Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    オレオクラッシャー

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 9

    #ヒーローズ・シンドローム
    3話 英雄曰く

    英雄曰く「………」
    ソラを駅まで送り届けたロロは、せかせかとリビングルームを歩き回っていた。数分おきに視線を送るカレンダーの赤丸は今日の日付を指している。時折椅子に掛けることもあるが、一分も経たないうちにまた立ち上がって彷徨うろついている。
    「そんなにあの嬢ちゃんが心配か?」
    三秒と落ち着く気配の無いロロに、いつの間にか起き出していたクロが茶々を入れる。たかが少女ひとりにこうも心を乱されているロロが相当可笑しいようで、これ見よがしににやけ面を浮かべている。
    「五月蝿い」
    ロロはロロで揶揄われたのが相当不愉快だったのか、不機嫌を隠す様子も無く苛苛した声でクロに当たる。
    「それにしても、」
    いつの間にか起き出したついでに人の家の戸棚から拝借して淹れた珈琲を優雅に啜っているモノが口を開いた。
    「お前がそう他人に入れ込むとは、珍しいこともあるものだな。それもあんな少女に」
    「五月蝿えって」
    モノとしては揶揄したつもりでは無かったが、気が立っているロロにとっては注がれた油だったらしい。
    「…別に、偶々だ」
    しかし、その直後に少しだけ理性を働かせて素っ気の無い返答を和らげた。それからまた気紛らわしにふらふらと部屋を徘徊して、やがてやけに高い位置に設置されている壁掛け棚に手を伸ばすと1冊の古びた本を手に取った。
    「まだ変わってないんだな、そのクセ」
    クロの指摘の通り、その本を開くのは決まってロロが不安事を抱えたときだった。そしてそれはクロ達と出会う前から抜けない癖なのだ。今更読み込む訳ではないが、その中身が変わっていないと確かめるように頁を捲ることが気を鎮める為のルーティンと化していた。
    クロの声を無視するように、ぱらぱらと紙を弾く。ようやく無心になりかけた所で違和に気が付き数枚頁を戻した。表紙から三分の一程開いた辺りに、メモ片が挟まれていた。ルーティンのいつも通りを崩されたロロは静かに眉を寄せる。下面に何か書かれているらしいそれを裏返すと、酷く乱雑な殴り書きでたった一言記されていた。
    『思い出せ』
    「……」
    これがロロの読み違いでなければ確かにそう書かれている。その字は本当に乱れていて、辛うじて読み取れたものの合っているのか分からない。第一、その文言には全くもって身に覚えが無い。
    流石に気を立てていたロロも当惑して、居間の二人を盗み見た。二人とも何食わぬ顔で寛いでいたが、ロロが手を止めたことに気付いてそれとなく様子を窺っているようだった。奴らの仕業か、と判断して視線を戻す。反応してやるのは癪だった。きっとこの荒い字はモノだろう、彼奴は几帳面な見た目にそぐわず字が汚い。
    何であろうと、結果的にこの紙片のおかげでロロは気を紛らわせることに成功した。多少落ち着いてきた辺りでこの悪戯にじわじわと腹が立ってきたので怒声を飛ばしてやろうかとも思ったが、彼等なりに気を遣ったのだろうと考えて気を取り直す。
    態々捨てに行く気にもならなかったのでその紙切れを裏の見返しに挟み直して、再び冒頭から頁を捲った。三度ほど最後まで辿り着いた所で、ロロはやっと今日が巡回日であったことを思い出した。
    「…昼からだったな」
    急いで詳細な記憶を手繰り、取り敢えず遅刻などという失態は犯していないことを確認して胸を撫で下ろした。ほんの一週間面倒を見た少女が気掛かりで仕事を忘れました、では笑い話にも出来ない。更に幸か不幸か、今日の同行相手はこの国で一番のヒーローだと名高い人物らしく、もし何かやらかしていればタダでは済まないことは見えている。
    唯でさえ患者と言う名の怪物予備軍だと言うのに、怪物退治に足手纏いにでもなれば特殊任務という名目で死地に放り込まれる恐れは十分にある。まあ普段の怪物相手でも命の危機とは隣合わせであるが…つくづく異能者の命は安いもので、実に無慈悲で合理的だ。
    何はともあれ新たな考え事によりひとまずの不安を隅に追いやることに成功したロロは、ようやく腰を落ち着けた。とはいえ、その「新たな考え事」も悩みの種には違いなく、眉間の皺は直らない。
    「なあ、お前等は彼奴と仕事したことあるのか」
    「彼奴?」
    「誰だ…嬢ちゃんの事か?」
    ロロの唐突な問いに、それが誰を指すのか掴めなかったモノとクロは首を傾げた。当然の反応だが、ロロとしてもどう呼称すべきか分からなかったのだ。異能者の居住区に態々他の異能者が派遣される事は殆ど無い為、名声の噂は届いても実際仕事を共にしなければ相手の通称を知らない程度はそう珍しい事ではない。
    「あー…いや、違う。彼奴だ、彼奴…ええと…16番だ」
    結局呼び方は定まらず、やむ無く彼の患者番号を用いる。すると二人はそれに正反対の反応を返した。モノは哀れみの目を向け、クロは興味深そうに目を光らせる。
    「俺は無いが…当たったのか、お前。災難だな」
    「無いな!興味はあるぜ、相当派手に戦うんだろ?」
    そもそも巡回ですらかなりの頻度でセットにされているこの二人に尋ねたのが悪かった可能性はあるが、そうある事では無いのだろう。クロのように乗り気な人間が当たれば良いが、ロロのように面倒は可能な限り避けたい人間には白羽の矢だ。つくづく運が無い。…その白羽の矢のお陰で落ち着いたことは否定出来ない。
