六月のパン食い競走 その11(完結)六田さんはへこたれない 生徒会選挙をつつがなく終えた7月のある日、水上は体育館横にある自動販売機の前でたたずんでいた。『三門の名産みかんソーダ』を手に取り、すぐそばの花壇に腰をおろす。
缶を開けようとしたところで気配を感じた。──嵐山だ。自販機の側面に描かれた、等身大の嵐山と目があった。さわやかな笑みを浮かべた三門のヒーローは、両手に武器をかまえ、腰を落として臨戦態勢をとっている。
手ハートにウインクだった佐鳥のそれと比べると、なんだかえらく方向性が違いやしないだろうか。とはいえ、これは隊の仲間たちに渡すいい土産話になりそうだという予感がする。会話のネタストックに熱心な水上は、ふたたび自販機の前まで来ると、スマートフォンのカメラを起動した。
「あの~」
背後からのんびりした声が聞こえたのと、水上が撮影ボタンを押したのは同時だった。
カシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ!
カメラの連続撮影音が、静かな昼の空に響きわたる。音が鳴り止まぬうちに声のした方を振り向けば、そこには六田が立っていた。水上は撮影履歴にうつる嵐山の姿がブレッブレであることを確認すると、無言でスマートフォンを胸元に引き寄せた。
「嵐山さん、お好きなんですか……?」
「や、まあ……普通?」
「なるほど」
なるほどってなんだ。2人のあいだに妙な間がうまれる。
手が滑ったとはいえ、連続撮影までしておきながら「ファンじゃない」も何もあったもんじゃない。だが、聞かれてもないのに面白ネタの解説をするというのは気が引ける。たやすく手のうちを明かすことを、内なる芸人魂が許してはくれないのだ。
六田はうわさ話を好むタイプではないし、適当にごまかしても問題はないだろう。水上はひとまずこの話を終わらせることにした。
「六田ちゃんも飲みもん買いにきたん?」
「えーと、そういうわけではないんですけど。この前は、助けてくれてありがとうございました……!」
六田はいつかの放課後のように深々と頭を下げた。
「あー、あれなあ。礼言われるほどのもんでもないと思うけど。助けたってことなら漆間のが先に行動してたしな」
個人的な感情はともかく、漆間が先に駆けつけていたことは事実だ。先輩の言葉にもめげず、六田は重ねて感謝の気持ちを伝えてくる。水上は多少の気恥ずかしさをごまかすように、開けたばかりのみかんソーダに口をつけた。
「あの、わたし……」
「ん?」
六田はくの字にまげた手を口元にそえ、いかにも「これからここだけの話をしますよ」といった雰囲気で口を開く。
「実はいま、"地獄突き"を習得中でして」
「ガッ……ウェホッ、ゴホッ……」
想定外の言葉に動揺した水上は、おおいにむせた。地獄突きとは、手刀で相手の喉元を突くプロレス技である。どうして後輩の口から物騒な技の名が出たのか、理由を考えようにも息苦しくて頭が回らない。
水上はふたたびみかんソーダを口に含み、含んだことをすぐに後悔した。せき込みながら飲んだために、ソーダが本来のルートを外れ、入ってはいけないはずの所までせり上がってきたのだ。炭酸の刺激とみかんの酸味が一体となって、鼻奥に執拗な攻撃をしかけてくる。それは例えば、風邪っぴきの時に鼻をかみ過ぎた時のような──いや本当はもっと痛かったが、とにかくそういう類いの痛さだった。
体を丸め咳きこむ水上を前にして、六田はわかりやすくあわてた。
「あの、大丈夫ですか? ……そうだ」
いまだ地面とにらめっこしたままの水上の視界の端から、六田のローファーが消えた。タタッと駆ける足音がして、またすぐに同じ足音が近づいてくる。この間小銭が散らばり小さな悲鳴が上がったが、自分のことで手一杯の水上はいずれの音も認識することができなかった。
「これ、よかったら飲んでください」
