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    ariari2523_dai

    @ariari2523_dai

    @ariari2523_dai
    ポプダイ中心に右ダイ、竜父子、ダイレオ。左右固定というよりは、解釈固定。「ダイ君可愛い」が信念。原作既読のアニメ完走組。基本的にSS書いてるか妄想してる。成人済み。

    https://www.pixiv.net/users/69573

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    ariari2523_dai

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    ディーノ君と約束の花冠(竜父子)
    if世界軸。捏造設定。
    ディーノ君と隠棲パッパシリーズの最終話になります。

    #バラダイ
    #ばらだいぱらだいす
    kaleidoscope

    ディーノ君と約束の花冠(竜父子) 砦を包み込んでいる最後の戦いに挑む戦士たちの興奮と勝利への意気込みの混じった空気が、砦の最奥に位置するディーノの部屋にも届いてくる。
     ディーノは身を起こすと、そっと寝台から抜け出して窓辺へと寄った。目を閉じて耳を澄ます。父であるバランか、もしくは誰か知った者の声が聞こえないかと思ってのことだったが、流石に声までは届かなかった。
    「何をしている、ディーノ」
     不意に声をかけられて、ディーノの両肩がびくりと跳ね上がる。背後の扉が開いて父が部屋へと入ってきた。
     声を探ることに夢中になりすぎて、肝心の父の気配に気づかなかったらしい。己の粗忽具合に、思わずディーノは頬を朱に染めた。
    「発熱は続いている。横になって身体を休めていなさい」
    「…………わかってるよ、父さん」
     渋々頷き、窓辺を離れた。こんな日にまで、とディーノは思う。
     今日は、ついに父が大魔王と雌雄を決する日だなのだ。父も、この地で友人となった者たちも、みな戦いに赴く。ディーノをこの砦に残して。
    「魔法使いの少年やパプニカの王女とは顔を合わせたのか?」
    「……昨日。出立前は慌ただしくなってしまって、ゆっくり話せないからって」
    「そうか」
     バランの大きな手を背に充てがわれた。寝台へ戻るようにと行動で促される。ディーノは沈む気持ちを押し隠して、おとなしく父の意に従った。
    「私もすぐに発つ。おまえは私の勝利を信じて待っていればいい」
    「……必ず無事に帰ってきて」
     勝利だけでは足らない。生きて無事に自分の元へ戻ってきてくれなければ。勝利だけでは何の意味もないのだ。
    「わかっている。必ずおまえの元へ帰ろう」
    「ねぇ、父さん。花冠は? 被らないの?」
     父の無事の帰還を祈って贈った花冠だ。共に行くことを許されないのであれば、せめて花冠だけでも父の側にあることを許されたい。
    「花冠……か」
     ディーノの問いに、珍しくバランは口篭った。見上げてくる琥珀色の純粋な瞳に気圧されて、態度に出さずとも内心では目を泳がせる。
     己の戦装束に合わせた色で作られた花冠は造形も彩りも美しい。息子の想いが込められているのも知っている。世界にひとつだけの至宝だ。
     だからこそ、その花冠を身につけて大魔王の元に向かうことには、少々憚られるものがあった。万が一落としては目も当てられない。下手をすれば失くしたことに気を取られて不覚をとることもあり得る。
     己の父の強さを信奉する息子の前で、そんな理由は語りづらい。ましてや、これが今生の別れになるかも知れぬと、覚悟を決めている息子の前では。
    「……花冠なら懐に忍ばせてある」
    「そっか……その方が落とさずにすむもんね」
     ディーノは父の胸に顔を寄せ、その背に手を回した。ぎゅっと力を込めて抱きしめる。ディーノの小柄な体格では、父の背に手を回しきることはできない。反対にすっぽりと父の懐に閉じ込められて、力強く抱きしめ返されてしまう。それが寂しくも嬉しくも感じた。
     ディーノが背伸びをすると、息子の意に気づいたバランはそっと片膝を地につけ屈んだ。柔らかな吐息とともに、ディーノの唇が額に降りてくる。真摯な眼差しを向けてくる息子による帰還の祈りを込めて行われるそれは、いつもバランの心に小さな灯火を熾す。
    「……ご武運を」
     ディーノは父の額に口づけた。ここに現れるであろう紋章が、父の力となってくれることを願って。
    「ああ、行ってくる」
     バランは腕の中のディーノを再度抱きしめると、自分に似て髪の流れの癖が強い旋毛に、続けてまだ小さな額へと口づけを返した。

     
     
     
     
