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    オレオクラッシャー

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    POIPOI 9

    #ヒーローズ・シンドローム
    五話 英雄教室

    英雄教室「やあ、久しぶりだね!おかえり、ソラ!」
    「リク、ただいま!」
    玄関扉を開けて顔を出したリクに、ソラが弾んだ声を上げる。そのまま何方ともなく駆け寄って抱擁を交わした二人は暫く熱烈な再会の挨拶に興じていたが、やがてそれを一段落させたリクがソラの後ろへ目を遣った。
    「いらっしゃい、ロロくん。君のことも待っていたよ!」
    「どうも…」
    そこに立っていたロロに向けて、リクが朗らかな声で歓迎を口にする。ソラの熱心な誘いを断り切れず此処まで着いてきたロロはぎこちない苦笑を浮かべた。如何にも拭い切れない疎外感と居た堪れなさを覚えながら、ロロはつい数刻前に思いを馳せる。

    「そういえば、さっきリクから連絡があったんだけどね」
    例の夜会が記憶に新しいまま数日経った頃、暫く出動の報せも無いのでロロの自宅で各々寛いでいると、ソラが不意にそう口にした。今朝は降りて来るのが遅いと思ったが、リク…彼女の父親と話し込んでいたらしい。ロロは本を読んでいた手を止めて話の続きに耳を傾ける。
    「次に戻る日の話か。いつ頃だ?」
    ロロが尋ねると、机の下でぱたぱたと足を揺らしていたソラは意味ありげに微笑した。帰省が余程楽しみなのだろうか、やけに上機嫌だ。そして続く言葉に、ロロは耳を疑う。
    「ふふ。次はロロも一緒に来ると良いよ、だって。君と話がしたいって言ってたよ」
    「…何だって?」
    想定外の提案に二度瞬きをして、思わず間抜けな声を漏らす。ロロのその反応が可笑しかったらしく、ソラは少し肩を震わせた。
    「私も、君に来てもらいたいな。二人とも私の大事な人だから、仲良くしてほしいんだ」
    そう言って無邪気に目を細めたソラは、ロロの答えを待つ。一切の他意を感じさせない無垢な顔は、断ろうとする事に罪悪感を生じさせる。
    「…分かった」
    元来流されやすい性質のロロに断り切れる筈が無いのである。先日の夜会に誘われた際も同じ流れで承諾したような、ということからは目を逸らし、今後もソラの身を預かる以上は一度挨拶しておくべきだろうと考え直す。
    「良かった!じゃあリクにもう一回連絡…あっ」
    そこでソラは突然何かを思い出したようにロロを見た。
    「そういえば、ロロあのお姉さんに何か誘われてたのは…結局行かなくて良いの?」
    ロロはソラの指摘で初めてすっかり忘れていた名刺の存在を思い出す。…思い出した所でどの道行く気は無いのだが。
    「気にしなくて良い」
    態々知らない人間の誘いに乗るほどロロは意欲的でも暇でもない。第一あの誘いもトウヤ自身も信用出来る要素が無い。まあ無視していても良いだろう。
    「そう?まあ君が言うなら良いよね。じゃあリクに連絡しても良いかな」
    「ああ」
    ロロの承諾を受け、ソラが携帯端末を手に取った。ソラがリクと話しているのを聞き流しながら、先程まで読んでいた頁に目を戻す。
    「…えっ」
    そして、程無くして聞こえたソラの小さな驚き声に再び振り向いた。
    以降ソラの反応に若干の緊迫感を覚えながら相槌に聞き耳を立てていると、暫くしてソラが困り顔で振り返る。
    「えっと…ロロ、今から準備したら今日の内に出られるかな?」
    「今日!?」
    あまりにも唐突な展開に、柄にも無く素っ頓狂な声が出た。妙な気恥しさを咳払いで誤魔化して、ロロは詳しく事情を聞こうと試みる。
    「…ん。さっきの話で…向こうはどう言ってたんだ?」
    ソラ自身も困惑しているようで、先程交わしていた会話を整理するようにゆっくりと話し始めた。
    「ええと…君が来てくれるって返事を聞いて、リク、すごく喜んでたんだけど…。お客さんが来るの初めてだからなのかな、なんだか張り切りすぎてるみたいで」
    …ソラの表情に浮かんでいるのは困惑だと思っていたが、どうやら滲んでいたのは心配のようだ。以前に少し言葉を交わした際はソラに雰囲気のよく似た社交的な人間だと感じたが、人を招くのが初めてなのは今までソラを育てる事に注力していたからだろうか。