    「で、ソイツがどうした?」
    ロロの急な話題提供に、クロが当然の質問を返す。
    「今日の巡回当番で当たってな…」
    「…何だ…まあ、頑張れ」
    「ヘェ、良いじゃねえか。また話でも聞かせてくれよ」
    苦虫顔のロロに、二人はまたも正反対の反応を返した。こういう場合の思考回路はモノの方がロロに似ている。クロにはこの憂鬱は理解出来ないようで、ロロの微妙な表情に疑問を呈した。
    「そんなに嫌がる事か?あんな強いヤツと組むんなら仕事も楽に終わるんじゃねえか」
    楽観的な意見に思わず顰め面になる。確かに悪側面ばかり考えていたのでその視点は無かったが、抱えた不安は解消されず、ロロは大人しくそれを述べる。
    「…下手に荷物になってみろ、楽どころか俺の首が飛ぶ」
    ロロは至って真剣に発言したのだが、返ってきたのは冷笑だった。
    「ハ、考え過ぎだろ。そこの根暗みてえな事言うなよ」
    隣からの冷視線を無視しつつ、クロは呆れ声でロロの憂慮を一蹴する。お前が気楽なんだと反論したいのは山々だが、ロロが心配性なのは事実であり実際杞憂に終わることも多い。それを理解していても思案を止められないから心配性と言うのだが、指摘されると受け入れざるを得ない。
    「…それもそうだな」
    結果、不本意ながら図星を突かれたロロは目を逸らしつつ肯定する。すると何を勘違いしたのかクロ、そして傍らで遣り取りを眺めていたモノは俄に焦った様子を見せる。
    「別に否定したつもりは無えよ、そう拗ねんなって、な?」
    「この考え無しの戯言を気に掛ける必要は無いぞロロ、思慮深いのはお前の美点だ」
    二人はロロのしおらしさに機嫌を損ねたと捉え違ったらしく、口々にフォローを始めた。まるで子供相手に言い過ぎたような慌て方に釈然とせず、益々顔を背ける。一体この二人はロロを何だと思っているのだろうか。

    その後も二度三度茶番を挟む内に時は過ぎたものの、結局ロロは焦燥感に耐え切れず合流時刻にはまだ早い頃に指定地点へ到着した。
    「…先に見廻っとくか…」
    先に着いたところで何処かへ立寄る余裕がある訳でもなく、ただ家で持て余していた暇を持ち出してしまったことを多少後悔しつつ、他にやる事も無いので周辺地区の見廻りを始める。…まあ巡回も一般国民のミナミナサマの安全管理策としての一環なので早く始めるに越したことはないだろう。
    とはいえ今迄の経験上、一度の巡回における怪物との遭遇頻度については大抵一体出るか出ないかで、まあ偶に二匹くらいは出ることもあるという程度である。そう簡単に怪物に鉢合わせる事も無いだろう、とロロが高を括っていたのはほんの数刻だった。丁度刻限も近付いてきたので引き返そうと通りを辿る内にロロの耳はふと異音を捉えた。何かを引き摺るような音はその正体を過剰な程に示している。
    「…おいおい、幸先悪い所じゃねえぞ」
    予想外の会敵に毒突きながら、音の源を探して駆ける。街角を数度回った所で漸くそれを発見した。
    怪物は不定形の土台に白い胴体像トルソーが突き刺さったようなかたちをしていた。頭部は存在せず半端に途切れた脚から同じ質感をした粘性のある流体が生えている。その流体が蛞蝓のように這うことで前進しており、地表の塵や砂利、舗装の欠片を巻き込んでゆっくりと進む。異音は如何やらその所為らしかった。怪物はロロに気付いたようで、一度進みを止めた。
    怪物は異形であり、それは当然だ。中には身体の様々な部位が欠損しているものも多く、ロロ自身幾度も目撃し、屠っている。そもそも人間の原型が残っていない程度ザラに有る。
    しかし、その怪物の姿はロロの行動を停止させた。陶磁器のような乳白色に思考が逸る。
    そして、戦闘に際しては刹那の隙が命を奪う。ロロが怯んだその隙に、

    天から降りた閃光が、正確無比に怪物を撃ち抜いた。

    ロロに気を取られて動きを停めてしまった怪物は、真っ直ぐにその身を貫く光に為す術なく身体を砕かれる。
    「オレ、参上!きみ、危ない所だったが怪我は無いかい?」
    続いて朗々とした声と共に、男が頭上から降ってきた。唖然とするロロの前で、相当な高所から飛び降りたと思われる彼は見事な着地を決めてロロに向き直った。
    「ん?そういやきみは資料で見た顔だな、って事はきみが今日の相棒って訳だ!66番、だったよな?」
    未だに絶句しているロロに、男は矢継ぎ早に台詞を繰り出した。混乱する思考の中で、如何にか彼の正体を認識する。彼は怪物退治中継の映像放送で見たままの姿をしていた。
    赤いフルフェイスのヘルメット、風に靡くスカーフ、ライダースジャケット。赤色を纏った英雄ヒーローの具現化のようなこの男こそ、16番…最強の英雄なのであった。

    「ただいま、リク!」
    「お帰り、ソラ!元気にしていたかな?」
    ロロが16番との対面を果たした頃、ソラは降車駅で自分を出迎えた赤髪の男と抱擁を交していた。リクと呼ばれた男は満面の笑みでソラを抱き上げ、その勢いのまま一回転する。小さな花々が編み込まれた赤い三つ編みがターンに合わせてふわりと揺れた。
    「うん、リクは元気だった?そうそう、聞いてほしい話が沢山あるんだ!」
    ソラはこの歌劇じみた歓迎に動じる素振りもなく一層声を弾ませる。男は抱えていたソラを下ろし、明るく微笑んでその手を差し出した。
    「ああ、勿論だよ。だけどその前に…まずは僕たちの家へ帰ろう。帰り道で沢山聞かせてくれるかい、ソラ?」
