Your curse is the best love for me「憂太に五条家あげよっか」
「は? いりませんけど?」
間髪入れずにそう返すと、五条悟は「即答かよ」と声を上げて笑う。
ここは、呪術高専敷地内にある五条悟が個人で住んでいた家だ。呪術高専内には職員や教員が住むことができるマンションがあり、その中の一室で五条は暮らしていた。
その家で、乙骨憂太は一人で五条が来るのを待っていた。
来るかどうかは定かではなかったが、おそらく来るとは思っていたし、五条が憂太の気配に気づかないなんてありえない。
ほんの数分前、五条は呪術界に蔓延る膿である、上層部の人間を皆殺しにした。共にそれを果たすことを認めてはもらえなかったが、せめて待っていようと、憂太はここに来た。
上層部が居る部屋のすぐ前で待たず、友人達を先に帰したのは、憂太なりのせめてもの気遣いだ。五条自身が正しいやり方とは思わない、見せたくない、と口にしたことなのだ。
それを成してしまった直後の姿は、誰にも見られたくはないだろう。それでも、五条を一人にしたくはなかったから、憂太はここで五条が来るのを待っていた。
ーーただいま
疲労を隠さない表情でここに現れた時、憂太は堪らず五条を抱きしめた。
ーーおかえりなさい
そう声をかけるだけで精一杯だったが、ここに居てよかったと心から思った。
自分と五条の関係性に、名前はない。
多くの人にとって納得のいく関係は教師と生徒だろう。でも、一般的な教師と生徒は抱きしめあってキスなんかしない。こうして家で待てるように合鍵を貰って、セックスなんてしたりしない。
それは恋人なのでは、と考えたこともあったが、その呼び名は憂太にとっては違和感があった。何度目かの肌を重ねた夜、憂太は一度だけ五条に聞いたことがある。
ーー今の僕たちの関係って、なんだと思います?
ただの会話の一部で何気なく聞いた言葉だったが、五条は少しだけ考えてからゆっくりと口を開いた。
ーー今の僕の一番近くにいる子、かな
あの五条が考えて、どこか慎重に口にしたその言葉が、憂太の中にストンと落ちた。今の自分が、他の誰よりも五条の近くに居る。そう思っていいのだと許されたことが嬉しくて、同時に欲張りになった。
近くとは、どのぐらいなのだろうかと。
横に並べるほど強くなったとは言えない、背中を守るにも役不足。それでもせめて、手を伸ばせば届く距離に居ると思っていいのだろうか。
隣に立ちたい。
誰よりも危険なところに立ち、孤高であり続けようとする人。怪物の役目を背負ってもなお、それが自らに相応しいのだと笑う人。そんな人の隣に立ちたい。
そう思い続けていたのに、彼はまた独りで上層部を皆殺しにするという業を背負ってしまった。抱きしめあって、誰よりも近くに居るのに、一緒に背負うことさえ許してくれない。
そんな自分の無力さを痛感していたその時に、冒頭の言葉を言われたのだ。
唐突すぎる上に、あげると言われてそう簡単にもらえる物でもない。
「欲しいかどうかなら欲しくないですし、受け取る必要があるとも思えません」
「冷たいねー。似合うと思うけど? 五条憂太って」
「……ふざけてます?」
例えば本当に五条の姓を名乗る立場になれというのであれば、それに関しては抵抗はない。むしろ嬉しいぐらいだ。でもそれだけで、五条家をあげる、とはならないだろうと憂太は五条を見つめる。
すると、彼は剥き出しの六眼を細めて笑う。
ここ数日、いや、獄門疆から目覚めてからずっと、五条は眼を隠してはいない。裏で動いたり、特訓に付き合ったりと、忙しく動いているのに、常に神経を張っていることに気づいている人はどれだけ居るだろうか。
日を決めたとしても、それを呪霊が守るとは限らない。いつなにが起きても対処できるように、誰よりも周囲を警戒している。
(せめて、今ぐらいは……)
少しでも身体を休めて欲しい、そう思って手を伸ばして五条の両眼を覆い隠すと、ふっと笑った五条が憂太の手を掴んでその掌にキスをする。
「僕にこういうことするの、憂太だけだよ」
「僕だけじゃ、足りませんか?」
「いいや。十分だよ」
だから、憂太しか居ないんだよね。と五条は憂太の手を掴んだまま真っ直ぐに見つめる。
「念の為、ね。僕がいなくなった後の五条家を憂太に任せたい」
「……そういう話なら、聞きたくないです」
「勝つよ。それでも、当主だから無責任な事はできないでしょ」
万が一のことを想定して根回しをしておくのも、当主の務め。そう考えれば、五条の話は聞かなければいけない。
そう思ってもやはり聞きたくはなく、憂太は硬い言葉を返す。
「……戦いが終わったあと、御三家が意味を持つとは思えません」
