我儘『いつ来れる?』
そう五条悟が乙骨憂太にメッセージを送ったのは十日前。
自分を慕ってくれている憂太からは当然のようにすぐに返信が来た。
『今出張中なので、明日の夜なら』
『明日から三日間は僕が出張』
『ごめんなさい。三日後からはまた出張の予定が入っていて』
そんなやり取りを繰り返し、ようやく予定があったのは最初にメッセージを送った日からなんと十二日後の夜。しかもやっと時間が合ったというのに、ついさっきまた憂太からメッセージが届いた。
『伏黒君に手合わせを頼まれたので、一時間ほど遅れます』
五条の方から会いたいという意思表示をしたにも関わらず、十二日と一時間も待たされているのだ。これで不機嫌にならないはずが無い。
五条はいつもの場所である呪術高専内の秘密の地下室で、一人ソファに座っていた。
目の前のテーブルには、ストレス発散の為に食べ続けたアイスとプリンのカップがいくつも重なっている。それらもいよいよ残り一つとなってしまった。最後に残しておいたコンビニ新作スイーツの小倉抹茶プリンを手にしたところで、強い呪力の気配が猛スピードで近づいてくるのを感じた。そうしてこの地下室まで近づいてきたところで、急にその呪力の気配が消える。
その変化に笑みを噛み殺したところで、地下室の扉が静かに開いた。
「すみません。遅くなりました」
ゆっくりと扉を閉めてから、地下室に入ってきた憂太が五条の座るソファに駆け寄ってきた。そんな憂太を振り返り、五条は口を開く。
「へたくそ―」
「は?」
「呪力振りまいてたくせに直前で気配消すなんて、違和感ありすぎでしょ」
「……急いでて、呪力抑えるの忘れてたんです」
バツの悪そうな顔をしながら、憂太は五条の隣に腰かける。
この地下室は五条が校長や総監部にも黙って増築したものであり、その存在は極一部の関係者しか知らない。普段は五条がこっそりサボるために使っていたが、今では主に五条と憂太の密会用だ。
特級呪術師同士で、今は担任でもない。互いに任務を詰め込まれるせいでなかなか会える時間もない……、というのが上の狙いだろう。上の連中は、特級である五条と憂太が必要以上の接点を持つことを嫌っている。憂太にまで、五条のように反抗的な態度を取らせたくない、という考えが見え見えだ。
だが、そんな上の連中の思惑とは裏腹に、五条と憂太は互いにどうにか時間を作っては、この地下室で定期的に会っていた。
「……食べすぎじゃないですか?」
テーブルの上に山になったスイーツの痕跡に憂太はあからさまに眉を寄せる。
「どっかの誰かさんが、僕より恵を優先するからでしょ」
「伏黒君から手合わせして欲しいって言われたんですよ。そんなの、断れないじゃないですか」
「あーあ。すっかり後輩手懐けちゃってさ」
「ちょっと、こぼれますよ」
ごろりと横になった五条の手から、憂太が咄嗟に小倉抹茶プリンを取り上げてテーブルの上に置いた。そんな事お構いなしに、五条は憂太の膝に頭を乗せて横になる。
「憂太さー。もうちょっと下手になってよ」
「……どういう意味ですか?」
「強くて優秀すぎて才能ありすぎて慕われすぎてて困る。僕が憂太を独占する暇が全然ない」
「そんなこと、ないと思うんですけど」
「あるでしょ。実際、恵なんて尊敬できる先輩は憂太だけとか言ってたし。いい先輩のフリしすぎなんじゃない?」
恵が人に手合わせを頼むなんて、なかなかあることではない。最近の起きた出来事に恵も思うことがあったのだろうと思うが、それにしてもタイミングが悪すぎる。
「フリなんてしてませんよ」
そう言いながら眉を寄せる憂太の襟元を掴んで、軽く引き寄せた。
「してるでしょ。本当は、教師といけないことしてる癖に」
「そ、れは……」
「一時間も余計に待たされたんだから、機嫌とってよ」
「……この前は、先生の方が二十分遅れたじゃないですか」
五条自身も忘れていた前回の遅刻を掘り起こされて、思わず笑う。
「僕の方が四十分長く待ってるから、その分のお詫びはしてくれるでしょ」
「……仕方ないですね」
憂太の細い指が、アイマスクを撫でた。上にずらす様にゆっくりと剥ぎ取られると、少しかさついた憂太の唇が額に触れる。
「これじゃ三分ぐらいしかお詫びにならないよ」
「分かってますから、ちょっと黙ってください」
拗ねた口調で言い返され、揶揄うように笑うと、今度はちゃんと唇にキスをされた。
食む様に唇を合わせ、熱い舌で唇を舐める。そんな可愛らしいキスでは物足りなくて、憂太の唇を舌で抉じ開けた。
「んんっ」
途端に、喉奥で抗議の声を上げる憂太の舌を捕らえ、絡めて、吸い上げる。
「んっ、ふ……っ、あ」
襟元を掴んだままキスを深めれば、憂太から軽く髪をひっぱられた。
「ちょっと、痛いんだけど」
「僕は、体勢が苦しいです」
膝枕させたままのキスは、少し無理があったらしい。
