ミラーリング #4(カルデア編) 初めて会ったときは無邪気な娘。
頰を林檎のように赤くして、仲間と競い、目をきらきらと輝かせる姿は人生の喜びに満ちていた。
次に会ったときは目に憂いを浮かべた戦士。
無礼に私の手を振り払い、私の野心を薙ぎ倒していく狗が憎くて憎くてたまらなかった。
けれど、その獰猛な瞳の奥にどうしようもない孤独を見つけたとき、私は生まれて初めてこんなにも──一人の人間が、彼女が欲しいと思ったの。
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「性別の違う自分?」
アーサーはぱちりと瞬きをした。隣に座るアルトリアの顔を見、またマスターの顔を見る。
「そう。君は色んな世界を渡り歩いてるんだろう? そういう事象に詳しくないかなと思って」
ダ・ヴィンチの言葉に、アーサーは困ったように首をかしげた。
「僕もそういう知識が深いわけじゃないからね。こうしてカルデアに召喚されるまで、彼女の存在も知らなかったわけだし」
アーサーの言葉を引き取り、アルトリアが続けた。
「結論から言えば、マスター。私たちもよくわからない、というのが正直なところです。今でこそ私と彼は互いに認知していますけれど、それぞれは別個の存在ですし」
「やはり、『数あるイフ』と『数ある世界』が偶然に交差した結果ということじゃないだろうか」
ランサーたちと別れたあと、マスターとマシュ、ダ・ヴィンチは工房に向かい、アルトリアとアーサーを呼んだ。
男のクー・フーリンと女のクー・フーリンが存在することに何か理由がつけられるのではないかと思い、ダ・ヴィンチいわく「前例」の二騎を呼んだのだった。
しかし、結局は前述のとおり、「何もわからない」というのが結論だった。
マスターはうなって天井を見上げた。しかし、わからないものは仕方がない。
「うーん、そっか、そうだよね……。ごめん、二人とも。ありがとう」
「いいえ」
「お役に立てなくて申し訳ない」
アルトリアが椅子から立とうとするのを、アーサーがエスコートする。
手を差し伸べるアーサーにアルトリアは微笑みかけ、その手を取った。
その光景に、マスターは「う〜〜〜ん尊い〜〜〜〜〜」とうめいている。
すっかり仲睦まじい二騎は、まるで兄妹のようだった。
思えば、この「二人のアーサー王」が揃ったときも、カルデアは大騒ぎになったものだ。特に、円卓の騎士たちが。
今でこそ穏やかに過ごしている二騎だが、その関係に落ち着くまでには、本当にいろいろあったのだ。
「それでは、失礼しますね」
「うん。ありがとね〜」
「あ……マスター」
何か言いたげにアーサーが立ち止まった。
「どうしたの?」
「その、新しく来た彼女のことだが」
「槍ネキ?」
アーサーはうなずいた。そして言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「別の自分がいる、というのは、サーヴァントであれば許容しやすい話だけれど、クラスではなく性別が違う、というのは、なんというか、また別なんだ。うまく言えないけれど、自分の人生そのものが覆ったという気持ちになることもある」
マスターは目を丸くした。いつも穏やかに笑っている彼は、そんなことを考えていたのか?
