おわっ…?!え、えむ…!」
    「えへへ、今日もいい天気だね!」
    「急に飛びかかったら危ないだろう」

    突然後ろから飛びかかってきたえむに、溜息をひとつ吐く。が、オレの言葉なんか聞こえてない様子のえむはにこにことしたまま隣に並んだ。今日は習い事もお休みだ、とか、明日お兄ちゃんが新しいメニューの試作品を食べさせてくれるんだ、とか、楽しそうに話し始めている。これ以上言っても仕方ないことを知っているので、オレはとりあえずえむの話に適当に相槌を打った。

    「そういえば、司くん、進路はもう決まったの?」
    「あぁ、一応候補はあげて提出してあるぞ」
    「そっか。なら、司くんもバイトの時間減っちゃうね」
    「まだもう少し続けるがな。受験の間だけ、シフトは減らしてもらう予定だ」

    教室の自席に鞄を置くと、えむは眉を八の字に下げた。
    もう高校三年生だ。バイトは楽しいが、進路に向けての勉強も本気で取り組まねばならん。神代さんと一緒に役者をしたい。それならば、進路も演劇関係となる。自分なりに調べた専門学校は、有名な所の分入試も難しそうだった。だからこそ、少しづつでも頑張らねばならん。

    「高校卒業したら、一人暮らしするんだっけ?」
    「あぁ。その為にバイトを始めたからな」
    「司くん、お料理もお掃除も上手だもんね」
    「ふふん。昔からそれなりにやってきたからな!」

    胸を張って言えるオレの特技の一つである。家庭的な事は人並みに出来るからな。言い切ったオレに、えむが目の前でぱちぱちと拍手してくれる。と、そこへ担任の教師が教室に入ってきた。ガタガタと生徒が席に着くのを見て、えむも自席に戻っていく。オレも席について、鞄から筆箱を取り出した。

    (ん…?)

    教師の挨拶を聞いていると、ポケットの中でスマホが震えた。なんとなく気になって、ポケットからスマホを取り出す。通知欄に映ったのは、咲希の名前だった。

    (………『落選した』…?)

    件名を読んで、オレは首を傾げた。

    ―――
    (類side)

    「天馬くんに会いたい…」

    ソファーの背もたれに寄りかかって、盛大に息を吐く。いつものにこにこと笑う天馬くんの顔が脳裏に浮かんでは消えてを繰り返していて、限界だ。僕の一言に百面相してくれる天馬くんが足りない。手を繋いだら固まって、頭を撫でたら恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにはにかんでくれる姿を思い出すだけで胸の奥がきゅぅ、と苦しくなる。触れたくて触れたくて仕方ないのに、一ヶ月以上も本人に会えずじまいだ。

    「自業自得でしょ。だから発言には気をつけてって言ったのに」
    「少しくらい会いに行ってもいいじゃないか」
    「駄目。諦めて仕事してなさい」
    「寧々〜…」

    ふん、と顔を背ける寧々はまだお怒りのようだ。確かに迂闊な発言ではあったかもしれないけれど、僕だってこれ以上彼に誤解されたままでいるわけにはいかなかった。それに、これで堂々と天馬くんが特別だと言えるのだ。多少の不利益は仕方ないと思う。ここまで天馬くんに会わせてもらえなくなるとは思わなかったけれど…。

    「そろそろメイクさんが来るんだから、シャキッとしなさいよ」
    「天馬くんに会えないなんて、やる気出ないよ…」
    「その“天馬くん”は“俳優神代類”に憧れてるんだから、やる気くらい出しなさいよ」

    寧々の言葉に、ぅ…、と詰まる。
    確かに天馬くんは、いつか僕の隣に立ちたいと言ってくれた。それはとても嬉しい。僕だって、彼に舞台の上へ来て欲しい。彼が演じる姿を、もっと見たいとも思っている。けれど、それ以上に、彼には隣にいてほしい。僕だけに笑ってくれる彼が、欲しいと思ってしまう。だから、彼に変な誤解はしていてほしくない。

    「……せめて、今日天馬くんが参加するなら、全力で頑張るのにな」
    「天馬くんは類のファンって訳じゃないんだから、今日の握手会だって知らないでしょ」
    「………そうなんだよね…」

