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    オレオクラッシャー

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    #ヒーローズ・シンドローム
    四話 ドレスアップ・ショウダウン

    ドレスアップ・ショウダウン「見ろよロロ、あのチキン野郎からの招待状だぜ!」
    出禁令が出されていた筈のクロは、ロロの家に駆け込むなり開口一番にそう言った。ロロは反省の色も見えないクロを睨むが、クロに堪える様子はない。ロロは態とらしく留息を吐いて、大人しくクロが喜々として掲げている便箋を受け取って目を通した。
    「…依頼状?」
    最初に目に入ったのは冒頭に記されたその文言だった。飛び込んできたクロの声に二階から降りてきたソラが何時の間にか傍に来て覗き込もうとしていたが、ロロは一先ず読み通すことを優先する。程無く便箋に敷き詰められた文字を辿り終えて首を傾げた。便箋の文章は婉曲表現や明らかな機嫌取りが透けて見える飾り文が大半を占めており、概要としては大体以下の通りだった。
    さる人が夜会を開くので警備を頼みたい、信頼出来る知り合いであれば数人連れてきても構わない、といった所である。
    患者が個人的に警備を頼まれるというのも妙な話で、確かに異能による戦闘能力は十分であるが、そもそも患者に個人的な伝手のある偉方はそう居るものでは無い。ロロが知らないだけで申請でもすれば患者が任務という形で貸出される制度の類が存在する可能性もあるが、この便箋はどう見ても私的な代物だった。
    ロロが首を傾げた理由はそれだけではない。便箋には差出人の名が記されていなかった。申し訳程度にクロには伝わるのだろうと思われる何かの紋章が象られた判が押されていたが、生憎ロロにはそれが誰を指すものか分からない。
    クロはロロが浮かべた疑問を予測していたらしく、尋ねる前にその便箋が収められていたであろう封筒を取出した。それには差出人の名がはっきりと記されており、ロロにもその正体を把握することが出来た。…と言っても直ぐにその名の人物を思い出す事は出来なかったので、数秒目を細めて差出人欄の文字列を睨んだ後に漸く記憶の中から探り当てたのであるが。
    「…お前これ…」
    ロロは表情に難色を滲ませたが、クロは何処吹く風といった様子でロロから便箋を回収して元の通りに封を閉じた。
    「良いだろ、豪華なタダ飯だ!オマエも誘ってやろうと思ってよ、嬢ちゃんも来るか?」
    クロは気楽どころか得意気な調子で封筒をくるりと回す。差出人が判明した今、クロの乗り気な様子は少々理解に苦しむ。てっきりロロの家に駆け込む迄もなくその場で破り捨てるものとでも思ったがそうはしなかったらしい。
    「受けるのか?」
    ロロの端的な質問に、クロは笑って頷く。既に会食で振舞われる豪奢な料理の数々に思いを馳せているのか、鼻歌でも歌い出すのではないかと思うほど上機嫌だ。
    「悪い話じゃないからな。どうせあのバカは何も考えてねえよ、未だにオレのオーナーのつもりなんじゃねえの?オレを追い出したのだって一時休暇でも出した事になってんだろ」
    …上機嫌ではあるが、吐き捨てるような後半の台詞が饒舌になるあたりクロはクロなりに考えていたらしい。その上で受けるという結論を出した友人の精神にはある種の尊敬さえ覚える。クロが気にしてもいない事をこれ以上ロロが気にしてやる理由は無かった。
    「ねえ、何の話だったの?」
    ロロとクロを交互に見上げていたソラは要領の得ない会話に痺れを切らしたらしく、黙るのを止めてロロに尋ねた。ロロはどう答えたものかと軽く視線を彷徨わせたが、その間にクロが質問を引き受けて答える。
    「オレが昔の知り合いのパーティの警備員として呼ばれたもんで、嬢ちゃん達も誘いに来たのさ。珍しい食いモンも沢山出ると思うぜ。そうだ、警備ってんなら嬢ちゃんの耳がありゃあ百人力じゃねえか?」
    クロがつらつらと並べた言葉…特に最後の一言にソラはすっかり気分を良くしてしまったようで、「聞いた?」と言わんばかりに瞳を輝かせて勢い良くロロの方に振り向いた。クロの言葉選びにもソラの絆されやすさにも舌を巻いたロロは、次に続くソラの言葉を理解した。
    「ロロ、」
    「分かった分かった、俺達も受ける。これで良いなお前ら」
    ソラの雄弁な視線に堪えられず、ロロはその要求が言語化される前に降参だと言うように両手を挙げて承諾した。…まあ、どの道滅多な事は起こらないだろう。怪物が意志を持って乗り込んでくることは有り得ないし、悪意を持った一般人程度なら取り抑えるのは容易い事だ。増してや後者であればソラの耳で事が起きる前に察知することも出来るだろう…クロに同調する訳では無いが。
    「よっしゃ!あ、給金も出るらしいからしっかりふんだくってやろうぜ。あとあの野郎も置いてっちゃカワイソウだろ、一応オマエの方で声掛けといてくれよ、ってことでまたな!」
    ロロの承諾を受け取ったクロは満面の笑みを浮かべると、一方的に捲し立てて颯爽と出て行ってしまった。あの野郎とは考えるまでもなくモノを指しているのだが、普段あれだけ揉めておいてよく飽きないものだと思いながらロロはこの後長ったらしい言い訳と共に承諾を返すモノの姿を思い浮かべた。

    「遅い」
    誰より早く辿り着いていたモノは、顰め面で開口一番にそう言った。時間通りに到着したロロは呆れ顔になる。
    「お前が早いんだ。彼奴が遅いのもいつもの事だろ」
    不機嫌なモノは尚も文句を続けようとしたが、ロロの影から顔を覗かせたソラを見て自重したらしくそれは小さな溜息に留められた。代わりにモノはソラの姿を一瞥すると、腕を組んだままロロに声を掛けた。