飲んでから気づいたが、差し入れの中身は濃いめの野菜ジュースだった。特有のもったり感に、水上は再度むせかけてしまう。だが六田の厚意を無下にしたくはない。一度に飲み込む量をごくわずかに調整することで、ノドをうるおしながらもなんとか息を整えることに成功する。ジュースを飲み干したばかりだというのに、水上の額には多量の汗が吹き出していた。
「……なんでまた、地獄突きなんか覚えようと思ったん?」
「この前のことがあって、わたしも強くならなきゃなって思いまして。あっ、本当に技をかけたりはしませんよ? ただ、練習することで自信がつくかなって」
「……」
「ナンパ? って言うんですかね。ああいうふうに声をかけられた時、自分でちゃんと断ることができたら、漆間くんが誤解されることも減るんじゃないかなって思ったんです」
ピンと来ない様子の水上に、六田はなんとか自身の考えを伝えようと、両の手を肩のあたりでうろうろと動かした。それは言語の壁を越えようともがいた際に、自然と出る仕草だ。六田はひとしきりまごついたところで急に手の動きを止めると、あごに手をそえ何かを考えるそぶりをみせた。
「……誤解っていうのはちょっと違うかもしれませんね。なんていうか、あの時のことがなかったら、あの2人と漆間くんが仲良くなる未来もあったんじゃないかなって」
自分がはっきりと彼らの誘いを断れていたら、漆間が挑発的な態度をとることもなかっただろう。そうすれば、彼らと漆間はまたどこか別の場所で違う出会い方をしていたかもしれない。そう六田は説明した。
「漆間くんあんな感じですし、誰とでも仲良くできるタイプじゃないですよね。
……水上先輩はよく知ってると思いますけど」
少々眉を下げながらもほほえみ問うてきた六田に、「俺に聞かんといてや」と水上。2人しておんなじ顔で笑いあった後、話を戻した。
「まあ、2人としゃべる機会があったとして、うまくいくかはまた別の話ですよね。でも……漆間くんとだれかが接する機会をわたしが奪うのは、ちょっと違う気がしたんです」
うまく言えないですけどと続けた六田に、水上は素直な感想を述べる。
「漆間がなあ……どうやろな」
彼らと漆間の気が合うようには思えなかった。
「でもほら、漆間くんと水上先輩って、最近仲が良さそうじゃないですか」
「はい?」
急な話題の転換に、思わず敬語で返してしまった水上である。
「防衛任務の時、前より漆間くんが聞く耳を持つようになったかなって、わたしは思ってるんですけど……違いましたか?」
六田の言葉は正しくて、事実、漆間が水上の指示にしたがう割合は増えたのだ。だがそれは10回中1回指示が通るかどうかというレベルの話で、「生意気な後輩の態度が改まりましたー」なんて間違っても言えない。最近はあいさつ代わりに反論が返ってくることも多く、水上の心労は改善どころか微妙に悪化していた。
とはいえ、漆間とのやり取りが増えたことはたしかだ。それは間違いなく春巻きパンをめぐる一件がきっかけで、自販機の前で話しこんだあの日、漆間と水上は互いを見る目がすこしだけ、けれども確実に変わったのだ。「理解不能ないきもの」の理解が深まる日が来ようとは、人生何が起こるか分からない。
話せばわかる、こともある──先ほどは「違う未来」の可能性に否定的だった水上だが、もろもろ考えると彼女の意見に同意するほかなかった。
「まあ、そういうこともあるかもな」
水上の言葉にほほえんだ六田は、両の拳を胸元にかかげ、自らを鼓舞するようなポーズをとった。
「それに、技を身に付けて自信がついたら、漆間くんに言い合いで勝てる確率もあがるかなって」
「ふ、何やそれ」
思いがけない言葉につい吹き出す。
「六田ちゃんも口げんかとかするんや?」
「はい、それはもう……。でも漆間くんって漆間くんじゃないですか。いつも押し負けちゃうんですけどね」
「あいつに口で勝てる方がまれやって。気にせんとき」
水上はここにきて、ようやくみかんソーダの存在を思い出した。花壇に置き去りにしていた缶を手に取ると、「炭酸抜けそうやし、飲んでまうけど」と断りを入れる。
「どうぞどうぞ、遠慮なく」
「……てか、俺がおごればいい話か。さっきごちそうになったことやし」