「だから、受け入れてくれる存在というのは、とてもありがたいんだ。僕にとっては、もちろん歩み寄ってくれたアルトリアもそうだし、槍の彼だってそうだ」
「それって、プニキ?」
「ああ」
プロトは好戦的だが、人なつこい男だった。いつも八重歯をニカッと見せて笑っては、すぐ人の懐に飛び込んでいく。
思えば、召喚されてからも部屋にこもりがちだったアーサーを外に引っ張り出してきたのもプロトだった。
「一緒に戦いたい」と言って、戸惑うアーサーの手をぐいぐいと引いてきたのだ。
そんなプロトにアーサーもいつしか心を許し、徐々にカルデアの他のサーヴァントとも交流するようになった。
先に召喚されていたアルトリアを取り巻き、後から来たアーサーをどこか警戒していた円卓の騎士達がアーサーにひざまずいたとき、マスターはその光景の神々しさに思わず涙したものだった。
「だから、マスター」
アーサーは微笑んだ。
「その新しいランサーの彼女がカルデアでのびのびやっていけるよう、どうか手助けしてあげてほしい」
僕もできることはするよ、と胸に手を当てるアーサーは、あまりにも白馬の王子様だった。
「うう……目が潰れる……後光が差してる……」
「先輩、大丈夫ですか……?」
マシュに支えられつつ、マスターは自分の使命を胸に宿し、しっかりとアーサーに親指を立ててみせたのだった。
ランサーを見た英霊たちの反応はさまざまだった。
マスターがランサーを紹介すると、クー・フーリンを男として知る者たちは驚愕に目を見開き、また同時に色めき立った。
「ひ、ひ、光の御子!?」
「おう、ディルムッド」
仰け反らんばかりのディルムッドに、ランサーはニカリと笑った。
どうやら、女である自分のほうがこの世界ではイレギュラーであると悟ったランサーはいっそ開き直り、相手の反応を楽しむことに決めたらしい。
特に、自分の後輩的な存在でもあるディルムッドの反応は、ランサーをいたく面白がらせた。
戸惑った顔を下から覗き込み、ずいと身を乗り出せば、ディルムッドがたじろいだ表情で一歩下がった。
「おまえさんが知ってるオレとはちょっと違うみたいだが、どうだい、女のオレは? 悪くないだろ?」
そう言って、見せつけるように胸を張る。ディルムッドは真っ赤な顔で視線を泳がせた。
「あ、は、はい……その、大変お美し」
激しい体当たりでディルムッドが横に吹っ飛び、輝くような金髪の男がランサーの手を握った。
「光の御子。また新たなお姿のあなたにお会いできて大変光栄です」
フィン・マックールが歯をキラリと光らせて笑った。
「おー、フィン! そうか、おまえも召喚されてたんだったな」
「はい。尊敬するあなたと戦場を走れることはこの上ない名誉。どうか、この若輩者をお導きください」
フィンはうやうやしくランサーの手の甲に口づけした。足元ではディルムッドが脇腹を抑えて悶絶している。
「……なにあれ」
「……なんでしょうかあれ」
やたらとキラキラしている空間を見ながらマスターとマシュがぼやいた。
「ふん、これはまたずいぶんと愛らしい姿ではないか、狗よ」
「あなたが女性とは……」
「こいつは驚きましたな」
いろんな英霊たちにワイワイと囲まれながら、ランサーは軽やかに笑っていた。これならば問題はなさそうだと、マスターは胸をなでおろした。
「ランサー」
ランサーを囲む輪の外から、おそるおそる、といった声がした。ホッとしたばかりのマスターが魚のように跳ねる。
ランサーが振り向くと、そこにはトレーを持ったエミヤとアルトリアが立っていた。
「アーチャー」
すうっとランサーの目が細められる。召喚早々、エミヤの毒のある言を食らったのだ。身構えるのも無理はない。
声をかけたエミヤは口ごもり、目線を彷徨わせていた。しかし、アルトリアにドンと脇腹を肘鉄され、一歩前に進み出た。
「その、先ほどはすまなかった。君に失礼なことを……。これはその、お詫びの気持ちというか、なんというか……」