上層部は居なくなり、今後はおそらく呪術高専の教員達が発言力を持つだろう。そうなった時の筆頭は楽巌寺だ。
「確かに、禪院と加茂はもう無意味だろうね。というか、ほとんど残ってないし。でも五条家は違う」
「……上層部が居ないなら、五条家が上に立つと?」
「違うよ。必要でしょ、腐った膿の受け皿がね」
五条が笑いながら憂太の髪を撫でる。大切に触れるような手つきに、不安が煽られるのはなぜだろう。言葉に出来ない感情を飲み込むと、五条が続ける。
「腐ったミカンが居なくなって新しい膿が出なくなったとしても、一度出た膿は残るでしょ」
「その責を問われる人は、もう居ないじゃないですか」
「居ないとしても、人は責任の所在を求めずにはいられないでしょ。新しくトップに立つおじいちゃんにちゃんと働いてもらうためにも、膿は他に向けないとね」
「……それが、五条家の役割だと?」
憂太の問いに、五条は応えなかった。それが、なによりの答えだ。
(……この人は、どうして)
全てを一人で背負おうとしてしまうのだろう。どうしてそれを受け入れてしまうのだろう。
呪いの王と一人で戦うことを決め、禍根を絶つために上層部をその手で皆殺しにし、さらには今後生まれるであろうヘイトまでもを一身に受けようとしている。
それでも唯一違うのは、自らがその役目を果たせなかった時の代わりを憂太に任せようとしているということ。
(なんで、今なんですか……)
一緒に戦うことも、その背を守ることも、共に罪を背負うことも、なに一つ許してくれなかったくせに、それでも五条の代わりを自分に託そうとしてくれる。それでも、憂太は五条の代わりになりたいわけじゃない。誰よりも側にいて、支えられる存在になりたかったのに。
「あくまで保険だよ。僕がいなくなった時にね」
「…………」
それは、五条が無事に戦いを終えた時は、また一人で背負うということではないか。それは嫌だと、憂太は五条の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
ぶつかるような乱暴なキス。それで五条から言葉を奪うと、憂太はそのまま至近距離で言った。
「いりませんよ、五条家なんて」
五条憂太。そう名乗る日が来たとしても、その側に五条が居なければ意味がない。五条の居ない五条家なんていらない。それは心の底からの本心だ。それでも、一つだけなら受け取ってもいいと、憂太は五条を睨む。
「代理になら、なってもいいです」
「代理?」
「五条家当主代理。もしくは当主側近。それなら、五条先生がいてもいなくても、役に立てますよね」
無事に戦いを終えた後も、一人で背負わせたりしない。一人で怪物にさせたりはしない。
「……二度も一人で行かせることを許したんです。肩書きの一つや二つぐらい貰わないと、割に合いません」
一人で戦わせること、一人で上層部を皆殺しにしたこと。
そのどちらも、憂太は自分も行くと願い出て、拒絶されたのだ。三度目は許さない。
「……もしもの時も、僕は代理にしかなりません」
五条家なんかいらない。そこに五条が居ないなら意味がない。それでももし、自分が五条家に入ることがあるならば、それは彼の隣に立つ時だけだ。
五条が望むなら、膿の受け皿だろうがなんだって引き受ける。一番近くにいる子。そう言ってくれた通り、五条が自らの代わりを託すのが自分ならば、その立場は誰にも譲らない。
「僕を、五条先生に追いつかせてください」
耐えきれず、声が震えた。
行かないでと、子供のように泣いて引き止めたくなる衝動を何度堪えたか分からない。どうしてこんなにも自分は子供なのだろうか。
独りで全てを背負おうとしないで。独りで先に進み続けないで。いつか必ず追いつけるように、側に置き続けて欲しい。
置いていかないで欲しい。
「……憂太は、僕に追いつきたいんだ」
「当たり前です。だから、たまには足を止めてくれないと困ります」
「ははっ。そこは憂太が頑張って追いついてよ」
そう言って笑いながら、また抱きしめられた。痛いほど強く抱き締めてくる腕に応えるように、憂太も五条を抱きしめ返す。
「……そっか、僕に追いつこうとする子も、いるんだよね」
ぼそりと独り言のように響いた言葉に、今更ですか、と抗議する代わりに五条の服を引っ張った。
「一生、誰にも言うつもりはなかったことを、憂太にだけ言ってもいい?」
「……なんですか?」
「一度しか言わないからね」
そう言って、五条が憂太の耳元に唇を寄せる。
「—————」
耳元で響いた声に、耐えきれなかった涙が溢れて流れる。
——愛ほど歪んだ呪いはないよ
かつてそう言った五条は、この時確かに憂太を呪った。
そうして五条家当主代理となった乙骨憂太は、生涯代理を名乗り続けた。