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    xylophagous7

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    xylophagous7

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    もう一月近く放置してる気がする

    乍朝右界奇譚拾遺集

    右:一、南に面したときの西側
    二、そば、かたわら

    古来、幽界物の物語集は多く有るが、明幟二百年を過ぎた頃から明確な幽(かくり)世(よ)とは異なる 日常の側にある不思議な物語からなる奇譚が人口に膾炙した。
    これらは幽界物を捩って、日常の側、傍らにある、即ち右界物と呼び習わされた。
    この書は戴極国乍王朝で親しまれたそれらの物語を蒐集、編纂したものである。


    人を囚ふ礼物のこと

    明幟の初め頃。
    市に希有なる品流れたる事在り。人々挙り是を購う。
    詳細失伝し今は容姿由来も知らず、ただ幸福を齎すとのみぞ伝ひける。
    さる王師将軍、礼物として是を受く。
    用ひて後、所領にて是の売買をきつく戒む。
    王師将軍、人よりその故を問はれて曰く
    「其は人を捕らふる呪物也」
    上、時を同じくし是を禁制品とす。


    ─瑞州

    手伝いとして来ていた大方の下官が退出した後、友尚は一人漸くほっと息をついた。
    吐き出した呼気の分肺に空気を送り込めば、心なしか春らしい柔らかな匂いが満ちてくるような気がした。
    そう、もう春が来ている。血と火に染まったあの秋から、もう半年が経つ。
    一度は軍営からの辞意を告げ断罪を待つべく謹慎していた所に、瑞州師の将軍として応召する気は無いかと台輔より打診があったのは三月も前のことだ。
    固辞していた所へ、ありがたいことに代わる代わる説得に来たのは、白圭宮の攻略の際に陣を共にした主上の麾下の面々であった。
    物忌みの様に己の内に籠もる友尚に対して、彼らが言葉こそ違えど「罪に逃げるな、お前も働け」と口々に言いに来たのは気鬱に沈む己を心配してのことだろう。
    が、人手が足りないというのもまた事実だ。あの七年間で人が死にすぎた。
    あまり考え込むな、日々を生きれば気も紛れるだろう。湿っぽく悩むだけの穀潰しを飼ってる余裕は今の白圭宮には無いんだよ、動けるならば働け。無理にとは言わない、だがもし偽朝の軍に在ったという罪の意識でそう言っているのであれば、どうか頼む、力を貸して欲しい。
    実直で不器用な彼らの優しさは、途方もない虚無と罪悪感に塗れた自意識を切り刻む。だが同時にその優しさに安住したくなる。
    台輔へと拝命の意を伝えたのは、一月前。実際に朝が少しでも整わねば断罪も何もあったものではないと気付き、ひとたびそう考えついてしまえばただ罪科の定まるのを座して待つのは怠惰の様に思えて気まずくなったというのが正直な所だ。
    つまりは、軍へ復帰することを決めたのは、自らの刑場への道を舗装するためとも言えた。
    だが本人の意図はどうあれ、諾と応えた以上友尚は王師の将である。代々の瑞州師将軍に与えられる官邸へと居を移すよう言われ、荷の運び込みと整理を行ったのが今日だ。
    身辺は整えてあったのでさほどすることもないと思っていたが、実際にはなんやかやと作業が必要になってくる。複数人の人手を借りて尚一日が掛かってしまった。
    開け放った折り戸から外を見れば、院子の大樹に傾きだした日輪が掛り 庭を黄金色に染めていた。しばし、一人で黄昏に塗り替えられてゆく院子を眺める。
    日が翳れば吹き抜ける風は未だ冷たい。胸の内まで冷え冷えとした物が吹き込む。
    ─少し、疲れているようだ。
    まだ自邸の実感は無いが、それでも己の生活空間としての場に多数の人間が居るというのは落ち着かなかった。

