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    オレオクラッシャー

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    POIPOI 9

    #ヒーローズ・シンドローム
    6話 ウェルカム・トゥ・リベリオン

    ウェルカム・トゥ・リベリオン「…うわ」
    午前巡回の帰りに郵便受けを覗いたロロは、投函されていた一通の封筒を見てあからさまに顔を顰めた。
    「やっと帰られたんですか?」
    その瞬間を見計らったかのように背後から声が掛かる。驚いたロロは反射的にその主を捕縛しようと黒髪をもたげたが、振り向きざまに視界が捉えた人畜無害そうな人影を認識してそれを霧散させた。
    「お前…確か、あの横に居た…」
    …見覚えはあるが、名前が思い出せない。確かあの夜会でトウヤの後ろに控えていた男だ。容姿にこれと言った特徴は無く、何処にでも居そうな…という形容が似合う。
    「ニコです。ニコ・ライラ。そういえば俺はまだ名乗ってなかったような…まあいいか」
    男…ニコはフラットな調子で名を述べる。掴み所の無い、乱暴に言えば地味で印象が薄いニコの言動にどう反応すべきかロロが困惑していると、ニコは満面に不満を湛えた呆れ顔になる。
    「それにしても、貴方が一向に来ないから俺が迎えに来る羽目になったんですけど…そんなに忙しかったんですか?」
    …突然押し掛けてきてこの物言いとは、あの主人にして…と評するべきだろうか。
    「生憎、怪物退治に日々奔走しているもので。案外忙しいんですよ、俺達のような患者は」
    一般企業のお偉方には分からないだろうが、と言外で皮肉を告げる。そのささやかな意趣返しは伝わったらしく、ニコは口端を引き攣らせて苛立ちを滲ませた。
    「生憎、貴方がここ数日出動していないのは把握しています」
    小さく溜息を吐いたニコは、心做し早口になって返答する。嗅ぎ回られている不快感に舌打ちで返したロロへ更に物言いたげな視線を送りながら、ニコは続けた。
    「貴方に有益な話をしようと言っているんです。それに、そう時間は掛からないと言いませんでした?どう転んでも大した損はしませんよ」
    「…ハア。兎に角行けば良いんだろ。分かった分かった」
    ロロは少し思案した後、両手を挙げて了承を示した。今断ったところで恐らく後日再び押し掛けられるだけだろう。それなら早く済ませた方が幾分かマシだ。ニコは尚も苦言を並べ立てようとしていたが、その返答を聞いて眉を上げた。
    「お、やっとですか。丁度良いので俺が案内します。今日はあの子も居ないでしょう?」
    途端に相好を崩したニコはそう言ってスタスタと歩き出してしまった。一体何処まで探ったのだろう。ロロの警戒は増す一方だが、行くと言った手前置いていかれる訳にもいかず、ニコの後ろ姿を睨み付けたままその後に着いて歩き始めた。

    「…何処行った彼奴」
    数刻の後、ロロは途方に暮れていた。暫く歩き続けた先で複雑に入り組んだ路地へ入った所までは良いのだが、案外人通りがあったその路地でニコを見失ってしまったのである。ロロを置き去りにした事に気付いてもいないのか、ニコが戻って探しに来る気配も無い。幸い来た方向まで見失った訳では無いのでその気になれば帰宅は出来るが、そうすると再び直接の催促が来る。その上、妙に情けない話だが、ロロには何度繰り返してもニコを見失うだろうという謎の確信があった。無特徴な彼はやけに通行人に紛れやすいのである。それこそ注視していても見失う程に。
    「ああ…そういえば」
    そんな訳で何としても今日の内に用を済ませてしまいたいロロは思考を巡らせ、ベストの内ポケットに入れていたトウヤの名刺の存在を思い出す。取り出して裏面を見ると、記憶通り住所が記されている。…これを頼りに如何にか目指すしかない。
    「…此処か…?」
    先程居た地点から何度も角を曲がってより奥へと進み、漸く記された住所と思わしき場所に辿り着く。何の変哲もない雑居ビルの様だが、本当にこの場所で合っているのだろうか。此処まで来ても変わらずニコの姿は見えず、取り敢えず入ってみようにも場所を違えていたらと思うと躊躇してしまう。
    しかし、無為に悩んでいても仕方がない。ロロは心を決めてコンクリートで固められた階段に足を掛けた。

    「…地下?」
    二階の扉前に取り付けられたテナント名のプレートと名刺に記された社名を四度見比べてから深呼吸の後に扉を叩く。怪訝な顔でロロを出迎えた事務員は、ロロが差し出したトウヤの名刺を目にすると顔色を変えて囁いた。
    促されるまま上ってきた階段を下り直してその側面に回り込むと、確かにモルタルの側面に同化した装飾の施された扉が存在する。こうして実際に近付かなければ気が付くことは無いだろう。
    ドアノブの代わりに取り付けられたのであろう灰色の押し板に力を掛けると、扉は音も無くすんなりと開いた。灰色の踊り場に足を進めると、確かに奥が薄白い電球で照らされた無機質な階段が下へと続いている。何故か手前側…つまり階段の上部には電灯が取り付けられておらず、扉が閉まると同時に段差は仄暗い影に覆われた。
    明らかに秘された入口に警戒を強めながら、目を凝らして慎重に階段を下る。革靴の底がコンクリートを叩く度鈍い音が小さく空間内に響いた。一般的な階層同士の間隔だと思われる段数を降り切った先にはプレートも無い灰色のステンレス扉がある。
    覚悟を改めて扉を開くと、更に廊下が続いている。いい加減に鬱陶しくなってきたが、此処まで来て引き下がるのも面倒だ。再び扉を潜ったロロは、そこで何やら話し声が聞こえる事に気が付いた。声は突き当たりの扉の先から聞こえているらしい。漸くこの迷宮から抜け出せる予感に足取りが少し早くなる。
    「…?」
    最後と思われる鈍い朱色の扉の正面に立ったロロは、首を傾げて疑問符を浮かべた。確かにこの先から人声は聞こえるのだが、どうも騒がしい。大盛況というよりは、やたら熱狂しているような嘆き叫んでいるような異様な空気を感じる。端的に言うと五月蝿い。酔っ払いの集団でも居るのだろうか。
    困惑した所で足踏みしていても仕方がない。もう何度目だか分からない決意を固め直すと、ロロはドアノブを捻った。