    ソラが差し出された手を取ると、それを引いて歩き出す。一連のエスコートに周囲が違和感を覚えることが誤りだと錯覚させる程に男の態度は板に付いており、実際これは彼が幾度も繰り返してきた動作だった。
    男の名はリク・ウォーデン。ソラの養育者…つまりは父親たる人物である。リクは慣れた足取りでソラに歩調を合わせる。
    「そういえば私、こんなに家を離れたのは初めてだ。何だか不思議」
    リクに手を引かれて歩き出したソラは、ふと思い出したように言う。その事にたった今思い至ったような口振りだった。
    「そうだね。寂しくは無かったかい?」
    「うーん…」
    リクが穏やかな声で尋ねる。その言葉を受けたソラはこの一週間を思い返すように首を傾げるが、やがてゆるりと頭を振った。
    「あんまり寂しくはなかったよ。何て言えば良いのかな、とにかく…寂しいって思う暇もないくらい、あっという間だった」
    記憶を手繰り、確かめるように言う。
    「そう。僕は寂しかったんだけどな」
    空を辿るように仰ぐソラを引き戻すようにリクが表情を翳らせた。ソラは少し虚を衝かれて言葉に詰るが、すぐにリクの方へ向き直る。
    「別に、離れててもリクのこと忘れたりしないよ」
    今度はリクが目を丸くする番だった。リクはほんの一瞬驚いた顔をして、そして相好を崩した。繋いでいた手を解いて、今度はソラの頭へ伸ばす。リクの華奢な見た目とは裏腹に無骨な硬さを持つ手で撫でられたソラは、心地良さそうに目を細めた。
    「冗談だよ、ソラ。娘の成長は父親にとって何より嬉しいものだ」
    「あっ、もしかして今の意地悪でわざと言ったの?」
    破顔するリクに、今度はソラが頬を膨らませる。それから二人は顔を見合せて、堪え切れずどちらともなく吹き出した。一頻り笑い合い、二人は再び並んで歩き出す。そしてソラはこの一週間の出来事について語り始めた。

    「うん、この辺りはもう大丈夫そうだな。よーし66ロクロククン、次へ向かおうか。ところできみ、昼食はもう済ませたのかい?」
    劇的な登場の後、その勢いのままロロを連れ回してもう一体怪物を蒸発させた16番は、額を拭うような動作をしながら問い掛けた。因みに呼び方についてはロロという通称を控えめに主張したものの、どういう訳か聞き流されてしまいロロの患者番号をそのまま用いられている。
    「俺は別に...。16番...サン、は…もうお済みで?」
    尋ねられたロロはというと昼食は摂っていないのだが、極度の緊張で腹が減る感覚も無い。ただこれが誘いの前振りであるならはっきり否定する訳にもいかず、何方ともつかない曖昧な返答を返す。因みに此方も呼び方については途中で彼の通称を知ったものの(街中でユウと呼ばれていたのだが、如何やら英雄のユウ、という訳らしい。実に彼らしい名である)、その名で呼ぶことをやんわりと拒まれたのでやむを得ず彼の番号を用いている。
    「ハハ、そう畏まらなくても良いってのに。ああ、遠慮なら要らないぜ?オレからの…まあちょっとした…ゲキレイ、みたいなもんさ」
    正直本気で遠慮願いたいのだが、するなと言われればロロには抵抗出来ないのである。16番の発言を鑑みると恐らく彼は昼食を奢るつもりなのだろう。唯でさえ自分の歯切れの悪い発言が気に障っていないか一々恐縮していると言うのに、この陽気なトップヒーローはロロの胃を縮めて失くしてしまう企みでもあるのではないだろうかと思わざるを得ない。16番に悪気が無いことも細かいことを気にする性格でないのもこの短時間で十分理解したが、悲しいかな、毎度律儀に気にしてしまうのがロロの性分である。
    「いやっ…ええと…ハイ」
    「おっ、それは肯定と捉えるぞ?ああ、しかしまあ流石にあんまり悠長にやる訳にはいかないんで、手早に食える物にさせてもらうぜ」
    結局ロロは断り一つ入れられず、先導してスタスタと歩き出した16番の後に付き従う。ロロはどうも…ソラもその系統だが、距離感を踏み越えて来る人間に弱い。更に言えば立場の違いもあり(一応異能者の身分に優劣は無いものの、影響力というものは当然ながら印象上非常に大きい)、それに加えて16番は素顔が全く見えないので年齢の推測も殆ど出来ず、歳下か歳上かの判別も付かない。これら全てが合わさって、16番はロロにとって非常に対応を掴みづらい天敵のような存在と化しているのであった。
    16番がロロを連れた先は、彼の宣言通り手軽なサイズ感が特徴的なファストフードのチェーンストアだった。巡回していた間に混雑のピークは過ぎていたようで、店内の席は半分程が空いている。16番は慣れた様子で入口脇に置かれたメニュー表のリーフレットを手に取り、一部ロロに手渡して選ぶようにジェスチャーで示した。
    「リョーカイ、じゃあきみは先に席を取っててくれるかい」
    ロロが渋々メニュー表の中から比較的安価なバゲットサンドを指すと、16番はそう言ってロロを促し注文口に向かう。仕方ないのでロロは奥まった、比較的周囲に人の少ない空席を選ぶ。
    …視線が痛い。
    16番の目立つ風貌が気付かれない筈もなく、屋内に留まれば注目の的になるのは至極当然であった。その上16番がロロを席に着かせて自ら注文を引き受けた為に、「偉大なヒーロー」を使いにするあの男は何者だとロロの素性を探るように窺う視線が店中から飛ばされる。ロロは高い背丈を竦めて16番が戻るのを待った。
    「おっ、随分と奥に居たんだな。待たせて悪いね」
    やがて…ロロにとっては時でも止まったかと思わせる程の時間…の後、16番はトレーを一つ抱えてロロの待つ席へ戻って来た。
    「…いや…、…随分と囲まれて…ましたね」