    夜の帳がおりて後、戸を閉じて下官から渡された礼物の目録を手に臥室へ移動した。
    思わぬ時間を食ったのは、身辺整理をしてあった故、とも言えた。
    本当に必要最低限しか物を残していないと知っている同輩らが「あれはあるのか」「これも持っておけ」と何くれとなく贈ってくれたからだ。
    必要ないと言った所で、体裁を整えて正式に贈られた物を突き返すのも憚られ結局この顛末である。さほど数は無いが確認はしておく必要があるだろう。
    房室に入ると、香だろうか、かすかに透き通るような匂いが鼻をかすめた。
    礼物の大半は実用品であったが、たしか香と香炉もあったように思う。
    目録に目をやれば案の定。他に、掛け軸や陶磁器といった骨董類もいくつか見受けられる。
    こういった物の取り扱いはさっぱり分からないが、手伝いの下官が良い具合に配置してくれたらしく時節にあった物が選んで飾られている。
    臥牀近くの供案には風情のある鉢植えが置いてあった。花の種類はよく分からないがいくつか蕾が付いていたのでひょっとするとこれが香っていたのかも知れない。
    棚には趣味の良い絵皿なども置いてあり、風流やら趣やらに興味の無い友尚にも洒落た居心地の良い空間を作ろうという配慮が感じられる。
    しかし季節ごとに掛け軸を変えたり壺や香炉を見合うよう揃えたりと考えればいかにも面倒だ。差配してくれた物には申し訳ないがその内に仕舞ってしまうかと考え、己の薄情さに苦笑する。
    ざっと確認が済むと、用を終えた礼物の一覧を卓子に置いて一つ欠伸を零した。



    「─友尚、どうしました?昨日の引っ越しの疲れがまだ残っているのかしら」
    台輔に声を掛けられはっと二、三度瞬きを繰り返す。一体何の話をしていただろうかと少し首を巡らすと、広徳殿の飾り窓から差し込む陽の光が目の中に飛び込み網膜に刺さった。
    「……あ、申し訳ありません。呆けていた様で。」
    「いいえ、気にしないで下さい。今日は私が急に呼び出したんですから。」
    いかにも屈託の無い様子で笑われて、友尚は誤魔化すように頭を掻いた。
    「いけませんね、仙のくせにあれしきのことで疲れを引き摺るようでは。」
    「そうは言っても、気疲れはあるでしょう。恵棟に聞きましたよ、友尚は意外と人見知りが激しいんだって。」
    「あいつ、台輔のお耳にそんな駄弁をお聞かせしたんですか?いえ、在りませんからね、人見知りなんか…。」
    「何が駄弁だ。お前、暫く大変だろうからと台輔が手配して下さったのに、住み込みの奄を断っただろう。お前のそれは人見知りでなければ何だと言うんだ?」
    ひょこりと衝立の奥から顔を出した恵棟が反駁してきた。思わぬ場所から現れた朋友に思わずのけぞってしまう。
    「恵棟、お前居たならそう言え!」
    衝立の向こうは書棚の置かれた房室の様だった。そこから木簡をいくつか抱えて出てきた恵棟が、友尚に向けて肩を竦める。
    「人の気配を読み損ねるなどそれでも武官か?と、言いたい所だが続きの房室での作業だったからな、気付かないのも仕方ないか。台輔、ご歓談中に無礼をいたしました。ご依頼のあった書簡はこれで全てです。」
    「助かります。恵棟は仕事が早いですね。前に正頼が褒めてましたよ、瑞州(うち)に欲しいって。」
    正頼が大変な能吏で主上の信が厚い事は周知の事実である。そんな人物に、お世辞としてもそのように言われれば嬉しい。恐縮です、と恵棟は照れたように返した。
    「待って下さい台輔、恵棟を瑞州に取られたらうちが片付きません。困ります。」
    「お前の言う『うち』は自邸だろうが。自分で片付けろ。それか観念して下官をおけ。」
    引き留める友尚と呆れたように言葉を挟む恵棟に、くすくすと台輔が笑った。肩をふるわせる度に、採光窓から落ちる日光が長く豊かな鬣にちらちらと反射する。
    「ああ、そういえば、直に主上もいらっしゃるのではありませんか?昨年から今年にかけての山崩れの報告資料はこれでご用意できましたから、私は退出いたしましょう。」
    そうだった、自分も昨年任された藍州での砂防工事について話が聞きたいと呼ばれたのだった。
    「いえ、軍吏の意見も聞きたいと仰っていたので、良ければもう少し時間を貰いたいです。恵棟に資料を頼んだのはお伝えしてあるので驍宗様もそのおつもりかと思いますし。」
    そういう事であれば、と恵棟は穏やかに肯|うべな>う。
    噂をすれば影がさす、とは言ったもので殆ど時を置かずに下官が主上の来訪を告げた。
    「すまない待たせたようだ。だがこれで五人揃ったな。」                五人?
    怪訝に思い胸の内で数える。台輔と、恵棟、友尚、そして今し方主上がいらっしゃった所だ。「ですから申し上げたでしょう、騎房に立ち寄るのはおやめ下さいと。」         主上のすぐ後ろから、僅かに呆れを滲ませた声が聞こえる。
    「そうは言うが、約束の刻限通りだ。午の刻、昼餉の終わった頃に、と。」
    「ええ、午の刻ではありますね。あともう暫くで未の刻にさしかかりますが。」
    一歩下がった場所に控えていたその人も、主上に続いて戸口を潜る。慇懃な口調だが、軽妙に続く会話からは互いに蔽いきれない気安さが見て取れた。
    それはそうだろう、主上の践祚までずっと同格の禁軍将軍として隣に並び立っていたのだから。
    「あ…選…様?」
    友尚の口から、意図せぬ内に声が漏れ出る。
    「どうした、友尚。引っ越しついでに祝い酒でも過ごしたか?」
    友尚に向き直ったのはどこか楽しげな、揶揄う様な顔。
    麾下と他愛もない話をする時主公は 柔らかく、春の陽射しの様に微笑する。そんないつもの