    「彼女の希望か?いや、似合っていると思うが」
    モノの視線の先のソラは白いシャツにチェック模様の入った薄いグレーのスラックスを纏い、同色無地のベストと裾に一段プリーツの付いた同柄のジャケットを羽織っている。その言葉の意図を理解したロロは、少々目を逸らしながら首肯した。嘘では無い。モノはその反応に色々と余計な事を察したようで、ロロに冷めた目を向けた。
    「お前、過保護は程々にした方が良いんじゃないか」
    「合意だ合意」
    弁解のつもりが更に疚しい言い方になってしまった事に気付いたロロは慌てて訂正しようとしたが、その前に二人の会話を聞いていたソラが口を挟んだ。
    「動きやすい格好が良いって言ったらロロが選んでくれたんだ。似合ってるなら嬉しいな。褒めてくれてありがとう、モノ」
    本人に無垢な瞳でそう言われてはモノもそれ以上追求する気が起きなかったようで、腕を組んで押し黙ってしまった。
    場が沈黙し、その隙にロロがモノに意趣返しと揶揄を飛ばそうとした時、割り込んだ呑気な声にロロの目論見は破られた。
    「お、もう全員揃ってんのか」
    漸くロロ達を集めた張本人の登場である。雑な口調とは裏腹に、癖のある黒髪はきっちりと撫で付けられ、乱れの無い燕尾服を纏い、その容貌は普段の姿からは想像も出来ない程に整えられている。
    「遅い!」
    モノが苛々を隠す様子もなく糾弾するのも何処吹く風で、クロが一同を見回した。全員の格好に目を通したクロは神妙な顔で頷いた。
    「よし、服装は問題無いな。…それにしても、嬢ちゃんは兎も角オマエらは…どうも変わり映えしねえなあ…」
    遅刻を棚に上げて呆れ顔をするクロに苦言を呈され、モノの眉がぴくりと上がる。モノもロロもドレスコードに則った服装をしてはいるが、日常的にフォーマルな雰囲気の服装が多い二人は実際普段との差が少ない。モノに至っては左腕を完全に覆うアンバランスな白袖まで普段と殆ど同じだ。飛ばそうとしていた揶揄を先取りされた上に巻き込まれたロロは、苛立つ間もなく一触即発の気配に制止の構えを取る。
    「……後で覚えておけよ貴様」
    しかし、ロロの予想に反してモノがクロに掴み掛かる事は無く、代わりにきっかり六秒息を吐いて白いチェスターコートを翻した。その反応はクロも予想外だったようで、明らかに困惑した視線でロロに無言の疑念を訴える。ロロに尋ねられても困るのだが、そもそも態々怒らせて喧嘩に持ち込もうとするのは止めてほしい。
    「…お前の雇い主に詰られては敵わん」
    モノは後ろ姿を向けたまま唸るように言う。その表情を窺う事は出来ない。それを聞いたクロは怪訝な顔で首を捻った後、愈々いよいよ目を丸くした。
    「オイオイ、まさかオマエまで心配か?ロロの心配性が伝染ったんじゃねえだろうな、オマエには似合わねえぜ」
    「誰が貴様の心配など…そうか、そんなに煤塗れにされたいか」
    何処までも口の減らないクロに、モノがいつもの顰め面で振り返る。掲げられた右手にはパチパチと弾けるような音を立てて小さな炎が灯っていた。
    「ねえ…」
    静観していたソラも流石に見兼ねたようで、怒り心頭のモノの袖を引く。窘められたモノは小さく息を吐いて炎を収めると、ソラに視線を合わせて心持ち穏やかな声で返答した。
    「レディ、冗談だよ。君の不安は尤もだろうが、帰路に着くまで私がこの男と荒事を起こす事は無い。心配無用だ」
    「…分かった、君を信じるよ」
    ソラは暫くモノを見詰めていたが、その言い分にひとまず納得したらしく頷いてみせた。…ロロは俄に信用する事が出来なかったが、内心二人から目を切らない事を誓ってこの場の感情を納得させた。
    「さて、その男の所為で時間が押している。出発しよう」
    「へいへい、悪うございました」
    今度こそスタスタと歩き出したモノにクロが続く。如何にも釈然としないロロは、二人の後に着くソラに倣ってその後を追った。

    会場に到着し、受付に話を通してきたらしいクロに連れられて入場する。会場内の人影はまだ疎らで、その殆どは服装を見るにパーティスタッフのようだ。ゲストが集まった後で警備が来ると言うのも呑気な話なので当然ではあるが、忙しなく動いているスタッフを眺めながら不慣れな場にただ佇んでいるのも居心地が悪い。会場内を見回していたクロはいつの間にか姿を消しており、モノは腕を組んで泰然としている。ソラも萎縮している様子は無く、豪華絢爛な会場を興味深げに眺めている。どうやら庶民的な気後れを感じているのはロロだけらしい。
    モノは不意に何かを見付けたらしく、その視線がふいと動く。ロロが釣られてそちらに目を向けると、そこにはふらりと何処かへ消えていたクロの姿があった。ソラは元から気付いていたようだが、ロロ達が注目しているので改めて注意を向けたらしい。
    クロは誰かと会話を交しているようで、その相手にはロロも覚えがあった。覚えと言っても遠い昔の朧気な記憶ではあるが。端的に言えば、クロに宛てられた依頼状の差出人である。距離は少し離れていたが、未だ会場内は人が少ないために少し耳を澄ませば会話の内容を聞き取るのはそう難しい事では無かった。
    「それで…その、問題は…無いんだな?」
    依頼人の男が横目で此方を見ながら恐る恐る尋ねる。ロロは咄嗟に目を逸らしたが、モノは動じる様子も無く堂々と見返している。男は直ぐに目を戻したが、ロロ達に意識を向けられている事には勘づいたらしかった。モノに睨まれて身を竦ませる動作はいっそ哀れらしい。