    トレーの数に触れていいものか分からず、当たり障りの無さそうな感想を述べる。注文口、提供口での待ち時間、更にはロロを見つけるまでの間にも16番は勇気ある国民達に声を掛けられていたようだった。その内の大半は子供だったが。
    「まあ、アレも役割の内だ。オレ達は彼らに期待と希望を与えるべきだから」
    16番はそう言いながら、席に着いてトレーを机の真中に置いた。トレーの上にはロロが頼んだハムサンドと、ロロが頼んだ覚えの無いフレンチフライ、それから二人分のアイスティーが載せられている。16番側のアイスティーにはストローが刺さっていた。
    「セットにするとお得ですよ、なんて言われたもんでね…って事でこれはオレの、貰ってくよ」
    16番は箱からフレンチフライを摘み上げ、少しヘルメットを傾けた隙間から器用に頬張っている。黒いレザーグローブも頭を覆うヘルメットも外さないまま、フライがその下に消えていくのは何処と無くシュールな絵面だった。
    「手袋外さないならフォークとか…持って来ましょうか」
    まぶされた食塩を気にする様子も無く革手袋のまま掴む様子を見兼ねたロロはそう声を掛けるが、16番は首を横に振った。
    「気にしなくていい、コレに慣れてるのさ」
    すげなく断られてはそれ以上介入する余地も無く、ロロは諦めて殆ど味のしないハムサンドをもそもそと齧る。少しの間そうしていたが、いつの間にか16番の箱の中身が無くなる寸前になっている事に気付いたロロは慌てて残りのバゲットをアイスティーで流し込んだ。
    そう慌てなくてもと笑う16番と共に退店し再び彼の先導に従うと、最初に出会った付近のエリアに辿り着いた。
    「さて。きみ、自動二輪に乗ったことは?」
    そこに突如姿を現した赤く輝く自動二輪車に、ロロは軽く絶句する。乗るどころか、こうも近くで実物を見たのは初めてだった。この国において四駆自動車でも所有に許可が必要である為そう頻繁に見掛ける代物では無く、二輪の所有にはより面倒な条件が課されていた筈だ。
    「おっと、どうやら無さそうだな?まあいいや、オレの後ろに乗るといい」
    16番は発進機構を起動させながらロロに後部シートに座るように促した。既に跨っている16番の後ろにぎこちなく乗り込み、指示されるまま座席横に沿うように伸びているグリップを握った。ロロの準備が凡そ整ったのを確認すると、16番は少し悪戯めいた声で言う。
    「しっかり捕まってろよ、66クン。少し飛ばすぜ」

    「随分良い経験になったみたいだね、ソラ」
    帰り道の間話し続け、彼らの家…本来のソラの自宅に到着して尚続いたソラの話が一段落し、それに穏やかな相槌を打っていたリクは微笑んでソラの冒険譚を締め括った。一頻り話し終えたソラは満足気な顔で首肯する。
    「うん、すごく。行く前はロロの名前と能力くらいしか聞いてなかったけど、思ってたよりずっと…良いひとだった」
    話の途中でリクが入れたホットミルクのマグカップを両手で包み、ソラは出立前を懐かしむような声で言う。しかしマグカップを口に運んだ後、慌てて思い出したように付け加えた。
    「あっでも、無茶するのは良くないけどね」
    付け足された一言にリクが感心の声を挙げる。
    「教えを良く覚えているようで何より。僕の弟子はさすが優秀だ」
    「また揶揄ってるの?先生」
    それをソラに何度も教え込んだのは他でもないリクである。ソラにとっては覚えていて当然だったことを褒めるのは少し態とらしく感じた。ソラは先程も揶揄われたのを気にしているようで、頬を膨らませて警戒する。しかし、リクは至って落ち着き払った口調で返した。
    「いいや、本心だよ。それを知っていることと、それを実際に大事にすることは違うのさ」
    リクの諭すような言葉にソラは一応は納得したような返事をする。そう言われても尚、ソラにとってそれが当たり前であることは変わらなかった。リクは時折、物事を素直かつ真摯に受け取るソラの感覚では分からないことを言う。知っている事を大事にするのは道理だろうに。
    「それにしても、相当にロロくんの事が気に入ったんだね」
    リクが話を一つ前に戻した。生き生きとこの一週間の同居人の話をするソラの様子が微笑ましかったようで、にこにこと笑っている。直接的な指摘に照れることもなく、ソラは身を乗り出して頷いた。
    「勿論だよ!優しかったし、真面目で強かった。何よりちゃんと協力できた。私達なら、きっと強くなれる」
    語る声には熱が籠っていた。
    「それじゃあ、今後も彼の所へ?」
    リクの質問にも続いて首肯を返す。初めの一週間は、派遣先の相手とソラの相性を確かめる試験期間だった。つまり相手が悪ければまた別の相手と組むことになっていたのだが、ソラにとっては最初から大当たりを引いたという事らしい。これはリクにとっても少々意外ではあったが、悪いことではないだろう。
    「次はいつ頃に向かうんだい?今日は泊まっていくだろうけど」
    空になったマグカップをシンクに運んで片付けながら、リクは軽い気持ちで尋ねる。
    「えっ」
    リクの何気ない質問に、ソラはびくりと動きを止めた。リクがその反応に疑問を呈する前に、ソラが恐る恐る口を開く。
    「私、ロロに今日中には戻るよって言っちゃった…」
    「おっと」
    ソラの返答に意表を突かれ、リクも数秒思考を巡らせた。初めての長期外泊で、久々に帰る自宅で、その上でその日の内に一時的だった同居人の元へ戻ると言うのである。リクが感じた以上にソラはその同居人を気に入っていたようだ。流石のリクも度肝を抜かれるような親離れの速度に衝撃を覚えながら、次の言葉の正解を探す。