    「─っ」
    目を開いて真っ先に視界に飛び込んだのは見慣れない牀榻の天裏だった。
    鼓動が不規則に跳ねて指先がじりじりと冷たく痺れている。               「…う」                                      肺の迫り上がるような気分の悪さが喉を圧迫する。
    目は覚めた筈なのに、鮮明に見えていた光景はいつまで経っても脳裡から去って行かない。
    身を起こして瞼の幻影を払うように頭を振る。
    呼吸を宥めるように深く息を吸うと鼻腔を満たす空気が甘く香った。
    僅かに、五感が現実に帰ってくる。
    一つ、息をついたところで手で目を覆った。そこに焼き付く見知った顔が、まだ消えない。
    「…恵…棟…」
    朋友はもう居ない。身体こそ生きてはいるが、その魂は深く虚ろを彷徨っている。
    前に会ったのは、仁重殿だ。
    傀儡とされ、偽王討伐の後にも生き残った者は「神気の強い場所、或いは麒麟の近くであれば妖魔の影響が取り除けるのでは」という台輔たっての希望で燕朝の仁重殿傍近くに療養所が作られた。
    ただし、今の朝に傀儡を仙籍に残しておく余裕は無く、只人として。
    魂魄を抜かれて久しい者から順に一人欠け、二人欠け、今は数えるほどしか残っていない。
    そもそも、白圭宮にこそ多く居た傀儡は誰一人として戦火から逃げることをしなかった。
    ために、城が落ちた時にはもうその殆どが亡くなっていたのだ。生き残ったのは殆どが、各州の州城で病んでしまった者達だった。文州で抜け殻になっていた恵棟の様に。
    ─あり得ない。
    台輔の元にいる恵棟が、あんな風に立ち働いて声を掛けてくることは、無い。
    それに友尚はあんな風に鬣の伸びた台輔の姿を知らない。幼い頃も肩口に掛かる程度であったし、成獣して帰還した際はすっかりと短く切り詰めていた。
    何の屈託も無く、無邪気に笑う宰輔はこの国にはもう居ない。
    ─あれはあり得なかったことだ。
    だというのにこの生々しい程の現実感はなんだ。
    醒めれば消えるのが夢だろう。ならば目覚めても尚消えないこの現実に成り得なかった記憶の残滓は一体なんだというのだ。
    あり得ない。
    ─だって、あの人は、叛いたのだ。
    誰にも黙って、独りで決めて、叛き、豺虎に落ち、竟には死んだ。
    血溜まりに沈んだ、あの人だった物。あんな風に笑いかけることなどもう
    「─っ」
    意識の片隅に浮かんだ雪解けの様な笑みに、友尚は胃の腑が裏返るほどに嘔吐した。
    吐いても、吐いても、気道を絞めるような愁慕は胸骨の内より出て行きはしなかった。


