これ、あげる「なあハッサン、あれ見て」
ボクの指差す方向を見て、ハッサンは少し顔をしかめた。
視線の先には、男女。カフェのオープンテラス席で、仲が良さそうに笑い合いながらケーキを食べている。
「レック、人を指差すんじゃありません」
「違う、人はどうでもいい…って言ったら語弊があるけど。ほら、見て、今」
女性の方が、男性に、自分のケーキをフォークに掬って、食べさせてやっていた。
よほどおいしいのか、男性はニコニコしながらケーキを頬張っていて、それを見た女性も嬉しそうだ。ふたりは今度は逆の動きをして、女性の方が嬉しそうに男性のケーキをもらっている。
「……見てるだけで胸焼けしそうっていうか、じろじろ見てたら失礼だぜ、こういうのは。向こうに気づかれても気まずいし…ほら、早く行こうぜ、レック」
「やりたい」
「は?」
「あれなら自分のだけじゃなくて、他の人のやつも一口食べられる! すごいよハッサン、ボク、そんな技、今まで思いつかなかった」
ボクが感動すら覚えてそう言うと、ハッサンは怪訝な顔をしてボクの顔を見てきた。この顔は、たぶん、この後に……
「何言ってんだ、お前」
やっぱり言われた。
「いや、ほら、ケーキが何種類かあって選んだ時に、他のやつも食べてみたいなと思っても食べられなかったりするじゃないか。そういう時にああやって他の人にもらえたら味見できる」
「そんなの、2個食えばいいだろ」
「そこまで食べられない時もあるじゃないか」
「いや、っていうか、根本的に、あの食い方はその、なんていうか……」
うーん、となにやら考え込むハッサンの腕をボクは掴んだ。
「ハッサン、あの店入ろう。ケーキ食べたい」
「ハア!? 今さっき飯屋で昼飯食った所だろ!」
「前から思ってたんだけど、ご飯の後にはお食後がいるよ、やっぱり。何か甘い物食べたい、これまでずっとそうだったし」
「何い? ……ひょっとして城では毎食後デザートが出るのか? すげえな……」
感心しているハッサンの腕を掴んで、カフェに入ろうとすると、ハッサンは大人しく着いてきてくれた。
席についてメニューを見ていると、ハッサンが落ち着かない様子でそわそわと辺りを見回していて、ボクは首を傾げる。
「どうしたの?」
「あの……お前はいいけど、オレ、ちょっと落ち着かねえわ、こういう所……」
「そうなの? 嫌なら出ようか」
「いや、別にいいぜ。食いてえんだろ、ケーキ」
ハッサンは苦笑しながら、ボクの頭をぽんぽんと叩いた。ハッサンはいつも、なんだかんだ言いながら、ボクの希望を聞いてくれる。へへ、と笑って、ボクはメニューに向き直る。
「うーん、チーズケーキも美味しそうだし、季節の果物のタルトも捨てがたいな……」
「……飯屋のメニューはわかんねえのに、こういうのはわかるんだな、お前」
「うん、ケーキはそんなに変わらないから」
「そんなもんかね」
「ハッサンは何がいい? 好きなケーキは」
ボクがメニューを見せると、ハッサンはまた難しい顔で考え込み始める。
「って言われてもなあ、……あの、ほら、普通の、スポンジと生クリームと苺のやつ」
「ああ、ショートケーキ?」
「名前は知らねえけど、誕生日になると決まってそのケーキをおふくろが買ってきて、…よく、苺もらってたな、おふくろの。親父はくれなかったけど」
ハッサンのその言葉を聞いて、ふっと昔のことを思い出す。
お食後に、ショートケーキが出てくると、セーラがもっと苺がほしいと駄々をこねて、母上に叱られていた。ボクはよく、こっそり、母上が見てない間にセーラの口に苺を放り込んであげた。そしたら、セーラは栗鼠みたいに頬を膨らませて苺を頬張ってニコニコして。内緒だよ、と声に出さずに人差し指で唇をおさえると、セーラは嬉しそうな顔でこくこくと頷いて。