     息苦しさを感じて、ディーノは目を覚ました。ぼんやりとした意識が浮上しきるまで、起き上がることはせずに細い呼吸を繰り返す。
     緊張が続いたためか、ここ最近発熱状態で動いていることが多かったためか、父と別れひとりになった途端に疲れを意識したのか———少しばかり身体が重く感じた。もしかすると熱が上がったのかもしれない。息苦しさはそのせいだろうか。
     疑問を抱きつつも寝台の上で寝返りを打つ。父を見送ってから、どれほどの時間が経ったのだろう。
     今朝のあの空気が嘘のように、砦は不気味なほどの静けさの中に佇んでいた。静かすぎて、肌にちくりとどこか冷たい空気が刺さる。
     身体を休めるべきだという理性に反して、目を覚ませと本能が警鐘を鳴らして声高に叫びを上げた。
     ディーノが相反する心中に戸惑うと同時に、大きな爆破音が鳴り響いた。びりびりと部屋の壁や窓を振動させ、壁の一部に罅を走らせる。部屋と反対の方向から轟くそれは、おそらく砦の正門を撃ち破るものだ。
    「……っ?!」
     間もおかず聞いたこともないような魔物たちの咆哮が響き渡り、それに応戦していると思われる人間の鬨の声が波のように伝わってきた。魔法や魔物たちのブレスによる轟音と剣戟の音が入り混じって徐々に近づいてくる。
    「砦が……襲われている……?」
     ディーノは愕然として呟いた。
     今朝までこの砦にいた人間の大半は、大魔王の居城に乗り込んでいるか、大魔王への道を切り開く魔法陣の守備についている。砦にはレジスタンスを率いる女王も、アバンの使徒を導く師もおらず、僅かな手勢が残るのみだ。今更ながら大魔王がこの砦を落とす必然性も価値もないはず。
    「あ…………っ…!」
     そこまで考えて至った結論に、ディーノは瞑目して唇を噛み締めた。
     大魔王はこの砦に用があるのではない。用があるのはディーノ自身、否、己の首を取りに来た竜の騎士を牽制し、制圧するための駒だ。この砦にやってくる前にも、経験したことではないか。
     このままこの部屋の中で身を隠すべきか、それとも撃って出るべきか。ディーノは寝台から身を起こすと、焦燥感に駆られながらも己の身の置き方を逡巡した。
     あの時はアバンの助けが入り、最終的に大魔王の手に落ちることを回避できた。しかしその恩人であるアバンは、今この砦にはいない。
     では身を隠すべきか。部屋の中を見渡し、ディーノは小さく首を横に振った。相手は明確な意志と意図をもってディーノを捕らえにきている。隠れる場所など寝台の下くらいしかないこの部屋では、見つかるのも時間の問題だ。
     ディーノは意を決すると寝台から飛び降りた。
     枕の下に手を伸ばし、隠し忍ばせている短剣を取り出す。両手で持ち、胸の前で鞘ごとぎゅっと握り締め、部屋の外の動向を窺うために耳を澄ませた。
     金属音を伴った重い複数の足音が、荒い息遣いを吐く気配が、間違いなく部屋へと近づいて来ている。途中の部屋の扉を破壊して中を確認しているのか、足音は少しずつ減っていく。
     残った足音が、部屋の扉の前でピタリと止まった。
     足音は二体分。扉を上手く使えば、一対一で対峙できるはずだ。
    「……くる…ッ!」
     鞘から引き抜いた短剣を薙ぎ払うのと、部屋の扉が砕かれるのは、ほぼ同時だった。ディーノの手にした短剣と侵入者の獲物が、きぃんと尖った音を立ててぶつかった。
     抵抗があるとは考えていなかったのだろう。最初に部屋に侵入してきた銀色の鎧姿の怪物———さまようよろいだ————が、剣を取り落としてたたらを踏む。
    「メラミ!」
     相手が体勢を崩している隙を狙ってディーノは呪文を放った。前回の襲撃の際は体当たりをしたが、小柄で体重の軽いディーノではほとんど効果を得られなかった。相手が人間ですらそうであったのだから、体躯も体幹も人間より上であろう怪物相手では、懐に飛び込むだけの結果になってしまう。
     一瞬でそう判断した自身を不思議に思う暇もなく、ディーノはバギマを唱えた。真正面から食らったメラミの衝撃で、背後に控えていた二番手の怪物ごと吹き飛んださまようよろいは、真空の風に切り刻まれてパーツごとにバラバラになって沈黙した。
     口のきけないさまようよろいに代わって断末魔の悲鳴を上げたのは、マントを纏い鉄球を装備した、ディーノが見たこともない魔物だった。ごくりと息を呑む。
    「………………知らない魔物だ……」
    「魔界の怪物たちらしいよ」
     聞き知った声へとディーノが顔を向ければ、剣を手にしたノヴァがいた。半ば苦笑してディーノを見ている。急ぎ救出すべく向かった相手が、自ら戦っていたからだ。
     ノヴァの隣にはディーノの知らぬ巨躯の男が、両脇に怪物の頭を抱えて締め上げながら辺りを警戒して見回していた。
     ふたりの背後には多くの怪物たちが倒れている。おそらく他の部屋を調べていた怪物たちだろう。出てきたところを、このふたりに倒されたのだ。
    「ノヴァ! 魔界の怪物って……大魔王が連れてきたやつらなの?」
    「おそらくは。それにしても君ときたら……こんなに動いて大丈夫なのかい?」
    「……い…今のところ…は」
     眉を顰めながらのノヴァの問いに、ディーノはなるべく平静を装って小さく頷いた。実のところ心臓は飛び出してしまうのではないかと思うほど跳ね上がっており、急に激しく動いたり魔法を使ったりしたために眩暈と吐き気に襲われている。
     この非常時にさえ思うままにならない己の身体に、ディーノは項垂れ、内心で歯噛みした。こんな身体でなければ、父はともに征くことを許してくれただろうか。何度も夢想し、そして身の程を知れと己で否を突きつけてきた。大魔王と対峙できるだけの力などディーノは持ち合わせていない。戦士団の団長として数多くの戦いを制してきたノヴァですら、大魔王の元へ征くことを許されなかったのだから。
     短時間とはいえ戦闘を行ったが、幸い呼吸は問題なくできており、身体のどこにも痛みはない。とはいえ、いつまでもこの調子を保っていられる保証はない。
     身体が動くうちに自分にできる戦いをしなければ。ポップに言われたように病と戦うこと、そして己の身は己で守ること。それが命を賭した戦いを迎える父の後顧の憂いを断ち、父の戦いの一助となるのだから。同じ地に並び立つことだけが、ともに戦う術ではないはずだ。
     結論づけて顔を上げた途端にくらりと揺れたディーノの体を、抱えていた怪物を放り出した巨躯の男が支えてくれた。
    「……団長殿、この坊主がディーノとやらか」
    「あぁ。竜の騎士バラン殿の御子息だ。……体調のこともある。丁重に頼むよ、ゴメス」
    「わかってるさ」
     荒々しい所作と言葉遣いに反して、ゴメスはゆっくりと丁寧な動きでディーノを抱き上げた。ノヴァが寝台から持ってきた毛布を受け取ると、それをフードのように頭から被せてディーノを包み、片腕に座らせて小柄な体を支える。
    「酷ぇ顔色だ」
     ディーノの顔を覗き込みながら、ゴメスは気遣わし気な面持ちを浮かべた。そんな彼の言葉に、ディーノはそっと視線を伏せて、乾いた唇を引き結ぶ。
     思い詰めたようなディーノの様子に、ノヴァとゴメスは顔を見合わせて小さく息を吐き頷きあった。己の体調について、ディーノはきちんと把握できているのだ。そして現状、安静は優先すべき事項ではなく、無理を押し通す覚悟をディーノが決めているということも。
    「……しっかり短剣を持ってろよ、坊主………いや、ディーノ。戦いはこれからだぜ?」
     ぽんと背中を数度軽く叩かれた。
     慰めるような、励ますような、ゴメスの行為に押されて、ディーノは思わずゴメスの顔を見つめてしまう。そこには暖かな光を湛えた目を細めて、にやりと意地悪く笑う彼がいた。
     ほらよ、とばかりにぞんざいに鞘を渡されて、ディーノは慌ててそれを受け取り、こくりと頷いた。
     砦を出て正門を抜けると、吹き上げた風にフード代わりにディーノの頭に被されていた毛布が外れた。振り返れば、死屍累々と怪物たちの骸が転がっている。大魔王の本気が窺えて、ディーノは小さく身震いした。ディーノの震えを寒さゆえと考えたのかゴメスが再び頭から毛布を被せてくれた。
     無骨だが優しい大男に抱き抱えられたまま、ディーノはゆっくりと徒歩で移動を開始する。
     行き先はロロイの谷という場所だ。そこで砦にいた人間たちは戦陣を敷いているという。ロロイの谷は隠れ砦の北方、徒歩で二刻ほどの所に位置し、切り立った岩崖に挟まれた峡谷だ。
     大魔王の空飛ぶ宮殿の動きを止めるための特別な魔法陣を敷いた場所であり、そこから父もアバンたちも敵地へ乗り込んだという。
    「ロロイの谷には大魔王が落としたピラァ・オブ・バーンのうち、黒の核晶の機能を停止させられただけで、唯一破壊されていない塔が建ってるんだ」
    「……?」
     首を傾げるディーノの訝し気な表情を前に、ノヴァは小さく笑った。
    「君のお父上やアバン様たちが姿を現した場所の近くに、黒の核晶を起動させられる可能性のある塔があればさ、自分に歯向かう者たちを一気に片付けられる……普通そう考えるだろう? 大魔王もそうだったってことだよ」
     おびき出された空飛ぶ宮殿———バーンパレスというらしい———は動きを止められ、最終的に父たちの侵入を許すことになったそうだ。
     砦にいた戦士たちは、その特別な陣を発動させるまでの間、大魔王の軍勢と戦っていたという。その際に戦った見慣れぬ怪物たちが魔界から来たものであると説明を受けたそうだ。
     ノヴァとゴメスに道すがら説明を受け、ディーノは少しずつ状況を理解していくことになった。父は出立と帰還の予定について告げるだけで、戦況について全くディーノに話すことはなかった。それはポップやレオナもだ。おそらく父によってディーノに話すことを禁じられていたのだろう。
     戦況を知ることによる精神的負荷で息子の体調を左右しないようにするための、父なりの配慮だったのだろうとディーノにはわかっている。しかしそれを寂しく思わないわけではない。
    「君を砦に待機させることについては、アバン様もバラン殿も危惧されていた。君はお父上にとってのアキレス腱だからね」
    「…………うん。ノヴァたちはどうやって砦の襲撃に気づいたんだい?」
     悔しいがそれは事実だった。ディーノはただ静かに頷く。だが襲撃については不思議に思っていた。ノヴァもゴメスも、計ったようなタイミングで救助に来てくれたからだ。あのままディーノひとりで応戦していては、おそらく数分ももたないうちに力尽き、大魔王の手に落ちていただろう。
    「仲間にね、素晴らしい能力を持った占い師の女の子がいるんだ。彼女が砦の襲撃を予知した」
    「今すぐに砦に向かってください、ディーノさんに悪意に満ちた気配が近づいています!……ってな」
     占い師の少女の口調を真似たのだろう。少しばかり芝居がかった高い声でゴメスがノヴァの言葉の後を継ぐ。
    「大魔王の野郎がディーノ……おまえさんに手を出すかどうかは賭けだった。おまえの父ちゃんは随分とそれを心配してたぜ?」
    「と、とうちゃん……?」
     聞き慣れぬ言葉にディーノの思考が一瞬フリーズした。これまでの説明が頭に入ってこなくなる。それが父のことだと理解した途端に、心と背中がむず痒くなってきた。嬉しいような恥ずかしいような不思議な感覚だった。
     少しばかり頬を染めながら琥珀色の瞳を瞬かせるディーノの姿に、ノヴァとゴメスは彼の心の澱が薄れたことを把握した。自分たちを取り巻いていた緊張由来の硬い空気が、柔らかく解れたことに安堵して微笑む。
    「さぁてと、ロロイの谷までこの調子で歩いて行きゃあ三刻はかかる。ディーノ、これ以上体調が悪くなったらすぐに言ってくれよ」
    「ひとまずフローラ様と合流する。今の君にとって、それが一番お父上の意に沿うことになるだろう」
     屈強な戦士たちの足であれば二刻の道のりも、ディーノの身の負担にならぬようなゆっくりした足取りでは三刻以上かかるだろう。途中で休憩をとることになれば、もっと時間がかかる可能性もある。
     ロロイの谷に到着するまで、大魔王の息のかかった者に見つからないことを祈るばかりだった。
     
