echoes 1話 テランの森の奥深く、人が住むには少々手狭であろう小さな丸太小屋には、少年がふたりひっそりと人目を憚って暮らしている。数ヶ月前にふらりとやって来た彼らは空き家だった小屋を整えて、いつの間にか生活を始めていた。
もっともここ近年のテランの人口は三桁に届くことはなく、国民の多くが湖の周囲に居を構えている。彼らの多くは少年たちがそこに住み着いたことさえ気づいていないだろう。
その丸太小屋に隣接して、天をも突かんばかりの大きな樫の木が生えていた。艶やかに光る葉を乗せた枝はぐんぐんと四方八方に伸び、陽射しを受けては柔らかな影を地面へと落としている。
そんな重なった枝葉の隙間を縫って、春の柔らかな陽射しがひとりの少年の上へふんわりと降り注いでいた。癖の強そうな黒髪の、頬に傷のある小柄な少年だ。丸太小屋の住人のひとりでもある。名前をダイといって、もうひとりの住人である少年に手を引かれてここへとやって来ていた。
大木の太くがっしりした幹に背を預けて、こくりこくりと舟を漕ぐ少年――――ダイの姿を目にして、ポップは小さく肩をすくめ、僅かに苦笑してそちらへと足を向けた。起こすべきかこのまま寝かせておくべきか。少しばかり迷った後、ポップは足音を忍ばせてそっとダイの隣に腰を下ろすことを選んだ。
ダイは穏やかな表情で眠っている。陽射しを受けた睫毛が濃く長い影をまろい頬に落としていた。呼吸に合わせて揺れる影を見つめながら、ポップは長い旅の末にようやくその手に取り戻したダイと過ごすささやかな日常を噛み締めた。
黒の核晶の爆発を抑えるために受けた傷を癒すため、天界と地上の狭間で眠りについていたダイを見つけ、精霊との交渉の末にようやく地上へと連れ帰ったのが半年ほど前のことだ。雲ひとつ残らないどこまでも澄み渡った青い空の下、ダイが姿を消したあの日から数えるなら二年近くの時を経たことになる。
長い眠りから目を覚ましたはいいが、今現在もダイは本調子とは程遠い状態だった。身体のどこにも黒の核晶による傷は残っていないが、目に見えないダメージまでは回復しきっていないらしい。
ダイはどことなくぼんやりと日々を過ごしている。体力も魔力も大魔王と戦った頃に比べるべくもない。一度眠りにつけば数日目を覚さないこともしばしばある。
ポップも最初こそ目を覚さないダイに驚き混乱し、心胆を寒からしめてアバンやマトリフの元を訪れた。ダイを診たふたりの出した結論は『ただ眠っている』というものだった。どこにも異常はない、ある程度眠れば自然と目を覚ますだろう、と。
今思えば常軌を逸して平静を失っているポップを落ち着けるための方便も混ざっていたかもしれないが、結論からすればダイはちゃんと数日後に目を覚ました。
目を覚ましたダイを腕の中に閉じ込めてポップは泣きに泣いた。何が起こっているのか理解できておらず、きょとんと目を丸くしたダイの疑問を置き去りにして。
つい最近のことだというのに、大昔のことのように感じるから不思議なものだ。それだけ今のこの何でもない時間が愛しいということなのだろう。
ポップはダイの頬に落ちる睫毛の影へと指先を伸ばした。触れて伝わるダイの肌はしっとりしていて温かく柔らかい。
長い眠りについていた頃のダイは、どこもかしこも冷たかった。だからこそ今、じんわりと触れ合うそこから温もりを介して『生命』を感じることに安堵の息を吐く。
それからそっとダイの背へと腕を伸ばした。肩甲骨付近から生えている小さな翼の根元に指先を這わせる。
今のダイの背には、竜のもつそれによく似た翼がある。ダイの父親であるバランがもうひとつの姿を現した時に見せた翼と同じ形状をした、けれどもダイの体格に合わせたのかポップの記憶にある翼よりも二回りほど小さな造りのものだ。
ポップがダイを見つけたあの日には、既にこの翼はダイの背中にあった。ダイはこの翼で自身を包み込み、胎児のように丸まって眠っていたのだ。
たとえどんな姿だろうがダイはダイだ。