    「…」
    ここに来て何枚目かの扉を潜ったロロは、漸く意味のありそうな広い空間に出ることが出来た。その光景を認識したロロは思わず自らの目を疑う。
    幾つかのテーブルが設置された薄暗いその空間には十人弱の人間が居たが、その殆どは何かに熱中していてロロの来訪にすら気付いていないようだった。
    「…おお?見ない顔だなぁ、兄ちゃん」
    その中で偶々席を立っていた中年の男がロロに気付き、物珍しげに近寄って来た。男の身なりは乱れていて、着ている物の質自体は良いようだが状態が悪い。長年着続けているのか全体的に色褪せ草臥れており、所々生地が薄くなっているようだ。男は軽く後退りするロロを小突いてにやにやと笑った。
    「おいおい、何だよその訳わかんねぇモン見ちまったって顔。兄ちゃんだって此処が何だか知らずに来た訳じゃねえだろ?迷い込んだってんなら相当な方向音痴だね、お前さん」
    迷い込んだわけではないが、此処が何だかは知らない。…察しは着くが。尚も引き気味なロロに男は驚き顔になる。
    「まさか本当に方向音痴か?おいおい、ちゃんと家には帰れるかい?おじさんが送ってやろうか?まあこんなトコまで来たのも何かの縁だ、折角だから兄ちゃんも一発どうだい、その反応じゃあ賭場は初めてだろ」
    賭場、という言葉にロロは頭を抱えたくなった。国の中央部には持ち金を管理されて健全の範疇で遊ぶことが出来る国営娯楽施設としての賭博場があるとは(クロから)聞いた事があるが、これ程隠されていたこの場所が国の許可を得ている可能性は無い。要は健全の範疇で満足出来ない人間が集まっているという事だ。道理で騒がしい訳だと納得しつつ、男の誘いを断る。
    「…賭けに用は無いので」
    ロロは混乱しながら脳内で情報を整理する。トウヤも真逆これを見せたかった訳では無いだろう。第一此処には本人の姿もニコの姿も見えない。だが、二階の事務員に名刺を見せて此処に来るように言われたのも事実だ。話し声に気を取られて真っ直ぐにこの扉へ進んでしまったが、もしや先程の廊下に別の入口があったのだろうか。
    「ツレねえなあ、案外お前さんみたいなマジメそうなツラした奴がハマるってのに」
    ロロは口を尖らせてぼやく男を無視して戻ろうとするが、その前にふと思い立って例の名刺を取り出した。
    「俺は此奴に呼ばれて来たんだ」
    男が引き下がらなかった際の牽制とあわよくばこの男が知っているならば入口を聞き出せないかという打算を兼ねてロロが提示した名刺を見て、男は目を丸くしてまじまじと見つめた後に白け顔で大きく溜息を吐いた。
    「なんだよ、お前さんボスの客なのか。道理でマジメそうな兄ちゃんがこんな場所に来る訳だ、つまんねえの」
    男は事情を理解したと同時にロロへの興味を失ったようで、勝手な言い分を並べ立てる。
    「ボス?」
    後半の愚痴は聞き流したが、その呼称は聞き過ごせない。ロロが聞き返すと、男はにやりと意味ありげに口角を上げて人差し指を立てた。
    「その人はおれ達のボスだよ。ラッキーだったな兄ちゃん、他のバアさんだのオッサンだのに声掛けられてたらタカられてたぜ。入口はこっちだ…ああ、そいつらは気にしなくて良い、どうせ興味も持たねえからよ」
    男は賭博に熱中している人々を指して吐き捨てるように言うと、その脇を通り抜けてカウンターの裏へ向かう。先程まで男も交ざっていた筈だが、随分冷めた目を向けるものだ。ロロはちらりと横目でテーブルの様子を盗み見たが、彼らが興じているのはダイスを用いた単純なゲームらしい。賽の目ひとつでここまで一喜一憂するとは、話に聞いていても目にすると信じ難いものだ。
    「うん?確かこの辺り…よっと」
    カウンター裏に潜り込んだ男は何やら床を探ると、床板に紛れていたハッチを開いた。更に下の階があるらしい。ハッチの下には梯子があるらしく、男が先に降りていく。男の頭が見えなくなってから四角く開いた穴を見下ろすと、梯子で降りた先が階段になっているようだった。先に降りた男の後を追って梯子を伝い、髪を使ってハッチを元に戻すと、男が感心の声を上げる。
    「へえ、お前さん器用だなあ」
    「…癖で、つい」
    何も考えずに能力を使ってしまったが、軽率だったかもしれないと自戒する。この男が寛容で幸いだったが、人によっては戦闘でもないのに目の前で異能を使われると無闇に怯えさせる恐れがある。
    「まあボスに呼ばれたってことはそうなんだろうが、やっぱり兄ちゃんも異能者なんだなあ」
    男が気楽な調子で言う。…兄ちゃんも、という事は。
    「お前も…そうなのか」
    多少の驚きを込めて尋ねると、男はへらりと笑って肯定した。
    「そうそう、まあおれのは兄ちゃんのに比べりゃあ一発芸みてえなモンだけど。仲良くしようぜ」
    男が差し出した手を握る。誰であれ懇意にするに越したことはない。すると、ロロの握手を受けた男は一転して下卑た笑みを貼り付けた。
    「じゃあ、手始めに案内料ってことで少し…いやあ、さっき賭け金全部スっちまってなあ」
    前言を撤回しよう、碌でもない人間とは親しくすべきではない。というか先程賭博者達に冷たい目を向けていたのは大負けした僻みなのか?
    「……」
    ロロが内心引きながら無言で睨み付けると、男は慌てて発言を取り下げた。
    「じょ、冗談だよ冗談!そんな目で見るなよお…」
    そんな調子で会話しながら階段を降りると、男がその先で扉を開けた。
    「さあて、ボスはもうちょっと奥の部屋なんだが…」
    その空間はどうやらロビースペースのようになっており、この空間から恐らく何らかの役割を持った各部屋に通じているらしい。
    「あっ」
    そこで、ロロは暇そうに視線を宙に漂わせている人物を見つけて声を上げた。
    「…ああ、遅かったですね。それにハッチさん。降りてくるなんて珍しい、小遣いはもう残ってないのに」
    …ロロを置き去りにした当本人である。ニコはさして興味も無さそうにそう言って、ロロを先導した男にも声を掛けた。
    「んん?何だ、もう知り合ってたのか。まあボスに誘われたんなら知ってるか」
    ハッチと呼ばれた男は意外そうに眉を上げた後、ニコに捲し立てるように弁解を続ける。
    「ああいやニコさん、おれは別に小遣いを強請りに来たわけじゃ…この兄ちゃんが迷ってたんで、ここまで案内してやってたんです」
    ハッチがニコの顔色を伺いながら頭を下げると、それを聞いていたニコは微かに眉を顰めた。
    「迷ってた、ですか。途中で帰られたのかと思いましたが」
    ニコは腕を組んで苦言を呈したが、そう言われても迷っていたのは事実なので如何しようも無い。
    「突然姿を見失ったので、撒かれて置いて行かれたのかと」
    確かに見失ったのはロロが悪いが、態々こんな場所まで足を運んだ挙句に一方的に文句を言われるのは気に食わないので、視線を合わさないようにしながらそう返す。
    「兄ちゃん、まさかこの人の案内だったのか?そりゃあ災難だったなあ」
    言下に棘を飛ばし合う二人の空気に構うこと無く、ハッチが呆れ顔で割り込んだ。災難、とはどういう意味だろうか。見失った事に関しては繰り返すがロロの過失である。
    「この人追っ掛けるの難しいだろ、すぐどっか行っちまう」
    ハッチはロロの肩に腕を回し、もう片方の腕を呆れたように掲げてニコに見せつけるように大きな溜息を吐く。ニコは咄嗟に何かを言い返そうとしたが、直前に思い直したようでこめかみを押さえた。
    「はあ…そういえばそうでしたね、俺の影の薄さを忘れてました」
    ニコは諦念に満ちた顔で何とも哀愁を感じる台詞を吐くと、気を取り直すように頭を振って仕切り直した。
    「トウヤさんが待ちくたびれてしまいます。行きましょう」