    「夕飯とお風呂は…此処で済ませるかな?」
    リクは一先ず、今日の予定を整理するべきだろうと判断してそう尋ねた。
    「うん、そのつもりだよ」
    動揺を精神力で抑え込んで平常を保って見せたリクに、ソラも落ち着きを取り戻して答える。その調子で会話を続けながら思案を続けていたリクは、ふと湧き上がった考えに思わず口を滑らせた。
    「…僕もそのロロくんに一度会ってみたいな」
    ぽつりと呟いたリクに、ソラは目を輝かせた。
    「良いと思う!私も是非二人に会ってほしいな」
    リクの心境など知る由もないソラは無邪気に喜んでいる。ソラの言葉には答えず、代わりにリクは無言でにこりと微笑んだ。

    「…っぐし!」
    「おっと、大丈夫か?誰かがきみの噂してるのかもな」
    16番の爆速運転を2回繰り返した後、都市部まで出てきたロロはふと寒気を覚えてくしゃみを漏らした。16番が軽口を叩くが、もしロロが噂されているとすればその噂の原因は軽口を叩いた張本人ではないだろうか。
    最初の命を刈り取られるかと思った運転の後に辿り着いたエリアでも、16番は危うくそこそこの被害を出しかけていた怪物を即座に仕留めてその場の混乱を収めると、再度自動二輪車に跨った。その時のロロの行動と言えば怪我人の対応と一度16番の足場を作った程度である。手助けなどしなくてもそう変わらない時間で打ち倒していた気もするが、何も出来ない罪悪感が鬱陶しかった。今の所は脚を引っ張る事態にはなっていない筈だと思いたい。
    「そう言えば16番…サン、は…敵を見つけるのがやけに早いが、経験上の勘の類なのか…ですか」
    16番はロロの下手な敬語にも慣れてしまったようで、一々茶化すことを止め平然と会話を成り立たせる方向の返答に移行していた。ロロの疑問の回答は直ぐに返ってきた。
    「なに、大層なことじゃない。オレは人より少しばかり目が良くてね」
    「…はあ」
    何処かで聞いたような台詞に既視感を覚える。既視感の元の方は耳だったが。という事は16番の異能もその類なのだろうかと思い掛けたが、三度怪物を貫いた光線の存在を思い出して自問を否定した。彼の異能はどう考えても光線の方だ。異能で無いならば、或いは英雄症候群の症状である身体変異の副産物だろうか。まあ何方でもロロに身に付けられる感覚では無いのだろうということを理解し、それ以上の追及を止めた。
    「それじゃあ、次はオレの方から尋ねよう」
    ロロの返事を納得と捉えた16番は唐突に言う。予想していなかった流れにロロが身構えるが、16番はそれを気にする様子も無くその問いを提起した。
    「きみは、大事にしているものはあるかい」
    「…大事に、とは」
    抽象的な質問の意図を掴み損ねて眉根を寄せる。何において、の話だろうか…常識的に考えれば怪物退治の話かと思われるが、それにしたって要領を得ない。具体物なのか、信念なのか…或いは人物であるのか。
    「人でも物でも、考え方でも。何だっていいさ」
    16番は困惑するロロに調子を変えることなく補足した。そう広い話をされては益々答えを考えにくい。話の着地点が見えず、ロロは余計に混乱する。16番は更に続けた。
    「何だっていいんだ。例えば、きみは普段の生活で何を願う?あの怪物達と対峙して考えることは何だ?成る可く駆り出されることなく平穏な暮らしをしたいとか、派手な活躍で名声を得たいとか、ピンチの子を間一髪で助けてキャーキャー言われたい!だとか」
    やたら俗っぽい例を指折り数えて羅列する16番は、そこで一度言葉を止めてロロの方へ振り向いた。例示を見るに、綺麗事を求めている訳では無いらしかった。
    「考えた事が無かった…です。俺はただ、その時を過しているだけで」
    16番が挙げた平穏な暮らしというのは、確かに自分に当て嵌っているようにも思えた。ロロは面倒事が苦手だ。出来る事なら関わりたくない。…ただ、それだけならきっと今此処には居ない。関わった事に背を向けられる程器用では無いし、そうなり切れはしないのだ。
    ロロの微妙に返答になっていないような答えを受けて16番はからからと笑った。
    「思ってはいたがきみ、相当真面目に考えるタイプだな!良いと思うぜ」
    揶揄っているのか心から言っているのか判別のつきにくい台詞でロロを肯定した16番は、満足気に頷いた。何に満足したのかは分からないが、この返答でも良かったらしい。
    「…16番サンは、何かある…んです、か。そういうの」
    釈然としないロロは、聞いた方は如何なんだと同じ質問を返した。
    「そうだな。オレは、」
    16番が口を開きかけたその時、ふと何かが破壊される音が響いた。
    「じゅうろ、」
    事態認識の為16番に声を掛けようとした時には、彼は走り出した後だった。既に遥か先に見える後姿に自身の対応が出遅れたことを理解し、歯痒さに舌打ちをして後を追う。
    耳を塞ぎたくなるような破壊音は未だ続いている。

    「そう言えばソラ、君は…君達なら、強くなれると言っていたね」
    風呂場の準備を整えて居間に戻ったリクが、不意に先程のソラの発言を引用した。リクはキョトンとするソラを見ながら言葉を続けた。
    「君にとって、強くなるとは何だ?」
    リクの真摯な声に、ソラは暫く考え込んで答える。
    「…敵を倒せること…誰かが怪我をする前に倒せるようになること?」
    ソラは述べながらも自らのイメージを掴むのが難しいようで、後半部分を付け足しながら首を捻った。自分の言葉がしっくりこないソラは唸り声を出して机に突っ伏した。その様子を眺めていたリクは、静けさを湛えたまま口を開いた。