大魔王の前で苦渋の決断をしたダイへと向けた言葉にもちろん嘘など一欠片もない。ポップはダイのこの翼も“ダイ”を構成する要素の一つとして愛している。実際、大理石のような滑らかな手触りの翼骨も、ビロードのように艶やかで濡れ羽色に輝く飛膜も、とても美しいものだ。
けれどダイはこの翼の存在に随分と戸惑っているようだった。厭っているわけではないのはわかる。父と同じ翼を持つことをどこか嬉しく思い誇っているのもわかる。しかし今までなかったものが長い眠りから覚めたら生えていたのだ。どう身を処すべきなのか迷うのも当然だろう。
だからポップはダイの手を引いてこのテランへとやって来た。目覚めたばかりで世界の情勢どころか、自身の立場もよくわかっていなかったダイを連れて。周囲から伸びる悪意や外野の口汚い罵りに晒されてダイの心が傷つく前に。
この先にどうしたいかなどゆっくり考えればいい。そうダイを諭して誰にも有無も言わさずここへと連れて来た。
周囲の思惑など知ったことではない。ポップにとって大切なのはダイだ。ダイがこの先どうしたいのか、どう生きていきたいのかだ。ただダイの望みを、ダイの心からの本当の望みを聞き出すためだけに、ポップはこの静かなテランの地を選んだのだ。
「んっ……」
何度も翼の根元に指を這わせたせいだろうか。むずがるように小さく身体を震わせ、ゆっくりとダイの瞳が開かれていった。姿を現した琥珀色の大きな瞳が、状況を把握できずに瞬かれる。
「ポ……ップ……?」
「目ぇ覚めたか、ダイ。よく寝てたなぁ、すっかりお寝坊さんになっちまって」
「あっ…、やっ、んんッ………!」
軽い口調で揶揄いながらも、ポップは翼に這わせる指の動きを止めない。いささか執拗なほどに指の腹で翼の根元を撫で続けた。実はここは今のダイにとって性感帯のひとつだ。しかもとびきりイイ反応を見せてくれる場所でもある。
その証左に、ダイの琥珀色の瞳は間を置かずに熱に潤んで、幼い理性を溶かしていく。
「ポップ、やめ……」
「そんなに頬をピンク色に染めて言われてもなぁ……?」
ポップが爪先で翼の根元を引っ掻くと、ダイはぴんと背を弓形に反らせて、悲鳴のように鋭く、けれどもどこか甘い響きを含んだ息を吐いた。
「…っ、は………あぁ…、翼ばっかり…弄らないでよぉ……」
半ば泣き声の混じった声音でダイに懇願されて、ポップは蠢かせていた指先の動きを止めてくすりと笑んだ。縋るように胸元に顔を埋めてくるダイが愛しくてたまらなかった。
「しょうがねぇなぁ。ほら、これでここには触れづらくなるぞ」
顔を上げるように耳元で囁き、おとなしく従って現れた額に口づけたあと、とん、とダイの胸部を押して背中を大木の幹に預けさせる。幹とダイの背に挟まれる形になった翼には、確かに指先を這わしにくくはなったが。
「え……っと………?」
ダイの背中にかかる圧が大きくなっていく。身を乗り出してきたポップは再びダイの額に唇を落としながら、後頭部までも背後の幹に押しつけた。額から鼻先へと唇を這わせたのちに辿り着いたその天辺を軽く音を立てて吸い、左右の頬に代わる代わる口づけ、柔らかな頬の線に沿ってそのまま首筋へと伝い降りていく。
「代わりにどこに触れて欲しい? 教えてくれよ」
「……それって、その………」
尋ねながらもポップの唇はダイの首筋から鎖骨へと降りていく。襟元を緩めて広げられて、ようやくダイはポップの意図に気づき両の瞳を大きく見開いた。溶けかけていた理性も一気に現実へと返ってくる。
「ここで……するのか?!」
「大丈夫、大丈夫。お天道さまと森の住人くらいしか見てねぇから」
そう言ってポップは空を仰いだ。枝葉の隙間から青い空が広がっているのが見える。木漏れ日は眩しいが、陽射しはふんわり柔らかくポップとダイを包んでくれている。
ダイもポップの視線を追って空を見上げた。周囲の森の木々は競うように空を目指して伸びている。そんな木々でも届かない高く澄んだ青空の存在は、ここが家の外なのだとまざまざと思い知らされた。
