Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    オレオクラッシャー

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 9

    #ヒーローズ・シンドローム
    二話 モノクローム・エンカウンター

    モノクローム・エンカウンター あの巨大な怪物と交戦して数日、ロロはソラがしきりに病院に行けと口煩く言うのを聞き流して自宅で休養していた。
    「ねえ、だから病院に…」
    「いい」
    幾度目か分からないその催促に素っ気無く返す。明日になればソラは一度家に帰る。その間に受診してしまおうというのがロロの考えだった。妙な意地を拗らせている自覚はあるが、出来れば構わないでほしい。
    「その体じゃ戦えないよ」
    「俺達なら何だって出来るんだろ。問題ねえよ」
    少し語気を強めるソラに対し、初めて会った時の彼女の台詞を引用して屁理屈をこねる。しかし、ソラは怯むことも目を逸らすこともなかった。
    「万全な状態、が前提の話だよ。勇敢と無謀は違う」
    ロロは軽く目を見開く。真逆その台詞をソラの口から聞くことになるとは。
    「お前、そんな事知ってたんだな」
    この少女は寧ろ言われる側だと思っていた。実際ソラと出会った直後のロロはそんな印象を抱いていた。
    「これは先生からの受け売りで…って、そうじゃなくて!」
    一瞬懐かしそうに表情を緩ませたソラは頬を膨らませる。ロロは更に「先生」について尋ねようとしたが、携帯電話…通報音に遮られた。

    「ああクソ…」
    「本当に大丈夫?」
    玄関で革靴を履きながら小声で毒づくロロをソラが心配げな顔で覗き込む。
    「あーあー、大丈夫だって言ってんだろ」
    鬱陶しいと言いたげにふいと顔を背ける。大人気無いのは百も承知、更に言えばロロ自身大丈夫とは言い難い事も自覚していたが、生憎今更強がりを取消せる程殊勝ではなかった。
    尚も何かを言おうとするソラを遮るように靴音を鳴らし、足早に家を出る。ソラは表情に不安を滲ませながらも、大人しく留守番する訳にもいかず慌ててロロの後を追った。

    件の敵は、黒い石の塊が人型をとったような見目をしていた。真黒な体が時折鈍く陽光を反射する。体が動く度に凹凸が擦れて音を立てる。
    「あれの心臓は通常位置…人間体と同じだよ」
    「分かった」
    未だに浮かない表情のまま、それでも確かに情報を伝えるソラの言葉に浅い首肯を返す。
    小手調べがてらに伸ばした髪を鞭のようにしならせて怪物を打つと、その身の表面を幾らか砕いて少し後退させたもののロロの攻撃も弾かれる。その見目の通り…というには少々脆いようだが、それでもある程度の硬度はあるらしい。
    「外殻は硬いようだけど、中身はそうでもないみたいだ。何処か一箇所でも砕けば心臓を狙えるよ」
    「…面倒だな」
    ソラの報告を聞きつつ、小さく零す。
    ロロは能力の特性上斬撃や刺突を軸に戦うが、硬い敵とは些か相性が悪い。その上先日負った怪我のせいで動く度に身体が軋むので、ロロは今更強がったことをかなり後悔していた。腕を振り上げ突撃してくる怪物に対し、一歩、二歩と退がって対応する。
    三歩目で、背に鋭い痛みが走った。地を蹴ろうとした脚が脱力する。
    「…っぐ、」
    思わず膝を着いたロロの眼前に、石腕が迫る。
    「ロ…」
    拳がロロの鼻先を掠めた瞬間、少女の叫び声を掻き消すように響いた轟音と共に、横から飛び入った黒い影に怪物が吹き飛ばされた。
    土埃の中にゆらりと人影が立上がる。ソラにはそれが怪物ではなく、如何やら人間の男らしいという事が分かった。