    はぁ、と溜息を吐いて、ソファーの背もたれに顔を埋める。今日握手会だって事も、天馬くんは知らないのだろうね。参加資格は抽選なので、天馬くんを誘うことも出来なかった。彼の妹さんは僕のファンだって言っていたけれど、寧々曰く、今回の抽選は落選者がとても多い程、応募数も多かったらしい。当落に関しては企画したスタッフさん達が全て一任していたので、僕は関わっていない。だから、誰が参加するのかも全く知らないんだよね。

    「とにかく、今日一日は色んな人と会わなきゃいけないんだから、頑張んなさい」
    「…分かっているよ」
    「あ、ほら、メイクさん来たよ」

    タイミング良くコンコンと扉をノックされ、寧々が中へ入れる。入ってきた女性は、パタパタと準備をし始めた。にこ、と愛想笑いを貼り付けて、僕も鏡の前に座る。
    近いうちに寧々には内緒で天馬くんに会えないかな。外で会うのが危険だと言うなら、彼の家か、僕の家でもいいかもしれない。ほんの少しでもいいから、直接天馬くんに会いたくて仕方がない。

    (……この握手会が終わったら、連絡してみよう)

    ―――

    「いつもありがとう」

    何十回と同じ言葉を繰り返す。
    そろそろ疲れてきてしまった。後ろへ続く列はどこで終わるのだろうか。列が減ってきても、スタッフさんがまた新しい列を連れてくる。その度に、心の中で息を吐いた。とても嬉しそうにしてくれるのは有難いけれど、流石に何人もに挨拶をし続けるのは疲れてしまう。

    (…この人、前のイベントにもいた気がする)

    何人か見覚えがある気がするけど、そこは初めましてを装う。変に期待させる訳にもいかないからね。女性がほとんどで、たまに男性がいる程度。三十人くらいに一人の割合だろうか。いつもの愛想笑いで挨拶をすると、どの子も嬉しそうに笑った。それは僕も少し嬉しい。人の笑う顔は、どんな時でも良いものだ。
    だけど、今はこれじゃない。

    (………あの綺麗な金色の髪が見たいなぁ)

    脳裏に浮かぶのは、金色の髪が毛先にかけて薄い桃色へグラデーションする珍しい色を持った彼の姿だ。ころころと変わる表情がとても可愛らしい、そんな彼の笑う顔が見たい。
    スタッフさんが次の列を誘導してくるのが見えて、小さく息を吐く。これはまだ、長く続くのだろうね。終わったら、彼にメッセージでも送ろうか。もしかしたら、今日もバイト先にいるのかな。また今度お店に行けたら、彼にオススメを教えてもらいたい。
    目の前の女性と握手を交わして、お決まりの言葉を返す。何十回としてきた流れに、自然と体が動いた。

    「こんにちはっ!」

    次の人が目の前に立つ。ふわふわの髪を二つに結った少女は、見覚えのある髪色をしていた。金色の髪の毛先が、桃色へグラデーションになっていく、珍しい髪色。大きな瞳も桃色で、可愛らしい服を着ている。そんな彼女に一瞬目を瞬いてしまって、慌てて手を差し出した。僕より小さな手が、一瞬躊躇ってから、きゅ、と控え目に握ってくる。そんな彼女の手を握り返すと、じわっとその白い頬が朱に染っていく。

    「あの、ずっとずっと類さんの大ファンで、今日、お会いできて嬉しいですっ…!」
    「ありがとう、僕も嬉しいよ」
    「ほ、ほんとは抽選落ちちゃったんですけど、アタシのお兄ちゃんが、当ててくれて、今日は一緒に来ててっ…!」
    「ふふ、仲の良い兄妹なんだね」

    一生懸命話す彼女は、なんだか天馬くんに似ていた。髪色ももちろんだけれど、瞳が大きいところや、表情がころころと変わるところなんかも似ている。それに、恥ずかしいと顔を逸らす所なんかも。一層彼に会いたくなってしまった気持ちを押し込んで、彼女にも決まった言葉を返した。「いつもありがとう」と伝えると、パッとその表情が綻んだ。

    「次の人に代わってください」

    スタッフの人が、声をかけてくる。
    彼女は慌てて僕から手を離すと、「これからも頑張ってくださいっ!」と言いながら深く頭を下げた。なんだか、この丁寧なお辞儀にも見覚えがある。
    くす、と笑うと、目の前の彼女は列の方へ手を振った。