    「待っていたよ、ロロくん」
    ニコが不規則に数回ノックを繰り返して開いた扉の先には、深い蒼色をした革張りの椅子の上で優雅に長い脚を組むトウヤの姿があった。
    「…どうも」
    悠然と此方を見据えるトウヤに返事を返しながら、その容貌に観察を巡らせる。トウヤの整った顔立ちは相変わらずだが、先日の夜会とは随分と趣の異なる装いをしている。先日の方が非日常であるため、今目の前に居るトウヤこそが普段の姿なのだろう。
    先日華やかなタキシードに身を包んでいたトウヤは、白いブラウスと前開きにしたネイビーブルーのツイードジャケットに加えてスカーフを首に巻きソフトハットを頭に戴いている。そのおかげで幾分かワイルドな雰囲気を醸し出しながら、トウヤ自身の髪や瞳を含めて青系統に纏められている色合いが爽やかで澄んだ印象を作り上げていた。
    「ニコ、ご苦労様」
    ロロと挨拶を交わしたトウヤは、入室するなり一人先に出てトウヤの横に着いたニコに向けて労いの言葉を送る。ニコは小さく首肯して返事に代えた。
    「…ハッチ。キミは呼んでいないと思うのだけど」
    それが済むと、トウヤは漸くロロの後ろで肩を縮めているハッチに声を掛けた。ハッチはぎくりと身体を揺らすと、頭を掻きながらへらへらと引き攣った笑顔を浮かべる。トウヤは頬杖を着いてその様子を眺めていたが、些事を切り捨てるように手を払った。
    「まあ良い。…ああ、此処に居たままで構わないよ。むしろ都合が良い」
    その言葉でこそこそと後退りしていたハッチを制し、トウヤはゆったりと脚を組み替えた。
    「さて、改めて名乗らせて貰おう」
    トウヤは悠然と、そして堂々と宣言する。
    「異能連盟組合リベリオン代表、トウヤ・メルティオだ。よろしく」