    間髪入れず、男の後方から延びる焔が地を駆けた。それは黒い男すら呑む勢いだったが、上空に跳んだ彼が灼炎に焼かれる事は無かった。炎は、その先に飛ばされていた怪物を襲う。
    哀れ身体を砕かれ赫炎に巻かれた怪物は暫くの間酷く軋む音と苦悶の呻きを漏らしていたが、やがて体の崩壊によって岩石の転がる音を最後に反応が絶えた。
    炎の発生源に先程の黒い人影とは別の…白衣を纏った長髪の男が立っている。男がおもむろ片腕を挙げて指を鳴らした。パチン、と乾いた音が響くと同時に燃え盛る炎が魔術のように立ち消える。
    白衣の男は辺りを一度見渡すと、ソラに歩み寄り口を開いた。
    「怪我は無いな、レディ」
    流石のソラも呆気に取られて、黙ったままその男を見上げた。男はソラを一見して怪我が見当らないのを確認し、白衣を翻してロロの方に向かう。
    展開の終始を見届け座り込むロロの前には、既に人影…最初の黒髪の男が立っていた。
    「良いザマだなァ、ロロ?…で、何があった」
    ロロをにやにやと見降ろしていた男は、直ぐにその顔に浮かぶ笑みを消す。ロロは観念したように目を瞑り、溜息を吐いた。そこに顰め面で白衣の男も合流する。
    「…全くだ。お前があの程度の敵に後れを取るとは考え難い」
    二人の眼下に置かれたロロは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
    「…選りに選ってお前等かよ」
    「よく言えたな、ソレ」
    黒髪の男が呆れ顔になる。
    「このノロマは兎も角、オレが間に合わなかったらオマエ如何なってた?」
    ノロマ呼ばわりされた白衣の男が眉間に皺を寄せる。
    「誰が鈍間だ、矢張先程灼くべきだった」
    「実際間に合ってなかっただろノロマ。てかやっぱテメェ巻き込もうとしてやがったな、殺す」
    「上等だ、返り討ちの覚悟はあるんだろうな」
    数秒前までロロを詰問する様に仁王立ちしていた二人が、忽ち一触即発の空気を漂わせて睨み合う。その隙に、口を挟めず展開を傍観していたソラがロロに声を掛けた。
    「ロロ…」
    「ん…ああ、お前は無事だな?」
    ソラがき、と睨んだ。つい閉口するロロに向かって言葉を続ける。
    「ロロ」
    「はい」
    ソラの静かな剣幕にロロは思わず膝を正す。黄金色の視線が痛い。
    「私、何回も病院に行こうって言ったよね。私は君の怪我の具合も分かるくらい耳が良いんだよ、私には隠せないからね。あの人達が助けてくれたから良かったけど、そうじゃなかったら今頃もっと酷い怪我をしてたよ」
    真逆ここまで叱られるとは想定しておらず、ロロは虚を突かれた顔のまま固まる。ソラは一度言葉を切って、少しの間沈黙した。呼吸音がやけに震えている。
    「…君はいつも私を気にかけてくれるけれど、私だって、君を心配するんだよ」
    ロロはそこで初めて、ソラが今にも泣きそうな顔をしていたことに気が付いた。
    「…わ、るかった」
    初めて見るソラの表情に動揺して、謝罪の言葉を絞り出す。
    「…失礼、レディ。この男と知り合いか?」
    いつの間にか諍いを中断し腕を組んで一連を静観していた白衣の男が、一段落したと見て口を挟んだ。先程まで白衣の男を口汚く罵倒していた黒髪の男も、気付けば此方を興味深げに眺めていた。
    「え?うん、私たちは…むぐ」
    相棒だ、と続けようとしたソラの言葉は、後ろから伸ばされたロロの髪に口を塞がれ遮られる。ロロはソラの困惑の視線には気付かぬ振りをして静かに立ち上がると、彼女に代わって白衣の男に返答した。
    「…あれだ、……親戚の子…を…預かってる」
    「自分でも苦しいと思わねェのか…?」
    苦々しい顔で誤魔化そうとするロロに、同様に途中から説教の様子を伺っていた黒髪の男が哀れみの目を向ける。
    黒髪の男はソラに近付きその口を塞いでいるロロの髪を引くと、身を屈めて目線を合わせた。