エミヤが差し出したトレーには、たっぷりの生クリームと宝石のようなフルーツに彩られたパンケーキが乗っていた。添えられた飴細工とチョコレート細工も、芸術品のように鮮やかだ。
「あっ! パンケーキ!」
「すごーい!」
「綺麗だわ! 美しいわ!」
ランサーを囲んでいた子どものサーヴァントたちが歓声をあげた。
ランサーは黙って皿を見つめ、またエミヤを見た。大の男が緊張に体を強張らせ、ランサーの言葉を待っている。
「槍のお姉ちゃん、どうしたの?」
バニヤンが下から覗き込んできた。
「ひょっとして、パンケーキ嫌いなの?」
ジャックも不思議そうに首をかしげた。
「いや……」とつぶやき、ランサーはエミヤの手からトレーを取る。一瞬触れ合った手がビクリと震えた気がしたが、気にしない。
「その、嫌だったら食べなくていい。私が勝手に作ったものだから……」
エミヤの言葉尻が小さくなっていく。ランサーは未だに無言だ。そんな沈黙を破るように、ナーサリーがふふっと笑った。
「槍のお姉さん、おじさまはね、お姉さんと仲良くしたいのよ!」
「ナーサリー!」
ぎょっとしてエミヤが叫んだが、ナーサリーはランサーの手を取り、ゆらゆらと揺らしながら楽しげに言う。
「綺麗なお菓子は、おじさまの仲直りの気持ちなの! それにね、おじさまのパンケーキは甘くてふわふわで、食べるととっても幸せな気持ちになるのよ! だから、どうかお姉さんも食べてみて。きっと心がふわふわになるわ!」
無垢なナーサリーの笑顔に、ランサーも口元を緩めた。
皿の脇に添えられていたフォークを手に取り、パンケーキに刺し入れる。
一口分のパンケーキと生クリームをすくうと、ランサーはそれを口に入れた。無言で咀嚼し、そのまま飲み込む。
「…………」
エミヤは、叱られる寸前の子どものような顔でそれを見ていた。
ふと、ランサーが目を細める。
「おまえの料理のうまさは、どこにいったって変わらねえな」
「ランサー……!」
「けどな、おまえはオレがこの菓子ひとつでその不躾さを許すとでも思ってんのか?」
一瞬明るくなりかけたエミヤの表情が凍りつく。失礼なことを言った自覚はある。だが、そんなにも彼女の心証を害してしまったのだろうか?
ランサーは、うらやましそうにパンケーキを見上げているバニヤンたちを見て、にこりと笑った。
「このうまいパンケーキをみんなに振る舞ってやんな。そうしたら許してやる」
「あ……ああ!」
エミヤが嬉しそうにうなずき、バニヤンたちは歓声をあげた。
ランサーは手を差し出してエミヤの手を握り、ばしんとその肩を叩いた。
「おまえの知ってるオレとは違うが、まあよろしく頼むぜ、アーチャー!」
「こちらこそだ、ランサー!」
場の空気が一気に解け、たくさんの笑い声が響く。それを見ながら、アルトリアは満足そうにうなずいていた。びくびくしていたマスターも、今度こそ心から安堵した。
カルデアに迎え入れられたランサーは、他のサーヴァントたちとも交流を始めた。
その中でも、ランサーに真っ先になじんだのはプロトだった。
実のところ、ランサーは他のクー・フーリンたちに対して、どこか距離を測りかねている節があった。その距離を、一足飛びに飛び越えていったのがプロトだ。
積極的に手合わせを申し込み、一緒に食事をとろうとした。今も、食堂に一人で入ってきたランサーの腕を引き、椅子に座らせると、二人分のトレーを持ってきた。
「ここの料理ほんとうまいんだぜ!」
そう言って、椀を抱え込むようにしてガツガツと頬張る。まるで犬が餌をがっつくようなそれに、ランサーは眉をひそめた。
「おい、プロト」
「ひゃに?」
「食いながらしゃべんな。ついてる」
そう言って、プロトの口の周りについた食べかすをとってやる。遠くで「ンッ」と変なうめき声がした。
「オレが若いときはもうちょっと品がよかったぞ」
ランサーは呆れたように言った。
ごくん、と口の中のものを飲み込み、プロトがランサーを見た。
「おまえさー」
「なんだよ」