    「…何だって?」
    唯の会社である訳が無いのは分かっていたが、それにしても聞き慣れない言葉が出たものだ。異能連盟、と来た。ロロに声を掛けたのもそれが理由なのだろうか?
    「リベリオンは異能者の為の組織であり、現支配体制からの解放が目的、及び目標だ」
    トウヤは滔々と説明を続ける。しかし、トウヤの言葉は端的なようでいて抽象的だ。現支配体制、解放等とやたら規模が大きい単語が濫用されていて却って要点を掴めない。
    だが一方で、これが冗談の類では無いらしいことは伝わった。先日ロロに名刺を押し付けた時の軽薄さは鳴りを潜めており、微笑を浮かべてこそいるもののその瞳の奥は笑っていない。
    「随分とスケールの大きい話だな」
    とはいえ易々と呑み込んで受け入れられるかと言うのはまた別の話だ。精々大層な理念をお持ちであるという事が伝わったのみである。トウヤはロロの素っ気ない態度に動じる素振りは無く、その悠々とした表情は崩れない。
    「ワタシも今この場でそう事細かに話す気は無いのさ。そう時間は取らせないと言ったからにはね。キミも長々と拘束されるのは御免だろう?」
    長々と拘束されるのが御免なのはその通りだが、つまりトウヤは元からロロに理解させる気が無かったらしい。今この場ということは、今日の話が上手く運べば再度招かれる羽目になるのだろうか。ロロは此処までの道のりを思い返して辟易とした。
    「俺を此処に呼んだのは勧誘の心算か?」
    この謎の組織については何一つ把握出来ていないが、ロロに声を掛けた目的があるとすればそれしかあるまい。トウヤは鷹揚に頷いた。
    「その通り。厳密には我々の一員ではなく、協力者としてのスカウトだけれど」
    「…如何言う意味だ?」
    そもそもこの団体の一員になる意義さえ分からないのだが、その二者間にどんな違いがあると言うのだろう。
    「ワタシ達が成そうとしている事全てに賛同して貰おうとは思っていないんだ。リベリオンに所属するという事はそういう事になる。しかし、ワタシはキミにそれを望んでいない。望んでいるのは理解とある程度の信用であって忠誠と従属ではない」
    芝居めいた回りくどい主張だが、その大意は把握出来た。成程、部下にしたい訳では無くあくまで対等な立場としての誘いという訳だ。
    「何故俺なんだ?」
    しかし、ロロには自らとトウヤが対等であるとは到底思えなかった。今は空気に流されるのが嫌なので敢えて素の態度で対峙しているが、本来トウヤはロロが気軽に会おうとして会えるような人物では無い筈だ。この組織の規模は不明だが、仮にも組織を率いているような人間に対してロロは唯の一個人である。何故トウヤは大層な理想の協力者にロロを選んだのだろう。
    そもそも、あの夜会でロロに声を掛けた時から既にこの場は想定されていたのでは無いだろうか。そうでなければ最初に渡された名刺にこの場所が記されている筈がない。ここまで厳重に隠されている場所を明かし、更に提示しただけで道を教えられるような通行証を素性の分からない人間に軽率に渡すなど有り得ない。
    何故、数居る異能者の中で態々ロロを選んだ?
    「それはね、」
    「トウヤさん」
    トウヤは薄く唇を動かしたが、たった今の今まで沈黙を貫いてトウヤの横に控えていたニコがそれを窘めるように口を挟んだ。
    「構わないよ、ニコ。こんな所まで足を運ばせたのに何も教えないのはフェアじゃないだろう」
    ニコを宥め返したトウヤは再びロロに目を向ける。流れる緊張感に背筋を冷や汗が伝うような感覚が走り、ロロは小さく息を呑んだ。それを確認してから、トウヤはゆっくりと口を開く。
    「それはね。キミがあの少女の相棒だからだ」
    それは何より単純明快な断言だった。
    「…それだけで?」
    思わず本音が零れる。いや、違う。薄々勘付いていた。と言うより、直感的にそう感じていた。
    「…いや、尚更何で俺の方なんだ。直接本人に言えば良いだろ」
    トウヤの言葉に動揺して思考が遅れたが、ソラに興味があるのなら最初から彼女に声を掛ければ良い話だ。大抵の相手に対して好意的なあの少女は、トウヤの提案も快く受けただろう。
    「彼女は取引をするにはまだ幼いだろう?」
    トウヤはあっけらかんと言い放つ。その言い分には同意するしか無いのだが、堂々と開き直るようなその態度にロロは何かをはぐらかされたような心地になった。釈然としないものの返す言葉も無いので押し黙る。
    しかし、この問答の中で、ロロが無意識に頭の隅へ追いやっていた疑問が浮かんだ。
    「彼奴は、何者だ?」
    あの英雄気質の少女は、一体何処から現れた?
    「……」
    雄弁に台詞を連ねていたトウヤは、ロロの質問には答えず突如沈黙してただ微笑を浮かべる。…これ以上は協力次第と言う事か。
    「キミは察しが良いね。招いた立場ですまないが、ワタシとしても最初から全て話す程信用する訳にはいかない」
    ロロの無言の訴えは直ぐに伝わったようで…察しが良いのは何方なのか…トウヤはそう言って姿勢を改めた。ロロは静かに身構える。
    「では、お互いの信用の為に。まずキミの力をもう一度、見せてくれ」
    トウヤは一点の綻びも無い、実に完璧な笑顔でそう言った。

    ロロは後ろで隠れるように小さくなっていたハッチと共に、やたらと広い部屋へ連れられる。先程のトウヤの発言からその用途には予想が付いた。ついでに言うと最近も似たような空間に通されたばかりである。
    「此処は修練場だ。他の部屋よりは頑丈だよ」
    トウヤは得意気に手を広げるが、横からニコが小声で補足した。
    「とはいえ、鉄壁には程遠いので壊さないようにしてくださいね…」
    ニコの言葉は水を差すようだったが、部屋全体に目を巡らせるとその注意も頷けた。部屋の中では四本の柱が空間を貫き、それに囲われた領域の床面が闘技場を思わせる石版で埋められており、ロロはその上に立たされる。その壁面はシックな赤茶に塗られているが、少し注意深く見渡すと所々にひび割れや欠けが見られ、塗装の下の灰色が露になっていた。それらはニコの言葉が杞憂ではない事を物語っている。
    あまり比べるべきではないのだが、ソラの自宅の地下にあった部屋より幾分か造りが粗いようだ。…寧ろあの部屋が個人どころか組織ですら中々備えているものでは無い域に達しているのだろうが、立て続けに目にした所為で如何しても比較してしまう。
    「…どうかしたのかい?」
    「いや、何でも」
    トウヤはロロの微妙な表情に気付いて声を掛けたが、真逆正直に答える訳にもいかないので適当に誤魔化す。トウヤもそこまで興味は無いようで、それ以上尋ねることは無かった。
    「さて。それでは始めてもらおうか」
    トウヤは質問の代わりにそう促した。傍に居るニコも無言で此方へ急かすような視線を送っている。
    「ええと…ボス?そう言われてもですねえ…」
    何故か巻添えに連れて来られた挙句にロロの横…つまり闘技場の上に並べられたハッチは困惑声でそう言った。まだ何を行うかすら示されていないため、その困惑は尤もである。トウヤは少し首を傾げてそれに返答した。
    「其処に立たされている時点で、キミの役割は明らかだと思うんだけど」
    ハッチもロロと同様に薄々勘付いてはいたようで身を竦める。トウヤは腕を組んで少しの間黙り込むと、トントンと数回指で頬を叩いて涼し気な顔で口を開いた。
    「まあ、終わりの合図くらいは決めておこうか。別に決闘が見たい訳ではないからね、キミの実力が充分に確認出来たら制止しよう。ワタシが止めない限りは…そうだね、行動不能状態での降参は受け付けるよ」
    ハッチはトウヤの言葉を聞きながら終始渋り顔をしていたが、最後の一言に食い付いたように表情を変える。あまりにも考えの分かりやすい男だ。だが、直ぐに降参してくれるならばロロとしても楽になる。しかし、ハッチの表情に気付いたのは当然ロロだけでは無い。同様にハッチの反応を観察していたトウヤは、にこりと笑って付け足した。
    「ハッチ。偶にはキミにも働いてほしいものだね。うん、これも仕事だ。キミが勝利したなら特別給を出そう」
    …ハッチの目の色が再度変わる。もうこの場を穏当にやり過ごす事は難しいようだ。
    「さあて兄ちゃん、お前さんに恨みは無いが我らがボスのお望みだ!ってことで一発派手に行くぜえ!」
    万が一ハッチが優勢でも決着が着く前にトウヤの制止が入るだろう。ロロはいとも容易く乗せられたハッチに内心で舌打ちすると、応戦の構えを取った。悪いが少々痛い目に合って貰おう。
    「よし。二人とも、準備は良いね?それでは…始めてくれ」

