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    ume8814

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    ume8814

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    晴天 白く静かで小さな部屋。自然光などお呼びではないとばかりに煌々と、一つの影すら許されないのかと思う程に蛍光灯に照らされている部屋だが、たった一つ窓がある。
     曇りガラスに鉄格子の嵌められた、決して開くことのない窓。外の様子など禄に窺うことも出来ない。ともすれば一般的な窓に求められる役割とは逆に閉塞感を募らせるのに一役買いそうな窓である。しかしその部屋の中でする事も無いシルヴァは、ぼんやりとこの窓を眺めているのが常だった。正しくは窓というよりも窓から射し込む色を眺めている。早朝の日差しの眩しさも、夕陽の溶けるような赤も、雨粒の描く模様も、遠いネオンの瞬きも、それら全てが曇りガラスによって引き伸ばされて、白い部屋に馴染んでいる様を眺めるのは案外悪くない。
     シルヴァはその事を、気まぐれにここを訪れるボンドに話したことがある。ボンドがシルヴァから聞きたい内容はそんなティーンが多感な時期にノートに書き散らすような話題ではなかっただろう。しかしシルヴァは求められた情報を話す気はなかった。どうせ自分が口を開かなかったところでMI6は遅かれ早かれ知りたい情報は手に入れるだろう。少なくともボンドはきっと手に入れる。手に入れてもらうくらいでなければ。00セクションの後輩が、そんな低脳だとは思いたくない、しかしそうなれば外と隔絶された部屋では話題の種を探すのに随分と苦労する。ティーンがノートに書き散らすような話題でさえ話さない手はなかった。
     話を振られたボンドは一瞬意外そうな顔をした。シルヴァがそのわかりやすい表情の変化を揶揄する前に、ボンドはすぐにその表情をしまい込んだ。そして彼は楽しそうな笑みを湛えて、有意義な時間の使い方だ、なんて、随分と意地の悪い物言いをしたのだった。

    ***

     求めてやまなかった透き通るような蒼には二度と手が届かなくなってしまった。教会で倒れてから暫くして、白い病室で目を覚ました時には全て自分の手の届く範囲からは奪われてしまった後だった。

     何本も繋がれたチューブやコード、極めつけは酷く痛む背中の傷。白いシーツに相応しい清潔さの右手と異物感のない目。どうやらまた死に損なったらしい。それも最悪の形で。シルヴァがそう理解するのに数分とかからなかった。幾らもしないうちに目尻からこめかみへと生ぬるい涙が滑り落ちる。酷い慟哭の声はおろか嗚咽の一つすら出すことができない。眦からこめかみが濡れる感覚が不快であったが拭う為に手を上げるほどの体力と気力はシルヴァにはなかった。意識が戻った今、数分のうちに医者やエージェントがこの病室に来るだろう。それまでに涙が止まればいいと、シルヴァはただ思った。
     予想通り訪れた医師や看護師がベッドの周りを動き回る間に、シルヴァはMと名乗る男の喋る声をただぼんやりと聞いていた。Mと名乗る男は自分の知るMとは全く異なっていた。そんなMから、自分が死に損なったこと。怪我の状況。情報を提供してほしいこと。明日にでも別の部屋、もとい牢屋に移されること。涙の流れた跡が乾いていくのを感じながら手短に簡潔に話される内容を半ば聞き流していれば、最後に何か要望はあるかと聞かれた。まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったシルヴァはわずかに視線を移しMを見た。静かに促すようなMの視線を受け、シルヴァは張り付いたように声の出し方を忘れている喉をどうにか震わせ要望を伝えた。たまに部屋にボンド君を寄越してほしい。007のジェームズ・ボンドを。声というのも憚られるような酷くひび割れた音が喉から出たが、Mは正しく聞き取ったらしい。何も読み取ることのできない瞳をしたMが小さくうなずいたのが見えた。まさか本当に聞いてもらえるのだろうか。軽口の一つでも叩きたくなったが、意識を取り戻してすぐの身体はあっけなく活動限界を迎えたらしい。抗いたい瞼の重みに逆らうことはせずに、シルヴァは再度意識を手放した。