「いや、やっぱりそういうとこオンナなんだなって」
「……バカにしてんのか?」
「なんでだよ! してねーよ!」
険しい顔をしたランサーに、プロトがびっくりした顔で首を振った。
「バカにしてるとか、そういうんじゃなくてさ」
プロトは鼻をこすり、へへっと笑う。
「姉ちゃんができたみたいで嬉しい」
遠くでガチャーン! と食器が割れる音がし、マシュの叫びが聞こえた。驚いて振り返ろうとしたランサーを、「いつものこと」とプロトが制する。
「オレ、仲間はいたけど、実の兄弟はいなかっただろ。だからなんか今は、家族が増えたみたいで嬉しい」
他意のないプロトの笑顔に、しかめ面をしていたランサーも、思わず顔をほころばせた。
会話をしながら並んで食事をとる二騎は、仲の良い姉と弟のようで微笑ましかった。
テーブルに伏していたマスターは涙を流しながら拝みはじめ、なぜか隣ではスカサハが顔を覆って震えていた。
キャスターもランサーと打ち解けた。
やはり、始めのうちはどこか警戒されている感は否めなかったが、マスターたちのキャスターへの信頼の厚さや、魔術への造詣の深さを知り、ランサーの心も雪解けしていった。それになにより、
「ふわー! かわいい……」
キャスターに付き従う白狼たちの貢献は大きかった。
ランサーは狼たちの首元に顔をうずめ、幸せそうな顔をしていた。
人なつこい狼は鼻先をランサーの顔に突き出し、フンフンとにおいをかぐ。ランサーはその白い頭をわしゃわしゃとなでた。
広げていた魔術書を閉じたキャスターは、ランサーに向き直った。
「おまえさんもそいつらが好きか?」
「ああ!」
ランサーは大きくうなずいた。
二騎の距離は徐々に縮まり、一緒にルーン魔術を練習したり、本を読んで議論したりするようになった。
ランサーはなんでも知りたがり、そのたびにキャスターがその疑問に答えた。
「クー・フーリン」の中で最も大人びており、落ち着きのあるキャスターと、あれこれと聞きたがるランサーは、さながら兄と妹のようだった。
「わっ、やめろって!」
すっかり心を許したらしい白狼がランサーの顔をぺろぺろと舐め、ランサーはきゃらきゃらと笑い声をあげた。
楽しそうに狼たちと戯れる姿は愛らしく、キャスターの口元も自然とほころぶ。
結局、あの後もオルタには話を聞けずじまいだった。言葉の意味を何度尋ねても、要領を得ないのだ。
それが気にならないわけではなかったが、今のところは何も問題は起きていないし、目の前の彼女もカルデアに馴染んできているので、ひとまず、そのことはキャスターの心の棚に置いておくことに決めたのだ。
「なあ、キャス」
「なんだ」
「このあと時間あるか? またあの宝具、見たいんだけど……」
「ウィッカーマンか? いいぞ」
「やった!」
子どものように喜ぶランサーに、キャスターは相好を崩した。まるで、本当に妹ができた気分だった。
意外なことに、メイヴもすんなりとランサーを受け入れた。
最初はさすがの女王も複雑そうな顔をしていた。あれほど憎悪し、そして愛した男が、女の姿になって現れたのだから。
しかし、ランサーの言動を見ているうに、「これもクー・フーリンである」と結論づけたらしい。
一度納得すると、彼女は彼女らしくランサーにつきまとった。
「クーちゃん! 槍のクーちゃん!」
「……なんだよ、メイヴ」
「やだ、怖い顔しないでよ! ここでは私も味方だって言ったでしょ」
「何の用だよ」
「うふふ、これからマリーの部屋でお茶会をするの! 槍のクーちゃんも一緒にどうかなって」
「王妃様と? オレは遠慮し」
「はい、けってーい! さ、行きましょ行きましょ!」
「おい! 人の話聞けって!」
メイヴはランサーの腕をむんずと掴み、ずるずると連行していった。
「……メイヴ」
「なあにー? 槍のクーちゃん」
「オレ、男じゃないんだけど」
「知ってるわ!」
「でも、おまえは」