「ボクはよく妹に苺あげてたな、小さい頃」
「妹って、……レイドックの、王女様は……」
「うん、…もういないけど、たまに思い出すよ」
ちょっとわがままな所もあったけど、可愛かった、と言うと、ハッサンは、そうか、と言って、黙りこむ。
そばを通りがかった、優しそうな女性の店員さんを呼び止めて、ショートケーキと、色々迷った末に選んだチョコレートケーキを頼むと、程なくしてそれらが運ばれてきた。
一番上のつやつやしたチョコレートの層に、細かいオレンジピールがかかっている。凝ってておいしそうだな、と思って眺めていると、とんとんと肩を叩かれた。
見れば、ハッサンが、苺をフォークに突き刺して、こちらに差し出している。
「……ほら、やるよ、苺」
口開けろ、と言われて大人しく開けると、苺を口に突っ込まれる。口を閉じたら、フォークだけが出ていった。
甘酸っぱい味が口の中に広がる。
人から、ショートケーキの苺をもらったのは初めてだ。今までは、あげてばっかりだったから。
なんとなく胸の奥がふわふわとして、嬉しくなって、ふふふ、と笑いながら食べていると、ハッサンも笑ってこちらを見てくる。
「…オレ、この苺、人にやったの初めてだぜ」
「ボクも、もらったの初めて」
そう言いながら、ボクは自分のチョコレートケーキをフォークで掬った。それをハッサンの口元に持っていって、はい、どうぞ、と差し出すと、ハッサンはぎょっとしたような顔をする。
「いっ、いや、オレはいいから、自分で食えよ」
「苺のお返しだよ、もらいっぱなしも何だし」
ほら、食べて、と言ってボクが笑うと、ハッサンはしばらく悩むそぶりを見せたものの、やがて意を決したようにそれにかぶりつき、そして、すぐに向こうの方をむいてしまった。
「? ハッサン、どうしたの?」
「………なんでもない。美味えよ、ありがとな」
そう言うハッサンの顔は見えないけど、ちょっと耳の先が赤くなっているような気がする。本当にどうしたんだろう。
首を傾げつつ、さて、どんな味がするのかな、と心を浮きたたせながら、ボクは目の前のチョコレートケーキを再びフォークで掬って、口に入れた。
オレンジピールの爽やかさと少しの苦味がチョコレートの甘さを引き立てていて、すごく美味しい。
ハッサンも、なんとなく少し赤みがかった顔で、ショートケーキを食べながら、「ケーキ、久しぶりに食ったけど、美味えな」と言っている。
「なあハッサン、また晩ご飯の後に来よう。ここのケーキ、美味しいよ。また食べたい」
「バカ野郎、城暮らしじゃねえんだから、いつもいつもそんな豪勢なことできるかよ。路銀がたんまりあるわけでもねえのに。……ま、たまにならいいけど」
「本当? やった、ハッサン大好き!」
「うっ、……お前、いや、…そりゃ、どうも…」
ハッサンは苦虫を噛み潰したような、頬が緩みまくったような、なんだか不思議な表情でボクを見てきた。耳は相変わらず赤い。
「ハッサン、変な顔」
「うるせえ、誰のせいだと思ってんだよ!」
「え? ボクのせい? ごめん、お詫びにボクのケーキもっかい食べる? ほら」
「いらねえ! やめろ、差し出してくんな! 自分で食えって! こら、レック!」
ハッサンとぎゃあぎゃあ騒いで笑い合いながら食べるケーキは、今まで食べたどんなケーキよりも美味しい。きっと、さっき見た男女のふたりもそうだったんだろう。
なんだかんだでもう一口ハッサンにケーキを食べさせることに成功し、ボクはさっきよりも赤い顔で、なぜか机の上に突っ伏してしまったハッサンに声をかけた。
「へへっ、美味しかった。また来ようね」
「…………しばらくは来ねえぞ、絶対」
恥ずかしいったらありゃしねえ、心臓がいくつあっても足りねえよ、とハッサンは呻く。
そしてその言葉にボクは、なんでだろうな、と首を傾げたのだった。