    「嬢ちゃん、コイツに嫌な事されてねェか?」
    そのまま赤い瞳を細めて心配げな表情を作り、ソラに尋ねる。ソラが何かを言う前に、再びロロが不機嫌そうな声で割り込んだ。
    「俺を何だと思ってんだ」
    「「幼女趣味ロリコン」」
    黒髪の男と白衣の男の声が揃う。ロロは頭を抱えて表情を引き攣らせた。
    「ンな訳あるか…!」
    「お前がその少女と先程顔を合わせた関係性では無いのは確からしいからな。私も真逆この歳になって友…知人の新たな面を知るとは思わなかった」
    「こればっかりはコイツにも同感だ、まさかダチ…知り合いにそんな趣味があったなんてな…。あァ、道理でオマエ同世代に靡かねェなと…」
    「違えって言ってんだろうが、距離を置くな!」
    既に臨界を迎えつつある感情を必死に押し殺して応対するロロに対し、謎の男達は飄々とした様子で揶揄っている。途切れる気配の無い応酬に置去りにされていたソラは、とうとう痺れを切らしてロロの前に割って入った。
    「ねえ、君達は一体?」
    長髪の男が片眉を上げた。
    「レディ、如何やら君を蔑ろにしていたようだ、失礼。私の名はモノ。この男…ロロの友人で、彼と同じく異能者だ」
    「コイツの事は覚えなくていいぜ、嬢ちゃん。で、オレもロロの友達、名前はクロ。よろしくな」
    モノと名乗った長髪の男は軽く会釈をし、クロと名乗った黒髪の男は親しげに笑みを浮かべて見せた。
    モノの方は薄い亜麻色の緩く波打つ髪を低い位置で結って前に垂らしており、身に纏ったフリルの付いたシャツ、皺の少ないスラックス、翡翠色の装飾がはまったループタイ、そして片眼鏡モノクルに裾の長い白衣は、どれも知的で清潔な印象を与えている。右目は深い海のような碧色で、左目に身に付けられた銀縁の片眼鏡には褐色のグラスが嵌められており、その色を伺う事は出来ない。そして左右非対称の白衣の袖は彼の左腕を指先まで覆っており、やけに不釣り合いな印象を与えている。
    対するクロの方は無造作に跳ねた黒い短髪に、泣きぼくろのある猫のような赤く大きい目を人懐こそうに細めていた。前面にプリントのあるTシャツにフードの付いたパーカーを羽織り、緩いダメージジーンズにスニーカーを身に着けている姿はモノとは対照的にラフな印象を受ける。また、両の指には黒いネイルアートが施されており、更に銀の指輪を幾つも身に付けていたが、先程怪物を殴っていたにも関わらずそれらが傷付いている様子は無い。
    「嬢ちゃん、アンタは?」
    クロがソラに尋ね返す。ソラは一度瞬きをして、に、と微笑んで答えた。
    「私はソラ。私も…」
    「…ゔ」
    異能者でロロの相棒だ、と続けようとしたソラの後ろで、ロロが呻き声を上げて膝から崩れ落ちた。
    「ロロ!?」
    いち早く振り向いたソラの叫び声を何処か遠くに聞きながら、ロロは神経を蝕む痛みに意識を預けて手放した。

    「どうして直ぐに診せに来なかったのかしら」
    醜態を晒した恥辱その他諸々に苛まれて静かに項垂れるロロを、すらりと長い脚を組んだ女医が自身のツインテールをペン先で弄びながら高圧的な声色で詰問している。
    あの後ロロは精々数十秒程で意識を取り戻したのだが、身体を起こすや否や血相を変えた三人に病院に運び込まれたのだった。失神した手前、大袈裟だと笑う事も出来なかった。
    「背骨、肋骨にひび、特に肋骨はよく折れなかったわね?更に放置のお陰で歪に接合しかけてる。さて、それでどうして放置してたって?」
    「…それは…」
    「聞こえないわ」
    歯切れ悪く吃るロロの言葉を、女医はカルテをひらひらと振りながらバッサリと切捨てた。
    「兎に角、コレに懲りたら妙な意地を張るのは止めることね。次は死んでも知らないわよ」
    女医が診療録を机に置く。