    「まあ、それで…早速今から準備するよ!って。その後にいつでもおいで、って言ってたけど、あんまり待たせると…楽しみにしてるみたいだから」
    ソラは言葉尻を濁したが、その懸念は十分に伝わった。ソラの心配顔は、親心という単語を想起させる。ロロも大してそれを語れるような立場では無いが、上機嫌でソラ達の来訪を心待ちにしているリクを落胆させたくはないのだろう。
    少し落ち着きを取り戻したロロは、ソラの発言を咀嚼して多少の驚きを覚える。ソラが時折見せる底知れなさはリク譲りのものだと思っていたが、当のリク自身は案外人間らしい人物なのかもしれない。
    「…そうか」
    ロロは諸々の感想を一旦呑み込んで、取り敢えずそれだけ返す。そしてソラの物言いたげな表情に言葉足らずだった事に気付き、立ち上がる動作に併せて目を逸らしながら付け足した。
    「…まあ大した用意は必要無いだろ。お前も…特に持ち物は無いよな」
    ソラの表情が晴れる。考えてみると、前回ソラは日帰りで戻ってきているのである。そう長い滞在ではないのなら、実際大掛かりな用意は要らないだろう。その気になれば直ぐに出られる筈だ。
    それから間もなく、念の為一泊分の衣類その他をショルダーバッグに詰め込んだロロはリビングで待たせていたソラに声を掛けた。

    …という経緯でソラの実家に訪れたは良いのだが、殆ど勢いで家を出たロロは親子の再会に水を差せる筈も無く居た堪れなさに伴う後悔を覚えた。
    「さあ、どうぞ入って。君達から話を聞くのをすごく楽しみにしていたんだ」
    そんなロロの気後れに気付く様子も無く、リクは満面の笑みでロロ達を招き入れる。その無邪気で人懐こそうな言動は、やはりソラと似た雰囲気を感じさせる。実際にはソラの方がリクに似ているのだろうが、それを理解していても尚、何故かリクがソラに似ているという印象が消えない。
    ソラは慣れた様子で小さな空色のルームシューズに履き替えると、いそいそと廊下の奥へ消えていった。玄関先で突っ立っている訳にもいかないので、ロロも恐る恐るリクが開け放した扉を潜る。ロロが躊躇いながら来客用と思わしき新品のルームシューズに足を通すと、リクは後ろ手に扉を閉めてロロに先へ行くよう促した。
    「正面の部屋がリビングルームだよ。荷物は…そうだな、チェストの上が空いているはずだ」
    玄関から見える扉は一つなので、そのまま進めば良いらしい。リクに会釈をして先の扉を開けると、ソラは既にカウチの中央を陣取っていた。背凭れ越しに覗く黄金色の頭髪を横目に、部屋を見渡してリクに指示されたチェストを探す。
    「…明るい部屋だな」
    「そうかな。ありがとう」
    小声で呟くと、何時の間にかロロの背後に立っていたリクから返事が来る。動揺で思わず身を硬直させたロロの様子に、リクが噴き出した。
    「あはは!ごめんね、驚かせてしまったかな」
    一連の会話は当然ソラの耳にも届いており、リクの弾けるような笑い声に反応して背凭れの向こうから身を乗り出す。
    「どうしたの、ロロ。もしかして、また緊張してる?」
    ソラにまで揶揄われて不貞腐れそうになるが、実際否定出来ないので押し黙る。それにしてもリクの気配の薄さは気味悪さを覚える域だ。視界の中に居る時は華やかな赤毛の三つ編みのお陰でそう感じることは無かったが。
    「まあ、リクは足音が小さいからね。私だから聞こえてるのかも」
    ソラが出した助け舟の指摘がやけに腑に落ちた。…ただ、足音どころか衣擦れの音すら聞こえなかった事はそう容易く飲み込めそうにはない。
    「そんなに驚くとは思わなくて、ごめんねロロ君。荷物はそっちに…ああ、預かるよ」
    リクは暫く笑いを堪え切れない様子だったが、少し落ち着いてくるとロロのショルダーバッグを受け取り部屋の隅へ爪先を向けた。
    ロロは背を向けて荷物を運ぶリクの後ろ姿に改めて目を向けた。身の丈はロロよりも頭ひとつ分程低く、男にしては小柄な印象を受ける。その体躯と花飾りが散りばめられた印象的な三つ編み、それから腰元がベルトで締められた膝丈のロングシャツはワンピースの様で、女性に見紛う通行人も居るだろう。しかし完全に女性的という訳でも無く、服装の所為で判りにくいが、所々角張った身体の線はしっかりと男性の体格をしている。
    「ところで、僕の背中に何か付いてるかな?」
    「!…いえ」