「んもう! 細かいこと気にするのね槍のクーちゃんてば! どんなクーちゃんでも私にとってはクーちゃんなの! あなただって今度こそは私のものよ!」
「謹んでお断り申し上げます」
「またそう言うー! でも、そういうつれないところも好きよ!」
「……そうかよ」
ランサーは疲れたようにため息をついた。
メイヴは機嫌よくハミングをしながら、マリー・アントワネットの部屋のドアを開けた。
「ごきげんよう、マリー!」
「まあ、メイヴちゃん! ようこそ、待っていたわ。あら? 女性のクー・フーリンさんまで」
「この子も一緒でいいかしら?」
「もちろんよ! お客様は多ければ多いほど楽しいわ。さ、お入りになって」
マリーがにこやかに二騎を迎えた。メイヴに手を引かれ、ランサーはいささか体を小さくしながら部屋に入る。
テーブルの上には鮮やかな薔薇が飾られ、色とりどりのお菓子とティーセットが並べられていた。
「あら? ランサーのクー・フーリンじゃないの」
「うわ、メディア!」
「うわとは何よ」
テーブルには、すでにメディアがついていた。
「今日は三人でお茶をする予定だったの」
マリーが鈴を鳴らすような声でころころと笑う。
「いきなり飛び込みで悪かったな。この女王様に連れてこられてよ」
「あら、お客様は多いほどいいって言ったでしょう。さ、お二人とも、お掛けになって」
メイヴが席に着こうとすると、ランサーが無言でその椅子を引いた。
メイヴはぱちりと瞬きをしたが、嬉しそうに頰を紅潮させ、胸を張って座った。ランサーも空いていた隣の椅子に腰かける。
それぞれのカップに紅茶がつがれ、マリーがにこやかにカップを持ち上げた。
「さあ、お茶にしましょう」
お茶会はなごやかに進んだ。とはいっても、主に喋るのはマリーたち三騎で、ランサーは口数も少なく聞き役に回っていた。
お茶とお菓子を囲んだ女性たちは、さえずる小鳥のようだった。会話は途切れることなく、次から次へと話題が飛び交う。
純然たる王族たちの会話は、武人のランサーにはよくわからないことも多かった。
「そういえば、女性のクー・フーリンさんは、生前はどんなドレスを着ていたの?」
マリーの問いに、ランサーは焼き菓子を喉につまらせた。咳き込みながら慌てて紅茶を飲み、聞き返す。
「ドレス?」
「それは私も興味があるわね」
「私も知りたい! クーちゃんは武装のイメージしかないもの」
興味津々という三騎の視線に、ランサーは口ごもった。
迷ったが、はぐらかす理由もないので正直に答えることにする。
「ドレスは着たことない」
「ええっ!?」
「まあ!」
「そうなの!?」
なぜそんなに驚くのか。一斉に声をあげた女性陣に驚きながら続ける。
「オレは戦士となるように生まれて、戦士として育てられたからな。毎日が訓練と戦いだったし」
「もったいなーい!」
メイヴが叫んだ。
「戦士はドレスなんか着ないだろ」
「そうだけどさー、祭りのときは、平民だっておしゃれしたじゃない!」
「オレにとっては正装も武装だったんだよ」
「……いいことを思いついたわ」
メディアがぽんと手を叩いた。
「あ、オレ用事を思い出したからこれで」
嫌な予感にランサーが席を立とうとすると、両脇からメイヴとメディアにがっしと押さえつけられる。
正面に座っているマリーが、「まあ、何かしら?」と上品に首をかしげた。
「こんな機会、めったにないわ。喜びなさい、ランサー」
メディアがにっこりと笑った。
「キャー! クーちゃん、カワイイ!」
「綺麗だわ、クー・フーリンさん!」
「思ったとおりね! 最高よ、ランサー!」
「……そうかよ」
げんなりとランサーが肩を落とした。青い布の裾がヒラリと揺れる。
魔女たちに捕まったランサーは、あれよあれよと言う間に霊装を剥がされた。
悲鳴をあげる間もなく体のサイズを計られ、布を当てられ、「これよ!」とメディアに衣装を被せられたのである。
「ううっ、なんで都合よくケルトのドレスなんかあるんだよぉ……」