身体を起こして首を回す憂太に「ムードがないな」と笑うと、彼は唇を尖らせた。
「だったら、どいてくださいよ」
「やだ」
「やだって……」
そんな子供みたいに、と笑う憂太の手が、五条の髪を撫でた。まるで幼子をあやすような優しい感触に、五条は目を閉じる。
「あー。本当にやだな」
「……なにが、嫌なんですか?」
自分とのやり取りに慣れてきた憂太は、この短い時間ですでになにかに気づいたらしい。ゆっくりと目を開けると、その瞳を真っすぐに見つめ返す憂太が視界に広がる。
「僕は、憂太を側に置いておきたいんだよね」
「僕だって、ここに居たいですよ」
強くて優秀で、才能に驕ることなく努力を惜しまない。そしてなにより、自らこの最強たる五条の隣に並ぶことを望む。
そんな憂太の存在は、五条の中ではとっくに生徒の枠組みから外れていて、常に手の届くところに置いておきたい特別な存在だ。でも、だからこそ憂太には、他の誰にも任せることのできない、自分の代わりを託したくなってしまう。
「両面宿儺の話は、もう聞いてるよね」
「……、はい」
封印の解かれた両面宿儺の指と、それを受肉した虎杖悠仁の存在。それは、一級以上の呪術師にはすぐに共有された。当然、憂太も例外ではない。
「呪術界をリセットする。そのためにも、不穏分子は早めに取り除いておきたい」
「はい」
「とはいえ、相手はあの両面宿儺だからね、ある程度の備えはしておきたい」
「僕はなにをしたらいいんですか?」
優秀な子は話も早い。だからこそ、五条は深く息を吐くと憂太の腹に顔を向けてその細い腰を抱きしめた。
「行かせたくないんだけどなー」
「でも、行かせるつもりで今日は僕を呼んだんですよね」
「ただ会いたかっただけ、って思ってくれてもいいんじゃない?」
「伏黒君が落ち込んでいましたから。なにがあったのかは、聞いてます」
恵の目の前で一般人が呪いを受肉し、一度は秘匿死刑が決まったのだ。それなりに、責任も感じているのだろう。
「執行猶予中の生徒をおいて、五条先生が長く高専を離れるのは危険でしょう。先生が動けない時は、僕が代わりに動きます」
「まだどこでなにをするかも言ってないのに?」
「それを聞いたからって、僕が行かないって言うと思いますか?」
「あー、やだ。ほんとやだ。優秀すぎてムカつく」
「理不尽じゃないですか、それ」
くすくすと笑いながら、憂太は飽きもせず五条の髪を撫で続けている。
いっそこのまま閉じ込めてしまいたい。そう思うほど、自分がこの存在を必要としている自覚はある。だが、それと同時にこの才能をここに留めておくのは惜しいという想いがあるのも事実。どちらの感情も、自分が憂太という存在を信頼しているからこそのジレンマなのだ。
これが以前の自分では考えられないような幸せな悩みだなんて、憂太は分かっていないだろう。
すると、憂太は五条の髪を撫でながらゆっくりと口を開く。
「先生が夢の話を教えてくれた日から、それは僕にとっての夢でもあるんですよ」
腐った呪術界をリセットしたい。それは、憂太が特級に返り咲いた時に伝えた話だ。自分の側に居るということは、遅かれ早かれ、必ずその混乱に憂太を巻き込むことになるだろう。だが、憂太はむしろ巻き込んでほしいと笑う。
「大体、しきたりとか世襲に縛られてたら、五条家当主の先生と僕がずっと一緒に居るなんて難しいじゃないですか」
「そんなこと考えてたんだ」
「だって、嫌ですよ。先生が誰かと結婚とかするの」
大真面目な顔でそう話す憂太に、五条は声を上げて笑った。
「僕が憂太以外を選ぶと思う?」
「思ってませんよ。でも、反対されたら嫌じゃないですか」
「そんなのさせるつもりないけど、まあ、そうだね。上の連中に横やり入れられるのは面倒だね」
腐った呪術界のリセット、なんて言い方だと物騒にも聞こえるのに、憂太の話では、まるで愛のための戦いだ。さすが、純愛を貫いた男は違うね、と五条はまた笑う。
「だから、行きますよ。いつでも、どこでも、それが先生の為になるなら、僕は動きます」
「あーあ。本当に、優秀すぎて困るよ」
名残惜しみながらも起き上がると、五条は憂太に向き合った。
「探してほしい物がある。たぶん日本には無いから、しばらく海外に行くことになるね。二、三ヶ月。いや、もっとかかるかもしれない」
「……それは、長いですね」
さすがに予想以上だったのか、憂太の表情が若干曇った。だが、すぐに憂太は五条の顔を見て笑う。
「それじゃあ、二、三ヶ月分、先生は僕の機嫌を取ってくれるんですよね」
そう悪戯っぽく言う憂太に、五条はくしゃりと髪をかき上げた。
「あーあ。ほんと、いけない生徒になっちゃったね」
どちらともなく手を伸ばして、抱きしめ合った。
互いの存在のみが満たすことができるのだと、二人はもう知っている。