    そこまで熱心に見ていた訳でも無い筈だが、棚上に荷物を置いたリクがその後ろ姿を眺めていたロロを振り返って言った。慌てて視線を下に逸らしたロロを見て、リクはまた微笑で返す。
    「そう身構えなくても良いんだよ。驚かすような言い方をしてしまったな」
    リクは照れたように頭を掻いて、それから四脚並んだダイニングチェアの一席に腰を下ろしてロロを手招いた。
    「態々遠い地区から来て疲れただろう?君もこっちへ来て座りなよ」
    促されるままリクの対角の席に座ると、リクは満足気に笑顔を浮かべる。
    ダイニングテーブルはキッチンに隣接していて、部屋の中がよく見渡せた。部屋はよく整頓されていて、幾つかの家具が並んでいる。入ってきた扉とは別の扉が数枚見られるので、部屋移動の際はリビングを経由する形になるのだろう。現在ソラが俯せで寝そべって占有しているカウチソファこそあるものの、他に寝具は見当たらない。どれかの扉の先が寝室になっているのだろうと思われる。部屋の隅には先程のチェストがあり、その横に壁面収納らしき大きな折れ戸がある。それとは別に大きめのクローゼットがひとつ佇んでおり、やたら収納家具が多い。
    そして何より印象的なのは、その全てが白を基調に統一されていることだった。差し色や細かいパーツに至るまで、という程では無いが、壁や床を含めて部屋の大部分は白に染まっている。先程ロロは明るいと形容したが、眩しいという言葉の方が近いかもしれない。何にせよ此処まで白で固められていると、美しいを通り越して潔癖じみた得体の知れなさを感じる。
    「何か珍しい物でもあったかな」
    「…いや、綺麗な家だと」
    リクに尋ねられて咄嗟にそう誤魔化すと、ソラがくすりと笑いながら口を挟んだ。
    「ロロ、あのね。確かに片付いているけどクローゼット…」
    「ソ、ソラ!」
    何かを言いかけたソラの言葉をリクが慌てて制止する。その勢いで立ち上がった拍子に椅子を倒してしまったリクは、跋の悪そうな顔で椅子を起こして座り直した。余程動揺したのが恥ずかしかったのか、はにかみ顔で佇まいを直すリクの頬には朱が差している。リクの人間らしい仕草に、警戒心を拭え切れずにいたロロは何処か拍子抜けした心地になった。
    「あはは」
    茶々を入れたソラはけらけらと笑う。思い返してみると、彼女の悪戯な態度も珍しいように感じる。やはりリクの前では気が緩むのだろうか、普段よりも奔放な振る舞いが多い。
    「その…気にしないで。それよりも」
    表情に若干の照れを残しつつ、机の上で手を組んだリクが仕切り直した。
    「君達の話を聞かせて欲しいんだ」

    「上手くやっているんだね、君達は」
    話も温まってロロの緊張も解れてきた頃、穏やかな表情で愛娘への褒め言葉を交えながら相槌を打っていたリクはそう呟いた。
    「ええ、まあ」
    「ふふ、そうでしょ!」
    タイミングの揃った返事にリクはまた嬉しそうな表情をして、今まで聞いていた話を反芻するようにその内容を口頭で辿った。
    「それにしても、個人宛の依頼まで受けていたんだね。パーティーなんて人も沢山集まる場所、大変だっただろう。屋内で大勢の人間を守ることは簡単じゃない…避難させるなら尚更だよ」
    先日の活躍についてそう纏めたリクは、ロロ達へ賛辞を送る。率直な労いの言葉に、ロロは覚えのあるむず痒さを感じた。こうしてリクと話していると、ソラの素直な性格も彼の教育の賜物なのだろうと推察出来る。子育てというものを想像した試しは無いが、例えばロロの元で育っていればもっと捻くれた生意気な子供になっていた事だろう。
    「彼女の指示が無ければ…犠牲者無く、とは行かなかったかと。それに、先日については大半の時間敵を相手取っていたのは俺の友人ですから。俺自身は…何とも」
    実際あの鉄鎧の怪物と戦い続けたのはクロであり、人払いに徹して国民の安全に貢献したのはモノである。ロロが自嘲気味に苦笑すると、ソラとリクは揃って口を尖らせた。
    「また謙遜ばっかり。私が君の事見ていないと思った?」
    「謙遜は美徳と言うけど、過小評価はしない方が良いよ。自分を正しく評価するのも大切なことだから」
    二人から同時に咎められたロロは眉を顰める。卑下の心算は無かったが、そう捉えられる言い方になってしまったらしい。しかし、ロロが居なくてもきっとあの場は上手く回っただろうという考えは拭えない。
