ある刀の瞳孔 一瞬何が起こったのか分からなかった。
「増援!?」
歌仙は、目の前の光景が信じられなかった。あと少しだったのだ。あと少しで、この形勢を打破できるはずだった。それが一瞬で押し戻された。残っている者は皆、手傷を負っている。
「こんのすけ!どういうことになってる!」
「分かりません!おそらく増援ではなく、本隊が来たと考えるのが妥当でしょう!」
唯一の通信手段である管狐が答える。
「本隊とは厄介ですね。」
その真っ白な髪を血で染めながら、ふわりと横に立った、小狐丸が言う。
「各防衛ラインの戦況を教えてくれ!」
歌仙は敵を切る手を止めずに聞いた。
「はい。前衛はやや有利、中央は拮抗、そして、最終ラインが不利です!」
その報告を聞いて、歌仙は深く息を吐く。主に近侍を命じられ、そのためにこの大戦の指揮を任された。その任の重さを甘く見たことなど、一瞬もなかった。なのに、なのにだ。総大将がこの体たらく。一人の敵の浸入も許さぬこの最終ライン。そこが最も攻められてる。
(前衛、中央をくぐり抜けて、なおこの戦力。こちらに、新参を集めた僕の失敗か?)
戦いながら、歌仙はチラリとこんのすけの護衛を見る。
「白山くん、他の本丸と連絡する事はできないのかい。」
「私の狐もこんのすけも、すべて断絶しています。わかるのは戦況くらい。」
「なるほど。大事なときに演練相手とも話せないなんてね。」
ぽたたと、音を立てて血が落ちる。その血は乾いた血にまた色をつける。
(考えろ。今は歌ではなく、この戦を詠むことだ。)
歌仙は自分に言い聞かせる。
「一期一振!すまんが短刀達の再配備を頼む。お小夜は、天下五剣の三振をここへ。」
歌仙は戦況を打破するための、命令を飛ばす。向こうから、返事が聞こえる。それでようやく彼らが折れていないことが、分かる。最終防衛ラインは、それほどの乱戦になっていた。各部隊長が何とか自分の隊を、まとめようとする声が聞こえる。
「前衛からここへ何振りか連れて来られれば……」
歌仙は目の前の敵と、各ラインの状況を思いながら、独り言を言った。
「そりゃ命令かい?それとも独り言かい?」
伝令として控えていた薬研が尋ねる。いつもの口調だが、苦戦を強いられているという、焦りも滲ませていた。
「そうだねえ。出し惜しみして共倒れとか、雅の欠片もない。……行ってくれるか?薬研。」
おっとりとした、歌仙の口調はもうない。
「任せな。生きのいいやつ、連れてくるぜ。」
薬研と歌仙は、一瞬目を合わせ頷くと、双方のあるべき場所へ足を向けた。
薬研が前衛の戦況の確認と指令を伝える。目立って体をはってるのは、和泉守の部隊だ。
「おいおい、之定よう。有利っていうのは、よゆ、うって、わけじゃねえんだぜ」
相手の攻撃を交わしながら、和泉守が言う。最も精鋭が集められた最前線の、部隊長の一人である彼の自慢の、浅葱色の羽織がずっしりと吸った血で、どす黒く重くなっていた。
「ここ守るので、手一杯だと言いてえ、とこだが、お土産無しで帰す、のも、ぎ、り、がねえ」
和泉守は口に溜まった血を吐く。
「国広ぉ!二、三人連れてってやれ!」
「でも!」
そんな国広もシャツが赤く汚れている。
「こんくらい持ちこたえてやらあ!」
持ち前の気迫で和泉守が言った。
「それなら俺たちが行ってやるぜ。」
見事な鶴になった鶴丸が言う。血で汚れた顔を拭うと、また新しい血が頬を汚した。大倶利伽羅も燭台切も、了解したように、視線を寄こす。
「すげえな、うちは大損害だ。」
口の端を曲げて、笑いながら、和泉守は言う。彼の刃が敵の刃を受けてチリチリと金属音を響かせていた。行けと、和泉守は目で合図する。
「伊達部隊、堀川国広、前衛を離れます!」
四人は振り向きもせずに去っていった。堀川の声を背にしても、誰も視線すら向けない。それが彼ら戦場の刀のあり方だ。
「しっかし、この状況であの四人出すとは、強気じゃな。和泉守!」
陸奥守が、銃と刀を両手にもって笑う。
「あっちが押されてんのは、俺たちの責任だろ?、奴さんに傷ぐらい負わせとかねえと申し訳がたたねえ。」
「全くじゃ。」
和泉守と陸奥守はお互い背中を預ける。
「さあ、やってやろうぜ!てめえとの喧嘩はその後だ!」
和泉守は柄を握り直した。
「まーだやるんか、和泉守。」
二人の足が大地を蹴る。敵を屠る二人の眼光は、修羅のそれで、頭からつま先まで、血に濡れていない箇所はない。
一方、中央も手を抜けなかった。
「ここで抑えなければ、最終ラインに逃すことになる!前衛が打ち漏らした敵だ!覚悟を持て!」
大包平のよく通る大声が、味方を鼓舞する。その背後から忍びよる敵を、鶯丸が切り伏せた。
「そんなことを言って、一番油断してるのは誰かな?」
鶯丸の言葉に大包平は二の句が継げない。
「余所見をしない。」
鶯丸の言葉を聞くこともなく、大包平は何体かの敵を撫で斬りにした。