    「友尚、酷い顔だな。」
    瑞州師の将を拝命してから暫く、暖かさを増した陽射しの中、燕朝の走廊でそう声を描けてきたのは台輔の大僕の少女だった。
    「耶利、敬語がどうのというのはもう何も言うつもりも無いが…さすがに当人に面と向かって悪罵を浴びせるのはどうかと思うぞ。」
    勿論そんなつもりでないことは分かっている。素っ気なく突っ慳貪な印象は否めないが、この少女はそういった悪意とは無縁だ。わざと真剣な顔を作ってそう返してみたのは友尚なりの親愛故である。
    どうやら冗談の意図は十分に伝わったらしく、耶利は友尚の言に軽く肩を竦めることで返答とした。
    「まぁ、そういう意味でなら友尚は静之の独谷の次くらいにははんさむだと言ってもいい。」
    「待て待て待て。聞き捨てならん。せめて比較対象は人間にしてくれ。」
    何故よりによって独谷と比べる。犬みたいな性格だと言われたことはあるが顔まで犬に似ているとは思いたくない。
    「話が逸れたが…」
    やめてくれ、本筋に戻す体で有耶無耶にしないでくれ。
    「顔色が悪い。夜寝ているのか?」
    どうと言うことの無い気遣いの言葉が、胸に銛の様に突き立った。
    「…ここの所少し夢見が悪いが、寝てはいる。大丈夫だ。」
    とは言ったものの、夢見が悪いというのは少し違う。
    見る夢は全て、只管に優しく温かい。
    失われたはずの物が失われずにそこに在る夢。十年も前の自分であれば明日も同じ様に在ると信じていたであろう日常の夢。間違いなく、幸福な夢である。
    寝ている間は何の違和感も無く、唯々温かな幸せを感じている。
    目覚めてからが最悪なだけだ。自己嫌悪に死にたくなる。
    昨晩見た夢の中には成行が居た。
    成行だけではない、帰泉も、諫言の末に粛正された同輩達も、嘗ての六官長も、主上の行方が知れなくなったあの日から今日までに消えてしまった内の誰一人欠けていなかった。
    こんな時にあいつがいれば。奴であればどうしただろう。あの人であればどう反応しただろうか。今でもそう考えることはあるし、叶うことなら還ってきて欲しいとさえ思う。だが、それは叶わないと分かっているから思考することが許されるのだ。
    本当に還ってくる事を望むのは、彼らの死を理解せず拒むのは、死者達への冒涜ではないか。
    「─俺は、案外と心が弱いらしい」
    暗いところへ落ちてしまいそうな考えを断ち切って苦笑を漏らした。同時に、僅かな頭痛を覚えてこめかみに手をやる。
    走廊の外へ目を遣れば、建屋と園林の方々に瓦解と荒廃の跡を残しつつも差し込む空気は優しく麗らかだった。立ち尽くす自分を置いて、国は立ち直ろうと動いている。
    「誰にだって弱るときはある。重要なのは弱ったときにどう立ち回るかだ。敵に弱っていると悟らせれば格好の餌食だが、味方に弱ってることを隠す奴ほど周りを巻き込んで自滅する。」
    「ほう?」
    見た目通りの年齢だったはずだが、この少女は時に、官吏たる地仙として生きてきた自分などよりよっぽど仙じみた物言いをする。
    「まあ、弱っていると分かれば黄海じゃあ率先して囮に使われるがな。」
    「味方って一体何だ!?」
    仙らしさ…とは違うかも知れないが浮世離れしているのは確かだろう。この飄々とした殺伐感は一朝一夕で身につくものでは無い。冗談だ、と言うように耶利は軽く頷いた。
    「安心しろ、ここは黄海じゃない。味方なんて言うのは、お互いにあいつが死ぬのは嫌だなって思えれば味方に数える。そんなものだろう。」
    なるほど、危うい場面では生き残る確率の高い者のために囮になる、逃げる者は躊躇わない。それは自分が囮の立場であれば躊躇わないで欲しいから。そう考えれば相手を心配することと、いざというときに切り捨てること、その二つは矛盾しない。
    それは『あいつは自分を生かそうとするだろう』という信頼があって成り立つ関係とも言える。些か人間味に欠けるが。
    「私は友尚の味方だし、友尚は私の味方だと思っているんだが。」
    「その『味方』っていざという時に切り捨てるやつだな?」
    「そう、躊躇なく切り捨てられるやつ。」
    互いに真顔でそう言い切ると、目を合わせたまま口元でにやりと笑った。
    「ありがとな、心配してくれて。」
    くく、と笑いを噛み殺しながら感謝を伝える。
    「私としても味方が減るのは嫌だからな。所で友尚、香か何か使っているか?」
    すん、と小さく鼻を鳴らして耶利が尋ねる。
    「いや…何か匂うか?」
    突然の話題に面食らいながら、すんすんと己の袍の袖口を嗅ぐ。
    遠回しにくさいから香でも使えと言われているのだろうかと一瞬背筋に冷や汗が伝うが、この娘ならば直截に「お前におうぞ」位は言うだろう。
    見ると耶利は眉根を寄せて記憶を辿るような風情だ。
    「いや、大したことではない。何か花のような香りがしたんだが…どこかで嗅いだ覚えがあってな。少し気になっただけだ。園林の花が香ってきたのかも知れない。」
    気にしないでくれ、と手を軽く振って話題を打ち切る。
    「ともあれ、困りごとがあるならば私だって相談くらいには乗るつもりだ。抱え込んだ挙げ句に周りを巻き込んで自滅なんて真似はしてくれるなよ。」
    他人の事に滅多に干渉しない彼女がこうまで言うのだ。自分は余程酷い顔をしていたらしい。
    まだまだ未熟だなあ、と眉を下げて苦笑を深めた。
    「面目ない。」
    「何、大事ない。礼なら山査子飴で構わない。」
    生真面目な顔で返答する食えない少女は、やはりどこか浮世離れしている。



