#燭へしワンドロワンライ お題「夜」ワンライ「ヨル」
長谷部目線
灯りを消すと部屋は黒に包まれる。
窓をあけると黒い夜空に浮かぶ金。
夜は世界が光忠の髪と同じ色に染まり、そして光忠の瞳と同じ光が俺を包む。
あの男に包まれているような心地がして夜が嫌いではなくなった。
俺のものにはならないけれど。
初めて光忠の姿を見たのは配属されてきた日だ。
俺が営業から異動することが決まったのと時を同じくして中途採用で入社してきた。
「はじめまして長船光忠です」
その声に目をあげた俺は声を失った。
世界が急に色づき、動き出したような気がした。
黒い艶やかな髪に金色の瞳、アシンメトリーに流された髪のせいで片方の瞳は見えていない。
白い肌と厚みのある体格。モデルかと言わんばかりのスタイル。
こんな美丈夫に会ったことがあれば忘れるはずがないのに、なぜか懐かしいような何よりこれは俺のものだという不思議な感覚が身体に渦巻いた。
冷静になればそんなわけはない。
初めて会った人間、それも男だ。
そういう相手になるわけがない。
そもそも俺は今まで誰も好きになったこともなかったし、これからもそんなことはないのだろうと思っていた。
だからきっと気のせいだ。
何より俺には取引先から引き合わされた相手がいる。
もうすぐ婚約することになるだろう。
なのにどうして目の前に現れたんだ。
「長谷部だ。来月からは管理本部に異動する」
「あ、だから長船君に長谷部の顧客を引き継いでくれるかな」
上司の声に俺は内心頭を抱えた。
できれば近づきたくない。
このまま無関係のまま距離を置きたかった。
なのに。
俺に婚約寸前の相手がいることはすぐに光忠の耳に入ったらしい。
引継ぎで同行した俺をちらちらと何か言いたげに見る光忠にため息が漏れる。
「昼飯でも食うか」と誘うとこくりと頷き、それでも何も言おうとせずにちらちらと俺の指を見てくる。
「指輪しないんですか?」
ようやく口にしたのがそれだった。
「ん?なんだお前もそういう話が好きなのか?」
「そういうわけじゃないですけど、でもみんながもう婚約してるんだろって言ってたから」
「まだしてない」
「でもするんですよね」
どこか拗ねた声にフフと笑いを漏らすと「するんですよね」と光忠はもう一度重ねた。
「……そうだな」
婚約か。
きっとするんだろう。
そのまま結婚して、セックスして、子供でも作って。
まったく想像ができなかった。
相手は見た目も中身も上質な女性だ。
世間では俺の逆玉婚だなんていってるが、別に相手のバックボーンが気に入っているわけではない。
理性的で話が合い、そして何よりそれほど俺のことが好きではなさそうなところが気に入っている。
それだけだ。
結婚なんてそんなものだろう。
代わりがきかないたったひとり、そんな人生の片割れのような相手に出会える人間なんてしれているはずだ。
「好き、なんですよね?」
「好き、か」
俺の言葉に戸惑った顔を見せるこの男はきっといくつかの条件さえ合えば、もう結婚してしまえという気持ちはわからない人種なのだろう。
「お前、案外ロマンチストなんだな」
きっとモテるし選り取り見取り、きっとそのなかから好きになって離れがたい相手と出会って結婚するのだろう。
どんな風に愛するのだろう。
その腕のなかにぎゅうと抱きこんで愛してるとでもいうのだろうか。
光忠に愛される女がうらやましいような、どうして俺じゃないのだという気持ちが溢れそうになって、うまく表情が作れなかった。
「そういうわけじゃないですけど、でもなんか」
ううと言葉を詰まらせると光忠はうなだれた。
可愛いやつだな。
そうこうするうちに俺は異動になって光忠と顔を合わせることは減った。
ほっとしたような、寂しいような。
あの男は自分のものになんてなることはない。
でも自分のものにならなくてもいいと思った。
夜になればあの色に包まれることができるのだから。
結婚すればきっとこの会社を辞め、相手の会社に入ることになるだろう。
そうすればこの気持ちもおさまるはずだと思っていた。
「長谷部さん、好きな人できました?」
ふわりと笑ってそう告げた相手は「婚約は白紙に戻しましょう」と言葉をつづけた。
「私も、です」
だから結婚できません。
気持ちを隠して結婚しようと思っていました。でも無理だとわかった。という言葉を受け止めるまでかなり時間がかかった。
どうやら俺のことをそう好きでもないと思っていたのは間違いではないようで、相手にも大切に思う相手がいたようだった。
自分から話は通します。慰謝料の請求もしてもらっていいですから。
「その必要はない」
「では」
「ああ」
まるで仕事相手と別れるかのような終わりだった。
「好きな人できました?」
たまにしか会わない相手にも漏れるほどに俺の中で光忠は大きくなっていたのか。
婚約破棄をしたからといって光忠に手を伸ばすわけではない。
それは違うとわかっていたけれど、でも婚約破棄が表ざたになったと知って息せき切って走ってきた男に指輪を投げた。
なぜ買ったのかもわからないけれど、彼女と店に行ったとき目について離れなかったものだ。
サイズもあとであわせるからと適当に買ったものだったけれど、自分への戒めのように指にはめていたものだった。
「好きなやつがいるんだ」
お前のせいだなんていう気はなかったけれど、それでも片棒を担がせたかったのかもしれない。俺はずるい。
その言葉が光忠の枷になるかもしれないとわかっていたくせに。
「内緒だぞ」
そのあと光忠は指輪を返しにこなかったし、しばらく目を合わせることもなかった。
ああそうだよな。
夜の黒に包まれながら何度も俺はそうだよなと呟いた。
このまま消えれたらいいのにな。
なんどもそう思った。
それもいいか。
もう何も手に入らないのだから。
なのに。
クレーム対応で同行した帰りに降られた雨のなか、土砂降りの雨に叩かれながら光忠は俺に手を伸ばした。
濡れた身体を押しつけ合い、ひとつに溶けろとばかりに口づけをかわす。
ぬるりと熱い舌が絡み合い、背に回した手で何度も黒い髪を掻きまわした。
「今だけだから」
今だけでいい。お前のことをくれ。
その熱でいっそのこと溶かしてしまってくれないか。
雨がいつしかゆるくなっている。
もうすぐあがるだろう。
夕闇が夜の帳へと姿を変えていく。
早く夜になればいい。
光忠の色に包まれた世界で、誰の目にも触れない黒に包まれて強くこの男を抱きしめたい。