    「質問を変えようか。君が強くなろうとするのは何故?」
    次の質問はソラにとって明快だった。
    「皆を救けたいから」
    殆ど間を空けずに答えを返すと、リクは満足気に頷いた。
    「それを知っているのなら、今は及第点だ」
    合格点には遠いらしいが、不合格ではないようだ。突然の抜き打ち試験に納得のいかないソラはつんとした声で言う。
    「それを私に教えたのもあなただよ」
    「もう僕の受け売りじゃない事くらい、様子を見れば分かるよ」
    ソラの慣れない皮肉にも堪える素振りひとつなく、涼し気な顔で返答する。リクは悔しげなソラに言い渡した。
    「残りは宿題にしよう。僕はそれまで君の答えを待っているよ」
    ソラは腑に落ちないままじとりとリクに視線を送る。リクは気にも留めず席をたとうとしていたが、何かを思い出したようでもう一度ソラに向き直った。
    「ソラ。君は聞きたいものを聞くことが出来る。それを忘れないで」
    「…?」
    ソラは疑問符を浮かべるが、リクは既に「先生」から優しい父親の顔に戻っていた。言外にこの話は終わりだと告げたリクは、穏やかにソラを促した。
    「僕は夕飯の支度をしておくから、その間にお風呂を済ませてしまうといい。さあ、行ってきなさい」

    破壊を引き起こしている怪物は移動を続けているらしく、通りの風景に瓦礫が現れ始めてもその姿は確認出来なかった。16番との距離も開くばかりで遂には見失ってしまい、ロロは息を切らしながら基礎身体能力の差を思い知っていた。
    既に周辺住民の避難は始まっていたが、怪物は突如出現したらしくパニックを引き起こしていた。通りに面した側が多少崩れた建物類で怪我を負った住民が居ないか、ロロは救助を求める声を聞き分ける為に耳を澄ませながら避難する人々の流れに逆走する。
    その時、今迄よりも明瞭な爆発音が明らかに上空の方角から聞こえた。思わず視線を上げると、二時の方向に立ち並ぶ建造物の隙間からようやく怪物の姿を確認することに成功した。
    怪物はデフォルメされた子供用のピエロの玩具のような見た目をしていた。(距離があるので目測だが)恐らく人間…大人よりは少し小さいように見える…サイズで、腰の少し上辺りからこれもデフォルメされた天使の羽のような翼が生えている。その表情…顔パーツと形容すべきかもしれないが…は本物の玩具のように固定されており、更には翼を使って飛び回っているものの翼に吊られているという表現が頭を過ぎるほどその身体はだらんと垂れていて生気がない。身体はぎこちなく動いてはいるものの、本体が翼を動かしているという正常な認識とは全くちぐはぐな印象を受けた。
    アレの姿をしっかり認識してしまった子供は…中には大人も居るかもしれないが…暫くのトラウマになるだろうな、と薄暗さを感じながら目視できた方向へ急ぐ。16番は既に到着しているようで、ピエロ人形を狙う光線が空に向けて飛び交っているのが見えた。
    ロロは瓦礫の下敷きにでもなった住民が居るならば見付けやすいかと陸路を走っていたが、どうやらその類は16番が道すがらに可能な限り瓦礫を砕いて行ったらしく怪我した部位を引き摺ってはいるが救助済みという場合が殆どで、残りは既に救助中の人員で問題ないだろうと判断できる場合で全てだった。16番の判断力に舌を巻く。怪我具合が痛ましい人間は幾らか居たが、その先は救護隊員の仕事でありロロに出来る事は無い。
    それならば態々道を辿る必要も無いだろうと民家の上に飛び乗ろうとした時、不意に阿鼻叫喚の中でひとつの子供の泣き声がやけに鮮明に聞こえた。
    「何処に、」
    即座に辺りを見回すと、怪物が通りを曲ったと思われる破壊の跡の少し先に瓦礫から頭と腕のみを出している幼い子供が居た。泣き叫ぶ体力も無いようで、気力を絞り出したような弱々しい啜り泣きの声が流れている。
    「今助ける!」
    直ぐに駆け寄って声を掛ける。子供は額が切れているのか顔に血が流れており、そのせいで右目を開けられないようだった。今にも途切れそうな声を出していた子供は蒼い瞳でロロの声の方向をぼんやりと探る。駆け付けたロロの姿を認識した子供は、差し伸べられたロロの手を見て気力が切れたのかどうにか開けていた左目をゆっくりと閉じた。
    「…すぐに出してやるから」
    子供に触れようとすると、一瞬青い火花が走った。予期していなかった軽い痛みに一度手を引っ込めて、再び触れる。今度は何事も起きなかった。
    気絶した子供に語り掛け、能力を駆使して瓦礫を退かした。不意の痛みに子供がまだ幼く身体が小さかったため、最小限の瓦礫を浮かすのみで引き摺り出せたのは幸いだったかもしれない。そしてもうひとつ幸いなことに、子供は直ぐに処置を受ければ命に関わるような状態では無いようだ。
    ロロは子供を抱えながら、彼が埋まっていた瓦礫の方を見た。正確にはその下を想起した。
    「…済まない。間に合わなかった」
    瓦礫を少し浮かした時、引っ張り出した子供の胴の辺りに女の手が伸びているのが見えた。既に血の流れは止まっていた。ロロは顔を伺うことも出来ない彼女に一つ礼をして、子供を近くの救護隊員に預け、再び戦闘音の方向へ向かう。
    ロロがようやく辿り着いた時にも上空の爆発音は絶えず続いていた。16番は流石に空中を自在に移動する能力は持ち合わせていないようで、近辺の高い建物の屋上から屋上へと跳び移りながら光線を放っていた。16番が梃子摺っているもう一つの理由も明白だった。
