【理銃】千本桜負けた。この戦は負けたのだ。
主の首が討ち取られたと早馬が駆け、戦が終わりを告げた。
真っ暗な森の中、木に背を預けハァ…ハァ…と浅い呼吸を繰り返す。止血を施した脇腹を片手で押さえるも出血が止まらず、一歩も動くことができなかった。
春と言えど、夜は凍える。先ほどまで燃えるように熱かった体も、徐々に体温が下がり震えだしてきた。出血により貧血を起こしている頭はふらふらと揺れ、こうべを垂れた視線の先は真っ赤に染まる自身の腹と手。
忍である俺は、乱世の世で一國の城主に仕えていた。力強い瞳で真っ直ぐと民の未来を思い遣り戦う主に仕えられる俺は、なんて幸せ者なのだろうと思った。召し抱えられてから、主の為に身を賭して戦った。それが俺の生きがいだった。
いつも民や兵、俺たち忍のことまで心を遣い、分け隔てなく接してくれた。主ならきっと太平の世に導いて下さると信じていた。その為に傍にお仕えし、御身を守っていた。
しかし今回の戦は敵方の武将の姑息な策に嵌り分が悪く、城に攻め入られる可能性があったにも関わらず護衛の任を解かれ、戦場での情報収集に回された。
何故、俺を傍に置いてくれないのかと慨嘆(がいたん)していると、大きくて暖かい手で頬を包み接吻を落とした。
『この戦、必ず勝利を収めてみせる…だから銃兎、生きて還れってきてくれ』
生きて還る。その言葉を胸に戦場を駆け巡った。何度も死線を乗り越え、ようやく掴んだ敵方の情報を持ち帰ようとしたとき、不意を突かれ後ろから槍兵に襲われた。すぐさま苦無で敵の急所を刺し、命からがら味方の陣へ逃げ込み城の麓まで辿り着いた時、訃報を知らせる早馬が駆けた。
背を預けていた木から、ずるずると地面に倒れ込む。
主との約束を果たす為、呪いの様な言葉に生かされここまで戻ってこれた。
あの時、主は自分の死期を悟り、この戦で傍に置く俺も死ぬとわかっていた。だから俺を遠ざけ、生きて還れと言った。
涙で霞む瞳で夜空を見上げると、月明かりに照らされた桜が視界いっぱいに咲き乱れていた。
どんな時でも力強く前を見つめる主の瞳が、俺と最後に交わした接吻の時、揺らいでいた。まるで、俺を思って泣いてくれているかの様に。
「主……理鶯……ただいま…」
喉が焼けるように痛かった。俺の声はもう届かないとわかっていながらも、どうしても帰還を伝えたかった。理鶯が愛した桜の元で。
『銃兎、麓は春になると桜が満開になる。この城が埋もれてしまうほど綺麗に咲くんだ…戦が終わったら皆で宴を開こう』
『桜が咲くと民や城の兵たちが餓えることなく、無事に冬を乗り越えられたと心が落ち着く。こんなにも愛おしく、心が躍る花があるだろうか』
誰にも知られずに静かに命を散らすのが忍。なのにこんな美しい桜の元で力尽きるなんてと、自身を嘲笑いながら悠々と風に舞う花びらに、その美しい花弁で俺を隠してくれと願い、ゆっくりと瞳を閉じた。