    「…友人は、俺が居なくともアレを倒したと思います」
    あの時のクロは何か意地になっていたようだが、ロロがあの怪物を倒す事自体は彼にとってそう難しい事では無かっただろう。それを聞いたリクは顎に手を当てて、少し考え込む素振りをした後に目を細めた。
    「それじゃあ質問だ。その逆を考えてみよう。君の友人達がその場に居なかったと仮定して、君はその怪物を倒せたのかい?」
    今度はロロが考え込む番だった。ロロの熟考の隙にソラが口を挟む。
    「ロロなら出来たと思うよ。でもあの時はお客さんがたくさん居て避難が優先だったから、それを含めるとロロだけで両方こなすのは…難しかったんじゃないかな」
    「…そうだな」
    ロロの思考が纏まる前にソラに総括されてしまい、ロロは複雑な顔で口を噤んだ。ロロも概ねソラに同意である。
    「ただ…あの怪物との相性は良かった、と思います」
    少しの沈黙の後、ロロはそう付け足した。リクが興味深そうにその続きを促す。
    「へえ。相手は堅い鎧だったんだろう?」
    リクはその先を口にしなかったが、意図は伝わった。要はロロの能力で有効打を与えることは難しいのでは、という質問だろう。
    「継目があるなら其処から中に伸ばせるので…それに中身は空洞でしたから。ソラの指示があれば、まあ恐らく」
    名前を出されたソラが傍らで誇らしげな表情になる。ロロが先日の様子を思い返して想像しながら述べると、リクはまた感心したように声を上げた。
    「なるほど、凄いね。見えていなくても…視界に入っていなくても、自分が操作している部分の感覚はあるのかい?」
    リクが質問を重ねる。数秒答えに詰まり、ロロは少し目を泳がせて白状した。
    「…あまり、意識した事は…無いですね。手足の様に…動かせてはいる…筈ですが」
    返答に窮しながら、途切れ途切れに言葉を繋ぐ。リクに指摘されるまで考えた事が無かったが、確かに手足でさえ視界外且つ自分から離れた場所で意のままに動かせるかと言われると難しい。自分は自覚するより余程不器用なのでは無いだろうか、と疑念が浮かんだ。
    無意識に行っていた事を意識してしまい混乱して悩み始めるロロを見て、リクは段々と可笑しくなってきたらしく笑声を零した。
    「あっはは、ごめんごめん、不安になってしまったかな」
    リクは謝りながら可笑しさを抑え切れなかったようで、けらけらと笑う。…気が緩んだ時の笑い方も瓜二つだ。暫くして落ち着いたリクは一度息を吐いて、その澄んだ水色の瞳でロロに向き直った。
    「うん、君は気にしなくて良いよ」
    穏やかで芯のある声がやけに鮮明に聞こえる。心に直接触れられるような感覚に鳥肌が立った。リクは言葉を続ける。
    「気にしなくて良い。君なら出来る・・・・・・から」
    思想の奥底まで見透かすような目に、確信めいた声色が響く。ソラも時折底知れない態度を取ることはあるが、それ以上に無意識領域を暴かれるような悪寒が走る。
    「ほらロロ、やっぱり君は凄いんだよ!」
    ソラの無邪気な声にふと我に返る。慣れているのか気付いていないのか、それとも両方なのか、ソラは今のリクの圧に動じた様子は見られない。無垢な顔で相棒を褒められて喜ぶソラを見て、リクはその発言に敢えて返す事はなく、ただ愛おしそうに微笑んだ。
    「そうだ、そろそろお腹が空いたんじゃないかな。ご飯の用意をしようか」
    リクはぱちんと手を合わせ、朗らかに話を一段落させた。

    「…おやすみ、ソラ」
    談笑に興じて話し疲れたソラを寝室に運び、額に口付けを落とす。安らかな寝顔で小さな寝息を立てるソラは、口から不明瞭な音を零すが目覚める気配は無い。…昔から寝付きの良い子だ。
    出来るだけ静かに部屋を出て、頬杖を着いてぼんやりと宙を眺めていたロロに目配せを飛ばす。無言で頷きを返した彼を横目に、静かに扉を閉じた。ソラを抱えている間、ちらちらと此方を見ていたことは見逃す事にしよう。
    「待たせたかな」
    「いえ…」
    ロロはリクと二人きりになった事で再び身構えているようだった。筋金入りの人見知りなのか、中々警戒を解いてくれる様子が無い。先程まで一緒に夕食作りに勤しんだり会話を楽しんだりしていた時は多少打ち解けたと思っていたが、そういう訳では無かったのだろうか。
    「まあ、所謂大人の時間というやつさ」