    「それじゃ、ソコに移って腕出して」
    「…ああ」
    ロロが促されるまま寝台に座り、袖を捲って腕を差し出すと、女医は慣れた手付きで注射針を打ち込んだ。
    「大人しくしていて頂戴ね」
    「…、あ、…う」
    その言葉の直後に視界が眩み、数十秒後には身体が沈むような感覚と共に、ロロは再び意識を手放した。

    「…ぐ」
    「あら、起きた?もう終わったわよ」
    次に目を覚ました時、ロロはうつ伏せで拘束されていた。手術台と思われる寝台の傍らで診療録に記入していた女医は、横目でロロに目を向けた。
    起き上がろうとしたが、拘束と体全体の脱力感により身動ぎに終わる。
    「暴れないの、点滴刺さってるんだから。今外すわ」
    呆れるように言った女医は、口輪の様に着けられていた人工呼吸器を外す。続いて点滴の針、拘束具と手際よく外していく。
    「…力が入らん」
    拘束は外されたものの全身の感覚が妙に鈍く、苦戦しながらも如何にか身体を起こした。
    「そりゃあ麻酔入れたんだもの、当然でしょう。少しすれば動けるはずよ。ただ今日一日は経過観察ね。ウチで看てあげるから、動けるようになり次第部屋を移ってね」
    その言葉の通り数分経つと本調子でこそないもののある程度身体の自由が効くようになったので、ゆっくりと注意を払いながら手術台から降りる。あれだけ我が物顔でロロを苛んでいた痛みはすっかり消えていた。
    「…相変わらず腕は良いな、ドクター」
    「腕も、の間違いでしょう?まあいいわ、動けるなら部屋を移りましょう。」
    むっと一瞬ロロを睨んだ女医は直ぐに気を取り直し、ツインテールを揺らして立ち上がった。
    「ああ、その前に」
    女医が手術室の扉を開いた。
    「お嬢さん、彼の手術は無事終わったわ」
    不安げに手を組んで長椅子に座っていたソラがぱっと顔を上げた。
    「ロロ!無事だったんだね、良かった!」
    本当に、心底安堵したような表情で飛び込んで来たソラを、ロロは若干蹌踉よろめきながらも受け止めた。それ程心配を掛けていたらしい、とロロがそこまで考えて反省に耽った直後、ソラの言葉に耳を疑う。
    「背中、その…ひらかれたりとかしてたけど本当に大丈夫なんだね、良かったぁ…。…ロロが…捌かれちゃうかと…」
    珍しく口篭った上に目を逸らすソラを見て、ロロは思わず女医に目を向けた。
    「…俺は何をされたんだ…」
    「あら、知りたいの?」
    女医は平然とした顔で腕を組んでいる。その様子に若干の恐怖を感じたロロは、軽く身震いして首を横に振った。
    「そう?まあ、別段可笑しなこともしていないわ。大体あの怪我をこの時間で治したんだから荒療治の一つや二つ仕方がないでしょう。…さて、この男はもう少し預からせて貰うけど、今日中には返すから我慢して頂戴ね」
    「っあの、」
    「どうしたのかしら?」
    ソラがツインテールを翻して病室に向おうとする女医を引き留めて、女医が怪訝そうに振り向いた。ソラは不安げに瞳を揺らして遠慮がちに尋ねる。
    「私はまた外で待たなきゃいけないかな?」
    健気な少女の切実な訴えに、女医が目を瞬いてくすりと笑う。
    「大丈夫、今度は部屋に居てもいいわよ。それじゃあ、貴女にはこの男が逃げ出さないか見張っておいて貰おうかしら」
    「うん、分かった!」
    ソラが顔を輝かせる。逃げ出すというのは流石にロロも聞き捨てならず口を開こうとするが、女医に睨まれ口を噤む。
    「行きましょうか」
    女医は微笑を浮かべると、踵を鳴らして歩き出した。
    目的の病室はそう遠くなかった。ソラと女医の視線に晒される中、ロロは大人しく寝台に横になる。まだ麻酔は抜け切ってはいないようで、いつもより身体が重い。