    開始の合図に合わせて一歩踏み込んだロロは、大きく腕を払う動作に合わせて帯状に伸ばされた髪で薙ぎ払う。小手調べに放った一撃はしっかりと向かって来ていたハッチの身体を捉えて跳ね返す。突っ込んだ速度の倍の勢いで跳ね飛ばされたハッチは二回石の床をバウンドして突っ伏してしまった。
    「ぐえーっ」
    弾んだ拍子にハッチの喉から間の抜けた音が漏れる。まさか攻撃がまともに入るとは想定していなかったロロは急激に不安が込み上げるのを感じた。思わず横目でトウヤの様子を窺ったが、トウヤはただ無表情で此方を眺めるのみで制止を挟む素振りは無い。ついでに隣のニコも吹き飛ばされたハッチに冷たい目を向けている。…吹き飛ばしたのはロロだが、こうも冷ややかな扱いを受けていると憐れみを覚える。
    ロロの心配がじわじわと膨らんできた頃、ハッチは勢い良く起き上がった。
    「イテテテテ!おいおい勘弁してくれよ兄ちゃん、おじさんの体は若くないんだっての!」
    ハッチは怒鳴りながら、打ち付けた腰を擦りつつ飛び起きた。案外元気そうだ。密かに胸を撫で下ろしたロロは再び戦闘態勢に戻る。
    ハッチは再びロロに突進する。二度も吹き飛ばしては芸も忍びも無い。何よりロロの心臓に悪い。ロロは少し加減して、敢えて髪を使うのを止めた。
    飛び込んできたハッチを目前まで引き付けて回し蹴りを放つ。
    「うおっ危ねえ!」
    ハッチは文字通りの間一髪で反り返ってそれを躱すと、そのまま数歩後ろに蹌踉よろめいて尻餅を着いた。…幾ら何でも手応えが無さ過ぎるのではないだろうか。ロロは訝しみの視線を向ける。
    「…!」
    ロロが様子を確認しようと覗き込むため僅かに前傾姿勢になった瞬間、ハッチは腕の力だけで身体を跳ね起こすとその勢いでロロに飛び蹴りを向ける。ロロは咄嗟に仰け反って直撃を免れるが、微かに顎先を掠っていたらしく鋭い熱が走る。
    「…チッ」
    油断していた…油断を誘われていた?…何方にせよ油断した自分が悪い。リクと手合わせした時から学習しない己に苛立ちながら距離を取ろうとするが、ハッチが飛び込んでロロに掴み掛かる方が早い。
    「へへ、やあっと捕まえたぜ兄ちゃん…ったく、さっきは思い切りフッ飛ばしてくれやがってよお!次は俺の番だぜ、なあ」
    ロロの胸倉をしかと掴んだハッチはそう捲し立てて、優越を味わうように口元を歪める。

    カチ、と何かのスイッチが入ったような音が響いた。

    その音を耳にした瞬間、ロロの全身に悪寒が走る。直感が最大音量で警告を発している。音は一度に留まらず、時計のように一定の間隔で鳴り続けている。
    「…何をする気だ」
    背筋に冷や汗が伝うのを感じながら、恐怖を押し殺して唸るように問う。ロロが口を開く間にもカウントダウンを思わせる無機質な音は響き続ける。
    「そう焦るなよ、三十秒後のお楽しみだ」
    ハッチはロロを見上げながら白々しいにやけ面を浮かべた。音は正にロロの首元を掴むハッチの腕から響いているらしく、シャツ越しに触れている部分から音に伴って微かな振動が伝わってくる。
    何が起こるかは知らないが、兎に角三十秒の猶予があることは分かった。ロロは身を捩って逃れようとするが、ハッチの指はそう容易くは緩まない。
    だが、ロロの能力の前に力の強さは関係が無い。
    「…?」
    異能を使いハッチを退けようとしたロロは、即座にその異変を自覚する。
    「おいおい、随分顔色が悪いじゃねえか。別に死にやしねえっての、それとも降参するのかあ?」
    ハッチがまたへらへらと笑うが、その声もロロの耳には届かない。咄嗟に事態を理解する事が出来ず、事実を受け入れる前にロロの心臓が早鐘を打ち始める。