    リクが普段使う機会の無い台詞で格好を付けてみると、ロロは面食らったような顔をした。心外な反応だ。リクにも憧れるシチュエーションというものはある。
    「…彼奴…ソラには聞かれたくない話を?」
    「そうだね」
    恐る恐る、のような低い声に距離を感じる。とはいえ特に否定する理由も無いので他意も無く肯定すると、ロロはまた警戒を露わにして居住まいを正した。
    「…ソラの相棒として?」
    ロロの探るような質問に目を丸くする。警戒されているとは感じていたが、品定めでもされると思っていたのだろうか。その言外の評価に多少傷付きつつ、道理で心を開いてくれないのか、と理解したリクは平静を装って返した。
    「それもあるけどね。でも、実は、君と話したかったのも本当なんだよ」
    これは本当の事だ。リクは怪訝な顔をするロロに向かって更に続けた。
    「僕、同年代の友達が欲しかったんだ」
    机の上で緩く手を組んで、照れ笑いをする。ロロはリクの返答を全く予想していなかったようで、虚を突かれた顔で絶句してしまった。そして数秒掛けてリクの発言を理解すると、驚き声を上げる。
    「…同年代!?」
    「そうだよ。二、三くらい僕の方が上だったと思うけど」
    驚愕の声を上げたロロは口を噤み、寝室の方へ目を遣った。扉の奥は静寂を保っている。咳払いをして誤魔化したロロは、リクに疑いの目を向ける。
    「本当に…?」
    「今嘘を吐く理由は無いよ。…そんなに幼く見えるかな…」
    あまりにもロロが信じられないものを見るような表情をするので、リクは不満気に頬を膨らませた。確かにリクは小柄な上に童顔だが、一応ソラの父親である身だ。そこまで驚く事は無いだろうに。
    「…俺の三つ上?」
    ロロは不意にそう呟いて、リクの顔をまじまじと眺める。そんなに信じられないのだろうか。
    「何か…あっ」
    訝しげなロロの思考を理解し、リクは自らの迂闊な発言に気が付いた。恐らく、ソラ自身から彼女の年齢を聞いていたのだろう。
    「…ええっとね」
    リクは内心で慌てて弁解を考える。しかし何を言っても悪手になる予感がするので、リクは諦めて素直に告白した。
    「…僕は、彼女の実親ではないんだよ」
    視線を下げて目を逸らす。相手の表情を窺う事は出来ない。

    リクの告白を聞いたロロは、殆ど動揺する事なくそれを受け止めた。その内容はあっさりと腑に落ちた。ソラとリクはよく似ている。言葉遣いから仕草に表情、雰囲気までも。しかし外見についてはそうではない。髪や目の色等、リクの遺伝らしい部分は見当たらないのである。
    「ソラは…その事を知っているのか?」
    納得したとは言え、ソラからそのような話を聞いた覚えは無い。そもそもソラが自身の境遇について話した事は少ないのだが、それらしき素振りを見た試しも無い。
    「事実としてならね。だけど、あの子に実親の記憶は無い」
    リクの言葉に息を呑んだ。それはロロも知っている感覚だった。
    「…だから、血の繋がりは大した問題じゃない。あの子にとって父親は僕だ。僕にとってもあの子は愛しい娘なんだよ」
    リクは静かに、言い聞かせるように言葉を続ける。
    「それは…いつから?」
    「…十年…位じゃないかな。昔の事だから、あまり当時の事は覚えていないけどね」
    リクはロロの質問に答える。直感的に、嘘だと思った。
    「事情は分かりました。…それで、何の話をしましょうか」
    リクは意表を突かれたように顔を上げた。…覚えていないというのは十中八九嘘だ。しかし、ロロに他人の家の事情に其処まで踏み込む理由は無い。問題が起きているなら兎も角、現にソラはリクを父親として慕っているのだ。
    「…ありがとう」
    リクは気が抜けたように柔らかく微笑んだ。この家を訪ねて初めて見る表情だった。

    お互い緊張が解けた反動か、「大人の時間」はそれなりの盛り上がりを見せた。リクに同年代の友人が居なかったのは如何やら真実のようで、ロロの話す悪友の内輪話を身を乗り出して聞き入っている。
    「あはは、楽しそうだねえ。二人にもいつか会ってみたいな。招待したら来てくれるかな?」
    リクが音符でも浮かんでいるような浮かれ声でそう言ったので、ロロは慌てて制止する。
    「この部屋が廃墟になります。勧めませんね」
    ロロの自宅ならともかく、この白い部屋では傷も目立つだろう。真剣な声色で念を押すが、リクは堪えた様子も無く茶目っ気たっぷりに片目を瞑りながら答える。