     
     

     どこかふわりと浮いたような感覚に続き、頼りなく揺れていた身体は確かな接地感を得た。それに伴って意識がはっきりし始め、ぼやけていた視界に焦点が結ばれていく。
    「…ぅん…………?」
    「あ、起きたのかい、ディーノ」
     ノヴァが顔を覗き込んでくる。ゴメスに運ばれながら、いつの間にか眠っていたらしい。
     ゆっくりと視線を巡らせれば、どうやら小休憩に入るところだったようだ。ロロイの谷へと続く山道から少し逸れた場所で、ノヴァとゴメスは水筒を片手に地面に腰を下ろしていた。万が一の襲撃に備えて、ふたりとも跪坐だ。
     反してディーノ自身は毛布に包まったまま寝かされていた。あまりの面目の無さにディーノは小さく唸ると、重たい上半身を起こした。
    「横になったままでも構わない。移動で疲れただろう?」
    「悪ぃな。できるだけ丁寧に寝かせたつもりだったんだけどよ?」
     ふたりの気遣いにディーノは小さく首を振る。
     砦を発った時に比べて身体中に怠さが広がっていた。発熱に起因するものだろう。ふたりに気づかれぬように、そっと歯噛みした。
    「……ここは…………?」
    「まだ道中だよ。谷まではあと一刻ってところかな? はい、これ。飲めるかい?」
     ノヴァはカップへ包み紙の粉を入れると、メラの炎で沸かしたやかんの湯を注いだ。匙でさっとかき混ぜる。
     ノヴァにカップを手渡されて、ディーノは手にしたそれを凝視した。少しばかり粘性のある緑色の液体が、カップに少量注がれている。そっと臭いを嗅いでみれば、いつものマトリフ特製の解熱鎮痛の薬湯のものだった。
     どうやらこの小休憩はノヴァとゴメスのためではなく、発熱したディーノに投薬するためのものだったようだ。
    「……ありがとう」
    「ふふ、用心深いね。お父上に言われているのかな?」
    「…………ごめん、なさい」
    「いや、ボクが君の立場でもそうした。気にしないでくれ」
     こくりと飲み干す。薬湯の苦味に顔を顰めていると、ゴメスが水をわけてくれて口直しができた。
     ふたりに再度横になるように勧められたが、ディーノは固辞した。ふらりと揺れる身体では、体調的に跪坐は無理だが、せめて身を起こしたままではいたかったのだ。
    「おまえさんも大変だなぁ。散歩もろくすっぽできないんじゃねぇか?」
    「……ゴメス」
     憐憫の色の混じったゴメスの言葉を、ノヴァが咎めるように制する。ディーノは真正面から尋ねられたことに少しばかり苦笑した。
    「あ、すまねぇ。おまえさんを貶めるつもりはなかったんだ」
     ゴメスの謝罪を受けてディーノは微笑んだ。小さく首を振って気にしていないと示す。今までも誰もが遠慮して気遣い、声に乗せたことがなかっただけで、そう思っていたに違いない。
     この巨躯の男は根が素直で真っ直ぐなのだろう。ディーノはゴメスという人物にある種の好感を抱いた。
    「昔は今ほど酷くなかったんだ」
    「それは……」
     歳を重ねるごとに体力は落ちていて、寝込む日はあったとはいえ、数年前までは体調の良い日は父と散歩に出たり、魚釣りをしたりしていたのだ。無意味に動き回ることは禁じられていたが、少々歩き続けたくらいで息も絶え絶えになったりはしなかった。十歳になって父から短剣の扱いの手解きを受けもしたのだ。
     短剣の扱いを習得して父に及第点を貰えた頃だっただろうか。ディーノはこれまでにない大きな発作に見舞われた。それが———転機だったのだろう。
     冥府へ旅立つことは回避できたが、不調から回復し切るだけの体力を失ってしまった。不調を重ねる度にディーノの身体に澱のように積もっていくダメージは、その小さな身体を蝕んでいく。
     そのことに気づいてしまった父の顔に浮かび上がった絶望の色を、ディーノは忘れることができない。ひとり残される父を慰めるべきなのか、先立つことを謝罪するべきなのか、結局のところ父に何を語ればいいのかもわからない。
     ディーノの未来にお互いに気づかないふりをして、今日まで生きてきたのだ。きっと、この先も、そうして生きていく。もちろん、大魔王を倒したあとの話になるが。
    「父さんやアバン様たちは、今頃どうしているのかな……」
    「パーンパレスに乗り込んでから、そろそろ四刻ってところか。みんな無事であることを祈るしかな…………ッ?!」
     不意にノヴァが剣を手に立ち上がった。
     鞘から抜き放った剣に闘気を込めて前方の森を薙ぎ払う。剣の軌跡は衝撃派となって木々を切断して吹き飛ばした。
     濃い血の臭いが周囲に立ち込めた。ノヴァの放った技は木々だけでなく、木々の影に身を潜めていた怪物をも倒したようだった。
     しかし怪物たちはどの個体もが、断末魔の声どころか息遣いひとつすら零さなかった。それは不自然すぎるほどに。
    「……こいつ、は…………!?」
    「げぇっ! 団長さんよォ、ちょいとグロテスクにすぎるぜこりゃぁ……」
     首を落とされたもの、内臓を溢し引き摺るもの、四肢を失って這い迫るもの。夥しいほどの血を流し、肉片をばら撒きながら、先ほどノヴァによって木々ごと薙ぎ払われた怪物たちが、三人を包囲し、輪になってじりじりと距離を詰めてくる。
    「……ひ…っ……?!」
     凄惨な光景を目にして、ディーノは思わず息を引き攣らせた。
     この怪物たちはゾンビだ。死んでなお、その肉体を悪しき術で操られる哀れで悲しい存在。命への冒涜に怒りすら湧いてくる。
     飛びかかってきた一体目はノヴァの剣によって両断された。続いてゴメスの拳が二体目の腹に食い込んだ。勢いに乗せて後方へと吹き飛ばす。三体目は気を取り直したディーノの放ったメラミの炎の中に消えた。
     短剣を手にしてディーノは立ち上がった。ディーノの短剣は護身術がメインであり、対複数の体格差のある相手の懐に飛び込むことには向いていない。
    「みんな集まってくれ!」
     ノヴァに呼応して三人で背中合わせになって構える。
     怪物たちが地を蹴って、あるいは羽を伸ばして、襲いかかってきた。ノヴァの斬撃も、ゴメスの豪腕も、ディーノの魔法も、怪物たちを振り払うことはできても、動きを止めることはできなかった。
     どんなに切られようと、どんなに肉体に衝撃を与えようと、どんな魔法に飲み込まれようと、怪物たちは立ち上がって何度も何度も襲いかかってくる。
    「くそっ、キリがねぇ……!」
     怪物たちの包囲網はどんどん狭まってきていた。多勢に無勢なうえに、相手は既に死んだ肉塊だ。倒しても倒しても終わりが見えない。
     飛びかかってきた鎧を着たサイのような怪物にメラの炎を浴びせ、火に包まれてもなお前進してきた相手に、ディーノは地を蹴って半ば体当たりするように急所へ短剣を突き刺した。
    「ぜぃ……ぜぇ……ぜぃ……っ」
    「ディーノ……ッ!」
     喘鳴混じりに肩で大きく息をしながら短剣を引き抜くディーノの様子に、ノヴァは声を張り上げる。鎖で繋がれた鉄球を振り上げる怪物が、手にした獲物をディーノへと振り下ろしたからだ。
     躱すどころか膝を崩してその場に倒れそうになったディーノの体を、咄嗟に伸ばされたゴメスの腕が引き寄せた。間一髪で鉄球を避けることに成功する。
     このままでは埒があかない。
     ノヴァは前方の怪物たちを闘気を纏った剣で吹き飛ばしながら戦況を分析した。
     相手は不死なのだ。倒しても倒しても立ち上がってくる。一方で自分たちの体力には限界があり、尽きるまでのカウントダウンは既に始まっているのだ。
     何よりディーノは、これ以上の戦闘続行は難しいだろう。ゴメスに礼を述べて身を離してはいるが、もはや自力で両の足で立つだけで精一杯の様子だ。そして彼の乱れた呼吸は、こうして戦い続けていては戻らない。自分達と違って絶対的な安静を要するのだ。
     戦士団の団長としての判断は早かった。
     ノヴァはディーノの元へ駆け寄ると、腕の中に小柄な身体を引き寄せた。そのままゴメスに手を伸ばす。
     ゴメスもまた瞬時にノヴァの意図を悟った。伸ばされたノヴァの手を掴む。
    「ルーラ……ッ!!」
     ノヴァの全身から魔法力が放たれ、瞬間移動呪文が発動した。
     