    「少し目を合わせてやっただけでああも怯えるとは。あの男ももう少しこの性質を受け継いでいれば謙虚に育ったろうに」
    モノが小声でぼやく。不機嫌な表情が常のモノに見据えられては睨まれたと感じても無理は無いだろう。疚しい話をしている最中なら尚更だ。しかし本人にその自覚は特段無いらしい。
    「…えっ!?」
    モノの発言から数拍後、ソラが驚き顔で振り返った。ソラの訴えを理解したロロが答える前に、向こうでクロが男に返答する。
    「ええ、はい。の知人の中でも一際信用出来る面々で御座いますよ、旦那様。…ああ勿論、実力も私が保証致します…どうぞご心配無く」
    クロはすらすらと述べて恭しく胸に手を添える。その言動は、整えられた衣服や何時になく真摯な好青年らしい微笑と相俟って全くの別人に見える。
    「…!?」
    ソラが再びクロの方を振り向いた。驚愕が手に取るように分かる反応にロロは思わず吹き出しそうになり唇を噛む。混乱を避ける為に説明を控えていたが、余計に当惑させてしまったようだ。
    「まあ色々複雑なんだが…簡単に言えばクロの身寄りが無くなった後に彼奴を引き取って雇った、彼奴の親戚だ」
    異能者は程度の差はあれど発症以前の身辺状況に事情を抱えていることが多いが、それにしてもクロの半生はロロが聞いた中でもフィクションのような稀に見る数奇だ。ロロがソラに説明している間にも、男とクロは会話を続けている。
    「幼い子供も居るように見えるが…」
    「旦那様、彼女は優秀な偵察員ですよ。誰より早く敵を聴留めてくれることでしょう。それとも私の云う事は信用に足りませんか?」
    「…いや、疑う訳ではない…ああ、お前の言う事だ、信用しよう…呉々も頼むぞ」
    男は額の冷や汗を拭い、クロの肩を叩く。クロがそれに確りと頷いて見せると、男は安堵したように肩を下ろした。その後も二人は会話を続けていたが、当たり障りの無い世間話ばかりで特筆するようなものでは無く、ロロはその場から目を離した。
    ロロがクロ達の会話に気を取られている間に来客は少しずつ増えており、歓談の声が散見されるようになっていた。ホストであるクロの実父…雇い主はとある企業の所謂社長であり、招かれたゲストの大半はその繋がりで呼ばれたものであると思われる。そのため、歓談の大抵は小難しいビジネスの話や景気の話だった。聞き耳を立てた所で話が分かるわけでもなく、ロロは手慰みに先程スタッフから受け取ったグラスを回した。
    「キミ、見掛けない顔だね」
    ソラは退屈していないだろうかとそちらを確認しようとした途端、聞き慣れない声に背後から声を掛けられる。ロロが怪訝な顔で振り向くと、そこには仕立ての良いタキシードスーツを着こなした、艶のあるショートヘアの眉目秀麗な麗人が立っていた。その一歩後ろにスーツを着た青年が困り顔で控えている。
    「トウヤさん、彼困惑してるじゃないですか…すみませんね、突然うちの社長が」
    側近らしい青年が苦笑しながらロロに頭を下げると、トウヤと呼ばれた人物は芝居がかった動作で手を打って頷いた。
    「ああこれは失礼、ワタシはこういった者でね。気軽にトウヤさんと呼んでくれたまえ」
    「はあ…」
    トウヤはロロの反応を待つ事無く、一方的に喋り立てながらロロに名刺を押し付ける。ロロが気圧されながら受け取った名刺に目をやると、あまり目にした事の無い企業の名に並び代表の字が記されていた。トップがこれだけ自由奔放な企業とは些か心配になるが、彼が人の下で働いていると言われても確かに想像がつかないので一応の納得をする。
    「それで、キミは?」
    トウヤは自分の事は話した、と言いたげにロロの答えを促す。ロロは少しの間どう答えたものか頭を巡らせたが、結局無難に返答した。
    「俺は…知人の伝手で呼ばれたただの警備員ですから、その…興味を持たれる様な者では」
    それを聞いたトウヤは興味を無くして引下がる…と思われたが、それどころか寧ろその瞳孔が開いたことに気付いたロロは寒気を覚えた。トウヤは尚も質問を重ねる。今度は先程までのよく通る声とは違い、内緒話のような小声だった。
    「キミは異能者なのかい?」
    「…」
    その問いに、ロロは警戒するように目を細めた。取り立てて隠すつもりは無いが、こう正面から暴くように詰められては気分の良いものではない。このような手合い…ヒーローズ・シンドロームの発症者に対して様々な方面の関心を向ける人間は少なくはない。…それが好奇にせよ、恐怖にせよ。
    「あの少女はキミの連れだろう。では彼女も…」
    トウヤはロロの態度に気付いていないのかそれとも気に掛ける気が無いのか、一切の遠慮無しに話を続けている。ソラはいつの間にか離れたテーブルの付近でモノと何やら話しているようだった。トウヤの後ろの青年は依然として困り顔をしているが、咎める様な視線を送ってこそいるものの口を挟む様子は無い。
    「…仰る通り、俺は確かに患者です。名刺等は無いので診断証で失礼。…俺の身分はご理解頂けましたか。では、これ以上興味を惹くような話は無いかと」
    患者番号や異能力概要が記された診断証を提示する。トウヤは顎に手を当て、それを一瞥して何かを言おうとしたが、その前にロロの後ろを見遣ると少し早口になって手を振った。
    「嗚呼、キミの友人が来たようだ。邪魔しては悪いから、ワタシは失礼しよう。ではまた」
    突然話を切上げて去っていったトウヤとそれを追う側近の青年の姿を呆然と見送る。つい最近知り合った16番も嵐のような男だったが、よりタチの悪い竜巻が通過したような気分だ。
    (…何だったんだ)