     それからは訪れる医師の検診や部屋の移動、寝たきりのせいで衰えた筋肉のリハビリ、尋問等々慌ただしく日々が過ぎていった。その日々の中で部屋の扉が開かれる際は漏れなくMI6のエージェントも部屋を訪れたが、ボンドが訪れることはなかった。もしやあの時、男、Mが肯いたように見えたのは幻覚だったのか。そうシルヴァが疑い始めたころ、ボンドが部屋を訪れた。
     基本的に部屋を訪れる人間は毎回決まった時間と周期でやってくる。週に一回、一日三回、月末と。ある日、それらのパターンにはないタイミングでドアが開いた。何ができるわけでも無いが息を詰めて開きかけた扉を注視していると現れたのはボンドだった。それからというものボンドは不規則に部屋を訪れる。二週間、一か月、三週間とその期間はまちまちだったが、幾度となく部屋の扉がボンドによって開かれた。

     部屋に訪問者が来る時は、幾重にもかけられたロックが解除されて何枚もの扉が開く。普段のルーティンから外れたタイミングで前触れなく扉のランプが緑に光ると、扉の向こうにはボンドがいる。ランプが瞬き、ドアが開き始めたところでシルヴァは横たわっていたベッドから身体を起こした。

    「いらっしゃい、ミスターボンド」

     勝手に閉まるドアを背に、ボンドは部屋に入るとまずあたりを見回す。チラリと視線は寄越されるものの、シルヴァの挨拶にはろくな返事が返って来ない事が殆どだった。それにもすっかり慣れたものだった。気にせずに会話を続ける。

    「はっきりしないけれど三週間ぶりって所かな」
    「大体合ってるんじゃないか」
    「大体だなんて、私と違って日付もきちんと分かるだろうに」

     呆れたように笑えば、時差ボケだ。そう適当に答えるとボンドは部屋に唯一ある椅子に腰掛けた。いつもボンドの座るこの部屋唯一の椅子は、床に固定されている為に動かない。この部屋でのボンドとシルヴァの距離は概ね椅子とベッドの距離だった。

    「時差ボケだなんて、007も形無しじゃないか」
    「あんたは知ってるだろ。そろそろ僕も歳なんだ」

     そう言って腕を組むとボンドは本格的に話を聞く姿勢に入ってしまった。時々、任務で何処から帰ってきたのか二言、三言、話してくれるが今日は土産話は無いらしい。自分が招いた客人に退屈をさせるのは主義ではないので話題を探す。いつだか、生憎もてなすためのお茶もお菓子も無いけれど君とお喋りするのは好きだよと話した事があった。ボンドはそんなものよりあんたの持っている情報でもてなされたいとにべもなかったが。
     思考が脇にそれたが、その時の様子を思い出していたシルヴァはある事に気がついた。ボンドが訪れる日は決まって天気は曇りだ。外の世界なんて無いかのように、窓は外界の色を部屋に持ち込まない。久しぶりにボンドが訪れた今日も部屋は白いままだった。

    「君が来る時はいつも曇っている」
    「そうかな」
    「そうさ。普段ならもう少しこの部屋も味気なく無いのに。タイミングが悪いな。いつも変わり映えしない部屋に来てもらってばかりで残念だよ」

     今日は少し雨も降っているようだけど。そういって身を乗り出しボンドの首筋に顔を寄せるシルヴァにボンドは僅かに身体を引いた。急に詰められた距離も然ることながら、香水などつけていないだろうに、不自然に鼻をかすめた気がした甘い匂いがボンドを落ち着かなくさせる。

    「残念そうには見えないな」
    「それは、君が来てくれているんだもの。嬉しくないわけがない。外がどんな天気であろうと私にはあまり関係ないからね。ピクニックにでも出かけたいぐらい良い天気の日のような気分でいられるよ」
    「随分とまた。来た甲斐がある」

