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    pyakko_123

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    pyakko_123

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    たいじゅくんのお誕生日に書いたたいみつツーリング小説です
    エロ書くために一旦引いたけどここに晒しておきます

    #たいみつ

    数限りなく、たったひとつの ワインディングに差し掛かったら少し引き離してやろう。そんなことを思ってるうちに最初の急カーブに差し掛かる。オレはスピードを緩めることなく愛機ごと深くバンクする。オレの子猫ちゃんは付き合いが長いってだけじゃなく、わりとグリップ力があるしシャシーも強いからハンドリングがぶれることは少ない。身体がシートに押し付けられるようなちょっとしんどい感覚。その窮屈な姿勢のまま車体の上で重心やケツの位置を何度も変えて最初のカーブを曲がり切る。愛機との連携と一体感。それだけがすげえ楽しくて、オレはしばらく続くワインディングとスピードに夢中になる。しかし、ふと思い出したように振り返りかけたらいきなりデカいやつが隣に乗り出してきやがった。300㎏超えの最新型ピカピカのボディに前後のフェンダーとフューエルタンクには見慣れたトライバル。少し得意げに上がる口角が見えた。危ねえなとかこの負けず嫌いがとか、思わないでもないけどここは冷静に姿勢を整え距離を取る。速度制限ガン無視の時点で言えたことじゃないが、峠の狭え道路で並列はやっぱ良くねえし、何よりオマエ道知らねえだろ。口には出さなかったが伝わったらしい。後ろのハーレーはすぐにスピードを緩め元通り千鳥走行に戻った。別に競争したいわけじゃなくて、オレが自分を置いていこうとしたのが気に入らなかったみたいだ。やっべ可愛い。オレは思わず笑い出したくなってアクセルを更に開けた。
     この道を走るのは久しぶり。某漫画の聖地みたいな扱いされてるし、いつも結構混んでんだけど、今日は随分と空いてる。平日とはいえ学生はみんな夏休みなのに。ラッキーだな。ガキの頃に東卍連中で走った時も楽しかったけど、なんかちょっとだけ風景が違って見える。想像通り、いや、それ以上だわ。ひとりでもなく大勢でもなく、ふたりだけのツーリング。夏の深緑にギザギザと切り取られた真っ青な空には真っ白い雲がもくもくと、排ガスと晴れた日のアスファルトの匂いが風に一気に散らされて。やべーな楽しいな、クッソ楽しいな。表情なんかいちいち確認しなくたって、きっと隣のやつも楽しんでる。それだけで、もうどこまででも行けそうな心地がした。

     2009年7月24日。
     ほんの少し、いや大分、特別な日のこと。


    「誕生日になんかほしいものある?」
     事の発端は何でもない。6月の終わり。梅雨の合間の晴れ間にそんなに期待もしないで、クレープを渡すついでに聞いてみた。そんな感じ。
    「ああ?」
     クレープ屋の軒先で笑えるくらいに目立つ男は、グローブみたいにデカい手にバニラアイスの乗っかったストロベリーカスタードのクレープを握りながら眉間に少しだけ皺を寄せた。2メートル近いそのガタイは具体的な場所の指定をしなくたって見つけやすい。いるだけで待ち合わせ場所みたいだなっていつも思うけど地味にキレそうだから口にしない。そんな男がちょっと険しい顔をしている。それだけでクレープ屋さんのおねーさんはビビるが、オレはもう慣れてるから気にしない。仲良くなりたてくらいの頃によく見た。でも、もう最近は見なくなったような顔。
     この顔はこちらを試す顔でも値踏みする顔でも威嚇でもなく、思案顔だ。
     誕生日に欲しいもの。オレの慎ましやかな財布事情をよく理解している男だ。そう無理難題は投げかけてこないだろう。しかし悩んでいる間にせっかくもりもりに盛ってもらったクレープのクリームがアイスが溶ける。今日はなんかいい天気過ぎて40度近くなるとか天気予報で言ってたな。40度って。インフルじゃん。日向は暑すぎて、竹下通りも人が集まるのは軒下ばかり。みんな影遊びでもするみたく太陽から隠れるように歩いている。オレは大寿の影に入って返答を待っているうちにクレープに噛り付く。オレはバナナキャラメルアーモンドにチョコレートアイス乗っけ。アイスがもう大分溶けかかっていた。キンキンに冷えてる時よりなんとなく溶けてる方がチョコレートって甘ったるく感じるのは何でだろう? ドロドロのそれを舐めとりながらそんなどうでもいいことを考えていると、隣からやっと声が聞こえた。
    「……遠乗り」
    「え」
     見上げると、意味もなく握りしめられたデカい拳が目に入る。喧嘩直後みたいな顔をしているがクレープ食っただけのはずだ。そこからはみ出てるのも誰かの血液とかじゃなくて包装紙の残骸だ。ふたくちで食ったな。ほとんど丸呑みじゃねえか。イカとかエイとか魚を喰うホオジロザメってこんな感じなんだろうな。綺麗さっぱり獲物の消えたデカい口を開くと、大寿は暑さでぼんやりしているオレにでも分かりやすい言葉で言う。
    「テメェのプランでどっか連れてけ」