    怪物は飛び回りながら頭部程の大きさをしたカラフルな球体を生成していた。無造作に落とされた球体は地上に接近する前に全て光線に貫かれ、爆発した。飛び回る怪物は球体を生成し続け、16番はそれを寸分の狂いなく撃ち落とし続けている。時折本体に向けて光線が放たれるが致命傷に至ってはいないらしい。怪物の頭は割れて翼は所々が焦げ風穴を空けていたが、爆弾投下の手は止まらない。
    「16番サン、俺が捕まえます」
    ロロの異能なら…この高さなら届く。ロロは16番の傍まで跳ぶと、端的に報せた。16番はロロの意図を即座に理解して頷いた。
    「悪いね、頼む!後はオレに任せてくれ!」
    こんな時でも英雄は明朗な声だった。ロロが駆け付けるこの瞬間まで、空を飛び回る怪物から次々と生み出される爆弾を正確に撃ち落とし続けて尚疲弊する様子は見られず、内心で感嘆する。16番の返事を受け、ロロは高楼の屋上から怪物に向かって跳んだ。
    ロロの黒髪が空を覆うように広がる。落下の浮遊感の中、夜を作るように伸びた髪は怪物を中心に捉え、一束に収縮する。自在に飛び回っていた怪物も全方向を囲う網からは逃れられずに捕縛される。怪物は直ぐに生成した爆弾で抜け出そうとしたが、隙はその刹那で充分だ。
    眩い閃光が精密に人形の胸部を貫いて、人形は重力に従い始めた。
    当然人形に掴まっていたロロも落下する羽目になったのだが、適当な所に掴まって下りようとしていたロロは跳んできた16番に横から抱えられて別の屋上に着地した。
    「良いサポートだったぜ66クン!」
    ロロを姫抱きにしたまま16番が清々しい声で言う。16番の方が小柄であるにも関わらず、長身のロロをものともせず抱えていることにロロの脳が混乱を起こす。身体能力を思えば当然それくらいは出来るだろうが、だからといって180越えの成人済みの野郎をこうも爽やかに抱えることがあるだろうか。
    「あの…下ろして…」
    ロロには蚊の鳴くような声でそう懇願することしか出来なかった。これが地上でなくて良かったと思うばかりだが、ロロの記憶に残っている限り恥辱は恥辱なのである。16番は請われた通りロロを下ろし、改めて肩を叩いた。
    「きみ、中々良い戦い方をするじゃないか。感心したよ」
    その言葉には一切の世辞も嫌味も偽りも含まれていないようだった。ソラを思い起こさせる純粋な褒め言葉に、ロロは居た堪れない気持ちになる。16番の賞賛を聞き流しながら、ロロはトップヒーローの活躍を思い返していた。戦闘は勿論ながら、道すがらに瓦礫を破壊していく彼なりの最大限の救助にも流石に目を見張るものがある。
    そこで不意にロロはあの子供のことを思い出した。思い出してしまった。…気付いてしまった。
    「16番、サンは…救助者も見付けて判断するのが早い、です…よね」
    突然話題を変えたロロに16番の流れるような言葉が止まった。ロロが続ける前に、16番は口を開いた。ロロの言葉の続きを読んでいたようだった。
    「きみは、あの少年を助けたね?」
    心臓が妙なリズムで跳ねた。途端に高まった緊張感に鼓動が早鐘を打ち始める。
    「お前は、矢張りあの子供に気付いて、」
    取り繕った敬語を使う余裕も無く、気付いてしまった可能性を指摘した。全ての敵を屠り民を救ける最強の彼は、あの子供に気付いていて、その上で…「見捨てた」。朗らかな英雄が突如得体の知れないものに変貌した感覚に後退る。
    「そう言えば、きみの質問に答えるのがまだだったな」
    16番は怪物が現れる直前に交していた会話を戻してきた。
    「オレの大事なものは、」
    16番の声の調子はこの場に及んで尚変わらず堂々としていた。
    「彼らの…この国の人間の、未来だよ」
    その話が敢えて子供を見捨てたことにどう関係するのか分からなかった。返す言葉を見付けることが出来ないロロに16番は続けた。
    「きみはきっと、命に優劣は無いと認識しているんだろう。…間違ってはいないさ。人の命に貴賎は無い。あるべきじゃない」
    16番の声に険しさが増していく…ことはなく、それが何より理解出来ず、言語化出来ない恐ろしさを感じた。明るい声は却って感情を読み取ることが出来ない。
    「あの少年はオレ達の同類だった。きみ、気付いただろ」
    同類、という言葉に少し思考したが、すぐにそれが異能者を指していることを理解した。確かにあの火花は異能によるものだっただろう。あまり気にしていなかったが、今思えば確信が持てた。
    「それが、見捨てる理由になるのか」
    低い声で絞り出すように言う。相手が取り乱す様子は無い。
    「彼の母親は既に死んでいた。異能者の子供が独りになって、行き着く先はひとつだ」
    淡々と続けている16番の声が初めて強張った気がした。
    「66番。きみ、自分を人間だと思うかい」
    16番はロロに問い掛けた。彼の思考をようやく理解した。それを認めてしまえば、あの少女が人間であることを諦めることになる。答えに惑うロロに、16番は言う。
    「オレ達はオレ達が怪物であることを忘れてはいけないよ」
    16番はそれを信じているようだった。その言葉に悲壮を感じることは出来ない。
    「あの少年を怪物にしたのはきみであると、覚えておくといい」
    「…それでも、俺はあの時救けるべきだった」
    言い返したロロに、16番はこの日初めて意表を突かれたように固まった。ロロが無言で様子を伺っていると、やがて彼は肩を震わせた。
    「…ハハハ!なんだ、きみちゃんと持ってるじゃないか、大事なもの!それならオレが態々口を出すことはもう無いな、暗い話をして悪かったね!」