    その後、女医の数度目の巡回で彼女が幾つか質問するのに答えていると、廊下から二人分の足音が近付いてきた。
    「モノとクロだ」
    ソラが言った直後、病室の扉が開かれる。その言葉通り、足音の主は彼等だった。女医の姿を認めたモノが顔を顰める。
    「…うわ」
    女医がきゅうと目を細めた。
    「随分な挨拶ね、チャーリー?」
    「その呼び方は止めろ、イライザ」
    モノの眉間の皺が更に深くなる。その様子を見ていたソラが首を傾げて、ロロに目線を送る。
    「モノとドクターは元同僚だ」
    ロロが答える。モノが顰め面で続けた。
    「この女狐には何度煮え湯を飲まされた事か…」
    「ただの躾よ、貴方ワガママだったもの」
    薄笑いのまま女医が返した。そこに、にやにやと傍観していたクロが茶々を入れる。
    「あの時のオマエは見物だったなァ」
    モノが煽られるままクロを睨む。またも一触即発の雰囲気が漂う中で、ロロは呆れながらも諌めるように口を開いた。
    「それで、お前等は何しに来たんだ」
    「見舞いに決まっているだろう」
    漸く平静を取戻したモノが返す。見舞いに来て喧嘩を始める奴があるか、と更に呆れを募らせながらもこの悪友達にも見舞いの概念があったのかと密かな感動を覚える。
    「…お前は友人なんだ。ああも弱った所を見せられては、幾ら私達でも心配くらいする」
    丁度ロロの内心を見透かしたように、モノが静かに零した。
    「ロロ、オマエはオレ達がそんなにヒトデナシだと思ってたのか?」
    それを聞いたクロが愕然とした顔になる。寧ろ思われていないと思っていたのか…いや、この様子を見る限りは如何やらその通りらしい。
    「ああ、何しろ俺達はただの知人、知り合いだからな…真逆見舞われる程仲が良かったとは」
    意趣返しだ、とばかりに目を細める。二人はあからさまに動揺した様だった。
    「あ、あれは冗談に決まっているだろう、俺は先程友人だと言った筈だ!」
    「オマエそんなにアレ引き摺ってたのかよ、悪かったって!」
    何時に無く取り乱す二人にロロはくく、と口角を緩ませた。普段は無遠慮で傍若無人な二人がこうも素直だと、如何にも可笑しくて愉快だ。柄にも無く純粋な笑い声が零れる。
    「ロロ、楽しそうだね」
    思わず破顔したロロにソラが微笑んだ。ロロは直ぐに我に返って緩んだ口元を引き結び、何時もの仏頂面に戻る。
    「あら、貴方も照れる事なんてあったのね」
    「…五月蝿い」
    頬杖を着いた女医が揶揄うと、ロロは更に顔を背けた。その間にモノとクロも気を取り直したらしく、すっかり平静ぶっている。
    「それで、退院は何時いつ頃だと?」
    「今日中には、らしい」
    モノの問に女医から聞いた答えを返すと、クロが身を乗り出した。
    「なら、夜飯はオレ達で買っとくか」
    「…どういう事だ」
    嫌な予感を察知したロロが眉根を寄せて尋ねる。クロは何を今更、と言いたげな表情で首を傾げた。
    「今日泊まらせてくれねえの?」
    「何故そうなる」
    質問を質問で切返すと、話半分に耳を傾けていたモノが刹那硬直する。ロロはそれを見逃さず、呆れ顔で嘆息した。
    「…お前もか」
    「…快気祝いくらいはするだろうと」
    モノが目を逸らしたまま、後ろめたそうに小声の言い訳をする。視線だけをちらりと泳がせたロロは、一際大きい溜息を吐くと観念して両腕を小さく挙げた。
    「分かった分かった、なら鍵は渡しておくから家で待ってろ。…ただし」
    挙げた手で作った拳を寝台脇に落とし、目を細めて二人を睨む。
    「絶対に…良いか、絶ッ対だぞ、喧嘩したら俺が帰った時点で追い出すからな」
    何時に無く気迫の籠ったロロの声に、ソラは首を傾げた。何故ロロはそんなにも念を押して言うのだろうか。
    (…?)