     
     
     
     
     ルーラは思い描いた地へと超高速での移動を行なう魔法だ。薄い魔法力の壁に全身を包まれて護られるとはいえ、相応の体への負担はある。健常者であれば何の問題もないが、心の臓の弱い者や、何らかの疾患を抱えている者などへの使用は推奨されていない。
     腕の中のディーノが僅かに顔を歪めるのを、ノヴァは奥歯を噛み締めながら見つめた。
     あのまま戦い続けても、いたずらにディーノの力が尽きるだけだ。それならば、たとえディーノの身体の負担になろうと、死出の状況から脱することをノヴァは選択した。幸いロロイの谷は目と鼻の先だ。理を曲げる時間は短いはず。
     地響きもかくやと言わんばかりの音を立てて、三人は地面へと着地した。岩壁や大地の亀裂などの自然物を利用して身を隠していた戦士たちが、突然の轟音に驚いて顔を出している。彼らの役目は、アバンたちが創り上げた魔法陣を大魔王の手の者から死守することだ。
     ノヴァは素早く周囲を見渡し、間違いなくロロイの谷へ戻ってきたことを確認した。ここを離れる前に交戦した魔界の怪物たちの骸が転がったままだったが、その数は増えていないように思える。自分が離れている間には戦闘がなかったのだろうとノヴァは結論づけた。続けて腕の中のディーノの様子を確認する。
    「ディーノ、大丈夫か?!」
     ノヴァの問いかけにディーノからの返事はない。それをするだけの余裕がディーノにはなかったのだ。
     ノヴァに体を預けたまま、滑ってずり落ちるようにしてディーノは地面へと両膝を着きくずおれた。青白い顔色して何度か咳きこみ、苦しげにひゅうひゅうと細い音を立てて肩で呼吸をする。
     頭が割れるように痛む。喉の奥で血の臭いがした。
     ノヴァは何故あんなに申し訳なさそうに見つめてくるのだろう。怪物たちの囲いから助けてくれたのに。ノヴァに何か伝えなければ。それが礼なのか謝罪なのか慰めなのか。高熱のせいで上手く思考が纏まらない。
     自分の力で地に足をつけて立たなければ。それだけはわかるのに肝心の両足に力が入らなかった。
     込み上げてくるものに逆らえずに咳き込む。何度目かの咳で鉄錆の味が口内に広がった。耐えきれずに吐き出す。溢れ出たそれは口の周りを汚し、顎を伝って衣服を赤く染めていく。
    「ディーノ!!」
    「……お、おいっ…………?!」
     慌ててゴメスがディーノを抱き上げた。従軍医か回復魔法を使える者を探して面々の間に視線を彷徨わせる。
    「戻りましたね。ご苦労様でした、ノヴァ」
    「フローラ様!」
     ルーラの着地音を耳にしてノヴァの帰還を把握したのだろう。クロコダインとゴースト君を従えたフローラが岩影から現れた。フローラはディーノを見て痛まし気に眉根を寄せ、僅かに俯いた。しかし再び顔を上げたその時には、顔色ひとつ変えずに指示を出す。
    「ディーノ君をこちらへ。念のためにマトリフから預かっている薬があります」
    「はい。ゴメス、頼む」
    「おう」
     神妙な顔をしたゴメスがフローラの後をついて行く。こちらの様子に気づいたらしい賢者のエイミが駆け寄って来るのが、ノヴァの視界の端に映った。ディーノの治療に当たってくれるのだろう。
    「キイーーヒッヒッヒッ!」
     ゴメスの後に続こうとしたノヴァは、突如頭上から降ってきた甲高い不愉快な響きの老人の笑い声に足を止めた。瞬時に剣を引き抜き振り仰ぐ。
    「誰だっ?!」
    「ワシは妖魔司教ザボエラ! 大魔王バーン様の一の部下よ」
     ノヴァの誰何の声に応えたのは、ローブ姿の小柄な魔族の老人だった。周囲に部下らしき者は見当たらず、こちらの武器の届かぬ場所から睥睨している。不遜な物言いにも関わらず、挙動はどこか小心者のようで、きょどきょどと周囲を見回していた。
     その血走った目がディーノの姿を捉える。ザボエラは下卑た笑みを浮かべ、舌舐めずりした。
    「相見えるのは久しいのぉ、小童。いや、直接会うのは初めてだったか。このザボエラ様が自ら迎えに来てやったぞ。ありがたく思え!」
    「……!!」
     ザボエラの言葉に、岩影から戦士たちが飛び出してきた。ノヴァを先頭にして剣を構え、不気味な気配を放つザボエラと相対する。
     ディーノは咳き込みながら、己を捕らえに来たという魔族の老人を見上げた。ザボエラの姿を目にして、愕然と琥珀の瞳を見開く。
    「…あ……!」
     忘れるはずがない。あの日、ピラァが落とされた日、父が家を出た間を計って襲ってきた魔族だ。父を訪ねて来ていた人間たちを殺し、大魔王の元へディーノを攫おうとした老魔族だ。
    「おまえ……あの…時……のっ……!」
    「以前はおまえの父やアバンとかいうゴミに邪魔されたが……今回はそうはいかぬぞ。この場のゴミどもをまとめて片づけて、大魔王様の御前まで引き摺り出してやる!!」
     ザボエラの体から妖魔力が立ち昇った。やがてそれは圧縮されたエネルギーの塊となって妖しい赤紫をした幾つもの光の球体を形どる。
     呪文が放たれると判断して身構えたノヴァたちを嘲笑うかのように、それぞれの球体は倒れ伏している怪物たちを襲った。
    「っ?!」
    「貴様、何を……!!」
     突然の凶行にノヴァを始めとする戦士たちは絶句した。まさか使い捨ての駒とはいえ、同陣営のものの骸を攻撃するとは。人間たちは目の前で何が起こっているのか理解できないまま、赤紫の球体を埋め込まれた怪物たちの死骸が浮き上がって集まりだすのを呆然と見つめた。
    「先ほどは上手くワシの放った死骸どもの手から逃れられたと思うておったろう? キヒヒ、これもワシの作戦よ……! この最強兵器を創りだすには、大量の死骸が必要なんでな! ここまで戻って来させる必要があったんじゃぁっ!!!」
     ザボエラの煽りにノヴァは唇を噛んだ。終わりのない消耗戦から脱することが、まさか敵の術中にハマっていたとは。
    「超魔、合成〜〜!!!」
     果たしてそこには、怪物たちの死骸を取り込み再合成したおぞましい研究の成れの果て、この地にいるどの生物よりも大きく、邪悪な気配を纏った、超魔ゾンビと呼ばれる兵器が佇んでいた。
    「さぁ、その小童を寄越せ! さもなくばこの場にいるゴミは全て踏み潰してくれるわ!」
     ザボエラが乗り込んだ超魔ゾンビが、ディーノへと腕を伸ばしてきた。ゴメスが体を捻って紙一重でそれを躱す。
     ディーノを腕に抱いているゴメスは両手が塞がっており、反撃どころか、ディーノに振動を伝えまいとするばかりに、まともに身動きもとれなかった。
    「ゴメスの抱く少年を死守! 彼が敵の手に渡れば、竜の騎士バランが大魔王と戦いにおいて不利となるでしょう!!」
     フローラの号令に戦士たちが呼応して吠えた。剣を構え、大地を蹴って駆け出し、先陣を切って行く。
    「団長!」
    「ノヴァ様!!」
    「ボクに続け! なんとしてもディーノを守るんだ!」
    「はっ!」
    「承知!!」
    「ノ…ヴァ……!」
     息絶え絶えのディーノの呼びかけが耳に届く。ノヴァは振り返ると笑顔を見せた。
    「待っていてくれディーノ。あいつを倒して、後顧の憂いなくお父上のご帰還を待てるようにしてやるからな!」
    「…………ありがとう、ノヴァ。気を…つけて」
     飛び出して行くノヴァを見送り、ディーノは手の甲で口元を濡らす血を拭った。父から貰った短剣を胸元で抱きしめる。
    「あそこのデカい岩影に身を隠すぞ。そしたらすぐに治療できるやつを連れて来る。それまで頑張れよ、ディーノ」
     ゴメスはその巨躯からは想像もできないほど丁寧に、しかし素早く岩影へと移動した。ゆっくりとディーノを下ろし、岩肌にディーノの背を凭れさせる。
     周囲を見渡していたゴメスが、目当ての人物を見つけたのか走り出したのを、ディーノは霞む視界に映した。
     薬にしろ、回復呪文にしろ、即効性があるわけではない。すぐにディーノが戦闘に加われるような状況にはならないだろう。せめて父やノヴァたちの邪魔にならぬようにせねば。不甲斐なさからくる自虐の念がディーノの心を絡めとる。
     戦況を確かめるために、そっと岩壁から顔を覗かせたディーノは、目にした光景に絶句した。
     超魔ゾンビと呼ばれる死骸を合成した兵器は、圧倒的な強さを見せつけていた。飛びかかった戦士をまるで虫でも払うかのように地に叩き伏せ、足下の戦士たちを踏み潰す。
     無双する超魔ゾンビを取り囲み、なんとか動きを制しようと試みているようだが、それも長くは続きそうになかった。じわじわといたぶるように、悪魔の兵器は戦士たちを屠っていく。