     そんな風にして今回のマスツーリング計画はスタートした。思えばあの最悪の出会いから三年と半年、ひっそりこっそりと始まった交流も既に三年が経過していた。その間、去年の抗争直後なんて特にあちこちで下らねえ輩に絡まれたけど、別にふたりで疚しいことをしていた訳じゃない。それどころか、オレらの交流とは出会いの激しさに反比例するかの如くのんびりゆっくりとしたもので、いっそ静かといってしまえるようなものだった。
     それが伝わったのかルナもマナもほとんど怖がることなく大寿に懐いた。あっという間に打ち解けた三ツ谷家のシンプルさを思えば柴家の関係はごく複雑だ。兄弟であると同時にあいつらは加害者と被害者に分かれる。加害者であった大寿が家を出たきりなのも、ふたりを遠くで思うのも当たり前のことだと思うし、あいつらに忘れろなんて残酷なことは言わない。去年の抗争をきっかけに八戒とは少しばかり歩み寄れたみたいだったけど、やっぱり仲の良い兄弟なんてものからは程遠い。暴力の使い方を間違っていたこの男を許せとも言うつもりはない。だけど、オレにとって大寿との交流を止める理由にはならなかったのだ。
     三兄弟の長男、忙しい親と不可抗力の育児、甘党、ショップ巡り、バイクカスタム、将来の夢。大寿とはどんな話でもすることができた。話しても話しても、次から次へと話したいことが湧き出てきた。大寿は俺の話を流すような顔をしながらもちゃんと聞いてくれて言葉も返してくれる。大寿にとっては大したことじゃないかもしれない。でも、それはいつでもオレが欲しかった言葉ばかりで……家でもクラスでも部活でも、東卍メンバーで集まった時も、いつだって聞き役だったオレにとってそれがどれだけ掛け替えがなかったか。
     なんとなく秘密にしていたけどオレはともかく大寿はとにかく目立つ男だ。何事にも察しのいい柚葉にはすぐにバレ、抗争のせいで呑気だった八戒にも完全にバレた。柚葉は苦笑い、八戒はあとあとかなり面倒くさかった。しかし、開き直って以前より頻繁に一緒に出掛けるようになったし、怪我の功名だったかもしれない。今ではひと月に2~3回は会ってカフェにスイーツ食いに行ったりポップアップショップのぞいたり水族館に行ったり……ってのと同じくらいにツーリングにはちょくちょく出かけていた。
     でも、そういえば羽田行ったり青海とかゲートブリッジとか近場ばっかりで東京から出たことないかも。
    「海とか山とか希望は? 」
     明治神宮の近くのピザ屋で昼飯食いながら聞いてみた。マルゲリータとビスマルク。揚げたてのコロッケはイタリア語でアランチーニとかいうらしい。中にはチキンライスみたいなのとチーズが詰まってて口の中が火傷だらけになるけど美味い。
     大寿がお気に入りの店はいつもかなり美味しいが、大体それなりにお高い。今日はバイト代出たばっかだから割り勘でも問題ないけど、多分ここも有無を言わさず大寿が勝手に払ってしまうんだろう。酷い時は会計自体がない時もあって、それがどういうカラクリなのか未だによく分からない。それはともかく、対等じゃなくて正直あんまり嬉しくない。そう言うと、「じゃあウチで夕飯作れ。それでチャラな」と言われる。オレが作れるのは材料費五百円くらいの貧乏飯ばっかりなのだが。何となく釈然としないけど大寿はオレの作った飯は絶対に残さないし、好き嫌いあんまないし、どんな飯でも案外美味そうに食ってくれるから作り甲斐はあるし嫌じゃない。
     食ってる時の大寿の顔が好きだ。デカい口が捕食のためにがばっと開いて、ビスマルクのハムも卵もソースも少しも零さない。しっかり噛み砕いて、八等分のひとかけを残らず飲み下しす。大寿は答える。
    「てめーの好きなところでいい」
     口の中に物がある状態では絶対に喋んない。手も口もデカいから豪快そうに見えて、大寿は食い方が綺麗だ。箸やフォークの使い方なんかルナにもマナにも真似するようにいうくらい。
    「え、大寿の誕生日じゃん」
    「テメェで考えてもてなせ」
    「もてなせって」
     オレは思わず吹き出す。だけど大寿の希望を聞きながらコースを作るつもりだったので肩透かしを食らった気分だった。いちから全部俺任せって、スーツのビスポークより無理難題じゃねーか。オレはライスコロッケをまっぷたつに割りながら早くも困惑してしまった。薄い衣の中から湯気が上がる。
    「てか、いつにする? 休みいつ?」
     コースはともかく、まずは日程を決めよう。伸びるチーズを巻き取ってオレはコロッケを口に入れる。悩んでたら美味いものも美味しくなくなってしまう。ピザもサラダも美味いけどご飯のコロッケも美味いな~。どうやって作るんだろ。うちの米でも作れるかな。まずはチキンライス作って……って駄目だなその時点で皿に盛っちまう。
    「……当日休みは取ってある」
    「え、そうなの」
     ちょっと意外だ。起業したてで忙しいっての知ってるのもあるけど、大寿は自分の誕生日とか割とどうでもいいタイプだと思ってたから。オレの誕生日のことはちゃんと覚えててくれたし、ちょっといい飯と布買ってくれた。けど、自分の誕生日については俺が言い出すまで何のそぶりも見せなかったし。ドラケンが死んだばかりでオレが完全に使い物にならなくなってた去年は気遣ってくれたのか姿も見せなかった。おととしとかって何してたっけ……いや、もしかしたらまだ何も知らなかったかもしれない。なんかあげたとか、飯食ったとか覚えもねえし……てか、オレっていつのタイミングで大寿の誕生日知ったんだっけ?
     記憶を辿ろうとするがうまくいかなくて、首を捻っていると大寿が口を開いた。
    「……まあ自営業だからな、てめーの休みに合わせる」
    「いや、俺も24日は休みだし」
     ちゃんとバイトのシフトも調整してある。て、いうか例えツーリングの日がズレたとしても24日には会いに行くつもりでいた。ちゃんと誕生日に祝いたかった。大したもんは渡せなくてもおめでとうって言いたかったから。
    「じゃ、24日な」
     自分の分のピザもサラダもコロッケも綺麗に胃袋に片づけて、大寿は何でもないことのように言った。オレはまだいろんなことをかみ砕けてないままピザの耳と一緒に飲み込んで、曖昧に頷く。そして、大寿の20代最初の誕生日は、大切なはずの一生に一度しかない記念日は、あっさりまるごとオレの手に託されたのであった。


