夢の○枕 後に三ツ谷は、先の出来事をこう語った。
「人間、限界まで寝ないと本当に恐ろしい。あれは自分であって自分じゃなかった。」
「何カッコつけてんだ。馬鹿が極限の状態で更に馬鹿になっただけだろうが。」
「付き合ってからこんなに悪口言われたの初めてなんだけど。」
――
三ツ谷が、このままでは間に合わないとアトリエに篭って1週間。メッセージに既読が付かなくなった頃合いで、大寿はアトリエに突撃した。
三ツ谷は物事や人に対して思慮深く、決して自分のペースを超える無茶はしないが、服についてはそのタガが外れてしまう。最低限の食事と睡眠だけを取り何日も机に齧り付いて、一心不乱に服と向き合う。
案の定、今回も大寿がアトリエに着くと、見事なドレスを纏ったトルソーを前に三ツ谷が満足そうに最後の仕上げをしていた。
「終わったのか。」
「わ、大寿くん!」
ドアを開けた音にも気づかなかったようで、声をかけた瞬間に身体をびくりとさせて三ツ谷が振り返った。
「ドア開いてたぞ。」
「あー、朝ゴミ捨て行ってから閉めんの忘れてたかも。」
はは、と笑った三ツ谷は思いのほか元気そうで、大寿はひとまず安心する。
「で、終わったのか。」
「ん、まさに今完成したところ。」
今回もギリギリだったー!と三ツ谷が備え付けているソファベッドに突っ伏する。大寿はその横に座って、三ツ谷の頭をそっと撫でた。
「今回も頑張ったな。」
「…うん。」
撫でてくる手が気持ち良く、何より大寿と会えたことが嬉しくて。何日も徹夜して鈍った頭は、三ツ谷をいつも以上甘えたにさせた。一旦ソファから頭を上げて立ち上がると、ベッドに上がる。そのまま座っている大寿の膝に頭を預けてもう一度身体を横たえた。所詮膝枕だ。
「…大寿くんの膝固い。」
「じゃあ退け。早く帰って布団で寝ろ。」
そう言いながらも大寿は実際に三ツ谷を退かそうとはせずに、また頭を撫でてくる。
(あったかい。大寿くん優しいな、好きだな…。)
疲れ果てて空っぽの身体が一瞬で満たされていって、三ツ谷はウトウトと眠くなってくる。その時、頭の遠くの方で声がした。
『膝枕とキンタマクラだったら、キンタマクラの方が気持ち良さそうじゃね?』
閉じかけていた瞳をぱちりと広げて、三ツ谷が仰向けになると大寿の方を向いた。
「大寿くん、ちょっとキンタマクラさせてくんない?」
「……なんて?」
絶対に聞き間違いだと信じて、大寿はもう一度聞き直す。
「大寿くん、ちょっとキンタマクラさせてくんない?」
「…………なんでだ。」
聞き間違いじゃなかった、と大寿は深く溜息を吐いた。徹夜が続いている時の三ツ谷は割と可笑しいが、今日はレベルが違う。
「いや、昔マイキーとかと男だったら膝枕よりキンタマクラの方が柔らかくて気持ち良いんじゃねェかっていう議論になって。思い出したらすげェ気になってきて。」
「宇宙一しょうもねェ議論だな。」
「オレさ、今本当に疲れてるんだよ。柔らかくて暖かいものに包まれたいの。」
「家帰って今すぐ布団で寝ろ。」
「大寿くんの玉デカいから、絶対気持ち良いと思う。ちょっと試させてヨ。」
「金積まれても断る。」
「いいの。」
「?」
「大寿くんが断ったら、オレ理想のキンタマクラ探して旅に出るよ。」
「それお前が社会的に死ぬが逆にいいのか。」
「八戒とかドラケンとか、金玉デカそうな奴に片っ端から頼んでくよ。いいの。」
「正直に吐け。何日寝てない。」
「八戒は頼んだらしてくれるだろうなー!大事な弟の金玉、オレが枕にしてもいいのかよー!」
八戒が泣きながら足を広げている様子がありありと想像できてしまって、大寿は深くため息を吐いた。極度の睡眠不足は、酩酊より怖いものなのだと目の前の恋人を見て実感する。これは絶対引かないと悟った大寿は、ソファにどかりと座り直してゆっくりと足を広げた。
「いやったー!大寿くん大好き!」
そう言ってにじり寄ってきた三ツ谷を前に、大寿は江戸時代の悪代官に悪さをされそうになっている町娘のような気分で、少し泣きそうになった。
――
「ふぉ…柔かい…!膝枕より良い…!あ、柔らかいから横向くとすごい沈む。」
「口閉じねェと顔に1発叩き込むぞ。」