     谷間に響き渡る怒号と悲鳴が、ディーノの体に刺さるようだった。叫び出しそうになる衝動を抑えて、ぐっと歯噛みする。
    「ヒィーヒッヒッヒッ! そこかぁ……小童!!」
     ザボエラの声が谷間に響き渡るのと同時に、超魔ゾンビが地面を蹴った。一飛びで戦士たちの囲いを飛び越え、ディーノが身を隠す岩影まで跳躍すると、地響きとともに埃を舞い上げ着地し、にたりと口端を吊り上げる。
    「……っ!」
     自分へと伸びてきた超魔生物の腕を、ディーノは地面を転がってもんどり打ちつつかわした。左手を着いて上半身をなんとか起こす。右手は短剣のグリップをぐっと握りしめた。何があろうと、短剣だけは手放す気はなかった。今のディーノにとって、短剣は身を守るための武器であり、父が贈ってくれた御守りであり、その父と自分を繋ぐ縁だ。
     反撃の糸口を見つけなければ。ディーノは自分を見下ろす超魔ゾンビを睨み上げた。
    「往生際の悪い小童よのぉ。ワシとともに来て、偉大なる大魔王バーン様の地上支配の礎になれることを誇るがいいわ」
    「ディーノ!!」
     ノヴァが決死の表情で駆け寄って来る。
     そんなノヴァを超魔ゾンビは無造作に腕を振るって吹き飛ばした。軌道上にいた黄色いマントを身に纏った長髪の魔族らしき男が、吹き飛ばされたノヴァを受け止めている。
    「さぁ、来い小童ぁッ!!」
     再び伸ばされた超魔ゾンビの腕を射るように凝視し、ディーノは手にしていた短剣を下から上へと大きく振り上げた。放たれた衝撃波が空を切って超魔ゾンビに衝突する。ぐらりと、その巨大な体躯がバランスを失って揺れた。
    「やったか?!」
    「……あれは……! バラン殿と同じ紋章……っ!!」
     ディーノの額には、青白く光る紋章が浮き出ていた。バランとともに出撃した際、戦場でノヴァが彼の額に見るものと同じ紋章だった。
     神の御使いだという竜の騎士が持つ、証であり神秘の源でもある竜の紋章。バランだけでなく、ディーノも持っていたのかと、ノヴァは小さく息を呑んだ。
     ディーノの一撃を食らった超魔ゾンビは、確かに体を揺らしたが、それも一瞬のことだった。巨躯に当たった衝撃波は、特にその体にダメージを与えることなく、合成された肉の塊へと吸い込まれていく。超魔ゾンビはたたらを踏んだあと、反り返りかけた体勢をあっという間に立て直した。
    「あ……っ?!」
    「愚か者がぁっ! おまえに竜の紋章があるのは百も承知よ! じゃが未熟なおまえごときの力であれば、相殺は可能と踏んだのよっ!!」
     鳩尾部分の飾り窓的球体からザボエラが顔を出した。愕然と見上げてくるディーノを、まるで汚物を目にしたかのように顔を顰めて見下ろし、甲高く耳障りな声音で傲慢に笑った。
    「聞き分けの悪いワルガキにはお仕置きが必要じゃよなぁッ!」
     超魔ゾンビの左拳がディーノを襲った。避ける暇も体力もなく、小柄な身体が殴り飛ばされる。ディーノはそのまま近くの岩壁に背中から叩きつけられた。
    「か…は……っ!!」
     血を吐き、その場に倒れ伏した。
     起き上がらなければ。そう思うのに指先一本動かせなかった。打ちつけられた衝撃で脳震盪を起こしてしまい、目眩で視界が何重にもぶれる。どこか骨でも折っただろうか。全身で痛みを感じていてディーノにはよくわからなかった。ひゅうひゅうと細く紡ぐ呼吸は頼りなく、常に鉄錆の臭いを纏わせている。
     けれど痛みを感じている間は、細くとも呼吸を紡いでいられる間は、生きているのだ。立て。立ち上がって自分の身は自分で守れ。ディーノは己を叱咤する。
    「おっとぉ……力を入れすぎてしまったかの……? ワシとしたことが手加減してやれなかったとは」
     超魔ゾンビは無造作にディーノを掴み上げた。胴を握り締め、ディーノの上げる苦鳴を恍惚としながら聞き、戦士たちに見せつけるように高々と戦利品を持ち上げる。
    「ディーノっ! 今助けるぞっ!!」
    「無駄だ、坊や。おまえの剣ではあいつに太刀打ちできん」
    「なにを……っ!」
     ノヴァと魔族の男が何か話しているのを横目に、ディーノは両の手で逆手に短剣を握り締めた。ただ助けを待っているだけでは状況は変わらない。自分を掴む超魔ゾンビの太い指先へと刃を振り下ろす。
     死んだ怪物たちの毛皮に覆われた皮膚は、短剣の切先を取り込むだけでダメージは与えられていないようだった。紋章の力を得ながら、ディーノは渾身の力を込めて何度も短剣で突き刺すことを繰り返す。
    「無駄よ、無駄。痛くも痒くもないわ、小童!」
     嘲笑うザボエラの姿に、ディーノは唇を噛み締めた。
     徐々に呼吸が細くなってきている。額は火を灯したように熱いというのに、脈打つ感覚は鈍く弱いものになってきている気がした。次第に視界が暗くなっていくのは、意識が遠のきはじめた証左だ。ディーノはまるで第三者のように客観的に現状を捉える。
    「さぁて、行こうか小童。バーン様もこやつを連れて行けば、もうワシを無碍に扱えまいて」
     超魔ゾンビの体が薄い妖力の膜に覆われ始めた。おそらくルーラの類を使って大魔王の元へ戻ろうとしているのだろう。
     己を捕える捕食者の視線を追って、ディーノは空を仰いだ。
     どこまでも広がる真っ青な空のなか、焦点の合わない視界の隅にぽつんと浮かんでいる明らかな人工の建造物があった。
     大魔王の宮殿だ。バーンパレスといったか。
     あそこに父はいるのだろう。きっと大魔王と戦っている。
     この地上に生きる全ての生物のために———何よりも、ディーノのために。
     もう一度父に会いたかったと、ぼんやりとディーノは思った。
     父とともに散歩したり、湖で魚釣りに興じたり、町へ買い物に行ったりしたかった。ここ数年できていなかったことだが、いつかできたらいいなと思っていた。
     長剣の使い方とて父に学びたかった。短剣の使い方を教わる契機となったあの日に比べれば、少しくらいは大きくなったはずだ。今なら重くて長い剣だって持てるかもしれないではないか。
    「……とう……さ…ん…………」
     父の穏やかで優しい笑みを、大きくて温かな手を思い出す。
     父の笑みを曇らせるのも、父の手から熱をわける対象を失わせるのも、もう少し遠い未来でありたかった。
     父の足手纏いにだけはなりたくない。父の未来の選択肢を自分のせいで狭めたくはない。
     短剣を順手に持ち変える。
     震える手で短剣の刃を首筋に当てがう。
    「……! よせ、ディーノ!!」
     半ばから折れた眩く光り輝く剣を手にしたノヴァが、ディーノの意を悟って叫んだ。ノヴァ自身も不健康に病んだ者のように、眼窩が落ちこむほどやつれている。生命力を込めた剣なのだと、見るも無惨な姿のノヴァが覇気を込める。ディーノを助けるために、魔法陣を守るために、命を賭けた一撃を放つのだという。
     そのノヴァを魔族の男が制止しているのが霞む視界に映った。剣の輝きが収まった時には、ノヴァの顔つきも元に戻っていた。
     ディーノはそっと微笑んだ。ノヴァはきっと助かるだろう。
    「坊や、おまえもよせ!」
     魔族の男が叫び制止する。
     ディーノは小さく首を横に振った。
     ザボエラの意に沿って大魔王に引き渡されるわけにはいかない。父との約束を違えるのは心苦しいが、父の邪魔になるくらいならばいっそ。
     ディーノは首筋に当てがった短剣の刃を、ゆっくりと滑らせた。
     痛くはなかった。
     ただ、ひたすらに、命の血潮が熱かった。
     溢れ出る命の熱さに反比例して、身体は冷たくなっていく。
    「ディーノォォッ!!!」
    「よさんか、愚か者がぁっ! ワシの計画を台無しにしてくれるなァッ!!」
     ノヴァの悲痛な叫びが、戦士たちのどよめきが、ザボエラの慌てふためいた怒声が、ロロイの谷に響き渡った。
    「……このオレにおまえたちと同じだけの決意があれば、最初からあの程度の敵に手こずることはなかったのだ!」
     魔族の男がいつの間にか、手にした二本の剣を構えて地を蹴りあげる。超魔ゾンビのその巨躯が、十字に切り裂かれて倒れ伏した。
     地面に放り出され、乾いた土の上を転がりながら、ディーノは途切れそうになる意識を懸命に繋ぎ止めた。弱く脈打つたびに、身体が冷たくなっていくのがわかる。
     奇しくも空の上に浮かんだ大魔王の宮殿もまた、高度を落として地上へと落下を始めていた。
     