伸びて絡み合う木々の枝の上を走り抜けるリスに気づいて、ダイは小さく息を呑んだ。高く低く響く美しい鳥の声も耳につく。並んで枝で羽を休めているヒバリの番いの歌声だ。
「……多いよ! 観客多いよ!」
ダイの叫びと同時に、かさりと側の茂みが音を立てて割れ、そこからうさぎが顔を覗かせた。小さな鼻と大きな耳をひくひくと動かし、つぶらな丸い瞳をふたりに向けたあと、特に気にした風もなく茂みから全身を見せ、そのまま走り抜けていく。
「大丈夫だって。あいつらだって森の中でやることやってんだよ。デルムリン島の奴らだってそうだっただろう?」
「それは……そうだけど」
でもやっぱりちょっと違うような。
小首を傾げてぶつぶつと続けるダイを内心微笑ましく見つめながら、ポップは目の前の上着を捲り上げた。
この上着は、翼があるせいで普通の上着は身につけられなくなったダイのために、メルルが自ら縫って用意してくれた特別品だ。肩甲骨付近から裾まで大きなスリットが入っていて、翼を通したあとは裾まで配置されたボタンで好きな位置から留められるようになっている。ダイに少しでも不自由がないようにと心を砕いてくれる彼女には感謝の念が絶えない。
半ば前傾姿勢になったダイの背と幹の間には、僅かに隙間が生まれている。ポップは脇から手を入れて小さな背中へと回した。優しい手つきで何度か肌を撫でて、それから温もりを掻き抱くように一度強く抱きしめる。
「ほら、教えてくれよ。どこをどうして欲しいんだ?」
背筋に指を這わせながら耳元で囁かれて、ダイは頬を膨らませながら上目遣いにポップを睨め付けた。
「……今日のポップは意地悪だ」
「いつでも優しいお兄ちゃん、じゃあ刺激が足らないだろ? それにおれだって……おまえの望みが知りたい」
「…………そのまま……指を下ろしていって」
「了解」
短い応答のあとポップの指先がダイの背骨に沿ってゆっくり下へと下りていく。
「それから?」
「……っ、お尻……ポップと繋がりたい。お腹の奥がきゅっとして………寂しい感じがするんだ………」
「わかった。おまえの望み通りに」
その言葉に一瞬で頬を真っ赤に染めたダイは、羞恥のあまりにまともにポップの顔を見ていられなくなり、そっと視線を外し目を閉じた。心を許した愛しい人の腕の中、その温かな胸に額を預けたまま、惜しみなく与えられる愛情と慈しみに溺れる。ポップの溢れんばかりの気遣いと優しい手の動きに反応して、徐々に息を上げていく自分がなんだか居た堪れない。
引き締まった双丘の始まりに辿り着いたポップの指先は、悪戯気に恥骨の上を円を描くようにくるくると動いたかと思うと、そのままするりと秘めた搾まりまでひと息に滑り込んだ。
人差し指の腹で撫でるようにそこに触れて軽く突かれる。今日のポップはとことんダイから望みを聞き出したいらしい。
早く奥まで来て欲しいのに、焦らされるばかりだ。ダイは頬を膨らませてポップを睨め付けた。
そのポップといえば、榛色の瞳に慈しみの色を乗せながらも、表情は完全にそれを裏切って悪戯気に笑っている。
「本当に、今日のおまえは意地が悪い」
「そんなことはねぇよ。おれの耳はいつだっておまえの言葉を聞くためにある。どんな望みだって聞き逃さねぇぜ?」
「…………望みならさっき言ったじゃんか」
「だからこうして尻までは来ただろう? で、具体的にどうやって腹の中の寂しさを散らして欲しいんだ?」
「……っ! い、挿れて……ポップの。指じゃ足りない。ポップの………ポップの…………ううぅ〜〜っ!」
熟れたトマトよりも真っ赤だな。
ぎゅっと目を瞑ったダイを見下ろしながらポップは内心で独りごちた。肌を重ねることに慣れないダイの純真さが愛しく、その反応が可愛らしくてたまらない。このままずっと見ていたくなる。
