(燭へし)Spicy and sweetwebでの打ち合わせを終えてリビングに顔を見せた長谷部は目に見えて気落ちしていた。
「よかれと思ってやっていたんだが……」
詳しいことは言えないけれど、ぽつりと漏らされた言葉に長谷部の気遣いが裏目にでてしまったのだということは光忠にも伝わった。
「お風呂入っておいでよ。あがったらご飯にしよう」
「そう、だな」
空腹感はあるものの、気持ちがいっぱいで食欲がなくなってしまったというところだろう。
食べたからと言って何かが解決するわけではないけれど。
それでも食べないと前は向けないからと、光忠は冷蔵庫の扉に手をかけた。
光忠はこのところ撮影続きで夜はほとんど外ですませていたし、長谷部も締め切りがいくつかあるからと仕事場に籠っていた。もしかしたら何もないかもと顔をつっこんだ冷蔵庫にはベーコンと、豆腐がひとつ。野菜室には水菜とピーマン。玉ねぎは切らすことがないし、パスタもある。
なんとかなるかな。
ベーコンは細めの短冊に、タマネギとピーマンは歯ごたえがある薄切りに。
水菜を洗って、冷凍庫に常備しているちりめんじゃこを胡麻油とレンジにかける。
フライパンにオリーブオイルとドライガーリック、香りがたってきたらベーコンと玉ねぎを炒める。
にんにくの香りに思わずぐうと腹の虫が騒ぎ出す。
玉ねぎがしんなりしたらピーマンを加え、鍋に湯を沸かし始める。
フライパンにケチャップの赤を落とすと火を弱め、ここからはじっくりと炒めていく。
よく水を切った水菜と豆腐にカリカリになったジャコをのせ、胡麻油とポン酢をまぜてかけ、風呂場から聞こえる水音に耳をすませながら、テーブルをセッティングしていく。
「ビールよりもワインがいいかな」
冷蔵庫にまだ封を切っていない白ワインがあったはずだ。
グラスとサラダ、カトラリー、そして水菜のサラダを並べていく。
サラダとパスタ、食べ終わったらチーズを切ろう。
締め切りはもう終わったとこちらの部屋に戻ってきたのだから長谷部は明日は急ぎの仕事はないはずだし、光忠も明日はオフだからチーズをつまみながら映画を見てもいい。
ぐらぐらと沸き始めたお湯に塩とパスタをぱらりと入れ、ケチャップがもったりとするまでさらに炒めていく。丁寧に丁寧に甘みがでるまで。
もう長いつきあいになった長谷部が意外と気を遣う人間であることも、その気遣いがわかりにくく人によっては伝わりにくいものであることは光忠や、長谷部を長く担当している編集者である鶯丸あたりは承知していることだけれど、賞を取ってから別の出版社の仕事も受けるようになり、なかには相性があまりよくない相手もいるようだった。
「別に他の仕事しなくてもいいんじゃないの」
「それを決めるのは長谷部だからな。うちではできない仕事もあるから幅は広がる」
「それでいいの?よそに全部持っていかれちゃうかもよ」
意地の悪い顔をしていたとは思う。
そんな光忠の顔を面白そうに見ると鶯丸は「そうはさせんさ」とゆったりと笑った。
光忠よりもずっと長谷部のことをわかっているその余裕は、共に重ねてきた時間の濃さをみせつけられるようですこし面白くはなかったのだけれど。
同じようなことは光忠にもある。
舞台を中心に活動していた光忠がテレビに活躍の場所を移したとき、そしてすこしまえにテレビドラマから映画やすこし重めのドラマに軸を移したときも「~のくせに」「どうせすぐに」といった言葉を遠慮なく浴びせる同業者やスタッフはそこら中にいた。
こちらが気遣いを見せたことで上から目線で「親切な」指導をしてくる人間も、わけもなくあたりちらしてくる人間もいた。
まだ長谷部がサラリーマンをしていたころにもそういう日にたまたま会う約束をしていたことがあった。
そんな日は必ず長谷部派「今日は俺が店を決めていいか」と長谷部が気に入っているらしい店に光忠を連れていくと「これがうまい」「これを食べてみてくれ」と自分が美味しいと思うものを、まるで親鳥のように光忠の口に押し込んできた。
優しい味の出し巻き卵、薄味だけど丁寧に煮込まれた汁物。
そんな食事が、そして光忠のことを思う長谷部の心遣いに何度も癒されてきた。
恋人として手を取ったあとは「あまりうまくはないが」といいながら、疲れた顔で帰って来た光忠のためにうどんを作ってくれたこともあった。
まずは美味しいものを腹にいれろ。
腹が減っていたらろくなことを考えないからな。
そういって差し出されたものたちが、そしてそんな長谷部の気持ちが光忠の力になってきた。
だから。
ガタンと浴室の扉が開く音にパスタが茹で上がる音が重なる。
ゆで汁をすこしだけフライパンに移すと湯切りした麺をフライパンに入れ軽く炒める。
最後味を調えてお気に入りの皿に盛りつけていると、長谷部がリビングに顔を出した。
「ちょうどできたよ。食べよ」
パスタをテーブルに置くと、冷蔵庫からだしたワインを長谷部に渡す。
何か言いたげな顔はまだ気持ちがすっきりしていないってとこだろうか。
きりっと冷えたワインを口に含んでようやく長谷部はふうと息を吐いた。
「うまいな」
「ふふなんかすっきりするね」
シャキシャキとした水菜とカリカリとしたジャコの歯ごたえ、とろりとした豆腐を白ワインで流し込むとまたふうと長谷部は息をついた。
「ナポリタンだから赤でもよかったんだけどね」
くるくるとフォークに巻きつけた麺を口にいれるとトマトとニンニクの香り、そして舌にケチャップのあ甘みが感じられる。
「うまい。最近外でナポリタンが食えなくなったぞ。責任取ってくれ」
「喜んで。いつでも作るよ!」
「たぶん……」
言葉を選んでいるのか、しばらく逡巡した長谷部はグラスに残ったワインを飲み干すと「お前の気持ちが美味しいんだ」とぼそぼそと早口で口にした。
湯上りだからでも、皿のナポリタンが映っているわけではなく頬が赤く熱を持つ。
ああなんて可愛いひとだろう。
今日もまた君のことを好きになってしまう。
こんな時間を重ねて、やるせない気持ちも楽しい気持ちも分け合って、そしてそのたびに口にする美味しいものを重ねて、わけあうことがもしかしたら家族になるということなのかもしれない。
「明日は何を食べようか」
「もう明日のことか」
くすくすと笑う長谷部の唇についたケチャップをぺろりと舌で舐めると、にやりと笑った長谷部がその舌を捕まえるように唇を重ねてきた。
そうだね明日のことよりも、目の前のもっと美味しいものをまずは。