「以前、メイヴに作ったことがあるのよ。それで興味を持って何着か作っていたの。まさかこんなところで役に立つなんて思わなかったわ」
メディアがほほほ、と口に手を当てて笑った。
「本当によく似合っているわ。ほら、あなたも鏡を見てちょうだい!」
マリーにずるずると三面鏡の前に押し出され、ランサーは改めて自分と向き合った。
ランサーが着させられたのは、深い青を基調としたドレスだった。
ゆったりとしたシルエットのそれは、ランサーのすらりと引き締まった体をやわらかく包んでいる。
ゴテゴテした派手な飾りはないが、胸元や袖裾には金の縁飾りが輝く。
首と腕には、耳飾りと同じ銀の宝飾品がきらめき、白い肌を引き立てている。
薄手の青いヴェールには星のような飾りが散りばめられ、さながら夏至の夜を髪にまとったようだった。
鏡に映る自分の姿に、少しばかりランサーの頰が赤くなる。
試しにくるりと回ってみれば、細い腰から足元に向けて広がる裾が、さらさらと上品なきぬずれの音を立てた。
「帯と裾には、ケルト風の刺繍を入れてあるの」
メディアがドレスの皺を伸ばしながら言った。
「刺繍……」
ランサーの表情がやわらぐ。メイヴがぱんと手を叩いた。
「ねえ、マスターにも見てもらいましょうよ!」
「マスターに!?」
ぎょっとランサーが目をむいた。
「いいわね。あ、そうだわ! ゲオルギウスに頼んで、カメラで記念撮影してもらいましょうよ」
「まあ、それは素敵だわ!」
「ちょちょちょ、ちょっと待てって! それは勘弁……」
「大丈夫、恥ずかしがらないで槍のクーちゃん! あー、娘の誕生日を思い出すわ……」
言い出したら即実行のメイヴだ。すぐにランサーの手をぎゅっと握り、ドアを開けた。
必死で抵抗するランサーをメディアとマリーも囲み、ワイワイとマスターの部屋へ向かう。
「放せって! やだって!」
「どうしてよ。せっかくなら女性だってことを楽しまなくちゃ!」
「オレにはそんなの必要ない──」
ランサーは言葉を切った。
廊下の向こうから、よりによって、今もっとも会いたくなかった男が現れたからだ。
「あっ! クーちゃん!」
メイヴが喜色満面でぶんぶんと手を振った。
だるそうに歩いていたオルタが顔を上げる。その目がランサーをとらえ、わずかに見開かれた。
ランサーは今すぐにでも消え去りたいと思ったが、悲しいかな、その手と腕はがっしりとメイヴたちに捕まっている。
「見てー! 槍のクーちゃんにドレス着てもらったの! かわいいでしょ!?」
せめてメイヴの陰に隠れようと小さくした体は、無情にもメイヴによって前に突き出された。
オルタは足を止め、ドレスに身を包んだランサーを見つめる。
ヴェールで顔を隠したかったが、ランサーはぐっとこらえた。
ここで目をそらしたら負けな気がして、オルタの視線を真っ向から受け止める。目つきが険しくなっているせいで、睨みつけていると言ったほうが正しい。
「ね、クーちゃん! どう? どう?」
オルタはフイと目線を外した。そしてまた歩きはじめる。
ランサーとすれ違いざま、オルタはじろりとランサーを見下ろした。
「てめえはそういうヒラヒラした服が着てえのか」
「ッ!」
ランサーがバッと振り向いたが、オルタはそれ以上何も言わず、尾を引きずりながら歩いていく。
「あっ、ちょっと、クーちゃん!」
メイヴが呼び止めようとしたが、オルタはそのまま廊下の向こうへ消えてしまった。
「なによ、あれ。失礼な男!」
メディアが憤慨したように叫んだ。
「…………」
ランサーはバサリとヴェールを外した。青い髪の毛がさらりと流れる。
「クー・フーリンさん?」
マリーが気遣わしげに声をかけた。
ランサーは口元を笑みの形にしてみせると、そのまま霊装姿に戻る。
床に落ちたドレスを拾って軽くほこりをはらい、メディアに渡した。
「悪いな。やっぱりこういう服は柄じゃねえや」
からりと笑い、手を振って、ランサーはその場から歩き去った。
あとに残されたメイヴたちは顔を見合わせたが、言うべき言葉は見つからなかった。