「いえ、そんな」
遠慮の鬼である六田に、「先輩の顔立ててや」と説得する。なんとか小銭を持たせることに成功した水上は、ふたたび花壇に腰かけ、静かにみかんソーダを味わった。雲ひとつない空からは、梅雨明けが近いことが見てとれる。
◆
ガコンッ。
缶ごみの始末を終えた水上は、肩の凝りをほぐすように腕をぐるぐると回すと、後輩におどけてみせた。
「俺も六田ちゃんに地獄突きされんよう、気ぃ引きしめんとな」
「や、あの、本当に技を使うつもりはなくてですね……。それに、水上先輩は技をかけられるようなことはしませんよね?」
「いやー、どうやろなあ」
水上の頭の中に、教頭のあきれた顔が浮かんでくる。その物言いに何かを感じたらしい六田は、「もしかして」とつぶやくと、鬼気せまる表情で問うてきた。
「ナンパ、お好きなんですか……?」
その真剣さがおかしくて、水上は再度吹きだした。
「冗談や」
フォローついでに、素人が地獄突きをすると指を痛めることもある、ラリアットのほうがいいのではないかとすすめてやる。提案をこころよく受け入れられた水上は、六田に別れを告げ、校舎へと向かっていく。
エピローグ 水上敏志は廊下を歩いていた。腹時計の感覚でしかないが、今日はもう春巻きパンを食べるのは無理だろう。自然とため息がもれた。六田の笑顔が一瞬よぎったが、いかんいかんと首をふる。春巻きパンを食べられないことを誰かのせいにするのはもうやめた。購買は早いもの勝ちなのだと自らに言い聞かせる。
昇降口のつきあたりを曲がると、購買の前でクラスメートたちがたむろしている。村上は、水上の姿を確認するなり不自然に目をそらした。影浦は神妙な面持ちでうつむいている。いつもと変わらぬ穂刈の表情にちょっとばかり安心したのもつかの間、彼らの手には、目的のブツが握られていた。──まさか。
水上が腹をくくり終えるより先に、穂刈が購買を指さし首をふる。それは春巻きパンの売り切れをしめす無言の通告だ。やられた。
「はあ、俺だけまたたまごパンかい……」
肩を落とし購買へ入ろうとしたところで、頭をツンツンつつかれた。
「なんや、なぐさめなら──ブハッ」
振り向きざま、顔面に何かを押し当てられた。ちょっと硬いそれは透明の袋で包まれており、四隅に蛍光灯が反射してチラチラとまぶしい。袋の角が当たってチクチクするが、今はそんなことどうでもいい。まさに目と鼻の先にあるそれからは、懐かしい揚げ油の香りがただよっていた。距離をとって確かめるまでもない、コイツはいま、水上が心から欲している物に違いなかった。
ほうけた顔を横にずらせば、穂刈とばっちり目が合った。級友は水上に荷物を預けるやいなや、ひらいた両手を勢いよく頭上に掲げ、敵を威嚇する柔道選手のようなポーズを取った。水上がギョッとするのもお構いなしに、穂刈はどんどん距離をつめてくる。
トンッ。
水上を壁際まで追いつめた男は、加減した上で手のひらを壁にたたきつけ、いたって平常通り、静かな声色でささやいた。
「ヒット・バイ・ピッチ」
「……は?」
無言で見つめ合う2人を見かねて影浦が口をはさむ。
「んな専門用語がソイツに通じるわけねーだろ」
「……そうか。インドア派だったな水上は」
穂刈はコホンとせき払いすると、獲物に襲いかかる寸前の熊のようなポーズを取った。「やり直すのか」と楽しげにツッコむ村上に、「わかりやすくいくぞ今度は」と返し、舌をペロリと出す。再度水上との距離をそこそこに詰めると、得意のポーカーフェイスを崩さぬまま叫んだ。
「デッドボ~~~ル!」
わかるけど、わからない。聞き覚えのある野球用語を言われたところで、いまがどういう状況なのかさっぱり分からない。目をパチクリさせながら順繰りに3人の顔を見やれば、ふと、あの日の記憶がよみがえる。
──デッドボ~~~ルとか、言うてくれたら良かったやーん。
謎はすべて解けた。友人の一連の言動は、かつて自らがつけた注文に対する答えだ。穂刈は胸元で腕をくむと、首をゆるくかしげて問う。
「えーと。良かったか、これで」