    「大丈夫、僕強いから。止められると思うよ」
    何の根拠があるのか分からない発言に、ロロは無言の呆れ顔を返す。リクはじとりと目を細めてそれに返した。
    「信じてないね?」
    「…まあ」
    強いかどうかは知らないが、一度に二人制圧するのは並大抵では難しいだろう。そこで、ロロはふとある疑問を抱いた。
    「そういえば、貴方は…貴方も、英雄症候群に?」
    質問を投げ掛けてから先日の一件を思い出す。ソラの父親という立場ですっかり気が抜けていたが、詮索する意味合いで無くとも尋ねられて気分の良いものでは無いかもしれない。
    幸いリクが気分を害する様子は無かったが、その返答はロロの想定外だった。
    「いや、僕に異能は無いよ。ただの一般人さ」
    リクが笑みを浮かべたまま言い放つ。ロロは思わず絶句した。益々何処から出てきた自信なのだろう。一般人が異能者に立ち向かう危険性を理解しているのだろうか。二の句を継げないロロに、リクは続けて自信満々に宣った。
    「能力が無くても僕は戦える。あの子に戦い方を教えたのは僕だ」
    次から次へと開示される情報に、一周回って驚愕の感情が薄れてきた。この話が本当なら、何時だったかソラが口にした「先生」はリクの事を指していたらしい。
    「戦い方って言っても…」
    確かにソラの能力で戦闘は出来ないので、身体の使い方は通常の人間と大差は無い。とは言え、リクが能力者では無いのなら教える為の戦闘技術は何処で身に付けたのだろう。
    「昔取った何とやらってやつだよ」
    ロロが渋顔で追及するが、リクは飄々とそれを流した。昔も今も一般人の戦闘の機会はそう変わらないと思われるが、一体何処にそんな機会があったと言うのだろうか。尚も疑念の目を向けるロロに、リクがにこりと笑う。
    「今から試してみようか?」
    「…は?」
    リクの発言の意図が掴めず、ぽかんと口を開ける。リクは何も答えず、笑みを湛えたまま席を立った。
    「着いておいで」
    リクは一度ロロへ振り返って短く告げると、部屋を横切って寝室とは別の扉を開けた。呆けていたロロは扉の奥へ消えて行くリクの後姿を見て正気を取り戻し、その後を追って扉の先へ踏み入った。
    リクが照明を点けずに進むので、ロロは白い服の背を見失わないよう注視して後を辿る。暗い部屋の角を曲がり細い廊下を進んだ先に、また扉が現れる。リクはロロが後ろに居る事を確認し、迷いなくその扉を開ける。一歩進んだリクの頭の位置が下がり、その先が地下へ続く階段になっている事が分かった。
    暗がりの中でもリクの足取りが揺らぐ事は無く、リクに着いて降りるロロは踏み外さない様に一段一段注意深く足を着ける。
    暫く階段を降り続けていると、目の前に突如重厚感のある扉が現れた。リクが難なくそれを開くと、重い金属音が響く。
    「此処ならどれだけやっても…上に響く事は無いよ」
    リクは扉の先に広がる真黒な空間に一歩踏み出した。それに呼応して、空間が光で照らされる。突然差した眩い光に、ロロは闇に慣らされていた目を細めた。
    「…この空間は?」
    階段を下っていた時から疑問は浮かんでいたが、何故民家の地下にこのような空間が存在するのだろうか。どのような経緯でこの空間を設置するに至ったのだろう。
    「僕達の訓練場だよ」
    リクは絶妙に答えを逸らして返す。何か、ではなく何故か、と問いたいのだが、此処まで手招いておきながら詮索させる気は無いらしい。僕達、と言うのは先程話していたソラに稽古を付けていた頃の話だろう。
    「さあ、始めようか」

    「まあ、勝負じゃないからね。気軽にやろう」
    リクは腕や脚を屈伸させながら軽い調子で言った。未だに展開の飲み込めないロロは、困惑しながらも突っ立っているのは居心地が悪いのでリクに倣って緩いストレッチを行う。「その、本当に…やるんですか」
    乗り気な様子でウォームアップを行うリクを見て、ロロは何か言葉の意味を捉え違えたのではないかと不安になりおずおずと尋ねる。今から行うのは身体能力勝負であって異能は禁止という暗黙の条件があるのかもしれない。或いは戦闘以外の競技なのだろうか。
    「軽い手合わせだと思えば良いよ。加減は要らないけどね」
    リクが軽いジャンプを繰り返す度に、緩やかな三つ編みが上下に弾む。