     
     
     
     
    「ディーノ!」
     三賢者のひとりであるエイミを伴って、ゴメスはディーノの元へと駆け寄った。
    「大丈夫か、しっかり気をもてよ!」
    「ディーノ君、意識はあるわねっ?!」
     エイミは己のマントを切り裂くと、ディーノの首に巻いて止血を開始した。じわじわと広がる赤に眉根を寄せると、裂いたマントの残りをゴメスに渡し、傷口を圧迫するように指示する。そしてエイミ自身はディーノに回復魔法を唱えた。
     回復魔法は対象者に生命力が残っていなければ効果はでない。エイミの想像通り、ディーノの魔法への反応は鈍いものだった。必死になって何度も回復魔法を唱え続ける。
     ディーノの治療が続くなか、ロロイの谷に地響きがこだました。ゴメスが顔を上げると、そこには憤怒に駆られた竜の騎士バランが顔を歪めて立っていた。
     さすがにあちらこちらに傷を負い、身に纏った戦闘衣も鎧部分を中心に破損しているが、この場に現れたということは、紛れもなく大魔王討伐に成功したのだろう。
     バランに続いて谷間に轟音が響いた。ポップやアバンがルーラで地上へと落下するパーンパレスから脱出してきたのだ。
     バランは息も絶え絶えに横たわり治療を受けているディーノを愕然として見つめた。
    「これは……どういうことだ……っ?!」
     ふらりと歩き出す。
     竜の紋章の波動が伝わったことによって、ディーノが砦からロロイの谷に移動していることはすぐにわかった。そして紋章が現れるほどの状況にディーノが陥っていることも把握した。大魔王バーンを倒し、焦燥に駆られるまま急いで戻ってみれば、現状は予測したなかでも最も最悪なパターンで進んでいた。
     ディーノがロロイの谷にいることは、そうならないことを祈りつつも想定内だった。バランを制するためのディーノの使い道など、いくらでもあるからだ。
     しかし息子がここまで傷を負い、血に塗れているのは、バランにとっても想定外だった。価値のある人質として、少なくとも生命の危機に瀕することはないだろうと、たかをくくっていたからだ。
    「ディーノ! ディーノ!! しっかりしろ、私がわかるか、ディーノッ?!」
    「……と…う…………さ……?」
    「ディーノ!」
     バランはゴメスとエイミを払い除け、ディーノを抱き上げた。音もなく小さな頭がバランの胸に落ちる。薄っすらと開かれていた琥珀色の瞳が、光を失いながら目蓋の奥へ姿を消していく。
    「……っ?!」
     その瞬間、バランは咆哮をあげた。
     
     
     ディーノのいない世界に、なんの価値があるというのだ。
     そもそも初めにディーノを拒否したのは、この世界ではないか。幼いディーノに流行り病を課し、未来を奪っただけでは飽き足らず、今こうして無慈悲にもその命を消そうとしている。
     この子が何をしたというのか。何の罪を負っているというのか。
     それとも罪を負っているのはバランの方なのだろうか。妻であるソアラの生国を滅ぼし、数多の命を奪ったことに対する罰として、妻の忘れ形見を、バランの唯一の生きる意味を、この世界から排除しようというのか。
     もしそうだというのなら、もうこんな世界は必要ない。地上も魔界も天界も、全て消し去ってしまえばいい。ディーノを受け入れない世界など、バランにとって必要ないものだ。
     