「……ばっちりや」
水上は口端に笑みを浮かべると、手元に視線を落とし、春巻きパンを見つめた。
「照れてるな、さては」
「照れてる」
「蒸しブロッコリー」
直球勝負のピッチャーどもに、「言わんといてくれや……」となんとか球を打ち返す。もう、どうにでもなれ。ますます顔が熱くなるのを感じた水上は、開き直って勢いよく顔を上げる。見れば、クラスメートたちは銘々にニヤけながらも肩を震わせている。こういう時は思いっきりイジってくれたほうがましなのだが。
「なんやおまえら、にらめっこでもしとるん?」
「ぷはっ」
とうとう村上が吹き出した。
「おいコラ鋼、おめー水上の顔みた時から笑ってたろ。全然隠せてねえじゃねーか」
「悪いわるい、ふふ……こういうの初めてでドキドキしてしまって。ハハ」
「上出来だろ。気づいてなかったしな本人は」
サプライズ大成功。穂刈がいつもの調子で続ければ、誰からともなく笑いだす。
「さすがにパン1個じゃ足りんし、追加で買ってくるわ」
水上の言葉を受け、穂刈はにわかに自身の顔をペタペタと触りだした。ついで左手で購買を指し示す一連の流れは、先ほどの両手を上げる仕草同様、デッドボール判定を下す球審の動きを忠実に再現したものだ。だが、本格将棋派の水上がそれに気づくことはなかった。
「だから通じてねえって」
代わりに影浦がツッコめば、穂刈はなぜだか誇らしげに「だろうな」と胸をはる。
「なんか……ごめんな?」
ボケを拾えなかったことをわびる水上に、「行くならさっさと行ってこい」と影浦。穂刈と村上が無言でうなずくのを確認した水上は、購買へと足を踏み入れた。
◆
水上の他に客はいなかった。ふだんの喧騒と比べると、別世界に迷い込んだかのように静まり返っている。ここは本当にいつもと同じ購買なのか。ありえない疑念がちょっとばかりわく。
とはいえ、ショーケースには見知った顔ぶれのパンたちが並んでいて、目の前には店員の”お姉さん”もいる。少しばかり寂しい気もするが、ライバルがいないということは、落ち着いてパンを選べるということでもある。たまにはこんなのもいいかもしれない。
水上の手に春巻きパンが握られていることに気づいた店員は、「やっぱり影浦くんの友達だったのね」とほほえんだ。
店員の口からその名が出たことに驚いたが、彼女と影浦は地元の人間であり、実家が飲食店という共通点もある。自分が知らない人間関係があっても不思議ではない。そう瞬時に結論づけた水上は、影浦が友人兼クラスメートであることを告げた。
共通の話題で盛り上がりながら、じっくりとパンを吟味する。人間というのは不思議なもので、時間をかけたからといって思い切った決断ができるとは限らない。結局カツサンドとたまごパンを注文した水上に、店員は温かなまなざしを向けた。
「最近このパンよく買ってくれるわね」
「あー、言われてみるとそうかもしれないっすねえ」
この場合、「このパン」とはたまごパンのことだろう。大量購入および大量摂取をくり返すうちに、水上はすっかりたまごパンを気に入ってしまったのだった。買い始めた動機こそ褒められたものではないが、それはそれ、これはこれ。本校購買部のパンは、どれもこれもおいしくて最高なのだ。水上はポリポリとほおをかきながら切り出した。
「俺、春巻きパンがいっちゃん好きなんですけど、最近たまごパンもええなあ思て。まず、この卵のゆで加減が最高でしょ?」
その言葉を皮切りに、慣れた口ぶりでたまごパンの良さを語り始めた。己の食レポがふたたび店員の笑顔を引きだしたことに満足した水上は、ごくごく自然に春巻きパンの話題へとうつっていく。
楽しげな2人の様子を戸の窓から確認した影浦は、髪をかきまわしながらその場をうろうろした後、室内に届かないであろう音量でぼやいた。
「おせえ……いつまで話し込んでんだ」
「お客は水上しかいないんだし、いいんじゃないか」
「昼休みの都合があるけどな、実際」
待ちくたびれた3人が購買に乗り込むまで、あと10秒──。
『六月のパン食い競争』 おわり