     そんなわけで悩んだ。とにかく悩んだ。ルナやマナ、母ちゃんの誕生日よりもよっぽど悩んだ。本人の希望を聞けばいいだけの家族の誕生日パーティーはともかくとして、もともと友達の誕生日なんて大げさに祝ったことなんてない。東卍メンバーの誕生日なんてクッキーかパウンドケーキでも焼いて特攻服を少しカスタムしてやればいいだけだったし、それでみんな大喜びしてくれた。残念ながら忙しすぎるのとオレが誰かに対してそういう気持ちになれなかったのもあって、今まで一度だって彼女という類の存在がいたことはなかった。だから、身内以外の誰かのために誕生日をセッティングするなんてこと、これが初めてだった。
     正直、夕飯を「なんでもいい」と言われるよりもずっと困る。冷蔵庫の中を覗けば献立くらい幾らでも浮かぶし、空っぽなら一緒に買いに行けばいい。大寿の視線を読めばそのとき食いたいものくらいは把握できるし、例え分かんなくてただ肉と野菜をフライパンで炒めただけの大皿料理を出したところで、きっと大寿は怒ったりしない。いつものようにでっかい口でざくざく美味そうに食ってくれるだけだと思う。
     いやいや夕飯の話は今はいい。原点に立ち返って頭の中を少し整理しよう。オレの知ってる大寿の好きなものをできるだけ全部思い浮かべてみよう。
     まずは、イエス・キリスト。いわずと知れた神様。聖書は新旧どちらも読み込んでる。教会の礼拝堂。いつもピカピカに磨かれたロザリオ。一人で暮らしている部屋には小さな祭壇がある。いまでも日曜日のミサは欠かさない。でも、出会った頃ほど敬虔ではなくなった気がする。でも表情は絶対に明るくなってるし、言葉数も増えてる。信じるものが神様以外にもできたって感じで、そんなに悪いことじゃないんだろう。
     鮫をはじめとする海洋生物。鮫は子供の頃は将来の夢の欄に書くくらい、ほんと好きみたい。子供の頃は部屋の水槽で小型の鮫を飼っていたことがあるそうだ。今の部屋にある水槽では淡水エイを飼ってる。ダイヤモンドポルトガルなんとかいうなんかクソ長い名前のそいつは黒にドット模様がお洒落で割と懐っこい。水槽に張り付くと笑ってるみたいでかわいい。鮫の代わりだなんて言ってるけど大寿が近づくとすぐ寄ってくるから絶対にかなり可愛がってる。
     海、はいいかもしれない。水泳得意みたいだし、青海のエバグリとか水族館も好きだし……だけど、いつもと変わり映えないよなー。大寿もオレもタトゥーのせいで市営のプールには行けないけど、そもそも柴家にでっかいプールあるから。ルナマナも連れてたまに遊ばせてもらったりもするし……今更、二人で海水浴もねえか。なんか変な輩に絡まれそうだし。
     ファッションだととにかく黒。好きだしよく似合う。気に入ったジャケットは1シーズンずっと使う。ガタイがデカいのもあるだろうけど、トップスもボトムもタイトでシンプルなデザインが好き。そこに息が止まるくらいに高級なシルバーアクセを何気なく纏う。靴はとんがったもの中心に少し凝ったデザインのものが好きっぽい。これも値段聞いたらオレんちの家賃よりよっぽど高かった。小物も色も最小限しか身に纏わず無駄がない。なのに、同じ男として腹が立つほどカッコいい。うん……カッコいい……しかしここに今回のイベントに関するヒントは残念ながらあんまりないかな。
     服作ってくれとかだったらすげえ分かりやすいし悩まないし楽しいのにな。想像するだけで楽しいな。話し合って採寸してまた話し合って布選んでまた話し合ってパターン引いて……いや、いやいや妄想を繰り広げてる場合じゃない。
     好きな場所はラスベガスのベラージオだっけ。オーシャンズ11のDVD一緒に見たときに言ってた。ちょっと嬉しそうな顔でガキの頃の思い出だって。いわゆる五つ星ホテルで、すげえ噴水やらカジノやらレストランやら……もうオレからしたら住む世界が違うと実感するしかないくらいのロケーション。まあそもそもクッソデカいプール付きの家の長男で、今住んでるところもタワマンなんだから、今更といえばそうだな。そして、オレに大寿を五つ星ホテルに連れてゆくなんてそんな財力があるわけがない……パスポートすら持ってねえし……そんなもん最初から求められちゃいねーと思うけど、ちょっと情けねえ。
     あとは……やっぱり家族。方法は完全に間違ってはいたけど、八戒のことも柚葉のことも、本当に愛してる。早く亡くなったお母さんのことも、月命日に必ずお墓に立ち寄って、お母さんが好きだったお花を供えるくらいに、今も愛している。お父さんのことだって、ちゃんと好きだし尊敬している。柴家のお父さんの話になると、柚葉や八戒はいつも複雑そうな表情をした。何をされたって訳じゃないけど、あんまりよく知らないって。それは、なんとなく理解できる。ルナやマナが父ちゃんのことあんまり覚えてないから、好きかどうかも分かんないのと一緒。オレは父ちゃんのこと覚えているから今も好きでいられるみたいに、多分、そこも一緒なんだ。兄弟の中でも一番お父さんの記憶を持っているのは大寿なんだろう。だから、家に寄り付かなくなったとしても忙しいからってことが理解できるし、尊敬することも、愛することもできるんだ。
     ……だけど、やっぱりここにも特にヒントはねーんだよなー。しんみりしてる場合じゃねーんだわ。マジでどうしよう。
    「お兄ちゃんカレー焦げてる」
    「あ、やべ」
     事態はなべ底のカレーと共に、割と早々に暗礁に乗り上げた。