    「…そうですか」
    恐らくこれ以上言葉を交わした所で、お互い伝わる事は無い。ロロはそう割り切って長く息を吐いた。少し付き合えばリクも気が済むだろう。
    「よし、君が動いたら僕も動くよ。何時でもどうぞ」
    リクはそう言いながら距離を取り、少し離れたところでロロに向き直った。合図さえもロロに都合の良い要件に設定されて、何処まで冗談なのか判別が付かない。
    「…行きます」
    初手で捕縛して終わらせてやろう。一度短い呼吸をして、端的に開始を告げる。一拍置いて、指した指に照準を合わせ黒の縄を差向けた。
    「…あ?」
    次の瞬間、目に映ったのは天井だった。
    「駄目だよ、油断しちゃ」
    背中に鈍痛が響いている。視界に映る真白な天井にリクの頭が入り込む。影になっているリクの表情は不満顔だった。リクはロロの髪を掴んで、胴の上に座り込んでいる。緊迫感が全身を巡った。
    「…っ」
    動揺しながらリクの身体を払い除ける。リクの言う通り、油断していた。それにしても只人がここまでの実力を持っているとは予想出来る筈が無い。ロロが跳ね除けた勢いのまま後方に飛び退くと、リクはそれに合わせてまた数歩下がった。
    「仕切り直そうか」
    リクは緩く脱力して立っている。先程の出来事を思い返す。ロロが動くのに合わせて床を蹴ったリクは距離を詰めた勢いのままロロの髪を掴んで引き寄せると、体制を崩したロロの襟元を空いた手で掴んで押し倒した。回想して整理した事で漸く全貌を理解する事が出来るような早業で制圧された事に恐怖を感じる。
    心拍数が上がっている所為で呼吸が整わない。気を落ち着けることは諦めてリクを見据える。自然体のリクは隙だらけに見えるが、実際隙が生まれているのは此方である事を認識した。
    「…次は捕まえる!」
    歯噛みしながら先程よりも速く再び髪の束を向ける。リクも再び地を蹴って踏み込むが、擦れ違う直前に黒の束が開いて網と化した。それは小柄な身体を捕えたように思えたが、リクは網に覆われる前に勢いを保ったまま足から地表に身体を添わせて滑らせる。
    「本当に便利な能力だね!」
    ロロの目前まで滑り込んだリクは褒め言葉を述べながら下半身を起こして蹴り上げるが、ロロは文字通りの間一髪でそれを防ぐ。片手で身体を支えたリクに向けて足払いを掛けると、リクはその流れに合わせて飛び上がり、起立状態に戻った。
    そのまま近接戦闘に持ち込むかと思われたが、リクはステップを三度踏んで再度距離を確保した。
    「…?」
    リクにとっては近接戦の方が都合が良いだろうに、態々離れたのは数度目のハンデを与えた心算だろうか。意図が掴めず顔を顰めるが、体勢を整える猶予を与えずに捕縛を試みる。
    「追ってみてよ」
    不敵に笑ったリクは空間内を駆け回り始めた。
    「言われなくとも…!」
    リクの挑発に、切迫した焦りを声に滲ませながらロロは能力を駆使して追い始める。大きく円を描くように走ったリクはおよそ一周した後に高く跳躍した。
    「こっちだよ」
    釣られて伸ばした髪の先端をその足元に向ける。上空に飛び上がったリクと視線が交錯した。リクの駆けた跡を辿るようにロロの髪で描かれた円の境界を飛び越えて外側から内側に潜り込んだリクは、着地の勢いで弾かれたようにロロの方へ跳び出した。
    ロロは咄嗟に防御体勢を取るが、リクはロロに攻撃を加える事無くその脇をすり抜ける。
    「!?」
    ほんの一瞬振り返ったリクと再び目が合った。リクの口元には悪戯めいた笑みが浮かんでいる。リクの予想外な動きに動揺しつつ、尚もその後を追う。
    違和が生じたのは数秒後だった。
    「…はっ?」
    先程までリクの後をぴったりと追っていた髪が突然見当違いの方向に逸れた。それを切っ掛けにして、先程までそれこそ手足のように動かしていた部位を制御する方法が分からなくなる。
    混乱するロロが最後に認識したのは、上空から此方を見下ろすリクの姿だった。

    「僕の勝ちだ!」
    ロロを組み敷いたリクは、勝ち誇る子供のように無垢な笑顔を浮かべて言った。
    「…何が…」
    未だに気が動転しているロロが呆然と独り言ちる。異能の制御…というものを明確に意識したことは無い。しかし、ロロの思う通りに動かなくなるのは初めてだった。リクはロロの上から降りて手を差し伸べた。