    そこでソラは二人の返事が一向に無いことに気付く。二人の様子を窺うと、モノは顔ごと視線を右斜め下に落とし、クロは明後日の方向を向いて口笛のつもりなのか口を尖らせてひゅうひゅうと風のような音を鳴らしていた。いっそ感心する程に雑な誤魔化し方だ。
    「返事は」
    「………了解した」
    「…あーい」
    地響きのように低く押し殺された声に、2人は各々不承不承といった様子で一応の返事を返す。
    「話は決まったかしら?なら、そろそろ出て行って頂戴。貴方達が騒ぐと治るものも治らないわ」
    行く末を見守っていた女医が、話が着いたと見るや否やぐいぐいと二人の背を押して退室を促す。
    促されるままに退出する二人を見送り、ロロは漸く落ち着いたと息をつく。悪友との歓談は楽しいが、女医の言う通り静養するには丸切り向いていない。
    二人を追い出した女医が扉から顔だけ出して言う。
    「それじゃあ、私も戻るわ。次に様子を見に行くまでに異変があれば報告して頂戴ね」
    女医を見送ったソラは、寝台の傍のスツールに腰を下ろした。騒がしかった病室に一転静寂が満ちる。
    「…」
    ロロは沈黙の居た堪れなさに耐え兼ねて口を開こうとしたが、しかし適当な話題も思いつかなかったのでただ視線のみを寄越してソラの様子を窺う。当のソラには特段言及するべき素振りは無く、大人しくロロを眺めたり寝台に手を添えて宙に視線を飛ばしていたりと寛いでいる様だった。気不味さに苛まれているのはロロの方だけらしい。
    視線を向けては言葉が出せず俯いてを繰り返していると、数度目かでソラと目が合った。ソラに視線はあまり関係ないとは理解していても、つい動揺してしまう。ぎくりと分かりやすく身を竦めると、ソラの方から声が掛けられる。
    「何か焦ってる?」
    ソラはロロの不審な様子を、今後への不安によるものだと解釈したらしい。実際はそんなセンチメンタルに浸っている訳でもなく、ソラの正論説教がいつ再開するか怯えていたというだけの情けない話だったが、それを態々話して訂正するには流石にロロにもプライドがあった。
    そこでロロは、
    「…何も無えよ」
    そう呟いて、意味ありげに頬杖をついて窓の外に目を向けてみせた。…ソラの勘違いを肯定するには充分だろう。既に日は傾き、橙色を帯びている。瞳を刺すような夕日に眩んで目を伏せる。
    それにしてもこの耐え難い沈黙はどうしたものかとロロが思案を巡らせていると、不意にソラがロロの手を取った。
    「…!?」
    ぶわ、とロロの髪が宙に広がった。突如生じた温度と感触に当惑して思わず硬直するロロの手を、ソラが両手で押し包む。少女特有の温く柔い感覚に、ソラの思惑が読めないロロは指の先まで身動ぎが取れない。
    「ロロ、大丈夫だよ」
    ソラはまるで幼いこどもに語り掛ける時のような暖かい声色で、優しく励ますように言った。暫く未知の感触に動揺していたが、やがて落ち着いてくるとその小さな手に力が込められている事に気が付いた。
    (…敵わない)
    暖かく柔らかい羽布団のような態度の奥、強く揺るがない芯の臓があることを感じ取る。
    「ああ、知ってる」
    そんな事、とうの昔に。漸くソラの顔をまっすぐに見返したロロは不敵に笑う。

    退院の手続きを終え、二人は徒歩で帰路を辿っていた。
    「はァ…」
    ロロが憂鬱な溜息を漏らす。
    「まだ何か不安?」
    ロロの心中を探るように見上げてくるソラに、ロロはゆるりと首を振った。
    「ん…ああいや、不安は不安だが…お前が考えてる様な事じゃねえよ」