    トウヤ達は先程よりも増えていた人混みの中へ消えてしまい、もう目で追うことさえ出来ない。あの美貌なら雑踏でも目立ちそうではあるが、トウヤもあの側近もあまり長身ではない上にゲスト達はどこもかしこも煌びやかで畏まった格好をしているものだから上手い具合に溶け込んでしまったらしい。
    「お、ロロ」
    トウヤ達が消えた方向を暫く眺めていると、再び後ろから声を掛けられる。今度は聞き覚えのある、よく見知った声だった。
    「話はもう済んだのか」
    「ああ、まァな。アイツ相変わらずつまんねえ話しかしねえんだよ」
    クロは大袈裟に肩を竦めると、先程までロロが眺めていた方向に目を向けた。
    「それで、さっき誰と話してたんだ?俺がこっちに来たらどっか行っちまったけど」
    クロに尋ねられるが、ロロの方が聞きたい。取り敢えず先程受け取った名刺を見せるが、クロも思い当たる名では無かったようだ。
    「んー…まあいいか。それより、お前何か食うなら早い方が良いぞ」
    ふとクロがそんな事を言う。発言の意図が分からず返しあぐねるロロを見て、クロは珍しく歯切れの悪い言葉を紡ぐ。
    「あと…動ける用意はした方が良い。…確信はねえんだが…というか、まあ、俺の勘なんだけどな」
    クロが辺りを見渡した。あまり堂々と話したい事では無いらしい。ロロが少し身を屈めると、それに合わせて耳打ちを始めた。
    「そもそも、何で今更俺が呼ばれたと思う?」
    今度の質問は意図こそ理解したものの、解答が見付からない。考えるまでもなく、今回の依頼に疑問の浮かぶ点は多い。
    「別にタダの警備ならちゃんと金出せば集まるだろ。アイツがビビりだからそれじゃあ不安だったってのも無くはないが…それなら今まも俺に頼んでただろうからな」
    クロの言い分は大方納得出来るものだった。相槌を打ちながら聞いていると、クロは更に顔を寄せて続けた。
    「少なくとも…多分…アイツは今日、異能者が必要な何かが起こると思ってるんだ」
    クロはやけに不明瞭な言い方をしたが、それが指していることは明白だった。
    「怪物が出る…疑いがある?」
    怪物は神出鬼没だ。何処から現れるかさえ分からない。例え疑いだとしても、それを予測することなど出来るのだろうか。仮にその疑いが真だったとして、情報源は一体何処にあるのだろうか。
    「そういうこった…ま、大抵のバケモンなら俺一人で十分だろうけどな。何せこの人数だ、もしそうなりゃ避難誘導は頼むぜ?」
    深刻な雰囲気に息を呑んだロロとは対照的に、クロはいつもの楽観的な調子に戻った。
    「大体、イタズラ電話だか何だかを気にしただけの可能性だってあるだろうしな。ハハ、有り得る話だ」
    「…随分気楽だな、クロード」
    クロが笑い声を上げた瞬間、背後から神経質そうな声が掛かった。今日はどうもよく後ろから声を掛けられる日だ。神経質そうな、と言ってもモノの声ではなく、ロロの覚えのある声でも無い。此方に声を掛けたのは、白金に近い金髪をした不機嫌そうな男だった。旧名を呼ばれたクロはゆっくりと振り向いて、先程雇い主と話していた時のように再び慇懃な笑みを浮かべた。
    「おや、お久しぶりです若旦那様。挨拶が遅れたご無礼をお許しくださいませ」
    クロは元雇い主の実父を旦那様と呼ぶ。という事は、若旦那と呼ばれたこの神経質そうな男はその息子であり、つまりはクロの実の兄弟なのだろう。兄か弟かは知らないが、まあ恐らく兄だろう。
    若旦那と呼ばれた彼は赤い瞳を細め、一層眉間の皺を深くする。縁が切れたはずの複雑な関係にあった血縁が今更十数年幾許かぶりに突然戻ってきてヘラヘラと笑っていれば、不愉快な心地になるのも仕方がないのかもしれない。ロロには縁遠い状況なので、共感出来る気はしないが。
    「もうお前は使用人では無いだろう。その態度は私には不要だ」
    クロの兄は人差し指で組んだ腕を規則的に叩いている。顔立ちこそよく見るとクロに似た面影があるものの、表情や仕草は寧ろモノを彷彿とさせる。もしかすると、クロ自身が粗雑な性格をしている為に周囲に神経質な人間を集めるのだろうか。クロの兄は使用人を辞めたクロが尚も態とらしく弁えた態度を取るのが気に入らないようだ。
    「そう仰られましても、身寄りを失った私を拾って頂いた御恩がありますから。確かにこの身は既にあなた方に仕えるものではありませんが、この忠誠は易々と消えるものでは…ただ若旦那様のお気に召さないようでしたら仕方ありません。ユリウス殿とお呼びしましょうか?」
    クロはつらつらと並べ立てるが、内心では思ってもいないのがよく分かる。不要だと言われても続けるのは半ば嫌味の心算だろう。クロの兄…ユリウスもそれを察して余計に苛立ったようだが、これ以上の指摘は無意味だと悟ったらしく諦めたように息を吐いた。
    「…ああそれで良い、お前の心にも無い世辞を聞きに来た訳でも無い」
    「心からの言葉ですよ、ユリウス殿。…それで、用件があると?」
    ユリウスはクロの返事を無視して周囲に視線を走らせると、そこかしこで交わされる歓談に紛れさせるように至って平静な声を出した。
    「只の勧告だ。…父様は暫く前に届いた手紙を見てから何か様子がおかしい。挙句の果てにお前を呼ぶ始末だ」
    ユリウスの言葉はつい先程のクロが語った不安を裏付けるようだった。挙句の果てと表現するのもどうかとは思うが、兎も角平常では無い事は確からしい。
    「…手紙と言うのは?」
    クロが真面目な顔をして尋ねるが、ユリウスは目を伏せて緩く首を振った。
    「内容は私にも伝えられていない…が、お前が呼ばれる起因になったのは間違いないだろうな」