     
     身体が変化していくのを、バランは他人事のように感じていた。
     手にはいつの間にかドラゴンファングがある。ファングを握りしめた指の合間から流れる血は蒼い。
     鎧も衣装も、盛り上がった筋肉により全て吹き飛んだ。皮膚は竜のような硬く鱗じみたものへと変わる。手は竜を象った籠手のようなものに覆われていった。背中の皮膚を裂いて、竜のそれに似た大きな翼が生えてくる。額の上には常よりも大きな竜の紋章が光り輝いていた。
     人間たちから驚きとどよめきの声が上がる。誰何の声や、悲鳴に近い声も聞こえる。
     これが竜魔人と呼ばれる竜の騎士の真の姿であるのをバランは承知していたが、言葉として誰にも伝えることはなかった。
     アバンとフローラがバランに向けて何か話かけているのはわかったが、それに対応する気もさらさらない。
     バランは腕の中のディーノを左腕に座らせるように抱え直すと、背の翼を大きく広げた。
     まずは何から滅ぼすべきだろうか。ディーノに理不尽な定めを強いた天界からか。ディーノのような弱者を切り捨てるという魔界からか。それとも大魔王が吹き飛ばしたいと長年願っていたこの地上からだろうか。追悼の念を表してやるのも一興だ。バランは口の端を吊り上げて笑った。
    「バラン殿! お気を確かに!!」
    「親父さん!! ディーノはまだ死んでねぇぞ!! 治療を続けさせてくれぇっ!!」
     ポップには、ディーノの身体はエイミのかけた回復魔法の淡い気配が薄く残っているのを感知できた。まだディーノの身体の深い奥底には、生命力が残っているのだ。
     これまでいつ消えてもおかしくなかったディーノの命が今日まで細々とでも繋がっていたのは、竜の騎士という特殊な種族の生命力のなせる業だったのだろう。
     だがそれも、いつまでもつかはわからない。ディーノは血を失い過ぎている。どんな生き物であろうと、それは変わらないはずだ。
    「バラン殿!」
    「親父さん!」
    「竜の騎士殿!」
     我に返った谷間にいる生き残った人間たちが、次々とバランを呼び止めた。人とは思えない恐ろしい姿をした、けれど腕に抱く我が子の姿に狂い咽び泣く、本当は心優しい獣の名を。
    「………………っ……」
     不意にディーノは意識を取り戻した。
     唇の端から少しばかり塩味のある液体が口内に入ってくる。鉄錆の臭いと味に侵されたディーノの口腔には、その液体は清純で歓迎すべきものだった。頬にぽとりぽとりと幾つもの温い液体が当たり、肌を伝って再び口腔へと流れてくる。不思議なことに、少しだけ気力が湧いてきたような気がした。
     ゆっくりと目蓋を開く。今のディーノの衰えた目には、太陽の光が刺すほどに眩しかった。
     顔を上げれば、どことなく父の面影を残して吠えるモノの顔が、霞んだ視界に映った。先ほど飲み込んだものが、自分を抱くモノの涙であることにディーノは気づく。
     涙を零しながら自分を抱く怪物じみた者が父であることを、ぼんやりとディーノは理解した。姿形は見知った父のものではなくとも、普段よりもずっと低くしゃがれた声であろうと、自分に注がれる無償の情から生まれるこの温もりだけは間違えようがない。誰よりも何よりも大切で大好きな父だ。
     父は———唯一血を分けた我が子を失ったと認識して、心を壊してしまったのだろうか。帰るべき場処を失った寄る辺ない子どものように、自分以外の全てを憎み恨んで排除しようとしているようだった。ディーノと揃いの父の琥珀色の瞳は今、敵愾心と憎悪の情に染まっていた。
     かさりと腹の上で乾いた音が鳴った。
     見やれば、それは父の戦衣装を意識して彩った花冠だった。出陣の前に、父は花冠を懐に入れていると言っていた。どういう経緯かは不明だが、父が今の姿に変わる際に衣服が破れた時、たまたま運よくディーノの身体の上に落ちたのだろう。
     ディーノは花冠をそっと手にした。端々で傷んで花も萎れかけている。けれどまだ花冠の体は成していた。
    「……とう、さ……ん」
     狂ったように慟哭と怨嗟の声を吠え続ける父へ、枯れた声で呼びかける。久しぶりに声帯が震えたせいか声が詰まった。
     今の父に自分の声が届くのかディーノにはわからない。
     けれどポップも言っていたではないか。ディーノが信じるべきは父の強さではなく、ディーノの元へ必ず帰ると誓った父の心なのだと。
     意を決して、ディーノは手にした花冠を父の頭に被せた。
     花冠は風に揺れながらも、父の頭部を彩っている。似合うか似合わないかを問われれば、ディーノは躊躇することなく似合うと答えるだろう。たとえ世界中の誰の意見と違っていたとしてもだ。
    「ご無事の…帰還を…嬉しく……思います。……信じ…てお待ち……しており…ました」
     帰還を寿ぐ言葉を述べ、それから頬を父の胸に預けて、ディーノは父の鼓動に聴き入る。
    「約束……したよね…、とうさ…ん……。ぼくの…ところに……帰って…きて……よ」
    「……やく……そく…………がっ……ぁ…………っ!」
     暗い世界を彷徨い歩くなか、ふと差した一筋の光。その先には花冠を手にしたディーノが立っていた。無我夢中でバランはディーノの元へと向かった。もう一度、愛しい我が子に花冠を被せてもらうために。
     吠え続けていた獣の焦点が結ばれて、その瞳に腕の中のディーノが映し出される。ディーノが意識を取り戻していることを、我を失っていたバランはようやく理解した。
    「……ディー…ノ…………?」
     理性を取り戻した父が、いつもの見慣れた姿に戻っていくのを、ディーノは温かな父の腕の中に抱かれながら見守った。
     
     
     
     
     
     大魔王との戦いが終わったあと、レジスタンスの隠れ砦は傷病人を収容する施設となって機能することになった。
     幸いアバンや彼の弟子たちに深い傷を負った者はいなかったが、ロロイの谷でザボエラと超魔ゾンビに相対した者たちからは重傷者が続出したのだ。
     ディーノもまた、あのあと父から治療を受け、隠れ砦に当てがわれていた部屋に収容されることになった。容体を診たマトリフにより長期間の絶対的安静を言い渡され、如何なる手段での移動も禁じられたからだ。
     ディーノがこの砦に戻って来てから二ヶ月は経っただろうか。月日を経て怪我人たちも動けるようになり、賑やかだったこの砦も少しずつ静かになっていった。
     フローラやアバンたち各国の指導者もアバンの使徒たちも去り、ここには今はもうディーノしか残っていない。
    「うぅ…………」
     父に背中を支えられながら、ポップ特製だという薬湯を口にしたディーノは、飲み干すことができずに呻いてしまった。あまりの不味さに顔が歪みそうだった。
    「滋養強壮、解熱、増血。今のおまえに必要なもの全部ぶち込んでるからよ。……残すなよ?」
    「……わかってるよ…………」
     砦からは辞去したが、ポップは毎日やって来てはディーノの容体に合わせて薬を調合してくれている。
     ポップはあんなに料理が上手いというのに、何故作る薬はいつもこんなに不味いのだろうか。ディーノは不思議で仕方がなかった。そもそもベースのレシピがマトリフ謹製のためだったのだが、それはディーノの預かり知らぬところである。
    「ディーノ、飲めないのであれば、蜂蜜でも混ぜるか?」
     父がちらりとポップの様子を見ながら、そっと小声で提案してくれた。飲み合わせを憂慮しているのか、薬を作った本人の前で味の不満を述べることを気遣っているのか、ディーノには判別できない。
    「…………いい。ぼくもう子どもじゃないもん」
     唇を尖らせて告げ、ディーノはぎゅっと目を瞑って薬湯を飲み干す。あまりの不味さに一瞬意識が飛びそうになったが、こうなることを見越した父が用意してくれていた水を口に含んで、ようやく人心地をつく。
     体調のせいか、それとも薬のせいなのか。真っ白な顔色をしたディーノに再び横になるようにバランが促すと、おとなしく従ってくれた。横になるとディーノは程なく呼吸を長くゆっくりとしたものに変化させ、うとうとと目蓋を重たくさせ始める。薬湯には眠りを促す成分も調合されているためだ。
     バランは眠りについたディーノの頬を指先で優しく撫で、毛布を肩までかけ直した。むずがるように頬を寄せてくるディーノが何よりも愛しかった。
     ディーノが危機的容体から脱したあと、皆が奇跡を讃え沸くなか、バランは何故あの状況からディーノが一命を取り留めることができたのかを考えた。
     理由のない奇跡などない。奇跡は神々にしか起こせないものなのだ。
     後ほど受けた状況説明では、ディーノが自害を図ったあの時には竜の紋章が浮き出ていたという。
     バランはアバンや彼の弟子たちなどの一部の者以外には、竜の紋章の力の詳細を話していない。竜の紋章が輝くと、竜の騎士の肉体は竜闘気という生命エネルギーの気流に覆われることになる。
     竜の紋章の効果がいつ途切れたのかは誰も把握していなかった。誰もが切羽詰まったギリギリの中で戦っていたのだ。状況が状況だったため周囲を正確に把握できておらずとも仕方がない。
     おそらくディーノが短剣の刃で首筋を切った時には、まだその身体は竜闘気に覆われていたのだろう。その直後、もしくは刃が滑っている最中に紋章の効果も途切れたのだ。そのため刃は脈に完全に食い込むことなく一部を薄く切るだけで済んだ。  
     自刃は致命的な傷にはならなかったが、ザボエラという魔族の男に捕えられた時点でディーノは満身創痍の状態だったようだ。重なったダメージで死の淵を歩き出した時、ディーノはバランの涙を口腔から取り込んだ。バランの涙を飲んだと、のちにディーノ自身が告げたため、これは確定の現象だ。
     古来より竜の騎士の血には命をも甦らせる不思議な力があるという。実際にディーノが飲んだのはバランの涙であったが、体液である涙には血には及ばずとも同じ効果を及ぼす力があったのかもしれない。そして、ソアラはバランの血に呼応するだけの力がなかったが、同じく竜の騎士であるディーノにはその力があった。否、竜の騎士であったからこそ、涙でも息を吹き返した可能性がある。
     バランは大きく息を吐くと、薬湯の入っていた器を手に立ち上がった。ディーノはしばらく動かせない。徒歩移動でも長く積もるダメージは今のディーノにとって命取りになる。ましてやルーラで移動などできるわけがない。テランの森にある家に戻るのは当分先のことになりそうだった。
    「まだしばらくここに残るんだろう? 必要なものがあれば持って来るぜ」
    「……特にはない。動けるようになるまで、ディーノの容体を診て薬を調合してもらえればそれでいい」
     バランの言葉にポップは目を丸くする。当初に比べれば随分と角が取れたものだと、ポップは内心で苦笑した。