    「……タカちゃん、兄貴とほんとにデキてないんだよね?」
     考えあぐねたオレはおそらく一番大寿に近しくて一番遠いだろう存在に、それとなく聞いてみることにした。
     お前が知ってる大寿の好きなもん、思いつくだけ全部教えてくんねーか?
     そう聞いてみたらオレお手製ホットケーキを前にニコニコ顔だった八戒の顔が秒で強張った。そして訳の分からないことを聞き返して来やがる。質問に質問を返すなっていつも言ってるのに、治んねーなその癖。
    「いや、デキててもわざわざ報告とかいらないからね! 寧ろそこはひっそりこっそりのままでいて! 身内と兄貴分の下ネタほど聞きたくないことってほんとねーから!!」
     オレの質問を最初から聞く気もないのか、八戒は変わらず訳の分からないことを喚き続ける。叫んでいるうち言語が崩壊してゆく。やだやだやだやだタカちゃんほんとにやだやだやだ兄貴とかやだやだやだ。
    「てめえ、オレの質問に答える気あんのか?」
     さすがに腹が立って、オレは思わず拳を固める。ビビったのか八戒はピタッと動きを止めた。喚くのもやめた。
    「だって兄貴の好きなもんってさ……」
    「知ってるなら素直に教えろよ」
    「…………いや、知らない」
     こいつ、嘘をつくときは絶対にオレの目みれないんだよな~。ほんと変わんねーな、少しは兄貴を見習って大人になれとか言ったら流石にこいつ泣くかな。泣くな。面倒くせーからやめとこ。
    「ガキの頃の思い出とか、なんかひとつくらいは浮かぶだろ」
    「いや、普通知らないでしょ兄貴の好きなもんなんて。オレら別に仲いい訳じゃねーんだから。タカちゃんが一番よく知ってんじゃん」
     まあ、それはそうなのだが。でも、八戒はなんか隠してる気がする。こいつの悪ノリに腹を立てることは正直よくあるが、こんなに噛み合わない会話をしたことはなかったように思う。ちょっと呆れたような顔してやがんのがムカつく。やっぱ柚葉に聞けばよかったな。
    「そもそもさ、そんなことなんで俺に聞くの?」
    「うん、オレも今そう思った。柚葉に聞いとけばよかったって」
    「姉貴に聞いてもオレと同じ感想だと思うけど……てかだからなんで?」
     すぐに騒ぎ立てるこいつに事の顛末を教えるのは少し迷ったが、協力を仰ぐためにもここはちゃんと説明することにした。ホットケーキのてっぺんに乗っけたマーガリンが溶ける間に。大寿の誕生日のこと、ツーリングのこと。
    「……あんまり知りたくなかったなその情報」
     八戒はホットケーキを食いながらもごもご落ち込んでいる。てめえ自分で聞いといて。あとちゃんと飲み込んでから喋れ。兄貴が見たらもう殴らないとは思うがキレるぞ多分。
    「お前の誕生日だって一緒に遊んだことくらいあっただろ」
    「あれは柚葉もいたじゃん……てかタカちゃんさ、さっきから当たり前に言うけどさ」
     友達の誕生日にわざわざ休みなんて取らないよ。
     ホットケーキ口いっぱいに頬張りながら妙に訳知り顔の八戒がちょっと癇に障った。人の作ったもんをマズそうに食うな。てか未だに柚葉以外の女子と目を合わすことも出来ないようなコイツに一体何がわかるっていうんだ。
    「で、結論としては何も知らねえって言うんだな?」
     オレはマジで悩んでんのに……ため息をついたら八戒も同じような溜息をつきやがった。なんか、今日のこいつ、やたらイライラするのは気のせいか? なんつーか、答えを分かってるくせに口ごもってやがる感じ。
     そこから八戒はホットケーキを食べ続け、しばらく無音だった。無表情になるとあちこちがちょっとだけ大寿に似てる。やっぱ兄弟だなって思う。皿の上のホットケーキを全部胃の中に片づけて、口の中のものを飲み込んだらなんかちょっと吹っ切れたような顔になった。
    「多分、タカちゃんが一番好きな風景を見せればいいだけだと思うよ」
     それが一番喜ぶんじゃないかな、麦茶も飲み干してそう言い終えたら八戒は笑った。でも一瞬だった。すぐに今にも泣きそうな顔になってぶつくさつぶやき始める。ごめんやっぱやだわ、やだやだやだすげーやだ。



     首都高から東名へ。しばらく走ってICで降りたら県道を北上する。早朝から快晴の空には真っ白で少し重なった雲が幾つか散っているだけで、あとはほぼ真っ青だ。雲の形がちょっと気になるけど、今のところ雨の気配はない。天気予報によると神奈川県は全域で降水確率10%ほど。とはいえ、山の天気は本当にすぐ変わるから当てにはできない。東京の最高気温は36度だっていうし、朝の7時でもすでに30度だったけど、やっぱり標高が高いところを走るのは涼しい。綿Tだけじゃ心許ないから県道に入る前にフルメッシュのジャケットを着込んだ。大寿も黒のライダースジャケットを羽織っている。見た目は暑そうに見えるけど本革とメッシュ素材のハイブリットらしくて割と快適なんだそうだ。カッコいいし大寿に無茶苦茶似合ってるけどクッソ高そう。シンプルな黒がほんとよく似合う。今日に限ったことじゃないんだが、いつもつい見入ってしまう。SAやPAで休憩するといつもライダーやサイクリストからの視線を感じた。老若男女問わず、みんな大寿に見惚れてる。でも怖いのか声をかけられないらしく、みんなオレにばかり話しかけてくる。大寿も話に混ざれるよう声をかけるけど素っ気ないし、大抵いつも交流にまではならない。
    「みんな大寿が気になんだよ。デカくてイカちくてカッコいいからさ」
     そう伝えると大寿はいつも退屈そうな顔で「こいつのせいだろ」とハーレー撫でながら返してくる。オーナーの好みにカスタムされた美しい車体は見慣れたオレでも見惚れるくらいだし、それも全くない訳じゃないとは思う。だけど、一番の理由じゃないって。
     ワインディングを全力で楽しんで、休憩がてら途中にある展望台に立ち寄った。ベタ過ぎるくらいにベタなコースだけど、ここは見晴らしが良くて江ノ島まで一望できるから好きなんだ。尾根に設置された六角形の展望台は螺旋階段まで木造で、オレはともかく大寿は結構恐る恐る昇ってた。メンテナンスはされてるだろうけど、確かにちょっと軋むし心許なくて怖い。
    「やっべ、絶景!!」
     平日の朝のせいか、てっぺんにはオレらしかいない。今日はよく晴れてる上にちっともガスってないから伊豆半島まで見渡すことができる。視界の遥か彼方まで、何もかもが鮮明だ。
    「富士山まで見えるな」
    「え、マジで? あ、ほんとだ」
     大寿の指差す方向にはお馴染みのフォルムがくっきり浮き出てるのが見えた。微かに残った雪の筋まで見て取れる。幾つか散らばる真っ白な雲の向こうに浮かび上がる日本一の山は肉眼で見ると神々しくて厳めしい。
    「何回か来てるけど、富士山まで見えんのはじめて!」
     自分でもはしゃいでるのがよく分かるくらいにオレはテンションがえらいことになってた。最初に来た時も何度かひとりで来た時も霞があったり曇天だったり、こんなに遠くまで見渡せたことってなかったから。
    「天気よくて良かったな」
     隣の大寿もいつもより表情が柔らかい。黄金色の目を細めて、遠くまで視線を泳がせている。こちらもなかなか見られない顔で、本当に今日はラッキーだと思う。
    「ここは、夜景も綺麗なんじゃねえか?」
    「うん。夜景のが有名。でも夜は来たことねえな。この峠、出るって有名だし」
    「……出んのか」
     そういうの案外信じるタイプなのか、ちょっと嫌そうな顔。その顔もなんか新鮮。夜に来なけりゃいいんだってって笑っとく。
    「俺、ここの昼の風景すきでさ。峠も楽しいしたまにくんの」
    「東卍の連中とか?」
     ふと聞かれ、何故か一瞬だけ言葉に詰まった。
     そんなオレに気付いたのか、大寿の猛禽類のような黄金の眼がこちらを向く。でも逆光のせいでほとんど表情は見えない。
    「最初は東卍のみんなで来たんだよ。そっからはドラケンとかパーちんとか……でも、ここに昇る時は大体ひとりかな」
     そういえばそうだった。ここに登ったのは最初だけで、東卍メンバーとはまずここに来ない。走ることを目的にして来てるんだから、展望台にはほぼ立ち寄らずにさっさと峠に出てしまう。だってオレらはドリフトしたくて来てたし。ここは観光スポットでもあるから静かにしたい時に来るって感じでもない。でも風景は好きだから、カップルがいるときは避けてちょっと眺めてすぐ帰ってた。
     オレにとって誰かと一緒に見る風景ではないのかもしれない。だけど、大寿とならアリかなって。もしかしたらいつもと違う風景が見られるかなって。
    「そうか」
     大寿が頷くと同時になんとなくオレらは沈黙した。別におかしな会話をしたわけじゃない。でも、なんか落ち着かなくて。大寿も別に変な顔はしてなかった。だけど、何を話しかけたらいいのか分かんなかった。俺は富士山を相模湾を江ノ島を見て、そっと息をつく。何度も見て分かっているはずの風景が、やっぱり全然違って見えた。いい天気だから、富士山まで見えるから、ってそれだけじゃなく。
    「積乱雲」
    「え」
    「天気変わるかもな」
     大寿の指さす方向を見る。視界の遠くで雲が少し重なってるのが見えた。まだ小さいけど、午後には天気が崩れるかもしれない。そんなことを考えていたら建物が軋む音がした。軋む~こわ~いってはしゃぐまだ幼いような男女の声が聞こえる。朝早めだし油断してたけど俺ら以外にもお客さんが来たらしい。そういや世間は夏休みか。観光スポットなんだから仕方ねーか。デートだろうな。邪魔すんのも悪いし、もうそろそろ出発するか。
     ……そうだよな、デートだよな。
    「そろそろいくか」
     もったいねえけど、そう呟いた大寿がどうやらオレと同じようなことを考えているらしいと気づいた。気が付いたら途端になんか息苦しくなった。いつもより標高高いせい……じゃねーんだろうな。やべーな。空気はひんやりしてるのに、どうしてだか、耳が熱いんだが。
     すれ違うカップルは想像通りにまだ子供で、オレらの顔見て明らかにドン引きしてた。心配しなくても何もしねえって。でも怖がらせるのも本意じゃないから足早に立ち去った。
     