    つまりは何も分からないようだ。聞けば差出人も封筒には記されておらず、何処から届いたかさえ分からないらしい。中身には記載されていたかもしれないが、少なくとも全容を知っているのはクロ達の父親くらいだろうとのことだった。
    「何も起こらなければそれ迄だが、何かしら問題が発生する恐れは大きい。…彼の人の備えは大抵使う羽目になるんだ」
    ユリウスは苦々しげに呟く。クロからは臆病者チキンと評されていたが、実際それで上手く乗り越えているのであれば危機察知能力に優れていると言った方が正しいのかもしれない。
    「所で君はクロードの…友人なのか?」
    突如ユリウスがロロに質問を振る。傍観者に徹していたロロは急に話の場に引き出されて動揺しながら、それを表に出さないように努めて神妙に頷いて見せた。
    「…そうか。君達の連れ合いにまだ幼い少女が居ると耳にしたが、本当か?」
    ロロは再び首肯した。恐らく先程クロが父親と交わした会話の内容を、父親伝いに聞いたのだろう。口振りから判断するに本人の姿を確認した訳ではないようだ。
    「彼女も優秀な戦闘員ですよ」
    ユリウスが口を挟んだクロを一瞥するが、直ぐに視線をロロに戻した。
    「偵察員だと聞いた。実際に戦闘をする訳では無いのだろう」
    「…はい」
    ユリウスは何を言いたいのだろう。ソラが子供だから信用出来ないと告げているのだろうか。ユリウスは言葉を選んでいるのか少し躊躇っていたが、やがて意を決したように言った。
    「…君達は我々の見栄や保身に付き合う必要は無いんだ」
    ユリウスはその先を言葉にする事には怖気付いたようだったが、ロロは彼の主張を理解した。要するに、結局クロを含めてロロ達はこのパーティで起こる恐れのある問題には関係無いのだから、巻き込むのも跋が悪いと言いたいのだろう。幼い少女など特に彼らの都合で危機に瀕させるのは偲びなさを感じるらしい。極めて一般的で、良識的な感覚だ。もう少し皮肉めいたことを言われるかと身構えていたロロは密かに脱力する。
    「お気遣いありがとうございます。しかし、貴方の危惧するような出来事が起こればそれこそ俺達の仕事ですから」
    どの道怪物が出た時点で誰かしらは動かなければいけないのだ。本当にそれが起こったとしても、対処に慣れているロロ達が居る方が役に立つ。ユリウスに限らず、異能者の戦闘を直接目にした事の無いような人間は多い。自分と同じ形をしたものが怪物と渡り合っている場面が想像出来ないのも仕方がない。映像越しに見ていても、直接話して人間だと認識して仕舞えば俄には信じ難いのだろう。
    「呉々も気を付けてくれ。…頼む」
    ロロの返答にも自分が考えを変えられる事は無いと理解したようで、ユリウスは納得した素振りでそう言った。ユリウスはそのまま軽い会釈をして、直ぐに周囲の歓談の輪に紛れ込んでしまった。
    「兄貴も回りくどい性格してるよなあ」
    頭を下げてユリウスを見送ったクロは、彼の姿が見えなくなった後で呟いた。矢張りユリウスの方が兄だったらしい。
    「俺の事まだ人間だと思いたいんだろうな。縁切れてても弟が怪物じゃあ怖いんだろ」
    クロは軽い雑談のような調子で嘯いた。楽観的を通り越して乾きを覚えるその発言は、クロ自身の思考が滲んでいる。
    「お前の家は複雑が過ぎる」
    ロロが遠い目をして言うと、クロは笑って肯定した。今に始まった話ではないが、心底割り切ることが上手い男だと思う。
    来客も話題も一段落して、ロロはようやく一息ついて会場内を眺める。ソラとモノをすっかり見失ってしまったので探してみようと思い立った途端、人混みの中から見慣れた金髪が現れた。歓談に興じる人々の間を縫ってきたソラに手を引かれたモノも続けて姿を現す。
    「ロロ!やっと戻れたよ、人が沢山増えてて大変だったんだ。あっちにすごく美味しい料理があったよ、モノが選んでくれて…ロロはまだ何も食べてないよね?取りに行こうよ」
    「ん?ああ、そういやそうだな…」
    ソラの言葉に、ロロは確かに自分がまだ何も口にしていないことを思い出す。そもそも今日の食事はクロの誘い文句にあった訳で、実際ロロが普段目にすることのない料理は多いだろう。クロやユリウスの懸念を踏まえても、今の内にソラの誘いに乗った方が良さそうだ。
    「じゃあ、案内頼む」
    「うん、任せて!」
    ソラが差し出す手を取った刹那、ふとクロとモノを二人で置いていく羽目になる事に気付いて振り返るが、クロに小さく手を振られて今日の様子を見る限り暴れる事は無いだろうと自身に言い聞かせる。ソラに導かれるまま人の波を抜けていく。
    「そういえばロロ、色んな人に話し掛けられてたね」
    目的のテーブルまで案内されてソラが指した料理を取り分けていると、ソラが思い出したように言った。先程の発言からも薄々感じ取れたが、どうやら度々ロロの様子を見ていたようだ。ソラの能力であれば多少人が多かろうが距離があろうが大した問題では無いのだろう。
    「まあな。お前は…離れてる間モノと話してたのか?」
    「ええとね…私達も一度だけ話し掛けられたかな。女の子二人だった」
    予想外の言葉に少し目を見開く。好奇心の強い人間は一定数居るものという事か。
    「何を話したんだ?」
    「さあ…よく分からなかった。えっとね、一人は私より小さかった…けど、私より大人みたいだった」
    ソラはソラでトウヤのような奇人に絡まれていたのだろうかと思ったが、ソラよりも小さいと言うのが気になった。ロロが見掛けていないだけで、案外子供もいるのかもしれない。それにしてもやけに超然とした人物像である。
