きみがいるだけで おめェーの図体だと食いたりねェーだろう。
弓場家での夕食が済み、お客さんにそんなことをさせるなんてという弓場の両親に人たらしの笑顔でいなしながら、後片付けを手伝い終えた神田にかけられたのがその一言だった。
「いえ、そんなことは……」
「駅前のラーメン屋にちょっといってくる。ボーダーにいた頃からよく行ってたから神田には懐かしい味だろうし」
家族にそう断って、戸惑い顔の神田を弓場は強引に外へと連れ出した。防衛隊員として夜討ち朝駆けで出ていくことも多く、成人した長男とその部下だった青年の間で積もる話もあろうと推してくれたのか、父親も母親も黙って送り出してくれた。
その道の途中。並んで歩きながら、弓場がぽつりと口を開いた。
「悪かったな、うちのが調子乗って」
「え、何がですか」
「うちの子になっちまえば、なんてな。ガキにしても無神経な言い草だ。あとで〆とくから勘弁してくれ」
「はは、俺は気にしてませんよ」
「まあ、構わねェがどうする、なんてつい言っちまった俺も同罪だがな」
「同罪だなんて大袈裟な」
でもそんな第一印象には似合わぬ堅苦しいまでの生真面目さとこまやかさが、自分の心を奪った彼らしくて。
「それに俺が誰ん家の子になっても、真っ当に生きてれば親父もおふくろもきっと文句は言わないと思いますから」
「おめェーのご両親らしいな」
一度会ってみたかったなァ、と弓場は体裁だけではないと分かる口調でつぶやいた。
「俺も会わせてみたかったです。このひとが俺の想い人です、って」
くくく、と弓場は柔らかく笑う。おろした前髪の下の顔は柔和な印象すらあって、じわりとした暑さが残るこんな宵でも触れたらさらりとした感触があるのではないかと思えた。
「嬉しいです。弓場さんのご家族にそういうふうに思ってもらえるなんて。本当に」
少しためらってから、神田は弓場の背中に腕を回して、唇を重ねながら笑ってみせる。
「けど、俺はおめェーの名前が一揃いで気に入ってんだよ」
「俺もですよ。ずっと弓場さんが呼んでくれたこの名前、好きですよ。でも弓場忠臣っていうのも悪くないでしょう?」
「神田拓磨ってェのもそう味が悪い響きでもなくねェだろ」
「ははは。だったら今度から拓磨さんって呼んでいいですか?」
「好きにしろ。……忠臣」
舌に乗せてはみたものの、それはまだ馴染むものではないらしく、弓場の珍しく少し困ったような顔がぼんやりとした街頭に照らし出される。
「また、来年、お世話になってもいいですか」
「ああ。遠慮なく来やがれ。親も、弟も妹も喜ぶ。当然、俺もな」
「ありがとうございます」
一年に一度、お盆の時だけ、神田は遠い九州から故郷である三門の街に帰ってくる。係累はすでにおらず、親戚たちも近界の襲来が絶えない三門の街から離れ、神田の父母が眠る墓地を参る人はいないはずだった。それでも神田がここを発つ時に供え、そして枯れているであろう花はすでに片付けられ、新しい花が活けられた名残があり、雑草や蜘蛛の巣も取り払われていた。
誰が、とは察していたけれど、彼はそれを告げはしない。そんな不器用な優しさが愛しくて、ただ愛しくて。
「弓場さん、もし好きな人ができたら一番に教えてくださいね。俺、おめでとうって言いますから。それこそ遠慮なく」
彼にもし新しい恋人が出来たとしても構わない。迎えてくれるこの腕の記憶が、永遠に、この街を神田にとって故郷でいさせてくれる。
「何言ってんだ。野暮天が」
こつん、と弓場の拳が神田の厚みのある胸板をやんわりと叩き、ほのかな痛みだけを胸の深いところに残した。