     展望台を出ると頂上まであと3㎞くらい。ワインディングは続くけどもうてっぺんまで何ほどもない。でも坂はかなり急になる。前述通りベタなコースなのもあってロードバイクと頻繁にすれ違ったりする。道路は広いからライダーにはありがたいけど、自転車だとキツいだろうな。
     峠の頂上には看板が掲げてある程度で、展望台の類はないし小さな売店があるだけだ。売店には地元のパンとか売ってるけど今日は弁当作ってきてるし何も買わない。屋根と自販機のある休憩所はサイクリストで満員。でもやっぱ爽快。時計を見るとまだ9時すぎとかだった。展望台でもゆっくりしたし、そんなに飛ばしたつもりもないけど、案外早く着いたな。
    「写真撮ろ?」
     オレが言うと大寿はそっと眉間を寄せた。大寿はあんまり写真の類が好きじゃないっぽい。知ってるけど。
    「いいじゃん、記念なんだから」
    「お前操作できんのか」
    「いや自分の携帯くらいは触れるからな!?」
     とはいえ、結局操作は大寿任せになってしまった。モタモタしてるうちに奪われたというのが正しいが。おかげで看板の前でおのぼりさんの如く浮かれまくってるオレの顔が1ミクロンのボケもなく映し出されていた。大寿はいつもの仏頂面だけど、やっぱ目元とかちょっとだけ柔らかい気がする。大寿もちょっと浮かれてくれてんのかなって思うとなんか嬉しい。
     バックパックの中の凍らせたペットボトルを確認する。弁当の保冷剤代わりだがまだ半分くらいしか溶けてない。飲むにはちょっと早いし代わりに水筒を取り出す。いつもの特売の水出しパックだけど、今日は烏龍茶にしてみた。なみなみ注いでコップを差し出すと、大寿は素直にそれを飲み干す。
     嚙み付くみたいにコップに口をつけるのが、デカい喉仏が動くのが、なんとなく目に痛い。
    「こっからは折り返しか?」
     一気飲みしてすぐ、当たり前の顔でオレの手から水筒を取り上げて、お茶を注いで渡してくれる。やっぱお兄ちゃんだな。
    「いや、時間もあるし裏行こうぜ。道は険しくなるけど坂は緩めだしゆっくり走れば大丈夫。河沿いだから表より風景綺麗だよ」
    「へえ」
     コップを受け取って、オレもお茶を飲む。あんまりじっと眺められるからなんか気恥ずかしい。
    「少し走れば湖もあるし公園もあるから、そこで弁当食お」
    「おう」
     水分補給を終わらせて、コップを水筒に戻す。水筒をバックパックにしまってたら、不意に大寿のデカい手が伸びてくる。
    「え」
     そのまま顎を掴まれて、オレは思わず大寿を見上げる。やっぱ逆光のせいで表情が見えない。晴天の日にデカすぎるってコレが起きるからたまに本当に困る。大寿の顔が見えない。表情が見えない。意図が読めない。
    「ちゃんと拭けよ」
     親指の指先で、口の縁を拭われた。零すまで行ってないと思って放置したの気づかれてたらしい。目敏い。ほんと、そういうのやめて。どんな顔したらいいか分かんねえだろ。すぐ離れていった指はたいして濡れなかったはずだ。なあ、テメエは今どんな顔してやがんだよ。少しは見せろ馬鹿野郎。
    「いこうぜ」
     もうハーレーに跨ってしまっているその背中に、オレは結局何も言えなかった。

     峠の北側にある道はそれまで来た道に比べると見通しが悪くかなり狭くなる。枝や落ち葉もあちこちに飛んでるし舗装もあちこちひび割れてボコボコだ。一車線ばっかりで切通にも崖っぷちにもよくぶち当たる。今日みたいな晴れの日でも湿り気味で、いかにも林道って感じだが、河沿いを走るから風景は綺麗。『速度落とせ』の看板がいくつも目に付く。言われなくたって下り坂だしスピードは出さない。下り始めてすぐに湧水が沸いていたり、喫茶店があったりして人気も結構多い。けど今日は普通に通り過ぎた。
     今日は霧も出てないし涼しい。対向車も少ないし河の流れも綺麗に見える。だけどオレは何となく落ち着かなかった。さっきのこともあるけど、単純に行きに比べると勾配も緩やかだしワインディングに出くわしてもスピード出せないし。大寿が退屈してるかも、そんなことばかり妙に気になって。せっかくの風景のほとんどが全然楽しめなくて。
     幾つものトンネルを抜けて、峠から20㎞ほどダウンヒルすると視界は徐々に開けた。右手遠くに湖が見えて、道も山道から舗装された二車線へと変わる。オレはホッとしてアクセルを開いた。思い切りスピードを上げる。まるで何かを振り切るみたいに。こんなこと、誰と一緒に走っても感じたことなかった。他の誰とも違うって気が付いている。だけど、気が付かないふりをする、まだ。