    「じゃぁ、お兄ちゃん、あっちで待ってるね」
    「あぁ」

    多分、すぐ後ろに並んでいたお兄さんへの言葉だったのだろう。けれど、そこで聞こえた声に、思わず体が固まる。緊張しているのか、少し低めの声は、間違えるはずもない愛おしい彼の声だ。歩く音が近付いてきて、視界に、ふんわりと揺れる金色の髪映った。耳まで赤く染まっていて、唇をきゅ、と引き結ぶ姿が可愛らしい。伺うようにこちらを見た目の前の彼は、ずっと会いたいと思っていた天馬くんだった。

    「…ぇ、と…、“初めまして”…、…」
    「え、…」

    彼らしくない小さな声に、変な声が零れた。

    ―――
    (司side)

    「お兄ちゃん、ありがとぉおっ…!」
    「お、大袈裟だ…」
    「だってだって、もう駄目かと思ったんだもんんん…!」

    家に帰るなり、咲希がオレの腕の中に飛び込んできた。
    今朝送られてきた咲希からのメッセージは、『握手会の当落結果』だったらしい。落選しちゃった、と泣き顔のスタンプと一緒に送られてきていた。咲希は神代さんにずっと会いたがっていたし、せっかくのチャンスだったのだから、仕方ないかもしれん。学校で咲希に連絡を貰ってから、オレも神代さんの握手会の当落を見に行った。抽選結果を見に行くまでにも、結構ページを飛んだりして大変だったが、何とか自分の結果を見ることが出来た。
    結果は、『当選』となっていた。

    「これで類さんに会えるよぉっ…!」
    「良かったな」

    胸元でわんわん泣く妹の髪を撫でながら、オレは小さく息を吐く。当選したのは二人分のチケットだ。咲希の友人にも神代さんのファンはいるだろうし、友だちと行くのだろう。兄としては、妹が憧れの俳優に会いに行けるのは喜ばしい限りだ。オレ個人としては、ほんの少しだけ残念な気持ちもあるが。最近、神代さんに会えていない。というのも、まだ忙しいのだと寧々さんが言っていたからな。メッセージのやり取りや、たまに電話がかかってくることもあるが、相手は人気俳優の神代類である。オレなんかがそう頻繁にやり取りするわけにはいかんからな。

    (…それでも、神代さんに少しでも会いたいと思ってしまうから厄介だな…)

    神代さんと頻繁に会っていたせいか、一ヶ月会わないだけでもう耐えきれそうにない程苦しいと思ってしまう。寂しい気持ちは見て見ぬふりでここまで来たが、やはり、神代さんに堂々と会える咲希が少し羨ましい。
    兄としての喜びと、オレ個人の我儘で複雑な心境に苦笑していると、咲希がパッと顔を上げた。

    「うんっ…!お兄ちゃん、当日は予定空けて置いてね!」
    「……え…」

    思ってもみなかった咲希の発言に、たっぷり数秒の間が空く。
    予定を空けて、というのは、つまりどういうことだろうか。咲希はずっと友人と行くものだと思っていたのだが…。ぱちぱちと目を瞬くと、咲希が首を傾げた。

    「もしかして、もう予定入っちゃってる?」
    「い、いや、咲希も、友人と行くのかと思っていたから、…」
    「これ、当選した本人が必ず一緒じゃないと入れないよ?」
    「…ぇ……」

    咲希に言われて、慌ててスマホを見る。当選ページの下の方に、確かにそう記述があった。つまり、オレが参加する事は確定という事だ。「もしかして、行けないの…?」と不安そうな顔をする咲希に、オレは唇を引き結ぶ。さっきまで喜んでいた妹を思うと、『行かない』という選択肢はない。それに、これに行けば、オレも神代さんに会えるのだ。最近は忙しくてお店にも来れない神代さんに、会える。神代さんに会えるのなら、会いたい…。
    だが、参加するという事は、神代さんとオレが知り合いだと咲希にバレてしまう。