そのとき、小夜左文字から伝令が入った。
「小夜。無事でしたか。」
宗三が駆け寄る。その隙を狙った敵を二人は鋭い刃で一突きにした。
「伝令です。数珠丸恒次、大典太光世、鬼丸国綱の三振りは、急ぎ最終ラインに回ってください。」
宗三はその伝令にちょっと驚いた顔をした。最終ラインはそれほど劣勢なのかと。
「小夜!」
すぐに去り行く小夜左文字に、宗三が声をかける。それは、弟を気遣う声だった。
「僕はもうここの本丸の一振りだ。」
まっすぐ、前だけを見つめて小夜は、次の戦場に走った。
「ならば、僕も天下人の刀たる由縁を示さなければなりませんね。」
すうっと、宗三の刀が空を滑るように、敵群を指し示した。刀を閃かせると、彼は軍勢へ切り込んでいった。
伝令はすぐに中央ラインへ周知された。
「これで、俺がもっとも、強く、美しい刀と認められた訳だな!」
大包平の士気はうなぎ登りだ。みるみる敵を切り裂いていく。確かに頑強な刀だよ。鶯丸はそれを見て、少し笑んだ。
一方、他の部隊も同じように傷つきながらも、手を休めなかった。
「カカカ。兄弟。修行の成果をみせるときであるな!」
豪胆に笑いながら、その声と同じように山伏は、荒々しく敵を薙ぎ倒していく。背中を預ける兄弟は、金色の髪を晒し、普段は汚れてはいても、生成色を残していた、布が真っ赤に染まっている。二人とも戦い方は違えど、肩で息をしているのは同じだ。
「まあ、やり手応えは十分だな。」
何度目かわからないが、山姥切は刀を振って血を落とす。
「では、参ろうか。兄弟!」
「ああ。」
二人は円を描くように、刀を振った。辺りの敵を一掃するが、すぐに第二陣が押し寄せる。
歌仙は目まぐるしく変わる戦況と敵の攻撃にさらされながら、何とか次の一手を考える。
(駄目だ、敵に邪魔されて、考えがまとまらない。誰がどこで戦っている?)
部隊ごとに分けた全員の戦力がどこでどう拮抗しているのか、全体像を歌仙はもう描けなくなっていた。歌仙はもともと前線で映える刀だ。不似合いな総大将だと、自分でも思う。それでも主に命じられた責務と、全刀剣を預かる重圧に、矜持で耐えていた。戦闘で落ちたものではない汗が、歌仙の頬を伝って顎から落ちる。
(ここを突破されたら……)
左胸に咲く花のひとひらが落ちる。
そのとき、誰かの声がした。疲弊した耳は一瞬でその声の主を拾えなかった。
「軍師が必要じゃないか?」
二振りが助け船を出す。
「山鳥毛?日光?」
歌仙は目を見開く。
「ここは戦場。総大将だけでやる戦など、どこにもない。」
山鳥毛が言う、それでも、彼の白い上着には血が飛び散った痕がある。彼も悠長に戦況を見守ってるわけでもないらしい。
「総大将と言うものは、奥に構えているものだ。戦いながら、つまらん絵図など、書くな。」
日光が山鳥毛の言葉の後を継ぐ。
「言われるまでもない」
そう、ここが一番安全でなくてはならない。そして、一歩も引けない気持ちは本丸の全員が思っている。だが波状にくる敵に、どう対応していけばいいか、答えは見えない。
「報告です。前線、中央より増援が来ました。」
こんのすけが声をあげる。
「なるほど劣勢ってだけは、あるな。」
もう鶴とは呼べないほど、衣装が赤く染まった鶴丸が飛び出てきた。
「鶴丸、前線は?」
「らしくない驚きようじゃないか。歌仙兼定。」
鶴丸が地に足をつける。
「前線は残りの奴らが、頑張ってくれるさ。それより、おまえさんが、その状態ってのが気がかりだぜ。」
歌仙を見て、鶴丸が言った。言われて見ると総大将とは呼べない体たらくだった。
「天下五剣まで呼んだのかい?」
燭台切も駆けつける。小夜はうまくやってくれたようだ。
「どうする?歌仙殿。」
山鳥毛が急かす。
歌仙は少し考えた。
そこら中に敵がいる。気を抜けば折られてしまいそうな、気の遠くなる敵の圧力。
「一文字の申し出はありがたいが、もう僕から出せる指令は一つだけだ。」
歌仙は、あちこちに血の染みがある、幾枚かの紙を出してばらまいた。そこには、本丸全員の配置図が書いてあった。
歌仙は声を張る。
「全軍に、状況を伝える。前衛はうちの旅帰りの精鋭で、固めてある。中央は古参だ、修羅場を抜けてきた経験値が高い。大包平もいるから士気は下がらない。そして、最終防衛ラインは不味いことに、だいぶ押されてる。」
それは、士気を落とす可能性がある言葉だった。
ふっと、歌仙の耳に剣戟の音が遠退いた。そして、目の前には、はっきりと本丸の一人一人の顔が見える。三日月もそこにいた。
(やれやれ。風流じゃないねえ)
血まみれの自分の姿を見て歌仙は思う。
歌仙はすっと刀を前に出す。まるで扇のように。その瞳に美しい月が揺れる。そう、この戦は。
「全部片付けろ!そして折れるな!」
戦場に花が開く。こぼれるような笑みで、はじまりの刀が言った。