     天気がいいのもあって湖は深い緑色をしていた。水面があちこち空を映していてキラキラ綺麗だ。湖にかかる大橋を抜けるとかなりでかい公園があって、昼飯のためにそこでバイクを降りることにする。普段は峠でばっかり遊んでるから、ここに来るのは本当に久しぶりだった。平日の駐車場無料はありがたい。バイクは少なめだったけど車はそれなりに駐車されている。相変わらず家族連れが多いのかな。
    「なあ、退屈じゃね?」
     バイクを留めながら思わず聞いてしまったら、大寿は思い切り眉間を寄せた。
    「いや、せっかく誕生日なのに、ほんとオレが好きな道走ってるだけだからさ」
     まるで言い訳のようなことを言ってしまう。大寿は俺の顔をじっと見降ろすとすぐにため息ついた。そして、オレの頭の上に右手をぽんと置くと、そのまま俺の頭をかき回す。
    「……退屈なんてするかよ」
     すぐ手は離されるし、それ以上は何も言わない。だけど表情が優しくて、俺はちょっとホッとする。
    「腹が減った」
    「うん」
     駐車場から少し歩くと商店街みたいになった売店エリアがある。世間は夏休みだが、学生が友達同士で来る場所でもないらしい。人影はまばらだった。
    「なんか買ってくか?」
    「弁当もお茶もあるしいいや。でも、帰りソフトクリーム食わねえ?」
    「おう」
     そんな会話をしながら店では何も買わずに歩く。商店街からの路をしばらく歩くと緩やかでデカい下りの階段がある。少しずつ思い出す。そこをゆっくり降りると広場にでた。視界の遥か遠くまで敷き詰められた芝生とぽつりぽつり生えたケヤキの木。その向こうに見える光を湛えた湖と夏の青い山脈。うわ、懐かしい。売店とかはかなり変わってるし、あの時に比べて人影も少ないけど、ここからの風景は全然変わってない。ちょっと込み上げるものがあったけど、堪えて芝生に降りる。広場には家族連れやカップルの姿もそれなりにあって、子供たちのはしゃぐ声が空に響いていた。
    「さ、メシにしよっか」
     ケヤキの木の下に俺んちで一番デカいビニールシートを広げる。オレとルナとマナだけではデカいから普段はほとんど使わないやつ。
    「靴は脱いで、そっちの重しにしといてもらえると助かる」
    「……おう」
    「足、崩せって」
     大寿はこういうのほんと慣れてないみたいで俺の指示に従ってる感じ。手持無沙汰な感じがオレんちに初めて来た時みたいでかわいい。大寿の足が崩れたのを見届けて、オレはバックパックから弁当を取り出す。真夏のツーリングじゃ悪くなりそうなもの入れられないし、それなりに気をつけて作ってきた。甘酢で味付けした唐揚げと味付け濃いめの人参のきんぴら、ナスの生姜焼き。玉子焼きには少しだけワサビ入れると腐りにくい。葉物は旬だし防腐剤にもなるから大葉をアルミホイル代わりにして、塩多めの海苔むすびには梅干し。
    「豪華なもんは作れないけどさ」
    「上等だろ」
     保冷剤代わりにしてたペットボトルはもう溶けて、巻いておいたタオルも結露でじっとりしてた。ほどいておしぼり代わりにするとひんやりして気持ちよかった。
    「ほら、ちょうど飲み頃。二十歳なのにお茶で悪いけど」
     誕生日おめでとう。
     ペットボトルの蓋開けながら笑って祝福する。ツーリングなんだから当たり前だろうがって呆れながら、大寿も少し笑った。
    「ありがとうな」
     大寿のこういう笑顔って本当にあんまり見られないから貴重だ。ちょっと照れたみたいな顔で、やっぱかわいいな。5時起きして朝から揚げ物までして大変だったけど、ちゃんと作って良かった。
     いろんな顔が見られる。それだけで、オレにとっても祝日でしかない。
    「「いただきます」」
     手の結び方は違っても声は重なる。予想通り、空にはさっきより少し雲が出てきていたけど、まだ青くて雨の気配は感じられない。山の麓とは言え気温は高い。だけど日陰は風も涼しくて、絶好のピクニック日和だ。
    「唐揚げうめえな」
    「だろ? 甘酢のバランス完璧じゃね?」
    「まあな。下味は?」
    「タレが強いから醤油と生姜とみりんだけ」
     ピクニックだろうが大寿んちのキッチンだろうが、おんなじような話をしてる自分たちがなんか面白かった。見た目ヤンキーで手作りの弁当広げておかずのレシピの話してるって、他のお客さんたちからしたら奇妙な二人組だろうなって思う。だが知ったこっちゃない。
    「やっぱ外で食うとうめーなー」
     ルナマナ連れて公園とかで食うとやっぱただの玉子焼き弁当もなんか美味いんだよな。よくよく考えてみるとほこりっぽいのかもしんないけど。やっぱ青空って格好の調味料だわ。
    「いや」
    「ん?」
    「お前の飯は家の中でも美味い」
     呑気におむすび噛りついたタイミングで物凄い殺し文句が降りてきて、一瞬海苔が喉に貼り付いたかと思った。
    「お、おう」
     自分でもよく分からない返事をして、オレは米を噛む。味は濃いめのはずだがなんかそれどころじゃない。言葉も米も詰まらせているオレのことなど気にもせずに、大寿はどんどんと弁当箱を空にしてゆく。オレも早く食わなきゃ。自分の分のオカズまで大寿に食われかねない。
     気にしなきゃいい。きっと大した意味はないんだから。
     ほとんど競い合うようにして喰ったせいで弁当箱は綺麗に空っぽになった。
    「いいところだな」
     腹が膨れると、大寿はすぐにシートの上に横になった。飯のあとに横になるなんてだらしねえこといつもならしないのに、やっぱり大寿にとっても今日は非日常なんだろう。誕生日なら、夏休みなら、こんなにも青い空の下なら、色んなことが許される気がする。
     弁当箱をバックパックの中に片づけると、オレも大寿の隣に転がった。デカ目のビニールシート、持ってきてよかったな。オレとルナマナと、母ちゃんが横になってもまだ余裕がある大きさのやつ。滅多に使わなくて、台所の棚の奥に仕舞われたままになってたやつだけど。
    「よく来るのか?」
     ごく近くから大寿の声が聞こえる。ビニールシートのせいか地面が振動して、なんだかいつもと違う声のように響いた。でも、優しい声。
     食欲が満たされたのと涼しい風のせいもあって、すごく心地よくて、眠くて、オレは目を閉じる。
    「……いや、ここが出来たばっかの頃に、一度だけ」
     だから、何となく話してみてもいい気がしたんだ。こんな話、きっと退屈なだけだろうけど。
    「オレは……幾つだったかな。ルナはまだふたつとかで、マナはまだおふくろの腹の中でさ」
     もう何年前のことだろう? 正直、ちゃんとは思い出せない。ちょうど今くらいの時期だった言葉覚えてるけど、さっき階段を下りるまでは俺だって忘れていた。この芝生の色もケヤキの葉の色も湖のキラキラだって思い出すこともなかったんだ。
    「まだ、親父がいる頃、みんなでピクニックしようって一度だけ連れてきてくれたんだ。レンタカー借りて」
     はしゃぐ子供の声が聞こえる。それを叱る家族の声も。笑い声も。
     きっとオレもめいっぱいはしゃいでいたと思う。芝生の上を全力で走って、ルナも母ちゃんも父ちゃんも置いてけぼりにして、誰よりも遠くまで走った。何回も転んで、当時お気に入りだった戦隊モノのTシャツどろどろにして。
    「その日はさ、おふくろが大変だからって、親父が弁当作ってくれて。この木の下で、今日みたくビニールシート敷いて」
     はしゃぎすぎて抱き留められた腕は広くて太くて、微かな煙草の匂いがした。そのままぐるぐると世界が回った。頭上には青空と、今は写真の中にしかない父ちゃんの笑顔があった。
    「正直、おふくろのメシより美味かったな」
     オレもルナもおいしいおいしいって喰ってたから、父ちゃんはすげえ嬉しそうで、母ちゃんは少し複雑そうな顔をしていた。
     写真すら残ってない。マナにはたまに話してやったりしたけど、ルナはもう覚えてないそうだ。母ちゃんに聞けばきっと覚えている。だけど、何となく聞けないままだ。
     どこにでもある風景だっただろう。だけど、オレにはたったひとつの、
    「多分、オレが料理そんな下手じゃねえの、親父のおかげだと思う」
     あれから一度も来られなかった。ひとりで来たら泣いてしまいそうな気がしていた。思い出しても思い出せなくてもきっとオレは寂しいって思うんだろうって。だからって、友達と来たいって場所じゃなかった。ツーリングはバイクを乗り始めたころからずっとしてたし、遠乗りでいろんな場所に行った。ドラケンとマイキーと、パーちんとぺーやんと、場地と千冬と八戒と、それこそいろんな風景を見た。一番好きな風景なんて選べなかった。でも、オレにとってこんなに特別な風景はそう沢山はないと思う。
     多分、タカちゃんが一番好きな風景を見せればいいだけだと思うよ。
     八戒の言葉をうのみにした訳じゃないけど、一番に思い浮かんだ風景だった。だから、
    「忙しいし、なかなか来れなくてさ。でも、いつか来たいって思ってたから、来れてよかった」
     涼しくて優しい風が吹いていた。なんとも言えない幸福な気持ちにふわふわと包まれた。隣で大寿は何も言わなかった。もしかしたら、退屈で眠ってしまったかもしれない。正直言って、オレもちょっと眠い。早起きだったしちょっと緊張もしてたし、誰にも話したことのなかった話もできた。空もまだ青いし、少しだけ昼寝するのもいいかもしれない。
     本当にいい日だな。
    「三ツ谷」
     だから、気が付かなかったんだ。隣にいる男がちっとも眠ってなんかいなかったこと。顔をそっとこちらに向けて、昔話をする俺を見ていたなんてことも。オレの話を聞きながらどんな顔をしていたかも。
     唇の先に何かを落とされるまで、愚かにもオレは何ひとつ気が付いていなかったのだ。