    「もう一人は…背の高い女の子だった。クロよりは小さいくらいだけどね。でも、その子の方が…なんていうか、子どもみたいだった。子どもっぽい訳じゃなくて…二人が親子みたいだった」
    ソラが先程の記憶を呼び起こすように続ける。聞けば聞くほど癖の強い二人組のようだ。トウヤしかりその二人組しかり、これだけ人が集まっていると個性の濃い人物も幾人混ざるらしい。
    「それから…大きい方の子が、モノのことロロだと思ってたみたいで」
    「は?」
    突然登場した自分の名前に不意を突かれて唖然とする。何故会った事も無い人物との会話の中でロロの名前が出てきた上に誤認が生じたのだろう。
    「私もよく分からないけど…大きい方の子…メアリって呼ばれてたかな…が私の事暫く見た後に、モノに向かってあなたが66番?って聞いてたんだよ」
    「…は?」
    ロロの知らない間に、よく分からないどころか薄気味悪さすら漂う展開が生じていたらしい。話の流れでロロの名前が出たのかとも思ったが、それを先に出したのは向こうの方と言うのだから分からない。以前からロロの事を知っていた人間なのかもしれないが、生憎メアリという名に聞き覚えは無い。
    「モノも今のロロみたいな反応をして…多分あの時のモノすごく冷たい目をしてたと思うんだけど…そしたら小さい方の子が、メアリがごめんなさいね、って謝ったんだ。確かこっちはハンナって呼ばれてたと思う」
    モノの反応については想像に難くないが、確かに大人らしい対応だ。ソラが親子と表現したのも頷ける。しかし、矢張りロロの記憶には無い名前だった。
    「それでメアリの方もハンナに言われて謝って、そのまま行っちゃった」
    「それは…よく分からんな」
    「そうなんだよ」
    怪奇現象の類ではなかろうかと疑わしくなるような話だ。ロロが不審な麗人に絡まれている間にそんな事が起こっていたとは。確かによく分からない、以外の感想が浮かばない。
    「…それで、モノとは何を?」
    又聞きの奇妙な二人組についてこれ以上尋ねても仕方が無いので、ロロは話題を変えることにした。ソラがロロと別行動する事はあまり無いので、あの堅物な男と二人で何を話すのかは率直に興味がある。
    「モノ?えっとね…」
    ソラが思い返そうと視線を上げた瞬間、ぴくりとソラの動きが硬直する。コンマ数秒目を見開いて宙を見上げたソラは、咄嗟に振り返って鋭く指示を出す。
    「右斜め前、大きい人型の金属体が来る!ロロ、あと七秒くらいでそっちの壁と天井が崩れるけど少しだけ支えて!」
    事態を理解する前に、反射的に指示に従う。大きく広げた黒髪はソラが指した一帯を覆う。突然響いた少女の声と頭上を覆う髪の帳は当然ながら混乱を引き起した。
    数秒後、会場を鈍い衝撃が襲う。二度、三度何かが打ち付けられた揺れのような後、轟音と共にその壁が破られた。
    ロロの網によりそれがすぐさま会場の床を踏み砕く事は無かったが均衡が保たれたのは僅か数瞬で、壁を崩した力の勢いは加速する。
    「ハハッハハハ、なあおい待ち草臥れたぜ!」
    そこに軽快な笑い交じりの叫び声と同時に激しい金属音が響き、髪で編まれた幕を踏み抜こうとしていた力がふっと消える。ロロの押し返す力は行き場を無くし、勢いで受け止めていた瓦礫を弾き出した。
    「ロロ、皆が逃げる手伝いを!」
    「了解」
    瓦礫を弾いた網を解き、直ぐに逃げ惑うゲストやスタッフの方へ伸ばす。既に彼方此方でパニックが生じていて、大抵の人間が我先に逃げ出そうと押し合っている。お陰で怪物が現れた側は十分戦うに足るスペースが空いたが、転倒で事故を起こされては困る。人の間に薄く伸ばした髪を通し、半強制的に急拵えの退避列を形成させた。
    「落ち着いて、俺が逃がします!」
    全体に通る様に言うが、数段落ち着いた箇所はあれど大半は騒ぎが収まらない。仕方ないので特に興奮度の高い危険な箇所に手を入れて引き離していく。
    ホールの半分程が空いた頃、再び怪物が足を踏み入れた。身の丈はホールの天井近くあり、以前に交戦した怪物よりは小さいが十分に脅威的な大きさである。そしてソラが言い当てた通りその身体は金属で構成されていて、甲冑のような見目をしている。
    「脚だけは別で金属の塊が詰まってるけど中身はほとんど空洞みたい。心臓も内部の中央辺りを浮いてる…みたいな構造してる」
    ソラが怪物の設計について補足する。外殻さえ破れば撃破出来るようだ。
    避難は着々と進んでいたが、一割程好事家と野次馬精神持ちが交ざっていたようで、摘み出しても怪物退治を見物しようと戻る者が居る。
    「ロロ、少し下がれ」
    全体を観察していたモノはロロに声を掛けると、入口の二、三十歩程手前に出て徐ろに両腕を広げた。それに併せて生じた炎が床を舐め、壁を伝い、天井を走る。しかしモノが描いた線を超えて炎が広がる事は無く、火炎で作られた仕切りが生まれた。流石の野次馬も炎を越える度胸は無いようで、大人しく向こう側に留まっている。…その奥にトウヤの顔が覗いた気がしたのは気の所為だと思いたい。
    「私もアレを炙り殺してやりたい所だが…生憎今日に限っては彼奴の番だ。お前は支援に回ってやれ」
    ちらりと後方に視線を遣ったモノに応え、ロロは金属音が響く方へと戻る。
    金属音が激しさを増している理由は直ぐに分かった。クロの身体の四倍ほどある怪物とは別に、同じ形をした人間より二回り程大きいサイズが二体増えている。クロは三体の間を跳び回り一体一体を圧倒しているが、他の二体に邪魔されて仕留めるには手数が足りないようだ。
    ロロが戻った事に気がついたソラはいち早く歓声を上げ、追加の説明を行う。