額にいくつもの青筋を浮かべた大寿を見ても、今の三ツ谷は何も怖くなかった。
「あ――ーあったかい柔らかい大寿くんの匂いする、めっちゃ気持ち良い。」
「黙れっつってんだろうが。」
全く黙らない三ツ谷を前に、大寿が三ツ谷の顎を掴む。掴んだ顎の細さとようやくしっかり見れた三ツ谷の顔にのっぺりと貼りついた濃い隈を見て、大寿の青筋は別の意味で再び額に浮かび上がってきた。
「で、何日寝てねェんだ。」
「…朝日を4回は浴びた気がする。」
4徹。普通の人間なら確実に倒れているが、服を前にした三ツ谷には耐えられてしまうらしい。大寿の様子に、三ツ谷がようやく口を噤む。
「メッセ返せなくて、心配かけてごめん…。」
「…次2日以上徹夜したら、俺もアトリエに泊まり込むからな。」
徹夜するなと言わないのは、大寿も1日以上徹夜で仕事に没頭してしまうことがままあるからだ。そして三ツ谷が世話を焼いてくれる。
「それはお互い様だろー。」
そう言って笑う三ツ谷のおでこを、大寿はうるせぇと軽く弾いた。
――
「…おい、頭あんま動かすな。」
三ツ谷がアトリエに篭っている間は、当たり前だが禁欲状態である。極度の寝不足で頭のネジが飛んでるとはいえ、恋人がはにかみながら自分の下腹部に顔を擦り寄せる様は些か刺激が過ぎる。
大寿の様子に気がついて、三ツ谷がにやりと笑った。それは先ほどまでの無邪気なものではなく、確実に色を含んだ笑みだ。
「ね、シよ。」
「シねぇ。」
「え――ーオレが良いって言ってんのに。」
「今のお前抱いたら死にそうだから嫌だ。」
「大寿くんの意気地なし。」
「やめろつってんだろ!」
そう言って、三ツ谷がキンタマクラの上で頭をぐりぐりと動かす。若干の硬さと熱さが増してきて、リラックス状態の柔らかい時よりフィット感が増した気がする。
「ちょい勃ってる方が気持ち良いな。」
「次やったら本気で殺すからな本気で。」
「今オレに死んでほしくないから抱かないって言ったじゃん。」
「後生だから黙ってくれ頼む。」
「そんなことでで後生使っていいのかよー!」
なんて理不尽極まりないことを言いながら三ツ谷はケラケラ笑った。ここまでくると、怒りよりも三ツ谷の身体が心配になってしまう。
「満足したなら退け。帰ってベッドで寝ろ。」
未だ退こうとしない三ツ谷の頭を緩く撫でると、嬉しそうに頭を寄せてきた。それに愛しいと思ったのが悔しくて、大寿は自分に舌打ちした。
「あ、やば眠くなってきた。」
「おいそこでは絶対寝るな。」
「ふふ、あったかくて、柔らかくてめっちゃ…きもち…よ…。」
「おい!三ツ谷テメェ起きろ!おい!」
キンタマクラは想像以上に快適で、何より大好きな大寿の匂いに包まれた結果、4徹目の三ツ谷は瞬く間に深い眠りに落ちていった。
――
「…ん。」
目が覚めると、部屋はすっかり暗くなっていた。大寿はどこだろうと、もぞりと三ツ谷が身体を動かすと、頭がまだ柔らかくて暖かいものに包まれているのがわかる。
(え、まさか…。)
がばりと起き上がって前を見ると、そこには大寿が微笑んで三ツ谷を見つめていた。
「よぉ、気持ち良さそうに寝てたじゃねぇか。」
美しすぎる大寿の微笑みに、心はどんどん冷たくなっていく。
「…いま、何時ですか…。」
「20時。俺がテメェの部屋に来たのが14時過ぎだな。」
ご丁寧に、自分が部屋に到着した時間まで大寿は答えてくれた。15時に眠ってしまったとして5時間。5時間もの間、大寿は自身の玉を三ツ谷に枕として捧げていたのだ。
「俺のキンタマクラのお陰で、疲れ取れたか。」
「…おかげさまで。」
ごめんなさい、と謝る前に大寿は勢いよく立ち上がり、三ツ谷を肩に担いで持ち上げた。
「じゃあ帰ったら存分に付き合ってくれるよな。5時間もキンタマクラにされたから使い物になってるから心配でなぁ。」
不穏すぎる宣言をされて、思わず三ツ谷は大寿の肩の上で抵抗してしまう。
「それは本当にごめん!でも起こしてくれれば良かったじゃん!」
「…あんなに気持ち良さそうな寝顔見て起こせるわけねぇだろうが。」
「た、大寿くんってそういうところ優しいよねェ…!」
大寿の肩に担がれて部屋の外へ連れ出される三ツ谷を、トルソーがそっと見送った。