    「…………安心しろ、予定もないからな、オレも行けるぞっ…!」
    「ほんと? 良かったぁ」

    それでも、咲希が悲しそうにする顔は見たくない。
    ぐらぐらと揺れる天秤は、がっこん、と妹の笑顔を選んだ。神代さんに会えるというもう一つの理由も大きかったかもしれん。そんな脳内での葛藤を咲希には隠し無理矢理笑顔を作って返せば、咲希がパッと表情を綻ばせる。そんな咲希に、オレは乾いた笑いのまま頭を撫でた。ボロが出る前に、荷物を置きに行くとだけ伝え部屋へ駆け込む。バン、と扉を閉めて、オレは大きく息を吐いた。
    こうなったら、上手く誤魔化すしかない。変装なんかすれば、逆に咲希に怪しまれるだろう。ここは、神代さんに上手く合わせてもらう他ない。スマホを取り出して、メッセージアプリを開く。たぷ、たぷ、と神代さんとのメッセージ欄に文字を打ち込んで、送信ボタンに指をかけた。

    「………………神代さんを、こんなくだらない事に巻き込んで、良いのだろうか…」

    送信ボタンを押しかけた指が、ゆっくりと離れていく。何気ない事でも連絡をくれる神代さんは、多分、もう“知り合い”ではない。だが、こんな事に巻き込めるような親しい関係でもない、と思う。妹を傷付けない為に、初めましてのフリをして下さい、なんて、言っていいのだろうか。バレたくないのなら、会場まで行って列に並ばなければいい。咲希だけに行ってもらえば、それで済む話だ。巻き込む必要なんかない。

    「……そうだ、オレが、並ばなければいい」

    打ち込んだメッセージは全て消して、そっとスマホを閉じた。

    ―――

    (…と、決意したのだが……)

    ざわざわと騒がしい会場は、スタッフの人達があっちでもこっちでも声をかけて誘導している。ずら、と並んだ列の中心で、オレは溜息を吐いた。
    目の前に並ぶ咲希は、キラキラした目で先程からずっとそわそわしている。いや、朝からずっとだ。今日はいつもより早く起きていたし、早く起こされた。髪も可愛くして欲しいと頼まれて必死に動画を見ながら結った。今日の為に新しい服を買ったのだと、数日前からファッションショーをしていた咲希は、それはもう輝いていた。ぼんやりとそんな事を思い出すオレの方へ、咲希が振り返る。

    「お兄ちゃん、アタシ変なところない?」
    「今日もとても可愛いぞ」
    「る、類さんと握手するのに、手とか荒れてないかな?!」
    「安心しろ、咲希の手はいつも綺麗だ」
    「はぁあ…、緊張するよぉ…! お兄ちゃん、アタシが変なこと言ってたら、ちゃんと止めてねっ…! 」
    「流石にそれは無理ではないか…?」

    くるくる回ったり、ぱたぱたと手を振り回したり、頬を両手でおさえたりと、忙しそうな咲希に、出来るだけ優しく返す。たしか、昨日の夜もこんな感じだったな。もう何度目かの質問に、苦笑する。咲希は、本当に神代さんが好きだ。それが見ていてよく分かる。
    ぽんぽん、と妹の頭を撫でながら、ちら、と自分のスマホへ目を向けた。

    (……結局、どう言い訳すればいいのか分からんな…)

    神代さんとは、バイト先で会った。
    それだけならどれだけ良かったか。自己紹介も済ませて、連絡先も交換し、文化祭の時には大変お世話になったし、休みの日に一緒に出かける程近い距離にいさせてもらっている。週一回のお客様に、週一回お弁当を作るようにもなった。
    なんて、咲希に言えるはずも無い。言えないまま、ここまで来てしまった。今日を楽しみにしていた咲希に、なんと言えばいいのか。ずっと神代さんに憧れ続けていたのは咲希の方だ。オレではない。それなのに、咲希に黙ったまま、神代さんを好きになってしまった。

    「…お兄ちゃん?」
    「ぁ、…どうした…?」
    「変な顔してるけど、大丈夫?」
    「あぁ、全く問題ないぞ…!」

    心配そうにする咲希に、オレは笑顔で返す。
    列がゆっくりと動きだし、オレ達は前の人について行った。そわそわとする咲希の後ろ姿を見つめながら、ぐっ、と握った手に力が入る。腹の奥が、キリキリと痛む気がした。隠し事をしている罪悪感で、頭の中はぐちゃぐちゃだ。早く言わねばと思うのに、言ったら、神代さんを困らせるかもしれない、と言い訳が浮かぶ。咲希が誰かにこのことを言ったら…? なんて、あるはずない予想を勝手に考えて、『言わない方がいい』と理由を付けてしまう。

    (………オレが言いたくないだけなのに、最低だな…)