    …異能が使えない。

    こんな事は有り得ない。リクにしてやられた時でさえ感覚を誤認させられただけで、全く動かなくなった事は無い。突如手足の感覚を奪われたような…手足の使い方を忘れたような、今まで自分は如何やって髪という部位を動かしていた?
    思うように動かない、どころか思う事さえ覚束無い。起こる筈の無い事象を前に浮かんだ普段頭に過ぎることさえ無い疑問に思考を囚われて堂々巡りに陥る。
    違う、思考している場合では無い。もう時間が無い、それは後だ。打開しなければ。
    早まった心拍に反してやけに緩やかになったカウントダウンの音を聞きながら周囲に目を巡らせる。とはいえ目に留まるものと言えば観戦しているトウヤ達程度だ。彼等はこの局面でも介入する気配は無い…どころか先程ハッチが吹き飛ばされた時よりも感情が見えない。ただ、此方を見ている。…寧ろ、見ることに集中しているような。
    「…チッ、」
    確証など無いが丁寧に確かめている時間は無い。一か八か、ロロは如何にか懐に右手を差入れて忍ばせていた短剣を取り出し、不自由な体勢の中で振り被る。ハッチは突如現れた凶器にぎょっと目を剥いたが、それでも尚拘束が緩む兆しを見せない。問題無い、ロロの目的は元より別にある。
    腕を大きく動かす事が出来ない為手首のスナップだけで短剣を放った。直線を描いて空を切ったそれはロロの右手側の壁面を目掛けて飛ぶ。
    カツンと硬い金属音が鳴ると同時に、ロロは即座に異能の使用を試みる。光を通さない黒の長髪は、ロロの意思通りに大きく宙に拡がった。
    「なっ、」
    「…っハハ、」
    唖然と口を開いたハッチに対し、賭けに勝ったロロの口から乾いた笑い声が漏れる。カウントダウンは恐らく数秒を残すのみである。此処で悠長にしている余裕は無い。性急にハッチの指を引き剥がして身体ごと放り投げつつ、展開した髪で身体を幾重にも覆う。
    「あっチクショウ!もうちょいだったってのに!」
    ハッチの悔しげな声と共に破裂音のような衝撃が響く。何かの破片を幾つも弾くような感覚に、ロロは防御の選択が間違っていなかった事を悟り安堵した。もし当てが外れていれば、相当数の傷創を拵える羽目になっていただろう。
    飛んで来る破片が収まるのを待ち、己を覆っていた髪を再び展開する。そうして視界に捉えたハッチの姿には、先程までロロの襟元を掴んでいた左腕が欠けていた。…恐らく能力の代償による欠損だろう。見た目こそ痛々しいが、本人は元気に叫んでいたので彼にとっては日常茶飯事であると考えられる。
    「もう良いだろ。終わりにしよう」
    ロロが指を差し向けると、忽ち黒縄がハッチを縛り上げた。…もう異能を封じられる感覚は無い。
    「降参しろ」
    膝を着かせ、入念に拘束した上で告げる。ハッチは悔しげに歯軋りをして追い詰められた獣のように声を上げた。
    「…イヤだね!」
    ハッチの口角が歪む。
    「そこまで!」
    そこに、ロロの右手側からトウヤの鋭い声が割り込んだ。…しかし、
    「あっ」
    …カチ。
    「………」
    トウヤの制止はコンマ数秒遅かったらしい。ありありと失態を告げるハッチの間抜け声に続いて再びの起動音が鳴る。沈黙の中にカウントダウンを刻む音だけが響き、トウヤは無言で額を押えた。
    「…ハッチ」
    「…スミマセン、ボス…」
    トウヤの冷たい声に、ハッチは途端に眉尻を下げて叱られた子供のような表情になる。…もしやとは思うが、一度発動してしまうと本人の意思で止められないのか?
    「…はァ。全く、其処に大人しく立っていなさい。ロロくん、済まないがワタシの位置まで下がってくれるかな」
    トウヤは額に手を遣ったまま溜息を吐くと、次々と指示を繰り出した。二人が指示に従うのを確認したトウヤは、最後に傍らへ言葉を投げ掛けた。
    「残りは五秒。頼むよ、ニコ」
    「はい、トウヤさん」
    間髪入れず答えたニコがトウヤを庇って前に出ると同時に、その目前に巨大な氷壁が出現した。氷の奥を視認する事は出来ないが、壁はハッチが立っていた位置を取り囲むように聳えている。
    一拍の後に鈍い衝撃音が響く。石畳を伝う震動が低く響いて、氷塊が一瞬の内に罅によって白濁した。しかし氷牢が崩落する事は無く、内側から叩くような音が途絶えて更に数秒の緊張が漂った後、ロロは改めて無事を悟り胸を撫で下ろした。
    「…収まりましたかね」
    ロロの安堵と殆ど同時に、同じく氷壁の様子を窺っていたニコが言う。トウヤの指示に躊躇いなく従った割に、その首筋には汗が浮いている。内心抑え切れるか不安だったのかもしれない。
    「うん。良い仕事だったよ、ニコ」
    そんな中、トウヤは一人涼し気な顔で微笑んでニコへ労いの言葉を送る。この余裕を見るに、あの氷が恐らくこの部屋を吹き飛ばす威力だったであろう爆発を抑え込めると確信していたようだ。大した信頼である。トウヤはそのまま氷に目を向けて続けた。
    「彼には少し其処で反省してもらうとしよう…全く、修理代は安くないんだ…」
    部屋を吹き飛ばす威力、という推測はあながち間違っていなかったのか、トウヤは危うく修練場を破壊しかけたハッチが閉じ込められているであろう氷の中に半目で視線を送りながら小声で世知辛い言葉を吐く。
    「キミの力、充分確認させてもらったよ。では、ワタシ達の知る情報を渡そう」
    次の瞬間には笑顔に戻っていたトウヤは、ロロの方を振り向いてそう言った。