    「ロロ、増えた二体は大きいのが分裂したものだから、中身はがらんどうだよ。あの大きいのを倒せば同時に止まると思う。ただ、小さい方も硬度は相当だから気を付けて」
    「ああ、分かった」
    要は本体にあたる巨像のみを撃破すれば良い訳だ。目標を把握してクロの援護に向かう。
    丁度クロは巨像の頭を上から殴り倒した所だった。派手に倒れた怪物の胸部に着地して拳を引き直すが、横から突進してきた小さい怪物に阻まれる。突進に弾き飛ばされたクロはフロアを転々と転がり、即座に地を蹴った勢いで強烈な蹴りを入れる。
    捕縛して隙を作ろうとしていたロロはその光景に違和感を覚える。クロは撥ねられる前に突進してきた怪物に気付いていたようだった。あの男の反応力であれば躱せただろうに、敢えて攻撃を受けたように思える。ソラも困惑しているが、そこまで動揺せず引き続きクロの視界外の状況を伝えている様子から推測するとこの戦闘中で数度繰り返された場面であるようだ。普段から大雑把な戦い方をする男だが、自傷的な訳では無い。
    「クロ、俺が隙を作ってやる」
    ロロの声に反応して真顔で視線を寄越したクロは、再び起き上がった巨像の踏み付けを避けながらにやりと口角を吊り上げて返事を返した。
    「ハ、リョーカイ!」
    三体それぞれに向けて放たれた髪の束は、接触寸前に大きく広がり更に細かく分かれる。無数の糸と化したそれは甲冑の接合部から入り込み、内外共に縛り上げた。分割しただけ拘束力は落ちるが、内側に入り込ませた分直ぐに引き千切られることはない。
    「名残惜しいがもう終わりだってよ、じゃあな!」
    棒立ちで捕縛されてギチギチと不快な音を立てている巨像の胸元に向かってクロが跳躍する。負傷を感じさせない跳躍の勢いは、鮮烈な一撃を叩き込む。胸部の装甲を凹ませたクロは、流れるように連続で踵を落として身体を突き破り、再度内部に向かって跳躍した。
    そこから数秒しない内に、分裂体が力を失ったように崩れる。続いて巨像が倒れた。衝突の弾みにその頭部が外れ、空いた穴からクロが跳び出てきた。
    「退治完了、っと。いやー、助かったぜロロ、嬢ちゃん」
    クロは全身に自身のものと思われる血を浴びていたが、外傷の殆どは既に塞がっているようだった。ソラが下手に口を挟まなかったのも、この治癒力の所為だろう。
    後ろではモノが既に指示を出して回収隊を呼ばせていたらしく、炎の衝立の向こう側に居た好事家達は追い出され、作業員らしき面々が待機していた。事が済んだのを確認したモノが指を鳴らして衝立を消すと、彼らが互いに指示を出し合って引き取り準備を始めた。こうなればロロ達にもうやる事は無いので、大人しく会場外に引き上げた。
    会場の外はパニックこそ多少は収まっていたが、それでも酷い騒ぎようだった。既に帰ってしまったゲストも多いようで、パーティの最中よりは目に見えて人数が少ない。ロロ達が出て来た瞬間騒ぎ声が一瞬途絶えるが、直ぐに余計煩くなる。中にはモノに服を焦がされたと訴える声も聞こえるのだが、モノは素知らぬ顔をしている。恐らく無理に越えようとした者には灸を据えたのだろうが、他に手段は無かったのだろうか…あの人数に対応していれば容赦していられないのも仕方は無いのだが、それにしても。
    人々の騒ぐ内容はまるで一貫性が無いが、ロロ達が一歩進むと一歩下がることは例えモノに文句を垂れている度胸知らず達でさえも共通していた。自分と同じ形をしたものが明らかに自分に危害を加えることが可能な強大な力を持っている場面を目にしたら、この反応も無理はない。慣れてはいる。寧ろ集られても煩わしいので有難いくらいだ。
    ロロはソラを連れて人混みを抜け出したが、その前に依頼人の男がクロの元へ走ってくるのを視界の端で捉えた。どうせ直ぐに終わる話だろうと高を括り、少し離れた所で待つ事にした。

    「旦那様、脅威は排除致しました。もう危険は無いですよ」
    青ざめた顔で駆け寄ってくる父に、貼り付けた笑顔で先に話し掛ける。ロロ達をあまり待たせたくは無いし、クロ自身もなるべく早く帰りたいのであまり話を長引かせたくはない。モノはクロが父に止められているのを見て何故か律儀に立ち止まっている。
    「も、もう…大丈夫なんだな…?」
    吃り声で判りきった事を確認する父に頷いてみせるが、その顔に安堵が浮かぶ様子は無い。原因は明白で、クロ自身がそう仕向けたようなものだが。クロの身体を流れる血は既に変異して、その名の通り黒色に染まり切っている。人智を超えた怪力を振り回し、黒い血を全身に浴びて平然と笑う男はさぞ薄気味悪いことだろう。態々駆け寄っただけこの小心者は気を振り絞ったものだ。
    「誓って、万事、貴方が気にする事は何も。お気遣いも不要です、何せ」
    化け物に罪悪感を覚える必要は無いのだ。せめて言い訳の後押しをやろう。
    「見ての通り、この身に人の血はもう流れちゃいないんですよ、旦那様」
    もうアンタと同じ血は流れちゃいない。クロの意思が伝わったかは知らないが、父は報酬の話や社交辞令を二言三言述べてそそくさと去っていった。きっと今夜翌夜あたりは血塗れのクロの姿を夢に見て、それからクロの事を忘れていくだろう。そう思うと、幾らか清々しい気分だ。
    「手紙の話は良いのか」
    傍観していたモノがぼそりと言う。そういえば兄が言っていた、父が今回クロを切っ掛けになった手紙という代物について尋ねようとしていたのをすっかり失念していた。同時にモノがこの場に残っているのが不思議だったが、それも腑に落ちた。
    「あー、忘れてた。お前今から追い掛けるか?」
    折角追い払ったのにまた此方から追ってやるのは嫌だ。気になるなら行けばどうだ、と提案するが、モノは首を横に振った。