     まるで心にもない事をとでも言うかのように笑うボンドにシルヴァは芝居掛かった動作で肩をすくめた。

    「お世辞ではないよ」

     事実お世辞ではなかった。シルヴァはボンドの目にロンドンの空を見る。それもとびきりの晴天を。

    「君は綺麗な目をしているから」

     そう言うとシルヴァは、普段よりも近付いていた距離のままボンドの乾いた頬に手を添わせ目を覗き込む。そのままやけに暖かい手でするするとボンドの頬を撫で、目尻を愛おしそうに親指でなぞった。突拍子もない行動にボンドは再度、身体を引こうとするが、椅子は動かず上体を反らせるにも限度があった。抵抗せずに諦めたボンドに気を良くしたシルヴァはうっとりとした笑顔で話を続ける。

    「この部屋にいると空が恋しくなるんだ。君の目のような空の色をする晴れたロンドンが好きでね」
    「なんだ、てっきりあんたのマムでも重ねてるのかと」

     思わず口をついて出た言葉にボンドはバツの悪そうな顔をした。頬に添えられた指が、シルヴァの頬が僅かに動くのを感じた。もしかしたら、このまま首の一つでも絞められるかもしれない。そう肝を冷やしたが、ボンドの予想はシルヴァの楽しそうな笑い声によって呆気なく裏切られる。

    「ボンド、君、本当に00エージェントかい?」

     あんまりお喋りが過ぎると良くない。苦労する。そう歌うように言ってボンドの頬を両手で挟み、シルヴァは再度ボンドの目を除き込んだ。

    「それにマムの目はもう少し濃いブルーだ。もちろん2人とも綺麗な目をしているけれどね」

     シルヴァに頬を挟まれながら、こうしてしっかりと顔を合わせるのも初めてではなかったなと島での対面を思いだしながらボンドもシルヴァの目を見返した。
     島で会ったシルヴァは不自然なブルーの瞳をしていた。光の加減によって薄らとブルーに見えたが暗く澱んだ黒にも見えた。きっと、あの時シルヴァがつけていたコンタクトはこの部屋に入れられた時に抜かれたのだろう。今、シルヴァの瞳は濃いブラウンをしている。染めることをやめた髪の色や低く穏やかな声色で歌うように節をつける話し方、頬に触れるやけに温かい掌に酷くしっくりくる色だった。

    「あんたの目も綺麗だ。良い色をしている」

     初対面の時よりも、今の方が余程。シルヴァをひたと見据えてボンドの零した言葉にシルヴァの目はこれでもかと言うほど開かれた。次いでおもむろに上がる口角に、以前ガラス張りの牢で見せた暗澹とした表情の片鱗をみたボンドは、まさかここで地雷を踏んだかと僅かに身体を固くした。しかし、口角の上がりきる前に僅かに戦慄いた口元を隠すように伏せられた顔が上げられれば暗い表情は形を潜めていた。形を潜めるどころか何かがごっそりと抜け落ちてしまったように見えた表情は今までに見た事のない類のもので、ボンドは僅かに焦って声をかけた。

    「おい、あんた……「そう」

     たった一言、やはり様子のおかしいシルヴァに、頬に添えられたままの手を掴み軽く揺する。しかし再度ボンドが口を開くより早く、瞬きの間に、シルヴァは口元にいつもの食えない笑みを刷いていた。

    「ありがとう、まさか褒められるだなんて思ってもみなかった。たとえお世辞だったとしても嬉しいよ」
     
     手を握ったままだった腕にちらりと視線を寄越される。ゆっくりと離した腕の所在を決めあぐねる感覚と動揺が収まりかけた事で感じた背筋にかいた嫌な汗が不快だった。

    「君も忙しいだろう。雨に酷く降られて風邪でも引いたら大変じゃないかい」

     これ以上ここに居ても時間の無駄だとやんわり告げられたボンドは呆れたように小さく息を吐いた。

    「また来る」
    「いつでもおいで。なんのおもてなしもできないけれど待ってるよ」

     僅かに笑いながら大人しく椅子から立ち上がったボンドを見上げながらひらひらと手を振るシルヴァはすっかり普段と変わりなかった。なにを考えているのかわからない、いつも通りの彼だった。
     ボンドが部屋を出る。指紋認証で開く扉をくぐるボンドの肩越しには別の扉が見える。ボンドの背中が見えるのは一瞬のことだ。こちらが不審な動きをしないか、扉が閉まったかを確認するためだろう。ボンドはいつも扉が閉まるその時まで部屋の中を見ている。