     
     
     
     
     季節をふたつ跨いだ頃、ディーノの体調が回復したため、ようやくマトリフから移動の許可が降りた。
     馬を一頭と旅に必要なものを揃えて、バランとディーノが砦を辞する日がやって来た。
    「馬でテランまで移動かよ……長ぇ道のりだな」
    「えぇ……きっと楽しい旅になるよ……?」
     大量の薬を準備して見送りに来てくれたポップが呟く。ディーノは父と一緒に旅ができるのが嬉しくてたまらないのだが、残念ながらポップにはいまいちこの高揚感が伝わらないようだ。
    「ディーノ君の体力の問題もありますからね。一日に数キロずつゆっくりと帰るんですよ。ディーノ君、見聞を広める良い機会です。本物は図鑑よりもずっともっと鮮やかで素晴らしいものですよ」
     そんなポップを嗜めつつアバンは父との旅を楽しみにしているディーノに微笑みかける。
    「体調には気をつけて。異変を感じたらすぐにバラン殿に伝えるんですよ? いざとなったらポップを向かわせますからね」
     リリルーラという仲間の元へ瞬間移動できる魔法があるという。ポップがちゃんと父のことを仲間だと思ってくれているのがディーノには嬉しかった。
     アバンはディーノに見せた穏やかな表情を引き締めると、バランに向き合った。馬に鞍を取り付ける手を止めて、バランが振り返る。
    「この度は大魔王バーンから地上、ひいては人間を守っていただき、本当にありがとうございました」
    「……別におまえたち人間のために大魔王と戦ったわけではない」
    「ええ、存じております。それでも私はお礼を伝えたいのですよ」
     ポップと話が弾んでいるらしいディーノの様子をちらりと横目で窺い、アバンはバランへ向けて微笑んだ。
    「……物好きな男だな」
     呆れたようにバランは目を閉じた。
     ただ、この男を信用したのは間違いではなかった。何よりも守りたかった地上唯一の至宝は、今でもバランの側にいてくれている。
    「…………ディーノともども世話になった」
     バランはそれだけアバンに告げると、馬に鞍を取り付けた。器具がしっかり固定されているか確認し、旅荷を別途馬に括り付ける。準備は完了だ。
     それからポップと話をしているディーノを呼ぶ。出立の時間がきた。
     駆け寄って来たディーノを抱き上げ、バランは鞍に乗せた。毛布を取り出し、要る要らないでディーノと一悶着したあと、息子を毛布で包むことに成功する。少しばかり不機嫌になったディーノにため息をつきつつ、バランは歩き出した。
    「じゃあな、ディーノ! 元気でな!」
    「色々とありがとう! ポップも元気で。またテランの家にも遊びに来てね!」
    「あぁ。姫さんも連れて行かせてもらうよ!」
     レオナも今日のディーノとの別れを惜しみたがっていたが、国の行事と重なって結局見送りを断念したのだ。
     砦の前で佇むポップとアバンの姿が小さくなるまで、ディーノは手を振り続けた。寂しくないと言えば嘘になるが、ポップやレオナとも、きっとまた会う機会を得ることができるだろう。
     そこまで考えて、こんなに前向きに未来を考えられるようになった自分自身にディーノは驚いた。家を出るまでの自分では考えられなかった。友達を得て、視野が広がったせいだろうか。そうであればいいと、ディーノは思う。
    「さぁ、帰るぞ、ディーノ。長い旅になる。無理をしないようにな」
    「わかってるって。ねぇ、父さん」
    「なんだ?」
     隣に並んで歩く父がディーノへと視線を向ける。いつもと違って馬上のディーノへ向ける父の視線は少し見上げるものになった。それが何故かとても新鮮に思えて、ディーノは馬に揺られながら降り落ちる木漏れ日を浴びて笑った。
    「ぼく途中で魚釣りがしたいな」
    「……釣った魚は責任を持っておまえが食べるのだぞ」
    「…………はぁい、わかってるってば」
    「言ったな? 言質をとったぞ」
     唇を尖らせてブスくれたディーノを見て、父が愉快そうに笑った。あの日、家を出て以来戦いの日々を繰り返し、ディーノの体調もずっと不安定だったため、父の顔は険しいものが続いていたのだ。久しぶりに目にした父の大笑に、ディーノも嬉しくなる。
     やりたいこと、乗り越えねばならぬこと、父とともに過ごしていきたい。
     いつか迎えるその日に悔いぬように、こうして父の隣を歩いていければと、ディーノは思う。
     
     もう少し。
     あと少し。
     できれば、———ずっと。
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    ariari2523_dai

    DONE「ディーノ君と隠棲パッパ」シリーズのこぼれ話。
    パロディ軸。捏造設定。竜父子+北の勇者。

    パッパ→ディーノ君は、意識のないディーノ君に薬を飲ませる際に何度もしてると思いますが、ディーノ君→パッパは初めてかもですねw キスとしてはノーカンだとパッパもディーノ君も言い張るでしょうが。

    時系列的には、パッパからの贈り物→隠棲パッパ→魔法使い→天使の梯子→お姫さま→北の勇者→パッパへの贈り物、の順になります。
    ディーノ君と北の勇者 ルーラによる着地音を響かせながら、ノヴァはレジスタンスの拠点となっているカールの砦から少し離れた地へと降り立った。
     既に夜の帳が深く色濃く下りており、周囲の木々も砦も闇に紛れている。見上げれば星が薄く光っていた。雲がかかっているのだろう。明日は天気が崩れるかもしれない。ここから遠い前線の地まで影響がなければ良いのだがと、戦地で戦う者たちを憂う。
     ノヴァは用心深く周囲を警戒しながら見渡し、邪なモンスターや魔王軍の気配を探った。特に気になる事象はない。小さく息を吐いてノヴァは砦へと足を向けた。
     歩き出すと懐から紙が擦れる小さな音がする。ノヴァは瞑目して我知らず胸元に手を当てた。懐にはアバンへ手渡す手紙がある。あの竜の騎士から託されたものだ。
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    ariari2523_dai

    DONEディーノ君と父への贈り物
    if世界軸。捏造設定。

    ディーノ君と隠棲パッパのふたりです。
    大魔王との戦いに赴くパッパに花冠を作りに行くディーノ君のお話。

    バラダイWEBオンリー「ばらだいぱらだいす」展示SSになります。
    ディーノ君と父への贈り物 息子のディーノの就寝時間も迫った頃。お願いがあると言って、ディーノが魔法使いの少年ポップとパプニカ王女レオナに左右を固められて目前に立ったのを、バランは片眉を軽く吊り上げて見やった。やたらと改まった三人の言動に、バランは内心嫌な予感を覚える。
    「父さん、明日の朝からポップとレオナと一緒に……花を摘みに行きたいんだ」
    「許可をいただけませんか、バラン殿」
    「ここから徒歩で十五分ほどのところにある開けた草原地帯にが目的地だ」
     すらすらと、まるで打合せたかのように言葉を継いで請願され、バランはそれぞれの顔を発言順に視界に留めた。明後日には大魔王の根城に攻め込むというのに、何を悠長なことを言い出すのか。
     ましてやディーノは本調子には程遠い体調だ。数日前に毒刃を受けて以来、ずっと微熱が続いている。起き上がる程度ならともかく、動き回るのはもちろんのこと、長時間の会話すら体力的に厳しい状態だった。
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