とはいえ、ダイが今にも頭のてっぺんから湯気を噴き上げそうなほど羞恥に沸騰していることには苦笑する。さすがに焚き付けすぎたと自省し、ポップは恥ずかしさのあまりに目尻に浮かんでいたダイの涙の一雫を唇で吸い取った。
「よしよし、今日はこの辺で勘弁しといてやらぁ」
癖の強い、けれど柔らかなダイの髪の匂いを胸いっぱいに吸い、それから旋毛に唇を落とすと、ポップはゆっくりと指先を小さな器官へと潜り込ませた。
「あっ………!」
閉ざされていた目が開き、熱に潤んだ琥珀色の瞳が姿を現した。ぴくんと小さな身体が跳ね上がる。
閉じていた翼もばさりと音を立てて広がった。ダイとしても無意識なのだろう。小刻みに震えながら、翼は徐々に閉じていく。
探るように奥へと進んだ指先は、やがて浅く、深く、狭いそこを慣らして広げるように動き出した。縋るようにダイが身を寄せてくる。ポップは小さな身体を掻き抱き、互いの上半身が密着するまで強く抱きしめ、比して奥へと指を穿っていった。徐々に指の数を増やしていくのも忘れない。
ダイには余裕ぶって見せてはいるものの、ポップの熱も弾けそうなほどに固くなって張り詰めていた。一刻も早く温かく柔らかなダイの中に入りたい。
「…んっ……!」
ずるりと指を引き抜く。ダイの内はポップの指を三本飲み込んで、溶けるように解れていた。もう十分だろう。
「挿れるぞ、ダイ」
ポップが耳朶で囁くと、ダイはこくこくと何度も小さく頷いた。小さな子どもみたいな反応だが、ポップはダイのそんな稚さを大切にしたいと思っている。
ダイの両の膝を割り、できた隙間へとポップは身を乗り出した。先ほどまで慣らして解した秘所へと、勃ち上がった熱の芯を埋め込んでいく。
「……あっ………ンっ…、ふぁあっ………!」
奥を目指して進んでくる熱の塊を、ダイは口を閉ざすことも忘れて受け入れた。甘い響きを含んだ声で喘ぎながら、引き攣る肺を叱咤して懸命に短い息を紡ぐ。
「ポップ、ポップ……!」
「まだ、もう少し……!」
酸素を求めるように喘いで動く唇の奥に、小さな牙が見え隠れしている。竜の牙にしては鋭利さを感じさせないそれも、ダイが今の姿になってから生えたものだ。翼同様にダイにとっては性感帯のひとつで、口づけの際に舌で触れて弄ってやると、とてもイイ反応を返してくれる。
だがそれは今日のところはお預けだ。
唇を塞いでしまっては、ダイの望みを聞き出せなくなる。
「ひぅ………っ……は、ぁ……っ」
「よ……っし、全部挿ったぞぉ、ダイ」
ダイの背を背後の樫の幹に押し付けて力の逃げ場をなくし、ポップはようやく腕の中の大切な人の最奥へと辿り着いた。軽く揺すり上げると、ダイは身悶えてポップの熱を締め上げる。
柔らかな肉襞に包まれて、今すぐにでも欲が弾けそうだった。ポップは奥歯を噛み締めてそれに耐えた。挿れてすぐに精を放ってしまうのでは、男の矜持に関わるではないか。ダイのためならば誇りも矜持もクソ食らえだと常々ポップは考えているが、この時ばかりは別なのだ。
互いの腹に挟まれてほとんど見えていないが、ダイの中芯も熱を帯びて固くなってきている。まだ精を放つことを知らない幼い性の象徴だ。じっくりと可愛がってやりたいところだが、ダイの望みはお互いが繋がることだ。ここを弄って可愛がってやっても、意地悪だと拗ねられるのが目に見えている。
ダイの膝裏に腕を通して幹に手をつき、半ば折りたたむような姿勢をとらせると、ポップは自分と大木の幹でダイを挟み込み抽挿を開始した。深く奥まで突いて穿ち、離すまいと絡みつく肉襞を振り切って浅く引き戻っては、再び最奥を目指す。
びくびくと身体を震わせながら、ダイは懸命に身体を開いた。腹の中も心の中もポップでいっぱいになる。
「……ひゃ…んッ! ………あ…ふっ……っ」
「ん、ん………! おまえの内はあったけぇなぁ。なんかもう何もかも持っていかれそうだ」
「気持ち……いい? ポップ…も………?」
「あぁ。すげぇ気持ちイイ。それに……何だか満たされる気がする」
「………うん。ポップが側にいてくれて、おれ嬉しいよ」