     え、


     思わず見開いた視界には、ピントすら合わないくらい近くに大寿の顔があった。
     仏頂面だったり威嚇したり高笑いしたり、意外に豊かな表情を消してしまうと驚くくらいに整った顔のつくり。彫りが深くて繊細で、何度見ても見飽きることのない高い鼻先が頬に柔く突き刺さる。閉じられた瞼は意外なくらいに睫毛が長くて濃くて、少しくすぐったい。オレが目を開いていることに気が付いているのかいないのか、大寿は動かない。オレの唇に己のそれを押し付けたまま動かない。薄いのに触れると驚くくらいに柔らかくて、少し震えていて、さっきオレが開けて手渡したペットボトルのお茶の匂いがした。
     そりゃ目も覚めるよな。睡魔なんてとっく山脈の向こうに逃げていきやがったわ。驚きのせいで瞬きを繰り返していたら、睫毛が当たったのか大寿も目を開いた。
    「……あ」
     目が合った途端に明らかに「しまった」って顔になった。そのまま無言で身体を離そうとしやがったので、オレは思わずその頭を両手で鷲掴んだ。
     いや、分かんねえ。全然分かんねえよ? いろんなことが理解できてないままだったけど、ここは絶対に逃してはいけない気がしたんだ。
     勢いで両足もその胴体に絡めた。体勢はほとんど大樹にしがみつくナマケモノそのものだったが、一気に形勢逆転だ。驚いたように力の抜けた身体をひっくりかえしてビニールシートに押し付ける。
     押し倒したその大きな身体を、今度はオレが上から見下ろした。
     はは、懐かしい顔してんな。右目だけかっぴらいたその顔、嫌いじゃねえよ。嫌いじゃねえけどさ、誕生日にする顔じゃねえわな。てか、オマエ誕生日に何やってんの? 人の寝こみ襲って逃げようとするとか、アホか。
     逃がすかよ。
    「なあ……キスする前に普通言うことあるよな?」
     自分からした癖にどうしていいのか分からないらしい。どんな顔に落ち着いたらいいのか分からないらしい大寿の百面相に俺は静かにキレた。ついさっきまで気づかないふりをしていた自分のことはすっかり棚に上げて。
     だって、まさか思わないじゃん。そりゃ、誕生日を一緒に過ごしてくれるくらいなんだから、ちょっとは特別かなって。八戒や柚葉には適わなくても、オレのこともそれなりに大切に思ってくれてればいいな、なんて思ってたけど。ほら、キリスト教における同性愛って大罪じゃん。確か婚前交渉とかも罪になるから彼女とか見かけたことないけど、多分すげえモテるだろうし。この人って決めたら早そうだから、いつか突然結婚報告とかされて、何も言えずに終わるんだろうなって。