    乱の平定を終え鴻基に戻る。遠征の間ずっと野営地にいたので友尚にとって久方ぶりの自邸だ。
    重苦しい胸のつかえを吐き出すように溜息交じりに深呼吸をした。
    主上や台輔の基本方針は討伐ではなく鎮定だ。なるべくならば武威で以て鎮めるのではなく、対話を以てするのが望ましい。
    しかしこの度の乱は少し話が違った。
    始まりは一つの街だった。このままでは冬を越せない、そう思い詰めた者達が徒党を組み、里二つ分離れた位置にある山の麓近くの廬を襲った。流石に隣接する場所を襲わなかったのは「顔見知りは殴れない」という事だろうか。
    しかしそれが事をややこしくした。襲われて焼かれた廬の縁者が報復に走ったが、その近隣の者達が、襲われた廬の側に付く者、始めに襲った街の側に付く者とに分かれたのだ。
    なんとも間の悪いことに、山の麓─即ち水源に近い廬と、その近隣とで水利の件で揉めていたのだという。縁者に被害のあった者あるいは義憤に駆られて被害者に付く者、それらが団結し、対する加害者の側は元々の人数の多さに加えこの期に乗じて水源地を確保しようと動いた者とで集まり、対立を深めた。竟には県城まで巻き込んでの暴動になったという訳だ。
    何かの要求があっての反乱ならばまだよかった。
    しかし相手が同じ方向を向いていない暴徒となれば、早急に鎮圧しなければのべつに被害が拡大する。代表者もなく、最終的な目的も定かではない。結局は鎮圧するほかなかった。
    いくら偽朝の罪が糾されたと言っても、すぐに太平の世になど成りはしない。民にとっては今を生きることが第一なのだ。そして彼らの中に芽吹いてしまった国への不信の根は深い。
    「分かってはいるんだがな…。」
    臥室で友尚は独り小さく呟くと、遠征の間に血と土埃の匂いが染みた様な装束を脱ぎ捨てて常の小衫姿になる。
    「随分疲れているな。」
    「疲れもするさ。気が滅入る。」
    今し方脱ぎ捨てた袍が拾い集められて綺麗にたたまれる。
    「いっそ築城だけしていたい気分だ。」
    「そうなればお前の剣の腕はただの持ち腐れという訳だ。」
    むっと顔を蹙めて返せば相手は小憎らしい程に涼しい顔をしていた。
    「友尚、お前は存外に子供っぽいよな。」
    「お前にだけは言われたくない。納得いかないことを何時までも意固地になって文句を言い続けるところとか、軍吏としてどうなんだ。冷静さに欠く。」
    途端に涼しげな顔をしていたのが崩れて眉が持ち上がる。
    「言ったな、旅帥の頃気に食わない他軍の師帥の指揮に反抗した挙げ句に食ってかかって懲罰房にぶち込まれそうになってたくせに、人に冷静さなど説ける立場か?」
    「何十年前の話を持ち出すんだ!お前こそ糞みたいな両長の両伍に対して私情で兵站少なく見積もったことあっただろうが!」
    「あんな奴ら糧秣不足で途中で引き上げてくれた方が民の為だ!私は今でもあの判断は正しかったと思っている。」
    「その尻拭い誰がしたと思ってるんだ?主に俺だぞ!阿選様だってお前が故意にやったの知ってて庇ってたんだからな!」
    「それに関しては後日品堅殿から聞いたので謝罪に伺った。」
    「俺には?恵棟、俺はその謝罪受けていないぞ!」
    「お前は普段から邸を片付けたり何かと面倒を掛けられているから相殺だ。」
    侃々諤々の応酬に僅かな沈黙を挟むと、顔を見合わせて両者同時に吹き出す。
    ひとしきり笑い合うと、滅入っていた気分が少し晴れる様だった。