    咲希に、嫌われたくない。咲希を傷付けたくない。だが、一番嫌なのは、神代さんが咲希と仲良くする所を、見ることかもしれん。
    オレよりずっと神代さんを好きな咲希と、神代さんを引き合わせたくない。そんなオレの我儘だ。オレの想いすら、叶わないと分かっていても、もう少しだけ、この特別を守っていたいと思ってしまう。
    ツキツキとした痛みに、ぎゅ、と胸元を掴んだ所で、スタッフの人が隣に立った。

    「次の方、どうぞ」
    「は、はいっ、…行ってくるね、お兄ちゃんっ…!」
    「ぇ、…あ、あぁ、…」

    いつの間にか、咲希の番になっていたらしい。
    ハッ、とそこで意識が戻った。何列にも並んでいた列は一列になっていて、白いクロスがかかった長テーブルの方へ咲希が向かっていく。視界に見慣れた藤色が映って、自然と視線がそっちへ向く。
    シャツにジャケットを纏う姿の神代さんが、そこにいた。

    (………こうして見ると、別人みたいだ…)

    優しく笑う横顔が、いつも見ている神代さんと少し違って見えた。
    服装がいつもよりきっちりしているからだろうか。それとも、薄く化粧をしているからか。背が、いつもより高く見えた。咲希がオレより小さいからだろうか。真っ赤な顔で神代さんの手を握る咲希に、なんだか複雑な気持ちになる。咲希の願いが叶って嬉しい様な、神代さんに触れているのが羨ましい様な、笑顔で話しかける姿に焦ってしまう様な、ごちゃごちゃと混ざり合う気持ちがそれぞれバラバラに膨らんでいく。
    視線を二人から逸らして、大きく息を吸い込んだ。オレが何を思おうと、神代さんがオレを選ぶことは無い。そう心の中で何度も自分に言い聞かせる。

    「次の人に代わってください」

    隣に立つスタッフの人がそう言った。
    「これからも頑張ってくださいっ!」と力強く言った咲希の声に、神代さんがお礼を言っている。オレがいつも聞く声音とは少し違う、神代さんの声だった。顔を上げると、嬉しそうに笑う咲希が、こちらへ向く。手を振られて、オレも小さく振り返した。

    「じゃぁ、お兄ちゃん、あっちで待ってるね」
    「あぁ」

    出口の方を指さす咲希に、オレは返事を返す。
    歩き出す後ろ姿を目で見送って、スタッフの人に促されるまま前へ出た。自分でも分かるほど、緊張している。ちら、と伺うように神代さんを見ると、驚いているかのようにじっとオレを見ていた。なんだかそれがもっと恥ずかしくて、顔が熱い。
    今日、ここへ来るなんて言っていなかったので、驚かせてしまったのかもしれん。震える手を神代さんの方へ差し出して、ずっと悩んでいた挨拶を口にする。

    「…ぇ、と…、“初めまして”…、…」
    「え、…」

    神代さんの、間の抜けた様な声が聞こえた。
    それはそうだ。神代さんとは初対面ではない。それなのに、“初めまして”と挨拶されれば驚くだろう。すぅ、と息を大きく吸い込んで、バクバクと煩い心臓を落ち着かせる。

    「今日は、妹の付き添いで来たんですが、お会い出来て嬉しいです」
    「…ありがとう。僕も、会えて嬉しいよ」

    ふわりと笑う神代さんは、オレの手を掴んだ。ぎゅ、と神代さんに手を握られただけで、心臓の鼓動がまた早くなる。久しぶりに聞く、神代さんの声だった。さっき聞いた声とは少し違う、神代さんの声。こんな風に触れた事がなくて、なんだか変な感じだ。いつもは、隣に並んで手を繋いでいたから、面と向かって神代さんと握手しているのが、少しむず痒く感じる。それでも、やはりオレより少し大きな神代さんの手に、胸の奥がきゅぅ、と音を鳴らした。

    「妹さんと、良く似ているんだね」
    「…そうですね、よく言われます」
    「おや、髪が少し乱れているよ」
    「………んぇ…?」

    にこ、と笑う神代さんが、オレの方へ手を伸ばしてくる。あまりに自然な動作で耳の縁を指先で撫でられた。くん、と軽く後頭部を引かれて体が前へよろけると、神代さんが内緒話をする様に小さな声音で「天馬くん」とオレの名を呼ぶ。ぶわっ、と顔に一気に熱が集まって、息を飲み込んだ。そんなオレに構わず、神代さんの唇が触れてしまいそうな距離で耳打ちされる。