    「大丈夫、君は強いよ」
    フォローどころか追い討ちのような台詞を投げ掛けたリクは、呆然としたまま手を取ったロロを引き上げる。その拍子に蹌踉よろめきながら立ち上がったロロは、リクに何が起きたのか尋ねようとして言葉に迷い、視線を向けた。
    「すぐに解くから、少しじっとしていてね」
    リクにそう言われて後ろを顧みると、先程の原因を何となく理解した。
    「…大丈夫です」
    リクを夢中で追っていた所為で伸ばし過ぎた髪は床に垂れて拡がっているが、途中の一点で固結びになっている。ロロは心底疲弊したような溜息を吐いて、髪の長さを戻す。肩下程まで短く引き戻すと、自然に結び目は消えた。それを見ていたリクは感心したように口を開く。
    「掃除機のコードみたいだね…」
    「馬鹿にしてます?」
    リクの喩えに苛立って反射的に返すと、リクは慌てて首を振った。
    「ごめんごめん、その心算は無いよ」
    全く以て他意の無さそうな表情にロロも毒気を抜かれてしまう。リクはまた人当たりの良い笑顔をして、ロロに言った。
    「僕が強い事、分かってくれた?」
    「…十分に」
    そしてロロが弱い事も。兎も角、此処まで完封されては返す言葉も無い。ロロは大人しくリクの言葉を受け入れる。
    「もう夜も遅い。運動したら疲れただろう、僕らも戻って眠ろうか」
    リクの提案に、反論する気力も無いロロは頷いた。

    「ロロ君、」
    長い階段を上りながらリクが口を開いた。疲れた頭と体でこの暗い階段を踏み外さないように注力しているロロは数拍遅れて返事を返した。
    「君、本当によく異能を扱えていると思うよ。能力自体が君にとって使い易いものなのかもしれないけど」
    「はあ…」
    ソラの言葉と同じように、その言葉には裏が無いことは分かる。しかし、意図の裏表と説得力は別物なのである。釈然としないロロは生返事をした。
    「君が異能で動かしているのは、手足よりずっと複雑な物だ。思い通りに動いて、変形して、用途毎に対応出来て…君は便利に使っているようだけど、思い通りに動かせる程…鮮明に想像するのは簡単な事じゃない」
    「…そうですか」
    言葉が具体性を帯びたので、少し納得が生じる。ロロはもう慣れているので一々意識する事は無いが、そうなのかもしれない。先程制御出来なくなったのは、結び目を作られた所為で現在の形状と想像する動かし方が噛み合っていなかった為だと考えられる。
    「まあ、君の場合異能を使う事にすごく意識が傾いているから、君自身の身体が隙だらけになる事はその内改善した方が良いと思うよ」
    「…ハイ」
    変わらない調子で釘を刺されて上げて落とされた心地になったロロは、何とも言えない複雑な顔で反応を返した。
    その後リビングのカウチを宛てがわれたロロは身の丈を余らせながら横たわり、先程の出来事について考える余力も無く、リクの言った通り疲労に導かれるように眠りに落ちた。

    「ソラ、行ってらっしゃい。いつでもまた帰っておいで」
    翌朝、起きてきたソラに揺り起こされたロロは、三人で朝食を摂った後に荷物を纏めてソラと共にこの家を後にした。見送りに玄関先まで顔を出して名残惜しそうに告げたリクは、出迎えた時と同じ様にソラと抱擁を交わす。
    「うん!またね、リク」
    満面の笑みで応えたソラの返事に頷いたリクは、やがてロロに向き直った。
    「ロロ君、君も偶にはまたソラと一緒に来ると良い。僕はいつでも君を歓迎するよ」
    リクが微笑を浮かべて告げた何処か既視感のある言葉に引っ掛かりを覚えた。最近似た言葉を聞いたような気がするが、何か忘れていただろうか。…まあ思い出せないということは大した事では無いのだろう。嫌な予感がする訳でもないので尚更だ。

    「…来ないね」
    「来ないですね」
    その頃、ロロの既視感の原因であるトウヤ達はぽつりと会話を交していた。一人掛けのアンティークソファで脚を組んでいたトウヤは不満気に傍らに立つ男を振り返る。
    「…仕方ない。ニコ、彼をもう一度招いてやってくれ」
    「はいはい、分かってます。では、すぐ手配しますね」
    ニコと呼ばれた黒髪の男は呆れ顔で溜息をひとつ吐いた後、机上の資料を幾らか携えて扉の奥へ姿を消した。
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