    そう言い切った直後、ロロは苦虫を噛み潰したような表情で付け加えた。
    「ただ…お前も不安がった方が良いかもな…」
    頭上に疑問符を浮かべるソラの横で、ロロはまた苦い顔で長く息を吐く。そして懐に手を伸ばし携帯していた煙草を手に取ろうとしたが、ソラが側に居るため思い直したのか懐に入れかけた手を下ろした。
    そんな調子で家に近付くほどにロロの表情は消えていき、辿り着く頃にはすっかり消沈していた。最早諦念の域に達しているその表情を横目に扉を開けたソラは、やっとロロの不安を理解した。
    「如何してその結論になるんだこの薄ら馬鹿、何故貴様は何時もそう阿呆なんだ!」
    「こっちのセリフだクソッタレ!お医者サマは頭が硬くて大変だなァ!?ああ辞めさせられたんだったかザマァ見ろ、人生の方も辞めさせてやるよ!!」
    「何時までその話をするんだ畜生め、今日こそ奴が帰る前に丸焼きにしてやる!!」
    「おい」
    モノの腕が灼炎に紅く輝いて、クロが拳を振りかぶった瞬間、ロロが地獄の様に底冷えする低音で割り込んだ。途端に二人は喧嘩を止め、ぎこちなく振り返る。
    「「………おかえり…」」
    「お前ら…」
    「い、いや待ってくれよロロ、オレ達さっきまでは大人しくしてたんだぜ!!」
    「嘘つけ、お前らがそんな長い間二人で放置されて大人しく出来るはずあるか」
    「いやロロ、此奴の言う通りなんだ、ほら見ろ、その証拠にまだ物一つ壊していないし部屋に傷も付けていないだろう!」
    「そうだそうだ、まだ能力も使ってないんだよ!!」
    ロロが説教しようと口を開きかけるが、その前に慌てた様子で今先程まで喧嘩していた二人が弁解を捲し立てる。その弁解を聞いたロロは言われた通り部屋を見渡して少し目を開いた。
    「…確かにコップ一つすら転がってねえな…どういう風の吹き回しだ?」
    二人の言い分に納得したらしいロロは、それでも信じられないとばかりに腕を組んで首を捻った。因みにこの一連の流れを聞いていたソラは、普段の惨状を察して流石に唖然としていた。ロロの消沈や諦念ももっともである。
    ロロの疑問に二人は視線を交わし、やがてクロがソラを指した。
    「…ソラに気を遣ったのか?」
    「それもあるが、それより」
    「その嬢ちゃんが何者かってことだよ」
    ロロがその意図を推測するが、モノの言葉を継いでクロが答える。それでもいまいち要領を得ないと腑に落ちていない様子のロロに、モノが言い足した。
    「彼女とお前の関係を聞く前にお前が気をやっただろう。それに先程の見舞いでも機会を逃したものだから彼女の正体も分からず仕舞いだったので、それについて話していたんだ」
    そこまで言及され漸くロロはまだ二人にソラを紹介していなかったことに思い至った。ソラもすっかり失念していたようで、あっと小さく声を上げた。
    「あー…そうだな、話すと長くなるから飯でも食いながら…そういや買って行くって言ってたな。何を買ったんだ?」
    「寿司とピザ」
    「最高じゃねえか」
    しおらしい表情から一転して得意げな笑みを浮かべる二人に、ロロもにやりと笑う。が、すぐに我に返ってソラに目をやる。
    「お寿司とピザなんて久しぶりに食べるよ!普段家では食べないものだから嬉しいな」
    と、ソラも目を輝かせていたのでロロは安堵してまた満足気に口元を弛めた。
    そして、ロロ達はモノとクロが買ってきた寿司やピザを摘みつつこれまでの経緯や現状などを大まかに話した。二人は俄には信じ難い、という表情をしていたが、現にソラが此処に居るのは事実であるため信じざるを得ないようだった。
    「そういえば」