     ついさっきまで。てか、キスされるまで想像もしなかったんだよ。
     まさか、
    「愛してる」
     両想いなんてさ。

     見たこともないくらいに真っ赤な顔に、聞きたかった言葉を言わせたら、なんだかオレまで恥ずかしくなってしまった。
    「……愛してるとか生まれて初めて言われたわ」
    「言えっつったのテメエだろ」
    「や、そうだけどさ」
     でも、離れるのも勿体なくて。オレは大きな身体の上で再び力を抜いた。心臓がばくばくいってるけど、オレの音なのか大寿の音なのかよく分からない。耳まで真っ赤になってる大寿とかほんとレアじゃん。折角だからいっぱい見たい。
     いろんな顔、でもオレにしかみせないような、大寿の特別な顔。
    「で?」
    「ん?」
    「テメエはどうなんだ?」
     オレは完全に言葉に詰まってしまった。いや好きだよ? 大好きだよ? でもだめだ、面と向かうと恥ずかしすぎてなんか言えない。答えの代わりに大寿の胸筋に顔をうずめる。なんだこれ柔らかい。でも許してもらえなくて、あっという間にひっくり返された。
    「ヒトに恥ずかしい告白させておいてなに日和ってやがんだ?」
     ビニールシートに押さえつけられたかと思ったら、無茶苦茶キスされまくった。瞼に鼻先に唇に、それこそ顔中に。家族連れとかカップルとかに遠巻きにすげえ目で見られてる。そりゃそうだろ。気づいてたけど、大寿ぜんぜんやめてくんないの。
    「ん、あ、わ、かったから、ん、すき、好きだってば」
    「足りねえ」
     ちゃんと好きって言ってんのに、まだ言えって。
    「だから好きだって! てかみんな見てんじゃん! 恥ずかしいって!」
    「オレは恥ずかしくねえ」
    「いや恥ずかしがれよ!」
     おそらく、他のお客からしたら不気味でゲイで迷惑なだけのヤンキーだっただろう。大声で喚きまくって絡まってビニールシートからはみ出して転がって、しかも会話の内容は聞くに堪えない。
     父ちゃんどっかから見てるかななんてさっきまでは思ってたけど、本気で見ないでほしい。てかすまない父ちゃん。あんたの息子は可愛い女子を連れてくるどころかこんなデカい男に身も心もとっ捕まってしまいました。でも幸せなのでどうか天国で諦めてください。ドラケンも見なくていいからな。そもそも仲いいって知らせてなかったから静かにドン引きするに決まってる。いや無理に理解しようとしなくてもいいから。場地もやだな。何にも気にしなさそうなところが逆にヤダ。
     頼む、みんな見ないで。
     転がった芝生からは青い匂いがして、土の匂いもした。水の匂いもどこかでしていた。それ以外はだいたい全部大寿の匂いだった。大きな身体に組み敷かれてやだやだ言いながら、本当は楽しくてしょうがないって大爆笑してるオレが確かにいた。

     もしかしたら空の向こうで父ちゃんが怒ったのかもしれない。
    「ん、あ、も、やめろって、あ、雨降ってきたから!」
    「ああ?」
    「ほら!」
     指さした先の雲はもうすっかりと鈍色だった。
     次の瞬間、稲光が空をまっぷたつに割った。すぐにいつの間にやら積み重なった雲から雨がどっさり降ってきて、オレたちはあっという間にずぶ濡れになった。遠巻きの観客はみんなすぐオレらのことなんて忘れて、あっという間に散り散りになった。
    「ひっで」
    「夕立だろ。すぐ止む」
     商店街まで走るにもちょっとひどい豪雨で、反射的に駆け寄ったケヤキの下は野晒しよりはまだマシって程度。雨は冷たいけどずっと頬は熱い。今、同じ雨に晒されてる眼の前の男がもうさっきまでとはまるで違ってしまったこと、もう友達じゃなくなったってことを、まだ巧く実感できずにいた。多分、大寿も同じだったと思う。
     雨が不規則なリズムを刻む芝生の隅で。ケヤキの頼りない屋根の下で。オレたちはしばらく動けずにいた。繋いだままの掌の感触だけが、性懲りもなくまた降りてきた唇の熱さだけが、妙にリアルだった。


    「これじゃ帰れねえな」
     大寿の呟きも全部、稲妻と雨音かき消してしまって、オレは曖昧にうなずくことしかできなかった。

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    pyakko_123

    MOURNINGたいじゅくんのお誕生日に書いたたいみつツーリング小説です
    エロ書くために一旦引いたけどここに晒しておきます
    数限りなく、たったひとつの ワインディングに差し掛かったら少し引き離してやろう。そんなことを思ってるうちに最初の急カーブに差し掛かる。オレはスピードを緩めることなく愛機ごと深くバンクする。オレの子猫ちゃんは付き合いが長いってだけじゃなく、わりとグリップ力があるしシャシーも強いからハンドリングがぶれることは少ない。身体がシートに押し付けられるようなちょっとしんどい感覚。その窮屈な姿勢のまま車体の上で重心やケツの位置を何度も変えて最初のカーブを曲がり切る。愛機との連携と一体感。それだけがすげえ楽しくて、オレはしばらく続くワインディングとスピードに夢中になる。しかし、ふと思い出したように振り返りかけたらいきなりデカいやつが隣に乗り出してきやがった。300㎏超えの最新型ピカピカのボディに前後のフェンダーとフューエルタンクには見慣れたトライバル。少し得意げに上がる口角が見えた。危ねえなとかこの負けず嫌いがとか、思わないでもないけどここは冷静に姿勢を整え距離を取る。速度制限ガン無視の時点で言えたことじゃないが、峠の狭え道路で並列はやっぱ良くねえし、何よりオマエ道知らねえだろ。口には出さなかったが伝わったらしい。後ろのハーレーはすぐにスピードを緩め元通り千鳥走行に戻った。別に競争したいわけじゃなくて、オレが自分を置いていこうとしたのが気に入らなかったみたいだ。やっべ可愛い。オレは思わず笑い出したくなってアクセルを更に開けた。
    19597

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