    はっと目を見開くと、久方ぶりの自邸の牀榻が視界に入る。狂ったように鼓動を打つ心の臓に痛みを覚えて身を起こすと、知らず、獣の咆哮の様な呻きが己の口から漏れ出した。
    何故。ここしばらくは夢など見なかったのに。



    硬く口を引き結んだ表情で、黄医の潤達が台輔に拝謁する。
    「気になること、というのはなんでしょう。」
    対する台輔は、いつもと同じように構えたところがなく穏やかな雰囲気を纒っている。
    顔色は僅かに白く良好とは言いがたいがこれは仕方がない。泰麒の体調は思わしいことの方が少ないのだから。
    「貴方が躊躇するということは、私の体調とは無関係のことなのでしょう。」
    潤達は麒麟の主治医たる黄医だ。泰麒の身体に関わることで有ればどれだけ言い難いことで有ろうと包み隠すことはない。
    その彼が言い渋るのは、大概が職務分掌を離れた内容に言及する時だった。
    少し場の空気を和らげようと、背後に控えていた大僕の少女に菓子を取るよう頼もうと背後を振り返る。と、目の前で跪いていた青年が重たい口を開いた。
    「台輔は、近頃になって見られるようになったという病の事をご存じでしょうか…。」
    「病?」
    蓬莱で育った泰麒にとって、病といわれて思い浮かべるのは風邪や冬に流行する感染性の疾病だ。しかし常世においては細菌やウイルスの存在すら定かではなく、下手をすると天意によって引き起こされる原因不明の災害の一種という可能性すらある。一概に自分の知っている概念のものと同一視することはできない。
    「それはどのような病なのですか?」
    「全容は不明ですが…これまでの見聞から典型的な症状をお話させて頂きます。始めの頃は気鬱がちだった者がいくらか闊達になります。そして性格が明るく開けた様になるのに反して、身体的には衰弱していきます。足元のふらつきや注意力の散漫などが多く見られ、人と話をしていても微妙に噛み合わなくなってきます。酷い者は幻聴が聞こえることもあるそうです。こうなってしまうと事故に遭う者が多いのですが、最後には床に就いたまま起きてくることがなくなる、と。」
    潤達は言及するのを避けていたが、おそらく死者も多く出ているのだろう。悼ましく思って眉をひそめると相対した黄医は恐縮してしまった。
    「申し訳ありません、このような話本来であればお聞かせするべきではないものを」
    「いいえ、構わないでください、それより続きをお願いします。」
    続けてください、と言われて少し悩みながらも律儀な青年は口を開く。
    「民間で始めに見つかったもので、雲海の上までその存在が伝わるのに時間がかかった様ですが、近頃は官の間でも同様の病が起きているのです。」
    「なるほど、その病というのが白圭宮でも見られるようになってきたのですね。すみません、寡聞にして私はその話を知りませんでした。」
    「とんでもない、まだ医官の間で噂になっている程度なので台輔がご存じなくとも無理はありません。しかしいずれはこの病についても正式にご報告が上がると思います。何しろ、先日仙が同様の症状で…」
    「亡くなったのですか?」
    泰麒が言葉を継ぐと潤達は跪拝したまま気まずげに身動いだ。
    「…はい。」