ぽろりと零れたダイの涙が、まろい頬を伝っていく。ポップはそれをただただ綺麗だと感じた。透明で濁りのないダイの心そのものに思えた。
手を伸ばせば互いに触れられる幸せは、決して当たり前のものなどではない。ふたりはもうそれを知っている。
「ポップ、もっと………」
「あぁ。おれにももっと、おまえがこうして腕の中にいてくれてることを実感させてくれよ」
不意に陽の光が遮られ、周囲に影が落ちた。ポップが視線を上げると、ポップを包み込むようにダイの翼が広げられている。背中に回された腕と、その腕ごとポップを覆う翼と。そのどちらも小さいものだが、ダイの必死なまでの切望を感じさせた。
応えるようにポップも腕の中の小柄な身体をぎゅっと抱きしめる。傷を癒す眠りについていたダイは成長が止まっていて、別れたあの日のままの小さな身体だった。
もっとたくさん食べさせて大きくしてやらねばならない。肉にしようか魚にしようか、つけ合わせの野菜は炒めようか茹でようか。この間買ってきたダイの好きな柔らかいパンは、まだ残っていただろうか。肌を重ねて熱を分け合っている最中だというのに、今晩のメニューを考えてしまう。そんな自分にポップは笑いが込み上げてきた。
「…んっ、は……っ、な、何を……笑ってるんだよ、ポップ」
「いやぁ、幸せだなぁって」
「………こういうこと……する…事が?」
「おまえと一緒にいることが、だ」
「………そっか」
ダイが半ば目を伏せてはんなりと微笑む。噛み締めるような口調だった。
「おれも、幸せだよ。ずっと……おれの隣にいてくれ、ポップ。…………あっ……!」
与えられる快楽に丸まっていたダイの足の爪先がピンと張り、しなやかな背が僅かに沿って硬直した。熱を放つことを知らぬまま高みまで上り詰めたらしい。
幸せだと言うダイの言葉をしっかりと受け止めて、ポップは昂った熱を温かく狭い最奥へと迸らせた。
「おかわり!」
「はいはい。たくさん食ってくれよな」
向かいの席から満面笑顔で空になった器を差し出され、ポップは得意気に鼻を鳴らしてそれを受け取った。テーブルに置いた鍋から器へたっぷりと盛りつける。
今日のメニューは、ブラス特製のお粥のようなもの、だ。ダイの好物だと知って、真っ先にポップはデルムリン島へと飛び、ダイの育ての親直伝のメニューを習得してきていたのだ。
ダイの好物とはいえ、さして手のかからないメニューになってしまったのには理由がある。最中に色々とメニューを模索していたにも関わらず、あの後どちらからともなく再び求め合ってしまったのだ。後始末を終えて身支度を整えた頃には、空高くあった太陽もすっかり傾き、澄み渡っていた青空もオレンジ色を帯び始めていた。
散々睦み合った片割れの腹から空腹を訴える切ない音が森いっぱいに響いては、すぐに食べられるメニューを用意しないわけにはいかない。ポップは大急ぎでブラス特製のお粥のようなものを作り上げ、ただ今せっせとダイに食べさせている。
「美味しいなぁ、じいちゃんのお粥! ………じいちゃん今時分だと何してるのかな……」
器を受け取って二杯目を口へと運びながら、ダイがぽつりと零した。視線を落として匙で粥をかき回し、少し冷めたそれを再度口へと運ぶ。
ポップはそんなダイの視線を追ってしばらく器に盛られた粥を見つめていたが、意を決して顔を上げた。
「なぁ、ダイ。じいさんに会いたくないか?」
「そりゃあ……会いたいよ。…………でも、おれ、別れた時とは…………違う…姿だし……」
「じいさんも島の連中も気にしないと思うけどな」
「それは……そうかもしれないけれど」
「あのな、ダイ。人はな、おまえに翼があろうがなかろうが、おまえを受け入れるやつは受け入れるし、受け入れないやつは絶対受け入れない。翼の有無は関係ないんだ。竜の騎士であるかそうでないか。もっと言うと、勇者なのか勇者じゃないかのか、それすら関係ない」
「………ポップ………?」