    突如元の雰囲気に戻った16番は笑いながら言う。彼の勢いに着いていくことの出来ないロロはぽかんと口を開けたが、話の折り合いは付けられたようだった。
    「…あの、」
    困惑顔で口を挟もうとしたが、16番に背を叩かれて断念する。もうこの話を続ける余地は無さそうだ。
    「さて、じゃあ退治も区切りが付いたことだし今日は解散になるな。送っていこう」
    こうなればロロに断る手段は無く、ロロは今ひとつ解せないままこの後に控えた恐怖体験に身を震わせた。

    「ロロ、ただいまー!あれ、なんか疲れてる?」
    「大したこと無えよ…ところでソラ、お前を連れてきたのってもしかして…」
    目の回るような一日を終えて日もすっかり沈んだ頃、ロロはようやくソラとの再会を果たした。飛び込んできたソラを受け止めながら、彼女の後ろへ恐る恐る視線を送る。そこには見慣れない若い赤髪の男が立っていた。
    男は腰下まである赤い髪を緩やかな三つ編みにしていて、頭に大きな花飾りを一つ身につけ、更に三つ編みにも多数の小さな花飾りを編み込んでいた。顔立ちは比較的幼いように見え、ソラより10cm程大きい程度に見える身長も相俟ってかなり歳若いように思える。澄んだ赤色に黄色が混ざった夕焼けのような瞳をしている。オーバーサイズのチュニックとデニムはカジュアルでどこかエスニックな雰囲気を醸し出していた。
    「君がロロくん、だね?娘が沢山君の話を聞かせてくれたんだ」
    ロロの視線を受けた男は此方に歩み寄り、片手を差し出した。娘という単語に関係性を把握しつつ握手に応じる。何か下手な事は言われていないだろうかと背筋に嫌な汗が伝うのを感じる。
    「ええと…上手くやっているつもり、です…ので…」
    目の前の青年…に見える男がソラの父親であるということを理解し、再び今日の内に何度感じたか分からない緊張感が込上げる。ソラの父はにこりと笑って握った手を振った。
    「うん、聞いているよ。ああそうだ、申し遅れたね。僕はリク。ソラの父だよ。是非僕とも仲良くしてくれると嬉しいな」
    「は、はあ…はい」
    底の読めない笑顔に気圧されながら頷く。様子のおかしいロロに流石のソラも指摘する気になったようだった。
    「ロロ、そんなに緊張しなくていいのに」
    「お前の親父さんだろ、こっちはお前を預かってんだから…」
    口を挟んだソラにいつもの調子で返答し、慌てて口を噤む。親子はその可笑しさに耐え切れなかったようで同時に吹き出した。恥を晒し続けているロロはただ時が過ぎてくれと願うより無かった。
    そんなこんなで漸く真に緊張状態から開放されたロロは、駅からの道をソラと二人で辿っていた。やっと休息できると安心したのも束の間で、自宅が近付くにつれて嫌な予感が膨らむ。何か忘れている気がする。ソラが足取りの重くなったロロを不思議そうに見上げたが、ロロの眉間の皺は深まる一方だった。
    自宅に到着し、扉を開けたロロは、即座に自身の予感が的中していたことを知った。
    「だからテメェはいつもいつも小煩えんだよ猿のお仲間か!?それなら仕方無ェな入院させた暁には見舞いにバナナでも持ってってやるよ!まあ入院で済むかは知らねえがな!」
    「貴様が軽頭なんだこの猿以下蛮族男!その可哀想な頭の火葬はしてやるから安心するといい、経費要らずで良かったなこの類人猿のなり損ないめが!」
    飛び込んできた喧騒と壮絶な物音は、居間まで向かわずともその惨状を示していた。驚いて目をぱちくりとさせたソラに玄関で待つように告げると、ロロは無言で廊下を突き進んだ。
    「…お前ら………」
    地獄の底から鳴り響くようなロロの声に、机に足をかけて胸倉を掴み合っていたモノとクロはゆっくりと振り向いた。ロロの無言の圧に、二人は言われる前に静かに手を離して床に正座する。
    部屋は酷い有様だった。プラスチックの小物類が床に散乱し、その内の幾らかは割れている。これが嫌であまり陶器や硝子の類を購入しないというのに、それでも割るならばもう一体どうすれば良いのだろう。更に部屋一面に黒インクのような染みと粉砕された白磁のような粉が飛び散り舞っている。
    「言い訳は」
    底冷えするロロの声に二人は身を竦める。二人とも部屋に飛び散った黒い液体と白い粉末に塗れており、更にモノの左袖はやけに萎んでいてそれを認めたロロは深く溜息を吐く。
    「無い」
    「無いデス…」
    数秒後、ロロの出禁を言い渡す怒声が居間に響いた。

    「…ったく、いつものことなんだからあんなに怒らなくても良いのによー…」
    モノと揃って追い出されたクロは、ロロが聞けばまた激怒しそうな不満を垂れながら1人帰路に着いていた。
    自宅に辿り着いて扉を開け、壁面に取り付けられた電灯スイッチを手で探ろうとすると、ふと玄関タイル上に敷かれていた異物に足を滑らせた。
    「…あ?」
    危うく転倒しかけたことに苛立ちつつ、その正体に目を向ける。暗がりで見えにくいが、靴型で汚れたそれはどうやら宛名の記された封筒…手紙らしかった。怪訝な顔で拾い上げて差出人を確認する。
    「…」
    読み取った文字列を咄嗟に頭で認識することができず、一度目を離す。目頭を押さえて困惑を鎮めることに集中する。再び目を凝らす前に、今度は目視でスイッチを確認して玄関照明を点ける。灯りの下、改めて差出人の名を確かめる。
    …どうやら空目の類では無かったようだ。
    「何の用だよ、今更」
    独り呟く。二度と関わらないものだった。その筈だと思っていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works