    「今度来るときは天気のいい時においで」
    「ああ。そうしよう」

     まるでついさっきまでの会話は無かったことになったかのような言葉だった。閉まりかけの扉の隙間からシルヴァのかける声にボンドは是と答える。薄く笑うボンドにシルヴァも笑顔を向けた。
     きっとボンドはまた曇りの冴えない日に来るだろう。おそらくこれから先、晴れの日に来ることはない。良く晴れた日の空が窓に溶け込んだ色が彼のクレイジーブルーの瞳によく似ているのをこの部屋で実際に目にすることもないだろう。根拠はないがそう思えた。


     柔らかな素材で角を覆われた必要最低限の家具。部屋の広さの割に高い天井に付けられた監視カメラ。監視カメラを覆う鉄柵。固く閉ざされた扉。絵の一つも飾られていない壁。曇りガラスに鉄格子。どれもこれも真っ白な部屋だ。
     白い部屋の中にぽつねんと独りで過ごしていると、自分に対する異物感が強くなっていく。窓を眺めてみても、ロンドンの空は相変わらずご機嫌がよろしくないようだ。窓が色を映すことは無かった。
     シルヴァは何もかも白に染め上げられた部屋の中で、ふと、唯一黒いままの監視カメラのレンズを見た。今まで気にしたこともなかったが、息が詰まりそうな部屋の中でそのレンズは不思議な愛嬌を湛えてシルヴァを見ていた。
     次に彼がこの部屋を訪れたら、このカメラの話をしよう。自分を監視するカメラに愛着を感じるなんて話したら今度はどんな顔をするだろうか。君のせいだと告げれば、きっとわかりやすい困惑を示してくれるだろう。ボンドの反応を幾通りも思い描いてカメラをみれば、自然と笑い声が漏れた。

     口角が上がるのを隠すこともせずカメラに笑いかける。何通り目かのボンドの怪訝そうな顔に混じって、一瞬だけ、カメラの向こうで肝を冷やす監視員の様子も脳裏に浮かんだ。
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    ume8814

    DOODLEグリクリグリ
    読書 サイドテーブルを挟み緩く向かい合うように置かれた1人がけのソファで、クリーデンスとグリンデルバルドはそれぞれ本を読んでいた。日が落ちてから随分経ち分厚いカーテンの下ろされた部屋では照明も本を読むのに最低限の明かるさに絞られていた。その部屋には2人のページを捲る音だけが静かに響いている。


     クリーデンスが本を読むようになったのはつい最近、グリンデルバルドについてきてからのことだった。最低限の読み書きは義母に教えられていたが、本を読む時間の余裕も、精神的な余裕も、少し前のクリーデンスには与えられていなかった。
     義母の元でクリーデンスが読んだ文字と言えば自分が配る救世軍のチラシ、路地に貼られた広告や落書き、次々と立つ店の看板くらいのもので、文章と呼べるようなものとは縁がなかった。お陰でクリーデンスにはまだ子供向けの童話ですら読むのはなかなかに骨が折れる。時には辞書にあたり、進んだかと思えばまた後に戻ることも少なくないせいでページはなかなか減らない。しかしクリーデンスはそれを煩わしいとは思わなかった。今までの生活とも今の生活とも異なる世界、新しい知識に触れる事はなかなかに心が惹かれる。クリーデンスにとっては未だにはっきりとしない感覚だがこれが楽しいということなのかもしれないと、ぼんやりとだが思えた。それに今日のように隣で本を読むグリンデルバルドのページを捲るスピードは、自分のものとは異なり一定で、その微かに聞こえてくる紙のすれる音が刻むリズムがクリーデンスには酷く好ましかった。
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