    哀れにも氷の中に幽閉されたままのハッチを置いて、促されるまま先程の部屋…トウヤの執務室に戻る。執務机の前に立たされながら、ロロは先程の戦闘の意図について改めて推測を巡らせた。
    ロロの力を測るというのは十中八九ただの建前だ。真に力を試したかったのは寧ろ…トウヤの方だったのだろう。戦闘中の出来事を思い返す。異能が使えなくなった時、トウヤは「ロロを見る事」に集中しているようだった。ロロが短剣をトウヤ達の方へ向けて放った事でその集中が途切れ、異能が再度使用出来るようになったのだろう…詳しく様子を確かめた訳では無いが。
    態々第三者と戦わせたのもロロの混乱を狙ったものだろう。あの戦闘の目的は大方異能封印の術がロロに通用するか確認する事、そして異能封印という切り札の存在を示唆する為だと思われる。そして異能封印の術、というのは。
    「お前の異能であの爆発は止められなかったのか?」
    トウヤが話を切り出す前に、質問の形でその推測を述べた。「異能無効化」の異能。…俄にはその存在を信じ難いが、それ以外の…再現性のあるような手段による異能封印の方法は全く以て浮かばない。
    「相当な集中力を要するんです。…トウヤさんの力は」
    答えたのはニコだった。その台詞から察するに、ロロの推測は的中していたようだ。つまりあの時は急だったから使えなかった、ということだろうか。
    「まあ、そういう事なのさ。はァ、気付かれるとは思わなかったんだけどね。流石だよ」
    トウヤはニコの回答に追従して、芝居がかった仕草と共に呆れと驚きが混ざった様な声でそう述べると、腕を机の上で組み直した。
    「さて、何から話すべきか。…では、ワタシ達…リベリオンの目的について少し詳しく伝えよう」
    ロロが何より知りたいのはこの組織が何故かソラに目を付けている理由なのだが、それを教えてくれるのは先の事らしい…そもそも教える気があるのかも怪しいが。
    「まず…そうだね。キミ、そもそも最初にワタシが教えた目的は覚えているかい?」
    トウヤも順序を整理しながら話しているのか、視線で宙を辿りながらロロへ質問を投げ掛けた。ロロは記憶を手繰り寄せながら、少しの沈黙の後それに答える。
    「……現支配体制からの解放、だったか」
    確かトウヤはそう述べていた筈だ。実の所、先程の戦闘での情報量が多過ぎてトウヤが語った内容など殆ど記憶の隅に追い遣られていたのだが。トウヤは満足気に頷いて、再度の質問に移る。
    「その通り。それでは、支配体制についての話だ。キミ、この国…我らがフェルガニアを治めている人物の名は知っているかな」
    トウヤの言い回しに引っ掛かりを覚えながら、ロロは再び答える。
    「…レイア・グラッドストン…グラッドストン公、じゃないのか?」
    トウヤの指す人物がこの国の国家元首を指しているのであれば、その答えは子供でさえ知っているだろう。…だが、彼はあくまで政治家達の統率者に過ぎない筈だ。その質問の容易さとまるで一人で国を治めているとでも言うようなトウヤの言葉選びの誤差に、何か質問に裏があるのではないかと面食らう。しかし、トウヤはロロの杞憂を他所にさらりと首肯を返した。
    「ああ。我々が打ち倒すべき仇敵の名だよ。我々の目的の根源だ」
    「…」
    「釈然としない顔だね」
    落ち着き払った顔で平穏でない台詞を放つトウヤに目を剥くが、トウヤはロロが平静を失っているかのような口振りで言う。傍らに控えたニコに視線を向けても、トウヤの言葉に異論を唱える様子は無い…その認識が当然であるように。
    「…何が…そんなに憎いんだ」
    異様な空気に気圧されながら、重苦しさに塞がれそうな口を開く。ロロに向き合っている二人は至って冷静であり、一時の感情に呑まれているようには到底見えない。恐らく相当に深く根付いた怨恨だ。
    「キミは何も感じていないのかい?」
    トウヤはロロの質問には答えず、反対に問いで返した。全くその意図が掴めないロロは困惑して口を噤む。その様子を眺めていたニコは、見兼ねたように口を挟んで補足した。
    「貴方は今の自分の立場を…英雄症候群の患者であるという事をどう思ってます?人に非ずと判を押され、日々同胞だったものを殺し、何時かは自分の番が来る。運悪く…この病に選ばれただけで」
    補足さえも恨み節が込められているが、ロロはそれを聞いて漸く彼等が何を主張しているのか理解した。確かに患者は割に合わない扱いを受けている。トウヤの言った通り、ロロも日々感じている事だ。…しかし、運が悪かったから仕方ない、で怪物予備軍を放任する決断を下す上層部は国の為に辞任した方が良いと思われる。この扱いが不当である、というトウヤ達の主張は尤もであるが、その憎悪は見当違いでは無いのだろうか。
    「…確かに真っ当な扱いをされているとは思わない。だが、事実として其処らに転がしておける程安全なものでも無いだろ」
    言葉を選びながら、彼等の主張に異議を唱える。ニコは不満足そうに閉口したが、トウヤはその答えを読んでいたように大人しく耳を傾けた上で口を開いた。
    「キミがそう考えるのは、それこそ仕方の無い事だろう。ワタシ達に同意を示すには…キミはあまりに何も知らず、冷静で、正気だ。周りが見え過ぎている」
    トウヤの褒めているのか貶しているのか分からない言い草にロロは眉を顰めるが、トウヤはお構い無しに言葉を続けた。
    「リベリオンの原動力は憤怒であり、我々の自由の為に立場の一切を捨て戦う事が出来る狂気だ。キミには未だ似合わないよ。だから賛同は求めない。今はね」
    トウヤは淡々と述べる。未だ、と言うならばいずれ賛同を求められるのだろうか。…何にせよ、分かった事と言えばロロが何かを判断するにはあまりにも無知である事実だけだ。
    トウヤは今まで幾度も感情的な単語を用いているにも関わらず、声を荒げるどころか眉ひとつ乱れさせる事なく話し続けている。トウヤはロロを冷静と評したが、革命を為そうとしておきながら大義を掲げず、怒りを狂気と断じるトウヤこそ悍ましい程の冷静さを持っているように思える。
    「…しかし、奴の危険性は知らせておきたい。ニコ」
    「はい。…これを」
    トウヤの合図で、ニコが何かの書類をロロに手渡した。ロロは軽くそれらに目を通す。書類の数は九枚で、各紙に何らかの人物詳細が記されていた。…いや、最後の一枚だけ何も書かれてはいないようだ。白紙ではなく、他の紙と同様の枠組みがあり、その欄が埋まっておらず空白になっている…と言った調子だ。
    「…何だ?敵の要注意人物とでも?」
    だが、突然それだけ見せられた所で正体が分かる筈は無い。取り敢えず適当な推測を述べるが、トウヤには首を横に振られてしまった。そのままニコが説明を引き継ぐ。
    「寧ろその逆と言うべきでしょうか。…彼等九人は、僕達の方が刺客として送った者達です」
    …大逸れた事を言っていると思っていたが、大逸れた行為も済んでいたらしい。
    「結果から話します。彼等は唯の一人帰還する事さえ適いませんでした」
    「…一人も?…いや待て、その前に…資料は八人だった筈だ」
    一枚は空欄だった。よってロロが確認した人物は八名だ。紙束は未だロロの手の中にある。数え違えたかと思い再び一枚ずつ捲るが、矢張り紙の総数は九枚で最後の一枚が空欄になっているので人数は八名となる。
    「その用紙に予備なんて無いんですよ、そんなもの一々作る必要はありませんから。その枚数がそのまま人数になっているはずなんです」
    たった一枚空欄のまま印刷された用紙があったとして、人為ミスの可能性もあるだろう。…真面に考えれば、それ以外があるものか。得体の知れない不気味さにロロは常識への逃避を試みる…この世界で常識など当てにならないと知っていながら、それでも血も凍るようなその推察から目をそらす為に。
    「一片の疑い様も無く、とは言いません…言えません。何も残っていませんから。ですが、確かに誰か居たんです」
    ニコは声を押し殺して、最後は殆ど独り言のようにそれを告げた。
    「存在していた事実ごと消された誰か。僕達の同胞が」
    ニコの神妙な顔を横目で見たトウヤは、痛みを堪えるような彼に再度代わって結論を述べた。
    「存在を事実として抹消する。どう考えたって異能者の仕業だろう?」
    「…お前達の敵の中にも患者が居ると?」
    ニコが提示した話を纏めると、つまりそういう事になるのだろう。異能者は強力だ。権力者が護衛として傍に置いていても不思議ではない。その異能が推察通りに相当な無法な能力であるならばトウヤの警告も頷ける。…想像以上に恐ろしい警告だが。
    「敵の中に…そうだね」
    だが、ロロの指摘をトウヤは否定こそせずとも首肯もせず、返答に逡巡するように視線を宙に逸らした。
    「違うのか」
    困惑に思わず言葉を漏らすと、トウヤは顎に手を遣ってそれに答えた。
    「…いや。違わないよ」
    トウヤの反応が妙にハッキリしないのでニコに視線を送るが、ニコには静かに目を逸らされた。腑には落ちないが、全く的外れという訳でも無いようだ。そして彼等はこれ以上話す心算も無いらしい。
    「今日の内にしてあげられる警告はここまでだ。キミが再び訪れた時にはもう少し詳しく話してあげよう。奴の危険性と冷酷さについては理解してくれたね?」
    トウヤはそう言って話を切り上げた。率直な感想として、ソラの正体を仄めかすような態度で釣っておいて直接会った事も無い国家元首への恐ろしいとは言えロロに縁遠そうな疑惑を語られたのみであり、今の所異能封印という手札を実際に体感させられたこの組織の方が信用出来ない。…そもそも国に対して信用するも何も無いのだが。
    「…まあ」
    しかしそれを直接告げる訳にはいかないので、渋々首を縦に振る。トウヤは薄く微笑んだ。
    「キミの再度の来訪を楽しみにしているよ。我々の自由の為に戦い、そして名前ひとつ残らなかった彼等の為にも」
    気が重くなる台詞を爽やかに吐いたトウヤはそう締め括り、椅子から立ち上がった。
    「さて、ハッチを迎えに行こう。あの様子だと歩く事も出来ないだろうから」