    「いや、どうせ大した話は聞き出せんだろう」
    身も蓋も信用もないが、クロも概ね同意である。
    「珍しく気が合うな、俺もそう思う。ロロ達待たせてるしさっさと抜けようぜ」
    「…ああ、そうだな」
    モノの返事に間があったので、まだ何か気にしているのかと振り返る。
    「何見て…ああ」
    モノの視線を追って、群衆の中にまだ此方を見ている男を見付ける。色素の薄い白金の髪は、人の群れでも目立ちやすい。
    「先行ってろ」
    モノにそう告げて、クロはずかずかとその男の元へ向かう。モノはもう此処に用は無いようで、軽く頷いて出て行った。クロが近づく度に波が割れるように道が開いて、愈々退がらなかった兄が浮き出るように残った。
    「若旦那様、ご無事で何より!」
    父の時よりも態とらしく貼り付けた笑顔で相対する。兄は辛うじて目を逸らすことなくクロに向き合っているが、その身体の緊張具合は見て取るように分かる。目尻を痙攣させながら兄が何かを言おうとしたが、それを遮るように大袈裟に慌ててみせる。
    「ああ、下男じみた態度は嫌なんでしたっけ。対等な態度がお望みのようなら握手でもするか?ほら」
    乾いた黒に塗れた手を差し出した。兄はぎょっと差し出された手を凝視して、数秒躊躇った後、恐る恐るその手を取ろうとする。手が触れる直前にクロが手を引っ込めると、兄に恨みがましい目で睨まれる。
    「…クロード」
    「冗談ですよ、兄上。汚れるじゃないですか」
    真面目で律儀な兄は物理的に汚れた手を取るのを躊躇うことすら後ろめたさがあるらしい。きっと無自覚だろうが、自身が人間であるためにクロを人間に仕立てたがるのが気に食わない。別に酷く嫌っている訳では無いが、傲慢を指摘してやるくらい良いだろう。まだ何か話そうとしていた兄を手を振って遮り、そのまま背を向ける。
    「お元気で、もう会うことも無いでしょうけど」
    騒ぎ立てる群衆の中に父と兄相手に煽り倒すクロの姿を快く感じた者など居ないだろうが、この国の民は怪物に石を投げる事を知らない。そう生きてきている。生温い非難の目を潜り、クロは今度こそ友人と合流しに向かった。

    「キミ、素晴らしい活躍だったじゃないか」
    クロとモノを待つ間に話し掛けられたロロは、露骨に嫌な顔をする。豪華の奥から見ていたのは気の所為では無かったようだ。側近の男は常に行動を共にしている訳では無いようで、付近に姿は見えない。
    「…あ、さっきロロと話してた人かな?」
    ソラは遅れてその正体に気付いたようだ。トウヤはソラに笑い掛け、目線を合わせるように膝を着いた。
    「その通り、勇敢なお嬢さん。キミの指示も実に冷静で的確だった」
    トウヤは調子の良い言葉を並べ立てるが、不思議と皮肉や世辞のような雰囲気を感じられず真摯に聞こえる。少なくとも、ソラは満更でもないようだ。
    「ふふ、ありがとう」
    「礼を言うのはワタシの方さ、危機から救ってくれて有難う」
    トウヤの顔付きのお陰で、ただ礼を言っているだけで御伽噺の一場面に見えてくる。ロロとしては未だに不信感の方が上回っているので、特に心を動かされる事は無い、
    「それで…ロロくんと言ったかな」
    ソラとの話を切り上げたトウヤがロロに向き直る。その目は爛々と光を宿している。…新しい玩具を見つけたような目だ。
    「キミ、一度ワタシの所へ来るといい、良い話があるんだ。何、そう時間を取らせるものでは無いからそこは安心してくれたまえ」
    トウヤはまたも一方的に主張を押付けて、ロロが何かを言う前に背を向けてしまった。そのまま人混みに消えようとしていたが、最後に一度だけ振り返って締め括るように付け足した。
    「ワタシ達はいつでもキミを歓迎するよ。それでは、また」
    完璧に整った微笑がやけにその余韻を長引かせた。トウヤの発言の内容を脳内でなぞったロロは、最初に話し掛けられた時に押し付けられた名刺の存在を思い出す。そう言えば、アレには何か…恐らく企業本部の住所が記されていた。一度来いと言うのはあの場所を指しているのだろう。
    「ロロ、あのお姉さんの話聞きに行くの?」
    ソラの質問に答えようとして、急激に違和感を覚える。
    「…何だって?」
    「だから、あのお姉さんが言ってた…ロロ?」
    …どうやら男装の麗人というのは実在するらしい。

    「もう、結局66番のヤツ全然戦わなかったじゃない!」
    「あらメアリ、そんな事は無いわ。彼もじゅうぶん役立っていたでしょう」
    二人の女性が何処かの廊下を並んで歩いている。背の高い女性は、真っ直ぐに伸びた赤髪を揺らしながら全身で不服を訴えている。育ちの良い少女のような外見をした紫髪の小柄な女性は、メアリと呼んだ相手を窘めて穏やかに諭す。
    「でもあいつ、自分で倒せたのにわざわざ人に譲ってたでしょ?せっかく私たちが見に来てたのに!」
    「ええ、確かに彼一人で居たならあのまま核を捩じ切っていたでしょうね。でも、今日はそれが出来る方だと分かっただけでも良いのよ」
    「そう?…まあ、ハンナが良かったならなんでも良いか」
    66番の番号が与えられたあの男が他人を立てたのは、恐らく性分だろう。しかし、戦績を見た限り他人が居なければ自ら手を下す決断は行うことは可能だと考えられる。それなら問題は無い。
    既に話題は他愛無い雑談に替わり、ハンナは先程の不機嫌は何処へやら楽しげなメアリを微笑ましく眺めながら、報告書に記す内容を脳内で綴り始める。
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