    「三十分後に会場裏のトイレまで来れるかい?」
    「…ぇ、……え…?」
    「…すまないね、バランスを崩してしまったみたいだ」
    「………ぁ、…いえ…」

    パッと、手が離されて、神代さんがへらりと笑う。何事も無かった様に振る舞う神代さんに呆気としてしまい、オレは小さく返すしかできなかった。スタッフの方の「次の人に代わってください」という言葉に、ハッと意識が戻る。目の前で、オレに手を振る神代さんは、少し意地悪そうな顔をしていた。

    「それじゃぁ、またね」
    「………はぃ…」

    軽く会釈するのがやっとで、そのままふらふらと出口に向かう。出口の先で、オレを待っていた咲希が興奮気味に何か言っていたが、全く覚えてない。

    (…………しぬ、かとおもった…)

    破裂しそうな程鳴り続ける心臓の鼓動が煩い。触れそうになった方の顔がまだ熱い気がして、情けなくもその場でしゃがみ込んだ。
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    Replies from the creator

    ナンナル

    CAN’T MAKE銀楼の聖女

    急に思い付いたから、とりあえず書いてみた。
    ※セーフと言い張る。直接表現ないから、セーフと言い張る。
    ※🎈君ほぼ居ません。
    ※モブと☆くんの描写の方が多い。
    ※突然始まり、突然終わります。

    びっくりするほど変なとこで終わってます。なんか急に書き始めたので、一時休憩も兼ねて投げる。続くか分からないけど、やる気があれば一話分だけは書き切りたい( ˇωˇ )
    銀楼の聖女『類っ、ダメだ、待ってくれっ、嫌だ、やッ…』

    赤い瞳も、その首元に付いた赤い痕も、全て夢なら良いと思った。
    掴まれた腕の痛みに顔を顰めて、縋る様に声を上げる。甘い匂いで体の力が全く入らず、抵抗もままならない状態でベンチに押し倒された。オレの知っている類とは違う、優しさの欠片もない怖い顔が近付き、乱暴に唇が塞がれる。髪を隠す頭巾が床に落ちて、髪を結わえていたリボンが解かれた。

    『っ、ん…ふ、……んんっ…』

    キスのせいで、声が出せない。震える手で類の胸元を必死に叩くも、止まる気配がなくて戸惑った。するりと服の裾から手が差し入れられ、長い爪が布を裂く。視界の隅に、避けた布が床へ落ちていく様が映る。漸くキスから解放され、慌てて息を吸い込んだ。苦しかった肺に酸素を一気に流し込んだせいで咳き込むオレを横目に、類がオレの体へ視線を向ける。裂いた服の隙間から晒された肌に、類の表情が更に険しくなるのが見えた。
    6221

    ナンナル

    DOODLE魔王様夫婦の周りを巻き込む大喧嘩、というのを書きたくて書いてたけど、ここで終わってもいいのでは無いか、と思い始めた。残りはご想像にお任せします、か…。
    喧嘩の理由がどーでもいい内容なのに、周りが最大限振り回されるの理不尽よな。
    魔王様夫婦の家出騒動「はぁあ、可愛い…」
    「ふふん、当然です! 母様の子どもですから!」
    「性格までつかさくんそっくりで、本当に姫は可愛いね」

    どこかで見たことのあるふわふわのドレスを着た娘の姿に、つい、顔を顰めてしまう。数日前に、オレも類から似たような服を贈られた気がするが、気の所為だろうか。さすがに似合わないので、着ずにクローゼットへしまったが、まさか同じ服を姫にも贈ったのか? オレが着ないから? オレに良く似た姫に着せて楽しんでいるのか?

    (……デレデレしおって…)

    むっすぅ、と顔を顰めて、仕事もせずに娘に構い倒しの夫を睨む。
    産まれたばかりの双子は、先程漸く眠った所だ。こちらは夜中に起きなければならなくて寝不足だというのに、呑気に娘を可愛がる夫が腹立たしい。というより、寝不足の原因は類にもあるのだ。双子を寝かし付けた後に『次は僕の番だよ』と毎度襲ってくるのだから。どれだけ疲れたからと拒んでも、最終的に流されてしまう。お陰で、腰が痛くて部屋から出るのも億劫だというに。
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