    仙が病を得ることは、通常であればあり得ない。
    昇仙した者は通常の人間より格段に頑強になる。冬器でもなければ刃物で肌を裂くことができず、滅多なことでは怪我にも病にもかかることはない。その仙が、死に至る病。
    何か嫌なものを感じて黙考する。これはいわゆる感染症なのだろうか?
    「潤達よ、その病にかかった者に、他に何か特徴や共通点はあるのか?」
    突如背後から声がして泰麒は思考を現実に引き戻した。今まで背後で黙って聞いていた耶利が声を上げたのだ。
    「…他に…ああ、これも聞いた話になるのですが、心配した周りの者が声を掛けて医者にかかるよう勧めても、皆一様に『心配ない』『自分は今幸福なんだ』『家に帰って寝ていれば平気だ』と、そのようなことを申すそうです。」
    潤達の話を聞き、耶利は目を眇めて「そうか」と言ったきり、また黙ってしまった。
    「教えてくれてありがとうございます、潤達。何か…良くない感じがします。私の方でも少し調べてみましょう。」
    …はっ、と僅かに迷うような、戸惑うような声が一揖と共に還ってくる。
    「もしや、他にも気になることが?」
    その様子に逡巡を見て取り水を向けた。
    「私から申し上げるべき筋のことではないのですが…。」
    僅かに口籠もった後、台輔に促されて言葉を紡ぐ。
    「州師中将軍のことです。」
    「友尚の?」
    少し前に反乱の平定があり、血の穢れが障るといけないからということでここしばらくは会っていない。前に会ったときは些か疲れが顔に出ていたが問うても笑って「なんでもない」と返すだけだったので、偽朝で要職に就いていたという点で風当たりが強いのだろうか、心労があるのだろうかと気を揉んだのだが、やはり何かあったのだろうか。
    「…ここ数日の中将軍の様子は、尋常のことではありません。」
    泰麒が思わず腰を浮かすとがたりと椅子が鳴った。
    「どういうことでしょう。」
    「就任以来、お見かけする度にお疲れの様子でしたが先だって鴻基に帰還した際は幾分顔色が良かったので、医官の皆安堵していたのです。」
    それが…と、言い淀む様に口を閉ざす。
    「帰還以来、日を追うごとに顔色が悪くなっていらっしゃいます。」
    それも、以前よりもずっと。と、不安げに眉間に皺を寄せた。
    勿論黄医が思わず口を出してしまうほどの体調の不良というのは気になる。医官とはいえ潤達は本来ならば軍とは全く別の系統に属するのだから。
    そかし、それよりもっと気になることがあった。
    何故、今その話をしたのかだ。
    「私の思い違いであれば構いませんが…もしや先程の病の話と友尚の話、何か関係が?」
    思い当たるのは、二つの話が地続きである可能性だ。先程潤達が言っていた症状は友尚には当てはまらない。だが、敢えて先程の話と共に友尚の事を言ったのだとしたら…。
    「…病を直に診たことのある者が申していたのです。中将軍の憔悴した様が、醒めない眠りに就く前の患者にそっくりだと。」
    集中力の欠如、手足の震え、頭痛

    [ここで ぶんしょうは とぎれている]
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