甘い、というよりは清廉な香りだな、と神田は思った。その手には小さな容器に入れられた、南天の実と緑の色の濃いグリーンリーフを添えて、淡いイエローのフローラルテープでくるりとまとめられた白い薔薇のブートニア。
彼の足が向かったのは、一階の玄関ホールからすぐのところだった。いつも埃ひとつつかないように拭かれたプレートは歳月を示すように少し黄ばんではいるけれど、かつては墨痕も鮮やかにしたためられていたのではあろう、今は少しだけかすれてしまった四文字が書かれていた。
――生徒会室。
「二年A組神田忠臣、入室の許可を願います」
ノックを二回の後、大きくはないがよく響く豊かな声で室内に問うと、「入れ」とややもするとぶっきらぼうに聞こえる声が応じた。だが神田は、その、耳に馴染んだ声に僅かに口元をほころばせた。
失礼します、と改めて断って神田が扉を開けると、そこには前生徒会長となった自隊の隊長でもある卒業生の弓場と、前副会長で現会長の同級生の蔵内、現副会長の綾辻ら新旧の生徒会役員が部屋のテーブルを囲んでいた。それぞれの手元には印刷されたコピー用紙の束とサインペンと役員印が置かれていた。
「おう、なんだ」と応じたのは弓場だ。
お忙しいところお時間をいただきます、と神田は折り目正しく告げる。
「弓場さ……弓場先輩、献花式出ないんですよね」
「前生徒会長はそんな暇ねえからな。それと」
「?」
「学校でも『さん』でも構わねェーってずっと言ってたのに、結局そのままで通したな」
「ケジメは必要でしょう?」
神田の言葉に、ふん、と弓場は満更でもなさそうに鼻を鳴らし、「それで献花式がどうした」
「だから、俺が今おつけしようかと思って」
「めずらしく可愛げのあることを」
と弓場は笑うものの、そう悪い気分ではなさそうだった。
卒業する三年生に、一年が作ったブートニアを二年が手ずからその胸元に飾る献花式は卒業式に欠かせない六頴館高校の伝統行事だ。
「御留めさせて頂きます」
「おう」
神田は太くがっしりとした指ながら巧みに素早く、華奢な生花を損なうことなく弓場の左胸に飾った。さすが何事にもそつのない男の面目躍如といったところだろうか。
「……似合わねェーよな」
窓ガラスに映った、瑞々しい白薔薇のブートニアを飾った己の姿に、弓場は苦笑する。
「そんなことないわよ、弓場くん」
ノックを二回、返事を待たずに、勝手知ったるとばかりに扉を開いて現れたのは、口元のほくろも艶めかしい、長く豊かな髪を背に流した佳人だった。
「加古さん、どうして」
「去年の卒業生として来賓にお招き預かったの♡ 一年ぶりとはいえ懐かしいわね」
弓場の前の代の生徒会長でもある加古は、くるりと生徒会室を見渡した。
ひとつしか年が違わないのに、ボーダーの隊服とも違った、華やかでいながら決して派手ではなく丁寧な仕立てのスーツ姿の加古は、とても去年まで六頴館高校の制服を着ていたようには思えないほどにおとなびていた。
「今年は白バラなんだ。蔵内くんの趣味でしょ」
ええ、と綾辻は慧眼の先輩に微笑んだ。
「去年のミディ胡蝶蘭、お似合いでしたよ、加古先輩」
「ふふ、ありがとう。コサージュに仕立てるのは大変だったみたいだけど」と加古はちらりと弓場を見やる。
「弓場くん、意外に器用よね」
「え? あれ、弓場先輩が造ったんですか?」
「……後継として最後にできる餞だからな」
「はー、律儀ですねー」
「お前が言うかな」と蔵内がくすりと笑う。