    「………」
    「いやー、兄ちゃん強かったなあ。まさか武器持ってるとは思わなかったけどよお」
    「…これは大丈夫なのか?」
    漸く周囲の氷を溶かされ、幽閉状態から救い出されたハッチは先程からこの調子で喋り続けている。対するロロは氷が消えた時から言葉を失っていたが、やっと第一声を発した。
    「寝たら治るらしいですよ」
    ロロの言葉に返したのはハッチを抱えているニコだった。その平静さを見るに、如何やらハッチがこの状態になるのは珍しい事でも無いらしい。
    「運ばされる他の人間の身にもなってほしいけどね」
    続けてトウヤが発言する。運んでいるのはニコだが、トウヤも運ばされた事があるのだろうか…想像が出来ない。
    「まあさすがに頭までやっちまったら怖えからやった事ねえけどな、頭が残ってるなら寝たら戻るぜ」
    ハッチは己の肉体の状況に心の底から何も感じていないようで、話している様子は普段の調子と変わらない。
    「…そうか…」
    ロロはニコに抱えられているハッチの方は極力見ないようにしながら思考を諦めて受け流した。元気そうで何よりだが、喋る生首はあまりにも絵面の刺激が強い。
    話し続けるハッチに適当な相槌を打つトウヤとニコの会話を話半分に聞きながら歩く内に、来た道を辿って入口の扉の前まで戻っていた。
    「では、また」
    ニコの挨拶に会釈を返して扉を潜る。
    「…また」
    少し考えて、再来の意志を示した。…不本意だが、暫くは彼等と付き合う羽目になるのだろう。面倒なものに関わってしまったという思いと共に、知らなければならないと直感が告げる。嵐の前のような胸騒ぎが杞憂で済むよう祈るばかりだ。

    帰路に着いたロロは、自宅近くの角を曲がった所で前方に人影を見付けた。
    「…何で此処に…」
    その人物を認識したロロが唖然としていると、相手の方から此方に向かって近付いてくる。声を交わせる距離になって、彼は片手を挙げながらロロに挨拶した。
    「やあ、朝方ぶりだね」
    英雄を絵に描いた様な、赤を纏ったトップヒーロー。
    「66クン。きみ宛に招待だ」
    一度日常に立った波風は、そう簡単に収まりはしない。
    「定期開催、怪物対策英雄ヒーロー会議!きみの相棒も連れてくると良い、って事でヨロシク頼むぜ!」
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