レイニーブルー・カノン「半分」というのは、良い言葉だと思う。
半額引き、ハーフ・アンド・ハーフ、半チャーハンセット……、エトセトラエトセトラ。
でも、どんなものにも例外というのはあるもので――。
『明日、土曜日の降水確率は五十パーセントです』
BGM代わりに流しっぱなしにしている夕方の情報番組、お世辞にも高価とは言い難い液晶テレビの画面のなかで、いつもの女性キャスターがそう告げた。
二メートル四方程度のカウンターキッチンからレースカーテン越しに見える暗くなり始めた初夏の空は、明日の天気を暗示するように薄く雲がかかっている。
――降水確率五十パーセント。
世の中に、こんなにも心躍らない言葉があってもいいのだろうかなんて、どうにもならない思考とともにわたしは小さく息を吐き出した。
「どうか明日、晴れますように!」
力を込めて唱えながら二回手を合わせて柏手を打つ。
祈りを捧げるその先は、部屋の南向きに切られたベランダへと続く掃き出し窓――の、上に取り付けられたカーテンレールに吊るされたてるてる坊主。
生憎と白い布が無かったためティッシュペーパーで拵えたそれは、素材の質感も相まっていかにも頼りなげで、五十パーセントの降水確率を吹き飛ばしてくれるものには到底見えなかった。
しかし、鰯の頭も信心からである。
例えその場しのぎの急ごしらえなてるてる坊主であっても、心を込めて祈れば願いは届くのではなかろうか。そう、大事なのは見た目ではなく、気持ちだと思うのだ。
「神様仏様、冨岡義勇様~~!」
縋れるものにはこの際何でも縋ってやれと、目を固く閉じ一所懸命に願っていたら、「おまえは一体、俺に何を期待しているんだ……?」と、そこはかとなく呆れを滲ませた声が背後から飛んできた。
振り返って見れば、そこにはお風呂に入っていたはずの我が恋人こと冨岡義勇くんその人が、濡れ髪もそのままに佇んでいた。
怪訝そうに顰められた眉が「一体全体おまえは何をしているのか」と言外に問うている。
「えっと……、雨乞いならぬ晴れ乞い……かな?」
「俺には気象状況をどうにかする力はないが……?」
首に掛けたタオルで髪の水気を拭きながら、祈られていた張本人たる義勇くんがすかざずツッコミを入れてくる。
「わかってるよぅ! でも、明日はどうしても晴れてほしいの!」
明日は前々から義勇くんと約束していた――厳密に言えば、拝み倒して同行をお願いしたと言うほうが正しい――エスニックフードフェスなのだ。
仕事柄、色々な料理や調理法に触れたい――と言うのは建前で、生来から食べることが好きなわたしは、食べ歩きだとかカフェ巡りだとかフードフェスというものがどうしようもなく好きなのだ。
しかも、今年は人ごみ嫌いの義勇くんが――宥め賺してお願いした結果――一緒について来てくれることになったのだから、彼女である私としては思い入れも一入というもの。
「晴れていなくてもイベントは開催されるのだろう?」
晴れていないと何か都合が悪いのか? 純然たる疑問と言った様子で、やや首を左に傾けて義勇くんが尋ねる。
「だって、朝は雨が降ってなくても、途中から降ってくるかもしれないじゃない」
出発したときには降っていなくても、会場についたら雨が降ってきてしまったら、せっかくのお出かけが台無しだ。
屋外で催されるフードフェスは、晴れた日に開放的な環境で食事を楽しむから気分が高揚するのであって、傘を片手に濡れ鼠になりながらものを食べるイベントではない。
それに何より、片頭痛持ちのわたしは気圧が低くなると体調が悪くなってしまうのである。
こめかみにズキズキとした痛みがしてくるうえに、胃腸の調子まで悪くなってしまって、時には吐き気まで催すことさえあるのだ。
「せっかく、義勇くんと一緒に行けるんだもん……後顧の憂いなく楽しみたいよ……」
随分前、ひどく気圧の乱高下があったあるお休みの日に、無理を押して一緒に出掛けたことがあった。
珍しく義勇くんから誘ってくれた博物館デートで、屋内ならば大丈夫だろうと楽観視していたわたしは、結果盛大に体調を崩し義勇くんに大層迷惑を掛けてしまったのだった。
だから、明日は何としてでも晴れてもらわないと困るのである。
「……日曜に行けばいいじゃないか」
それまで黙っていた義勇くんが、いつもと同じ声音でつぶやいた。
全く予想していなかった彼の言葉に、わたしは思わず「へぁ」と意味不明な声を漏らしてしまう。
「え、でも、義勇くん、日曜日に遠出するの、あまり好きじゃないでしょう?」
日曜日にと言うよりも、義勇くんは基本的にインドアなタイプで、お休みの日にはあまり外に出たがらないと表現する方が正しい。
そしてわたしも出かけるなら土曜日のほうが望ましい派で、お出かけするなら土曜日、日曜日は休養に充てると言うのがわたし達の暗黙のルールになっていたのだ。
いくら前々からの約束だったとはいえ、月曜日はお互い普通に仕事なわけで、パートナーに精神的、肉体的な無理を強いるのは頂けなかった。
「俺は構わない」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、義勇くんは重ねて何でもないことのように言葉を続けた。
「おまえが行きたいところなら、俺も行きたい」
一緒に行く約束だっただろう? なんて。
あの人ごみ嫌いで、お休みの日は引きこもって論文を読んでいるのが至上の幸福と言っていた義勇くんの口から、こんな言葉の飛び出す日が来ることをいったい誰が予想できただろう。
義勇くんも私とフードフェスに行くことを楽しみにしていてくれたんだと、自惚れてしまってもいいのだろうか。
「うれしい。ありがとう、義勇くん」
胸にじんわりと温かいものが広がるのを感じながらお礼を言えば、少しだけ目元を柔らかくした義勇くんは「気にするな」と答えた。
「日曜日、楽しみだね」
いつもと違う特別な日曜日を存分に楽しむために、明日は一緒に家でたっぷりお休みしよう――、そんな想いを込めて。
わたしはてるてる坊主を逆さにして吊るし直した。