「いつだったかな、おまえに言ったろ? ダイはダイだ、って。“ダイ”が好きで大切だって思うやつはおまえを受け入れるし、そうでないやつはおまえを拒絶する。おまえのことだけじゃない。おれのことでも、姫さんのことでも、みんなそうなんだ。そうやってこの世界の人間関係ってのは成り立ってんだ」
ポップは一息で吐き出し、グラスの水を飲み干した。喉がカラカラだった。胸の中につっかえていた想いが関を超えて溢れ出したみたいだった。
本当ならば、目覚めたダイをここへ連れてくる前に告げてやるべき言葉だった。置かれた立場に戸惑い、己の望みを口にできなかったダイに真っ先にかけるべき言葉だった。
ポップがそれをしなかったのは、ダイの体調が安定していなかったことと、なによりまたダイに離れていかれることを恐れたからだ。
ダイが本心からポップと距離を置きたいと望んでいるのであれば仕方がない。けれどあの時のように――――青空の下で別れてしまった時のように、心から願っての別離でないのであれば、ダイと離れることなどポップには考えられなかった。
けれど今ポップは、ダイの望みを知っている。森の中で交わした言葉を、生まれたままの姿をしたダイの願いを。
「じいちゃん……会いたいよぉ………」
ぽろりぽろりと大粒の涙が次から次へと溢れてきた。手の甲で何度拭っても後から後から零れ落ちてくる。身を乗り出してきたポップも指の腹で拭ってくれるが、少しも追いつかなかった。
「おれ、じいちゃんに、島のみんなに、会いに行ってもいいのかな……?」
「もちろん、いいに決まってる」
「じいちゃんびっくりするかな?」
「突然来よってからに、ってか? どっちかってぇと、やっと顔を見せに来たのかって怒るかもな」
ダイは翼のことについて言ったつもりだった。養い子が背に翼を生やして帰って来たらさぞかし驚くだろう。ポップもわかっているだろうに、わざとらしく意味をはぐらかしてきた。だからダイはそのままポップの気遣いに乗って話を続ける。
「遅い、何をしておったんじゃぁって、杖で頭を叩かれるかも」
「守備力の高い立派な兜でも用意して行くか?」
互いに顔を見合わせ、ふたりは同時に噴き出し破顔した。
「明日にでも行こうぜ。あぁ、土産は何にしようかな……」
「じいちゃんに会うのにお土産とか要るかな?」
「そりゃ手ぶらってらわけにはいかねぇよ。おれにとっても将来は義養祖父(おじい)さんになってもらうわけだし」
「…………? じいちゃんは今でもじいちゃんだよ?」
ポップの言葉の意味が理解できず、ダイは小首を傾げた。ブラスはダイが物心ついた時からダイにとって養祖父であるが、ポップにはポップで別に祖父がいるだろう。何故ポップはプラスに祖父になって欲しいのか。
疑問は絶えなかったが、ポップに促されて手を止めていた食事を再開させる。くしゃくしゃになった顔を誤魔化すために、ダイはだいぶと冷めてしまったお粥を掻き込んだ。
“ダイ”が好きで大切だって思うやつはおまえを受け入れるし、そうでないやつはおまえを拒絶する。
世界の理は難しくてダイにはよくわからない。けれど、ポップの言いたいことはわかった。
この先にどうしたいかなどダイにはまだわからなかった。今わかっているのは、ポップと一緒にいたいということ、そしてブラスや島の怪物たちに会いたいということだけだ。
今すぐに答えを出す必要はないのだろう。きっとポップはダイが答えを見つけるまで側にいてくれるし、見つけた後も側にいてくれるに違いない。慌てることなどないのだ。
舌の上に広がる慣れた味に舌鼓を打ちつつ、ダイは懐かしい面々の顔を思い浮かべ、最初に告げるべき言葉を考えた。
「明日は天気だといいな」
ポップの言葉に頷きつつ、空になった器をそっと差し出す。三杯目だ。さすがに呆れられるだろうか。恐る恐る上目遣いにポップを見やる。
向かいあうポップの顔が嬉しそうに笑みを形どって器を受け取ってくれることに、ダイはただただ今の幸せを想って微笑みを返した。