    一通り話終えた後、ソラが思い出したように口を開いた。
    「私が一度帰るのは明日だったかな」
    その言葉を聞いて、ロロも今朝まではソラの居ない内に病院を受診しようと考えていた事を思い出し、そういえば明日だったと首肯した。
    「なら、オレの部屋を使ってたのは嬢ちゃんか?」
    マグロの寿司を頬張ったクロがソラに視線を向ける。ロロの家に二部屋ある客間は元々モノやクロが泊りに来た時の私室と化していたが、暫く二人が来ることも無かった為、本は読めないので広い方が良いという理由でソラにはクロの部屋を宛がっていたのだった。
    「私が使ってる部屋クロのだったの?」
    「ん?ああ」
    そんな事は微塵も聞かされていなかったソラは、驚いてロロに目を向けた。ロロは特に隠していた訳でもないが、そういえば言っていなかったかと気付いて肯定した。クロはあまり特定の趣味を持たない事もあり、部屋は物が少ないため本人とは違い乱雑な印象を受けることは無い。
    「じゃああっちの本が沢山ある部屋はモノの部屋?」
    「そうだな」
    モノは見た目に違わずと言うべきか、そもそも元職を考えれば当然とも言えるが本をよく読む。他にも細々とした趣味が多く、当人の几帳面な印象とは裏腹に部屋はあくまで少々ではあるが繁雑としている。
    そこで、唐突に何か思い至ったらしいモノがマルゲリータを齧る手を止めて顔を上げた。
    「ソラ…彼女が此処を出発するのは明日なんだな?」
    モノはソラの呼称を決めかねているのか、少し言頭で言い淀む。ソラが頷くと、モノは更にクロを指して確認するように続ける。
    「彼女は現在此奴の部屋を使用しているが、私は兎も角此奴は居間で寝るのか?」
    その問題提起に、モノ以外の三人は顔を見合わせ少しの沈黙が流れるが、ロロが頭を掻いて提案した。
    「…今日は俺が居間を使うから、クロは俺の部屋を使ってくれ。こっちの都合で悪いな」
    クロもその提案に頷き、一先ず話し合うべき話題は区切りがついたので、ようやく四人の間に解れた空気が流れ始めた。その後は世間話に花を咲かせ、モノとクロがロロの昔の失態談に触れようとする度にロロが聞きたがるソラを抑えつつ二人を黙らせ、と賑やかな夜は瞬く間に更けていった。
    ソラが眠り部屋に運んだ後少し酒を入れた為、酔いで少し開放的な態度の友人達を寝落ちる前に部屋に連行し、居間に戻ったロロは欠伸を漏らした。
    酒のせいで少々靄がかった頭で明日の事を思考する。明日はソラが一度帰宅するが、彼女の保護者が迎えに来るのか、それともロロが送るべきなのか…流石に一人で送り出す訳にはいかないだろう、と思いつつも出会った当初の事を思い返すとソラが自ら一人で帰ろうとすることも有り得るのである。
    迎えが来るにしろロロが送るにしろ、彼女の保護者と対面する可能性もあるのかもしれないと考えると、ソラを育てた人間の顔を見てみたいという好奇心と何か粗相を悪気なく暴露されたら如何しようかという恐怖心がせめぎ合って、その夜は中々眠りにつく事が出来なかった。

    「ああ、もう一週間か」
    一面白い部屋の中、くすんだ赤髪の男が立っていた。視線の先には翌日の日付に赤丸の付いたカレンダーが掛けられている。
    「僕の娘は元気にしているかな?」
    彼は朗らかな調子で独り呟く。

    「会うのが楽しみだよ、ソラ」
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    👏👏👏👏💴💴💴💴💴💴💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works